|
「18世紀最期のフランス革命以後に発展した理性を重んじる新古典主義、情熱に憧れたロマン主義などの19世紀フランス絵画を展示してありました。フランス革命、ナポレオン帝政から二月革命にいたる政治・社会が大変動した時代です。
人が人を殺す暗殺をモチーフにした絵や、戦争中(フランス革命?)の絵がメインでした。リアルで残虐な絵ばかりが並ぶんですが、絵の中で、神が人を愛してしまったり、人が神獣に立ち向かってたり実は空想画も多いのがとても面白いです。空想画なのに、あたかも本当にあったかのようなリアルさで。アングルの有名な「トルコ風呂」も空想画(上画像)だったのにはビックリ。神の存在や、王の権威、女性の弱さなどが時代が進むにつれて段々絶対的なものでなくなってきてる感じがしました。」 『論語』とフランス革命
『論語』をはじめとする儒教の考え方は、後世の歴史にさまざまな影響を与えたが、その驚くべき例の一つに、フランス革命がある。現代の民主主義や人権思想の源流であるフランス革命、一方、封建思想の典型のような『論語』。両者はおよそ結びつきそうにないものだが、そこには意外なつながりがあった。
そもそものきっかけは、キリスト教の神父たち、とくに日本史でもおなじみの、フランシスコ・ザビエルが所属していたイエズス会士の布教活動にあった。彼らは積極的に東アジアに進出し、熱心な布教活動に加えて、世界各地の知の遺産を集約する活動に力を注いだ。宣教師たちは、『論語』や『孫子』などの中国古典を次々と翻訳し、母国に伝えていった。その結果、フランスの貴族の間で中国ブームが巻き起こり、ルイ14世は中国服を着てパーティーに出席したというし、マリー・アントワネットの書庫にも中国古典を紹介した書物が収められていたという。しかし皮肉にも、これがフランス革命の下地になっていく。当時のヨーロッパにおいて、国王の権威は、「王権神授説」によって支えられていた。つまり、王の権利は神から与えられているので、民衆には一切責任を負う必要がないとする考え方だ。責任がない以上、民衆には過酷な政策が当然のように実施され、フランス国民は悲惨な状況に追い詰められていく。ところが、『論語』など儒教系の古典には、王朝の交替、つまり「革命」を起こしてもよい、とする思想があった。王であることは確かに天から命じられているが、しかしその天命は、民衆の支持によって決まってくる。民衆が見放せば、その王朝の天命が失われたと考えてもよいとされた。『孟子』にも、次のような言葉がある。
天の視るはわが民の視るにより、天の聴くはわが民の聴くによる(天は民衆を目として見、天は民衆を耳として聴く)
モンテスキューやヴォルテールといった当時の知識人たちは、この考え方に驚き、そしてフランスにもこの思想を取り入れるべきだと考えた。彼らは、王権神授説に対抗する思想的根拠を、儒教系の革命思想のなかに見出したのだ。そして1789年、バスティーユ監獄の襲撃が勃発、フランス革命が始まる。『論語』や儒教系の古典は、最初は宣教師の知の戦略として紹介され、たちまち貴族の間に広まったものの、それが結局、革命への思想的な背景を形作っていった。意外なところで意外な影響を及ぼしている古典、それが『論語』なのだ。」
たしかに...王権神授説ってのを習ったよねぇ...「由らしむ可し、知らしむ可からず」も、孔子の論語の言葉であるらしい...^^; けどね...もっと上手く...嫌み的には今の官僚のようにすれば...適当に玉の出を緩めれば...維持できたかもしれない...?
中国は...易姓革命って呼ばれてたのを思い出した...^^
「「由らしむ可し、知らしむ可からず」...この語は確かに為政者が国(民)を治めるときの心構えについて語ったものではあるけれど、国民に目隠しして、「黙って俺について来い」と命令しているのではない。この語の意味は、「為政者は国民から信頼されて導いていかなければならない。しかし、国民に正しい教えを完全に理解させるのはとても難しい。」というところにあるのである。・・・だからそれを、「文句を言わずに俺についてくればいいのだ」と言うような、専制君主の「問答無用」みたいな解釈を、この「よらしむべし、しらしむべからず」という言葉に託してもらっては、この言葉が困るのである。・・・」
*医者が患者さんにわかりやすいインフォームドを提供することの困難さを感じるもどかしさにも似てる...^^; 「易姓革命(えきせいかくめい)とは、古代中国において、孟子らの儒教に基づく、五行思想などから王朝の交代を説明した理論。天は己に成り代わって王朝に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき、革命(天命を革(あらた)める)が起きるとされた。それを悟って、君主(天子、即ち天の子)が自ら位を譲るのを禅譲、武力によって追放されることを放伐といった。無論、神話の時代を除けば禅譲の事例は実力を背景とした形式的なものに過ぎない。「後漢(劉氏)」から「魏(曹氏)」のように、前王朝(とその王族)が徳を失い、新たな徳を備えた一族が新王朝を立てる(姓が易(か)わる)というのが基本的な考え方であり、本来、日本で言われているような「単に前王朝の皇室が男系の皇嗣を失って皇統が断絶する」ような状況を指す概念ではない。・・・ほとんどの新王朝の場合は史書編纂などで歴代王朝の正統な後継であることを強調する一方で、新王朝の正当性を強調するために前王朝と末代皇帝の不徳と悪逆が強調される・・・このように、易姓革命論は実体としては王朝交代を正当化する理論として機能していたと言える。またこのような理論があったからこそ劉邦や朱元璋のような平民からの成り上がり者の支配を正当化することが出来たとも言える。これは西洋において長年にわたって君主の血統が最も重視され、君主の血統が断絶すると他国の君主の血族から新しい王を迎えて新王朝を興すのとは対照的である。
五行思想面からの説明では、万物には木火土金水の徳があり、王朝もこの中のどれかの徳を持っているとされた。たとえば、漢の末期を揺るがした184年の黄巾の乱は、「蒼天已死 黄天当立」(蒼天已(すで)に死す、黄天当(まさ)に立つべし)とのスローガンが掲げられた。漢は火の徳を持っているとされ、漢に代わる王朝は土の徳を持っているはずだとの意味である。」
これって...自由市場主義の原理そのものじゃん...?
血族会社の職員のモチベーションがだだ下がることは宜なるかな...「徳」は...DNAで受け継がれるものじゃないんだろうか...? 「徳」も...相対的なもので...より徳のある者がいれば、そちらに禅譲されるべきだと思うのが人の自然な気持ちなんだろうなぁ...そのとき...みんなの納得が得られ...正統性が担保されることになるってことかな...^^v
いまは...官僚にインフォームドされることがないままにもかかわらず...唯々諾々と異議を唱えるようとすることさえ忘れた...おとなしい飼いならされた羊の群れとして囲い込まれてるだけの日本人に成り下がってるような気がする...
大衆迎合(ポピュリズム)に陥ることと紙一重のような気もするけど...^^;? 少なくとも...
今の中国の人治主義と揶揄されているものよりも貴い思想が常識として民衆のなかに存在してたんだのに...今の方が腐敗してないとどうして誰も思わない/思えないのだろうか...?
いま、当局が躍起になって情報管理に努めてるようですが...歴史は循環の様相を呈してるように思える...^^
ただ...形式が違うだけで...今の日本と同じ状況でもあると思えるわけだけど...Orz...
「徳」とは...わたしが思ってるようなものでもなさそうだけど...以下参照
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




