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こういう話大好き♪
「
道に落ちているお金を見つけたら、交番に届けるかネコババするか。ネコババして自分のポケットに入れると、少しやましいけれど何だか儲かった気がする。良寛は人から「お金をひろうのは、とても楽しい」と聞き、ためしに自分が持っているお金を道ばたに捨て、それをひろってみた。しかし、少しも楽しくはない。ひょっとして、あの人は俺(わし)をだましたかなと思ったが、再三お金を捨てているうち、見失ってしまう。これは大変と、あれこれしてようやく探しあてひろうことができた。その時はじめて嘘ではなかったと良寛が言った、という『奇話』三十九段の話。 http://ryoukankai.up.seesaa.net/zenkoku/ryoukanzo-mituzouin-thumbnail2.jpg〜お金をひろう話〜
あの人が言ったのは、他人の落としたお金をひろう話なのに、良寛は自分が持っていたお金を捨て、それをひろったら楽しかったという。話は根本ですれちがう。他人のお金なら、良寛の態度はちがったものになった。失ったものを取り戻した時の原状回復を良寛は喜んだのだ。拾得物の不労所得を喜ぶというのではない。それだけの話なら、ただの落語のオチくらい。そこには寓意がある。人が健康である時は、そのありがた味も喜びも感じない。病気になり健康を失ってはじめて、そのありがたさに気づく。病いから癒(い)え健康を回復した時、いいしれぬ喜びにひたった経験は、どなたでもお持ちであろう。良寛の喜びは、それを象徴してみせたと知ればナットクがいく。だが人はしばしば、平穏な日常を感謝することを忘れて番外の不労所得を求め、しらずしらずの内に余禄を喜びとしがちなものである。マージャン、パチンコ、そして競馬・競輪などのギャンブルは、世のため人のためにする労働ではない。・・・かりに、こうした不正な余禄がうまくいったとしても、それに手を染めた人は、もはや心を病んでいてちっとも幸せではないはず。
医者の原田正貞が、自分はお金がほしいのだが、どうしたら手に入れられるかと良寛に聞いたという話は、『奇話』四十六段にある。金まわりはいいはずの医者が、乞食僧(こつじきそう)の良寛に金儲けの秘訣を教えてほしいとは、奇妙な話だが、良寛はこう答えた。
自分の本業を徹底的にきわめつくして精進せよ。他人の仕事ぶりの手もとを見て、うらやんだりしてはならない。他人が裕福そうにみえても、それには見えない苦労がある。余禄で金儲けしようなど考えてはならない。自分の力の範囲でできることを的確にやれば、相応の金は必ず得られると教えたのである。 また、別の人からも同じことを聞かれた時、お金のある人から借りて間に合わせよ。しかし、借りた金は約束の期日に必ず返さなくてはならないと。良寛さまなら、もっとすばらしいアイディアをお持ちかと思ったのに、それでは当たり前すぎて拍子ぬけしてしまいそう、と思われるかもしれないが、それが良寛の答えだった。その裏には人は信用第一だよとの教訓がふくまれている。
風のように瓢々とした生き方を通した良寛が、こうした下情に通じ、しかも厳然とした見識を示したなんて、びっくりされる方も多かろう。しかし、どんなに世の中の表層に変化があろうとも、人間の関係の原則は今昔東西いつも不変なのである。
・・・お金お金と思う前に、少しでも世のため人のために働けば、バラつきはあっても見返りがないわけではない。お金がなければ使わない工夫をして、ある範囲ですますことを考える。身体を動かせ。知恵をしぼれ。それが心身の活性化につながる。足ることを知る人は、びくともしないから、良寛のように人が追いかけ声をかけてくる。 なんだか、そんなのって、やたら消極的だなと思われようが、そうではない。ただ受け身で自分を護るのではなく、良寛がまず里びとに愛語のことばかけをして包みこんだように、こちらから出向いて行って「前倒しの愛=ペイ・フォワード」をもたらせば、相手が変わり、こちらも変わる。ペイ・フォワードは「先手のまこと」とも呼ばれるが、人はそれを心待ちにしている。じつと待っている。
しらずしらずのうちに多くの人は、受けた愛にお返しするということは知ってはいても、まず先手の愛を贈るという前向きの姿勢を忘れがちではないだろうか。むろん、愛の押し売りとなっては迷惑となろうから、そのあたりの呼吸のはかりかたにもひと工夫が必要である。しかし、根のところに思いやりがあれば、その思いは通じるはずである。 ・・・ 良寛が、托鉢のための所信を記した「請受食文(しょうじゅじきもん)」という漢文の文章がある。そこには、不浄命(ふじょうみょう)の食(じき)=けがれた喜捨は受けてはならないとある。喜捨される米銭に浄・不浄の区別は見分けられまいと思っていたら、別の文で不浄命の食は「へつらいの食」とあった。そうか、人におもねって鉢に米銭を受け、浄・不浄をきめるのは受ける側の問題だと知った。 だから、人にお世辞を言ったりお追従の態度は、はたからでも見苦しいもの。名誉や利益のからむ時、真っ先にその当事者が冒されている。利益のために猫なで声ですり寄ってはならない、と良寛は諄々と説いた。(南無の会機関誌『ナーム』より)」 So Do I !!♪
でも...逆に...その猫なで声に人はいとも簡単に騙されてることかと思うと...騙す方も騙す方だけど...騙される方には罪はない...「愛語」の言葉と猫なで声は区別できないのかって思うばかりなり...^^;...
彼は...騙されても騙しちゃいけないっていうプリンシプルを貫き通した(自分を騙すなってこと!!) のよね!!
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