アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

深いい話

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名医の代名詞の耆婆扁鵲(ぎばへんじゃく)...の耆婆(ぎば)...の話...^^

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タイマッサージの創始者は、今から約2500年前の時代を、釈尊と共に生きていたインド人シワカ・コマラパ(Shiwog Gomarabat/ジーヴァカ・コーマーラバッカと発音することもある)とされています。・・・
彼は釈尊の主治医であり当時サンガ(仏教僧の集団)の筆頭医師として活躍していました。・・・
古代マガダ王国に、サーラヴァティーという遊女がいました。彼女はラージャガハという町(マガダ王国の首都)で男の子を産みますが、周りの人たちに知られたくなかったのでその子を召使いの女に渡します。その召使いの女は、その子を穀物ともみ殻をふるい分ける籠に入れ、ゴミの山に置いて来てしまいます。しかしちょうどそのとき、アバハヤ王子が通りかかり・その子を見つけ兵士に次のように尋ねました。「その子はまだ生きているか」と。兵士は「はい」と答えその子は王子によって拾われ、宮殿に連れて行かれ大切に育てられました。子供はシワカと名付けられましたが、それは「彼はまだ生きていた」という意味です。そして王子が彼の面倒をみたことからコマラパと呼ばれました。
コマラパとは、「王子によって養われた」という意味です。彼が自分で、生計を立てなればならない年齢に達したとき、彼は医術を習おうと心に決めました。タキシラに有名なアートレーヤという医師がいることを耳にした彼は、その町まで旅をしてその医師の徒弟になるのです。当時のタキシラは医学の習得や、技芸や科学、また伝統的バラモンの学習の中心地でした。

7年の間に、薬草に関しての知識や処方の仕方、脈診術、鍼術(漢語の文献による)などをマスターした彼は実地試験を受けることになります。そこでアートレーヤは、彼の薬草に関する知識を試すため彼を森に行かせ「森の中から薬にならない草を取ってくるように」と、指示しました。森の中には、薬にならない草が一つもないことを知っていた彼は見事に試験に合格をしました。
彼がアートレーヤの開頭手術を見ていたとき「開けた頭蓋から虫を除くのに、手術道具を熱くした方がいい」とアドバイスをし、アートレーヤは彼の医学の理解の深さに満足し、特別な開頭術を彼に授けました。
彼がアートレーヤのもとを去るとき、アートレーヤは彼に向かって「自分は今インドの医師の中では一番だが、自分が死んだ後は君が後を継ぐだろう」といったといいます。」

詳しくは以下参照...Orz...

http://ja.wikipedia.org/wiki/ジーヴァカ より
ジーヴァカ(耆婆、ぎば)は、古代インドのマガダ国ラージャグリハの医者である。
阿闍世(アジャータシャトル、アジャセ)が、父王・頻婆娑羅(ビンビサーラ)を殺害した後に悔恨の念を懐き悪瘡を生じたことから、釈迦仏に会いに行くよう勧めて仏教に帰依させた人として知られる。・・・
意味:固活、能活、活童子、寿命童子など
  • 南伝スマンガーラ・ヴィラーシニーでは、彼の名前の由来を説明して、娼婦の子として生まれ捨てられたのを、無畏(アバヤ)王子が拾い上げ「この子はなお生きている」といったのでジーヴァカといわれ、王子に育てられたゆえにコマーラヴァッチャ(王子に育てられし者の義)と呼ばれたとする。
  • 南伝クラヴァッガでは、小児科医ゆえに、コマーラヴァッチャ(子供を看病する者)と呼ばれたとする。・・・
中国や日本では、彼と戦国時代の名医扁鵲とをあわせ、〈耆婆扁鵲〉と並べて呼称することがある。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/アジャータシャトル 参照 
http://ja.wikipedia.org/wiki/アンバーパリー より
アンバーパリーサンスクリット語:Āmrapālī、音写:菴摩羅、菴没羅など多数、訳:捺女、奈女、非浄護など)は、釈迦仏の女性の弟子(比丘尼)の1人。
ヴェーサリー(毘舎離)の人でヴァイシャ出身。ヴェーサリー城外の Amba(アンバーとはマンゴーのこと)林に捨てられ、その番人に育てられたので、アンバーパリーすなわちアンバー林の番人の子といわれるようになった。長じて美貌を以って名声をなし遊女(あるいは芸妓女)となった。仏に帰依し、その所有していた林を僧団に献納し、後に比丘尼となった。彼女の一子である Vimala-Kondañña(ヴィマラ・コンダンニャ)もまた比丘となったという。『テリーガータ』1020には、彼女の美貌に心を奪われた比丘衆に阿難が誡めのために偈を説いている。
南伝『ディーガ・ニカーヤ』16には、リッチャヴィ(離車)族の公子らに先んじて仏を招待した。公子らがその招待を譲り受けんと乞うも彼女は譲らなかったという。その所有していた菴摩羅樹苑を僧団に寄進したとあり、この件は諸文献に通じるエピソードである。
南伝『マハーヴァッガ』には、彼女の美貌によりますます多くの人々が引き寄せられてヴェーサリーが潤ったという。ラージャガハ(王舎城)の民衆はヴェーサリーでこの模様を見て、ビンビサーラ(頻婆娑羅)王に帰って語って、Sāravatī(サーラヴァティー、五分律では婆羅跋提)をして娼婦たらしめたという。サーラヴァティーは、Jīvaka(名医ジーヴァカ、耆婆)を生んだという。
『雑阿含経』24.20には、菴摩羅樹苑にて、彼女が来るのを見て、仏は弟子集にその美貌で心が揺れないように四念処を説いたとある。
『捺女祗域因縁経』には、彼女はヴェーサリーのバラモンの捺樹の肉瘤(にくこぶ)から生まれたとし、美人なるをもって15歳の時に7人の王が求婚したが得られず、ビンビサーラだけが得てジーヴァカを生んだとする。Sumanā(須漫)、Padumā(波曇)の二女も彼女と同じように各々樹華より生まれたという。彼女と二女は共に500人の女性を率いていたが、仏の説法を聞いて出家し悟りを得たという。
したがって、北伝漢訳経典では、ジーヴァカは彼女とビンビサーラの間の子とするが、南伝パーリ語文献経典では、ジーヴァカはサーラヴァティーとビンビサーラの間の子とするという違いがある。」

小野小町と深草少将の話に似てなくもない...悲恋とハッピーエンドってところが大違いだけど...^^;...

* 医王耆婆伽(ぎばか)―名医
984年丹波康頼編纂の「医心方」のも耆婆の処方が多く記されている。
王舎城の美女の遊女サーラヴァティがビンビサーラ王と通じ生まれ、捨てられたのを、アバヤ王子が発見し、家来に命じてこの子を乳母に養育させた。王子はまだ生きているという意味の「ジーバカ耆婆伽」と名づけた。成長し自分は王家のものでない。自分に才能がなければここにすむことは出来ない。生きる道として、医術を学ぼうと考え、タッカシーラ国名医で7年間医術、薬学を学んだ。師の許しを得て、王舎城に帰る途中、頭痛の治療を始め多くの病を治し、開頭手術、開腹術(腸閉塞)、ビンビサーラ王の痔も治し、王は自身と後宮と釈迦の僧伽に侍医に任命した。ブッダの腸の不調を蓮の華を一定時間毎に嗅いでいただくことで便通を調えた。多くの宗教家は「医宗同源」で釈迦も阿難陀に、痔の種類と治療法、痛むときの陀羅尼の唱えを教えている。「療痔病経」として「医心方」に引用されている。

釈迦が涅槃に入られるとき、集まった弟子達の泣き叫ぶ中、阿那律は、その場に居合わせた最高長老として、枕元に侍して釈迦の涅槃を見届け、陀羅尼を励まし、供養の支度を整えた。釈迦の平素の教えを皆に改めて説き示して一夜を過ごした。
翌朝、陀羅尼に命じ、マッラ族に釈迦入滅の知らせを届けさせ、天眼で 諸天の意向を伺い、天冠寺のマッラ族の廟に遺骸を運び安置した。香と華と楽で供養し、遺骨を荼毘に付すとき、陀羅尼がいかにしても、金棺の回りに積んだ香木に火がつかない事態が起きた。陀羅尼は静かに釈迦の心を探り、「世尊は大迦葉の到着を持っておられる。それまで薪に火がつかない」と一同に告げた。
釈迦入滅後三ヶ月が過ぎ、大迦葉の召集で七葉窟で、第一結集が開かれた。優波離と陀羅尼が唱えたお釈迦さんの言葉を全員が「異議なし」と認めると、阿那律が釈迦もそれをよしとされているか、天眼で視た。これで経と戒律が決まった。」

天眼ってなんだ ?...天津飯のあの第三の目...^^?
画像:http://purelink.info/stone/tengan.htm より Orz〜
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天眼石(てんがんせき)

年輪状の模様が目玉のように見えるこの石は、天(神)の眼と言われ、
強い徳が宿り、持ち主に神仏の加護を授け悪霊を追い払い、開運へ導くると言われます。
また、本来『天眼石』は強い魔除になるといわれ、黒の天眼石は特に死者から、赤の天眼石特に生きている人間からの怨念めいたものを祓うともいわれています。・・・『ボツワナアゲート』と同様の『アゲート・瑪瑙』の仲間で写真のように縞模様が目玉に見えるものでチベットで産出されたものが『天眼石』と呼ばれるそうです。・・・この石は、チベットの僧侶に好まれ、ダライラマ14世が身につけている事でも有名であり、ノーベル平和賞の授賞式に身に付けていたことで注目を集めました。その他にも、『ハリソンフォード』『リチャードギア』『スティーブンセガール』『ジェットリー』など多く映画俳優や事業家などが天眼石を愛用しているそうです。・・・
穴の空ける位置を代え縞模様が目玉に見えるようにしたものを『天眼石』と呼ばれます。

これって...トルコ土産でもらったナザール・ボンジュに似てる♪(お気に入りなグッズ欄参照 ^^)
画像:http://allabout.co.jp/gm/gc/22675/2/ より Orz〜
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トルコでは、他人の羨望・嫉妬のまなざしはその人に悪影響を与える、と考えられています。これはヒッタイト時代から残る信仰で、こうした羨望のまなざしから守ってくれるのが、目玉の形をしたガラス玉、ナザールボンジュ。トルコの家や店には巨大なナザールボンジュが壁に掛けられており、その他キーホルダーや携帯ストラップ、ピアスなど、様々な形のナザールボンジュがあるので、大勢の友人たちに配るのにうってつけのお土産候補。ちなみに、何か嫉妬の視線から守ってくれた時、そのナザールボンジュは割れるのだそう。」

日本でも...鳩の害から守るために大学にこんな大きな目玉の案山子みたいなのしてたの思い出した...今もしてるかどうかは知らねど...^^;...
漢方で...サーチすると...痔によく効くらしき蓮神(れんしん:はす(蓮茎)を主体とした4種類の生薬のみを配合した内服薬)があるみたい...わたしゃよく知りませんでしたが...^^; Orz...

画像:http://renshin-seiyaku.co.jp/yurai.html より Orz〜

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レンシンはその昔、平安時代の醍醐天皇に仕えた菅原道真公が、延喜元年(901年)九州の太宰府に左還された折、一漁師が痔で苦しんでいるのを見て、持参していた四国高知で採取してきた蓮茎(はすのクキ)と中国より渡来した漢薬と調合してのませてみたところ、痔の痛みが数日で治ったという逸話がありました。・・・」

保険で処方する乙字湯(おつじとう)とは別物のようです...^^;...
保険で使える漢方で...清心蓮子飲(せいしんれんしいん:http://shohei-clinic.com/kanpo02-4.html 参照)、荊芥翹湯(けいがいれんぎょうとう:http://www.itaya.or.jp/about_c_medicine.php 参照を何とか思い出したけど...

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南紀の大島にあるエルトゥールル号の慰霊碑の近くに土耳古のお店があり、目玉のお守りがたくさん陳列されていました。
小さい物は手頃でしたが、さすがに大きい物は…高いですね。
お釈迦様から、話が発展する話の結末の想像が余りにも〜(爆)
先生の中には、きっと沢山溢れているんでしょうね。
凄いです。(笑)

2011/1/11(火) 午前 3:04 [ ほるすたいん ]

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>ほるすたいん さんへ ^^
土耳古=トルコなんだぁ!!...知らなかった♪
http://ja.wikipedia.org/wiki/エルトゥールル号遭難事件 より
「エルトゥールル号遭難事件とは1890年9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件である。この事件は、日本とトルコの友好関係の起点として記憶されている。現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台そばにはエルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館が立つ。また、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭も5年ごとに行われている。・・・」
聞いたことあったけど...台風にあったようですね ...
その後の日露戦争でバルチック艦隊を破った東郷平八郎はトルコでは英雄になったようだけど...こういった伏線があったから余計なんでしょうね ^^v
お釈迦様の話やらこのエルトゥールル号の話はまた調べてみようと思ってます Orz~

2011/1/11(火) 午後 2:41 [ スモークマン ]


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