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画像:「接吻 Le Baiser」
*ロダンと、弟子で愛人のカミーユ・クローデルがモデルだそう。
「「真実こそ美そのものである・・・」 彫刻家オーギュスト・ロダンの言葉。
ロダンはあらゆる存在に対して、その内なる真実を求める。 一見して感じとられる形体の奥底に生きる内面の生命を見つめる。 存在の骨子をとらえ、内から湧き出て外に向かって伸びる力を見きわめないでは手を下さない。すなわち、あらゆる生命、あらゆる事物の中の本質そのものに迫ってゆく。 ロダンにとって美とはこの厳粛なる真実の中に生まれるのである。(富永惣一:作家論−ロダンの生涯とその作品−/現代世界美術全集 より一部抜粋)
この『接吻』は、 ダンテの「神曲」 地獄篇の中のパオロとフランチェスカの物語から 題材をとったもの。*あらすじ はこちら (「地獄篇」第5歌の項) 禁断の愛に身を焦がした二人の物語を知らなくても、どこか哀しげなこの一組の男女の静かなる激情 に胸を揺らされます。それはそこに “真実” を感じるから。物語のディテールが重要なのではなく、そこに何かしらの真実を読み取るこらこそ、人々は胸を打つのでしょう。」 「神の手を持つ天才彫刻家を支えた女性達・・・内縁の4才年下のローズ、ロダンが長い不在の間も作品を管理し、妻と云うよりロダンの彫刻を支え続けた同士とも云うべき関係だったのでしょうか・・・若く美しい、才能ある24才年下のロダンの弟子の彫刻家カミーユ・クロデールとの出会い、そして愛人関係を続けるも、やがて彼の元を去って行く、才能ありながらも、いつも作品はロダンの影がつきまとい自分の才能を開花させずに愛をも成就できず、精神的に傷つき生涯精神病で入院し続けたクローデル・・・
ロダンの、その頃の作品が男女が抱き合う官能的作品「接吻」
19年の歳月をかけ待ち続けた内妻ローズ 結婚したのが73才わずか2週間でローズはこの世を去りその9ケ月後ロダンも死去!ロダン、内妻ローズ、愛人クローデル、愛と苦悩の日々はロダンにどんな創作意欲をかき立てたのであろうか・・・
後世にも残る傑作ロダンの「考える人」も、このような物語を背景に鑑賞するとまた、違った見方があり、興味深いものがあります。 ・・・」
画像:ヴィーナスの化粧 http://iei.jp/goods_html/6920326.html より Orz〜
「パリの下町で警視庁の書記の息子として生まれる。14歳で工芸実技学校に入学。
そのロダンの良き理解者であった2歳年長の姉・マリアの援助により帝国素描・算数専門学校に入学して美術を学ぶ。それ以後は古代ギリシアのペイディアスとルネサンスのミケランジェロを師にして、ほぼ独学で彫刻を学んだ。敬愛する姉の死で酷評にショックを受けたロダンは以後、12年もの長い間作品を発表しなかった。この年に生涯の伴侶となるローズ・ブーレと出会い、内縁関係を結ぶ。正式に結婚するのはロダンもローズも老齢になってからである。」
画像:「最後の幻影」
「白い大理石の表面に二人の顔が浮かび上がり、カリエールの絵画との結びつきが 最も明確に示された作品です。」
*カリエールの絵も素敵♪...またいずれ ^^v
画像:【カミーユ・クローデル】
http://blogs.yahoo.co.jp/gabriella12366/15477150.html より Orz〜 「「考える人」で有名なオーギュスト・ロダン。彼の愛弟子であり、ライバル、愛人であった、カミーユ・クローデル。18歳の時に42歳のロダンのモデルとなり、弟子となり、自らの作品を作り出した彼女はあまり知られていませんが、彼女の作品を見ると生み出さずにはいられない「本能と衝動」の赴くままに、作品を制作していってます。19世紀という女流彫刻家が認められていなかった時代に咲いた、狂おしいオンナそれも、ロダンに強烈な影響を与えながらも、ロダンの弟子の扱いを受け、ロダンの影の存在でその生涯を終えた女性、カミーユ・クローデル。」
【オーギュスト・ロダンの胸像(1888〜89):卒業制作】
【分別盛り(1898年):ロダンとの決別】
「ロダンにはローズという内妻と息子がいました。ローズが病に倒れ「ローズかカミーユか」の選択にロダンは決断が出来ませんでした。彼女はロダンの元を去るのです。
この彫刻はローズを老婆にしカミーユの哀願からロダンを引き離しています。
彼女は30歳。すっかり疲れきっていました。
心に残る虚しさともどかしい愛は、作品への執念となって彼女の魂までも焼き尽くさんばかり。幸福を男女関係や人間関係の中よりも創造のなかに追及しようとするあまり、認められたいという欲求は増し、次第に精神のバランスを失ってゆきます。
常に支援してくれた父が亡くなった直後、カミーユは弟ポールの指示により強制的に精神病院に入院。死ぬまでの30年間 退院する事はありませんでした。」
画像:「心からの信頼」
カミーユによる、ロダンとの愛の絶頂期を表す愛の結晶
*カミーユの本気度大好きだな!!...わたしも似てる...
選ばれなかった理由を納得させられなかったら/納得できなかったら...多分狂っちゃう...^^;
そうならないで済むとしたら...本気じゃなかったってことの証左ね!!...^^;
人は...盲目のルールに縛られてる/従ってることを忘れてる...ルールなんて糞喰らえ!!...
ルールなんて破っちゃえ!!...ルールを書き換えちゃえばいいんだ!!...^^
でも...そのときにゃ...こんな素敵な作品は生まれなくなっちゃうのかなぁ...^^;?
http://ja.wikipedia.org/wiki/オーギュスト・ロダン より Orz〜
「フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(François-Auguste-René Rodin, 1840年11月12日 - 1917年11月17日)は、フランスの彫刻家。19世紀を代表する彫刻家とされ、『近代彫刻の父』と称される。代表作に『地獄の門』、その一部を抜き出した『考える人』など。
・・・姉が体調を崩して修道院で病没すると、姉の恋人を最初に紹介したロダンは激しい罪悪感に苦しんだという。姉の後を追うように修道院に入会したロダンは修道士見習いとして、美術から神学へと道を変えようとした。だがロダンの指導を任されたピエール・ジュリアン司教は彼が修道士に不向きだと判断して、美術の道を続けるように諭した。
修道会を離れたロダンは動物彫刻の大家であったアントワーヌ・ルイ・バリーに弟子入りして、深い影響を受けた。また24歳の時には生涯の妻となる裁縫職人のローズと知り合い、長男オーギュスト・ブーレ・ロダンを儲けている他、装飾職人としての労働も再開した。・・・30歳までロダンは家族を養うだけの稼ぎを持てなかった。・・・1875年、職人の親方との関係が悪化した事もあり、ベルギー滞在中に生活費を節約して貯蓄を続けていたロダンはローズを連れて、念願のイタリア旅行へと出かけていった。そこで目の当たりにしたドナテッロとミケランジェロの彫刻に衝撃を受けたロダンは、多大な影響を両者から受ける事になった。
彼は「アカデミズムの呪縛は、ミケランジェロの作品を見た時に消え失せた」と語っている。ベルギーに戻ったロダンは早速イタリア旅行で得た情熱を糧に『青銅時代』を製作、十数年ぶりに彫刻家として活動を開始した。
彫刻家ロダンこの『青銅時代』はオーギュスト・ネイトと言う人物をモデルにした等身大の男性像で、極めて緻密でリアルな作品であった。ところがそのあまりのリアルさのために「実際の人間から型を取ったのではないか」との疑いをかけられ、憤慨したロダンは2年後に人間よりもかなり大き目のサイズの彫刻を新たに作った。型を取ったのではなかったと解った審査員たちは、ロダンの彫刻に対して賞賛の言葉を送り、ロダンの名は一気にフランス中に広まった。
1880年、ロダンの元に国立美術館を建てるので、そのモニュメントを作って欲しいとの依頼が来た。そのテーマとしてロダンが選んだのがダンテの『神曲』地獄篇に登場する『地獄の門』である。ロダンはこの大作品に取り組むに当たり、粘土や水彩画などでデッサンを重ねていったが、中々構想はまとまらなかった。この悩める時期に教え子のカミーユ・クローデルと出会い、この若き才能と魅力に夢中になった。だが優柔不断なロダンは、カミーユと妻ローズの間で絶えず揺れた。数年後ローズが病に倒れ、カミーユがローズと自分との選択を突付けるまで決断できなかった。ローズの元に逃げ帰るロダン。ショックを受けたカミーユは以後、徐々に精神のバランスを欠き、ついには精神病院に入院、死ぬまでそこで過ごす事になる。1888年、美術館の建設計画は白紙に戻り(予定地だった所には現在はオルセー美術館が建っている)、ロダンに『地獄の門』の製作中止命令が届くが、ロダンはこれを断り、金を払って『地獄の門』を自らの物とし、彫り続けた。ロダンにとって最早『地獄の門』とは単なる作品ではなく、『神曲』の中の物語でもなく、ほかならぬロダン自身のモノとなっていたのである。そして1889年、『地獄の門』を覗き込む男を一つの彫刻として発表した。はじめこの彫刻には「詩想を練るダンテ」と名づけられていたが、発表するときは「詩人」と名づけられた。この像は誰を表しているのか、ダンテであると言う説もあるが、ロダン自身であると言う説もある。その姿は地獄の中を覗き込み、苦悩している姿であり、その地獄の中にはカミーユ、ローズとの間に出来た息子(この子のことをロダンは認知せず、世間にも隠していた)の姿がある。なお『考える人』と言う名はこの像を鋳造したリュディエがつけたものである。
1917年、ロダンは死期の迫ったローズと遂に結婚の手続きをした。ロダン77歳、ローズ73歳であった。その16日後にローズは死去し、更に9ヵ月後の11月17日にロダンも死去した。ロダンの末期の言葉は『パリに残した、若い方の妻に逢いたい。』だった。結局『地獄の門』は未完に終わった。・・・」
常識人は自然なる人を不幸にする!!...それも無自覚に...自らが汚染されてることを疑いもしないからこそ...無自覚は罪...でも...だからこそ...誰も無実ではあるんだけれど...^^;...Orz... |

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