アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

蘊蓄

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桜の日🌸...3/27

六日の菖蒲十日の菊...今更って感じになっちゃったけど...これから旬の桜にまつわる話を蒐集🌸

画像:http://120.hp2.jp/?p=2331 より Orz〜
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財団法人 日本さくらの会が1992(平成4)年に制定しました。さくらと「3(さ)×9(く)=27」の語呂合わせです。日本の歴史や文化、風土と深く関わってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深めてもらうことを目的にしています。財団法人 日本さくらの会は学校への作植樹などを行っています。しかし語呂だけでなく歴史もあります。3月27日、アメリカ合衆国ワシントンに桜の植樹式が行われました。ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜並木は、世界の名所の一つになっています。毎年3月末から4月のはじめにかけてシーズンには、盛大に「桜まつり」が開催され、全米から観光客が訪れ、パレードやその年の「桜の女王」が選ばれます。 1912年(大正元)3月26日に日米友好の印として日本からワシントンD.Cに3,000本 (*2000本?) の桜(ソメイヨシノ)が贈られました。アメリカのタフト大統領夫人の希望により、当時の尾崎行雄(尾崎咢堂(がくどう) 東京市長がプレゼントしたものです。そして 翌27日にポトマック公園で植樹式が行われましたそうです。その送られた桜の苗木というのは、東京荒川堤の五色桜を穂木にして、台木づくりは、実は伊丹市の北部荻野小学校校区、植木の産地東野村で育てられました。日米友好のシンボルとして80年以上の歳月を経て今も多くの人々に親しまれているこの桜のルーツは…兵庫県伊丹である。これは市民にとっても県民にとっても大きな誇りであり、この歴史的認識を深めそして世代を超えて語り継いでいきたいものですね。 その返礼として…1915年にその返礼として「ハナミズキ」贈られたのが始まり。(...*花言葉は「返礼」って言われてるのはこれがルーツなんだろか...? )アメリカの使節が「白いハナミズキ」の苗木40本をたづさえて来日し、その2年後さらにピンクの苗木12本と種が贈られています。ハナミズキは英語ではdogwood(ドッグフード)と呼ばれる。dogwoodの語源には諸説あるが、一説には17世紀頃には樹皮の煮汁を犬の皮膚病治療に使った為と言われる。」都立園芸高等学校の原木より育成とありますから、園芸高校に原木がある。(元々3本あったそうだ) 日比谷公園・小石川植物園・北の丸公園・霞ケ関公園・小金井公園に植樹される。」

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花びらに見える赤いのは花びらじゃありませんよ〜それは苞(。^p〇q^。)プッ
花びらは真ん中のちびっちゃい黄色い丸々です(。_゚)〃ドテッ!

http://www.bigme.jp/000-000-03-04/03-04-26/03-04-26.htm より Orz〜
「ハナミズキ
の「4弁の花びら」に見えるのは、芽やつぼみを包み、保護するが変容した、 「ソウホウ(総)」という
」です。だから、ハナミズキ開花のプロセスには、「花びらに見える葉(ホウ)」が、「包み」やパッケ−ジの役目を
しているのが、よくわかります。
ハナミズキの「花びらに見える葉(ホウ) 包葉」は、真ん中の黄緑の「たくさんの小さな花」を包む「風呂敷包み」のよう
に、はじめはなっています。そのうち、上のほうだけチラッと開けてみたり、上は包んで真ん中だけ、光りをあてたり、いろ
いろな形をとります。2枚は閉じ、2枚は開くとか。・・・」

「アメリカの首都ワシントンのポトマック河畔の桜並木は、世界の名所の一つ。この桜は明治の終わりごろに、アメリカのタフト大統領夫人の希望により、当時の尾崎行雄東京市長がプレゼントしたものです。その返礼で大正4年にアメリカの使節が白い花水木の苗木40本をたづさえて来日し、その2年後さらにピンクの苗木12本が贈られた。日比谷公園など都内の公園や植物園に植栽されたが、太平洋戦争を境に「敵国の贈り物」はその所在が不明になってしまった。生き残りの原木にほぼ間違いないと思われる一本が、東京大学付属の小石川植物園に健在である。幹周り1メートル、高さ8メートルの老木であるが、今も白い花を咲かせているという。」

「アメリカ・ワシントンDCのポトマック河畔で、1912年3月27日に桜の植樹式が行われてから、きょうでちょうど100年になりました。
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これは、1966年10月5日にアメリカで発行された“国土美化運動”の切手で、ポトマック河畔の桜越しのジェファーソン記念堂が描かれています。

幕末の開国以降、来日経験のあるアメリカ人の中には、桜の美しさに感動し、アメリカにも桜の植樹を行おうと提唱する者が少なくありませんでした。なかでも、著名な女性紀行作家で1894年に初来日したエリザ・シドモアは、1885年以降、ポトマック河畔への桜の植樹を提案し続け、1891年には『日本での人力車旅情』を出版し、日本人や桜の名所の紹介をしています。
シドモアは、1909年から桜の苗木を買う募金活動を行うとともに、同年4月5日にはタフト大統領夫人ヘレン宛にポトマック河畔への桜の植樹を提案。タフトが陸軍長官時代に夫ともに来日して(タフタ=桂協定を結んだときでしょうかねぇ)桜の美しさを知っていたヘレンは、即座にシドモアの提案を受け入れると返答しました。
同じ頃、ニューヨークでは現地在住の科学者、高峰譲吉が「ニューヨークに桜の並木をつくろう」との運動を展開していましたが、ポトマック河畔での植樹計画が明らかになったことで、ニューヨーク駐在の水野総領事とともに、東京市による2000本の桜の苗木寄贈を日米双方に伝えます。
東京市もこの計画を受け入れ、1909年7月、日露戦争終結のために仲介の労を取ってくれたアメリカに感謝し、日米親善を深めるため、桜の寄贈を決定。同年11月、苗木2000本が日本郵船の「加賀丸」に積み込まれて横浜を出港し、12月にシアトルに到着。翌1910年1月には、ワシントンに運び込まれましたが、運び込まれた苗木は病害虫に冒されていたため、焼却処分になってしまいました。
このため、東京市では約束を果たすため、2度目の寄贈を行うことを決定。荒川堤の五色桜を穂木にして、伊丹市の台木で約6000本の苗木が育てられ、1912年2月、日本郵船「阿波丸」に乗せられて、シアトルに向けて出港しました。到着後、これらの苗木はワシントンへ向けて運ばれ、同年3月26日、ワシントンに到着。翌27日、タフト大統領夫人と珍田駐米日本大使夫人が、ソメイヨシノの苗木2本の植樹を行いました。これが、ポトマック河畔の桜のルーツです。

なお、切手に描かれているジェファーソン記念館は、第3代大統領のトマス・ジェファーソンを記念して1943年に建てられましたので、100年前の植樹の際には存在していません。

ワシントンDCの桜を描く切手としては、僕個人としては、日米修好100年に際してアメリカ側が発行した切手のイメージが強いのですが、
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これは、1960年の日米修好100年を記念してアメリカで発行された記念切手で、ワシントンDCのワシントン記念塔(Washington Monument)と桜が描かれています。

日本側から桜を贈った返礼として、アメリカからハナミズキが送られたことを考えると、昭和天皇の訪米に際して発行された切手(日章旗とハナミズキ、星条旗を桜の組み合わせ)も悪くないですね。・・・

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昭和天皇の訪米が具体的に検討され始めたのは、1973年春のことで、もともとは当時の首相・田中角栄の思いつきによるものでした。もっとも、1973年には20年に1度の伊勢神宮の遷宮が予定されていたことに加え、政府と宮内庁の間の調整不足もあって、この計画は頓挫しています。しかし、1973年7〜8月の田中・ニクソン会談で、ニクソンが天皇訪米を日本側に要請したことからこの話が再燃。・・・
さて、昭和天皇の訪米に際しては、天皇ご夫妻が帰国した10月14日に上のような2種類の記念切手が発行されています。デザインは星条旗に桜を配したものと日章旗にハナミズキを配したものの2種類です。ハナミズキはアメリカの国花ではありませんが、1912年に日本から桜を送られたこと(これが、ワシントンDCのポトマック河畔の桜並木のもとになった)の返礼として、アメリカがハナミズキを日本に送ったことに由来するもので、日米の友好親善を示すのにふさわしい組み合わせといえます。
昭和天皇の訪米は、太平洋戦争の終結30年の節目の年に行われましたが、今年は、その訪米からも30年。まさに“昭和は遠くなりにけり”という感じですね。2005-10-15
わたしゃ、桜も花水木もどちらも大好きですが...花水木がアメリカからの贈り物だったとは全く知らなかった...^^;...素敵なプレゼントだと思うし...こんな発想は女性ならですね♡
秘話を見つけました🌸
1937年、ジェファーソン記念館建立を巡って反乱が起きた。それも“桜を守れ!”と女性の反乱だった。1937年〜1938年に起きた"Cherry Tree Rebellion(桜事件)"である。 
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150人の女性が、ポトマック河畔の桜の木に体を縛り付けた。この写真をワシントン・ポストは全米に流した。フランクリン・ルーズベルト大統領は、「報道自由の乱用だ!」と言い続けたが、結局、民衆の「桜を切るな!」と言う声には勝てなかったのだ。民主主義、つまり「主権在民」の良い例である。民主主義を疑うなかれ!

桜事件

1937年、フランクリン・ルーズベルト大統領は、ジェファーソン記念堂を建立する夢にとり付かれた。ポトマック河畔が理想と考えた。それには、900本の桜の木を撤去しなければならない。発表と同時に、ワシントン住民から抗議の声が上がった。ルーズベルトは、ジェファーソン記念堂は桜よりも重要だと主張した。一年が経った。「桜を守れ!」の声は大きくなった。工事が始まると発表が出たとき、150人の女性が河畔に集まった。そして彼女たちは、桜の木に体を鎖で繋いだ。ルーズベルトは折れた。記念堂を南(現在位置)に移す決定を出した。さらに、“日本の桜を植樹する”と声明を出したのである。民衆の勝ちであった。

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