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マザーテレサの言葉として人口に膾炙してるこの言葉のルーツは...実は別の方のものでしたのね☆
「sgi_515_2109_1さんより...
エリ・ヴィーゼル(米国のユダヤ人作家、ルーマニア出身、ノーベル平和賞受賞者、1928〜)
「人々の無関心は常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない。」
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*これって、まさに投票/政治行動に言えることですよね!!
(全文)
今日我われは知っている。
愛の反対は憎しみではない。
無関心である。
信頼の反対は傲慢ではない。
無関心である。
文化の反対は無知ではない。
無関心である。
芸術の反対は醜さではない。
無関心である。
平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である。
無関心が悪なのである。
無関心は精神の牢獄であり、我われの魂の辱めなのだ
A・S・ニイルの言葉 「愛の反対は憎しみではない。愛の反対は無関心である」 Mother Teresa の言葉 『愛の反対は憎しみではない 無関心だ』 無関心であること、苦しむ者に関わりを持たずに傍観者であることが、愛の対極にあるという。」 画像:http://nikkidoku.exblog.jp/17942489/ より 拝借 Orz〜
http://ja.wikipedia.org/wiki/エリ・ヴィーゼル より Orz〜
「エリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel, 1928年9月30日 - )は、ルーマニア出身のアメリカのユダヤ人作家。自らのホロコースト体験を自伝的に記し、1986年にノーベル平和賞を受賞した。現在、ボストン大学教授。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/A・S・ニイル より Orz〜
「A・S・ニイル(Alexander Sutherland Neill、1883年10月17日 - 1973年9月23日)は、イギリスの新教育運動の教育家。エディンバラ大学に学び、1912年、修士号を取得。1914年、スコットランドのグレトナ・グリーンスクールの校長になる。
ドイツの改革教育運動の影響を強く受け、1921年 ドイツ ドレスデン郊外のヘレナウで新しい学校を創立。この学校はのちに彼の妻になるノイシュタッターと共にオーストリアに移り、その後、1923年 南イングランドのライム・レギスに移り、そこで本格的に教育活動が始まる。サマーヒル・スクールという名でこの学校は、「世界で一番自由な学校」として知られている。ニイルの「子どもを学校に合わすのではなく、学校を子どもに合わせる」という言葉は有名。彼の著作集は邦訳がある。邦訳者の堀真一郎も、大阪市立大学の教授のポストを捨てて、自ら、きのくに子どもの村小学校(現在・きのくに子どもの村学園)を創立している。ニイルは、子供の幸福こそ、子供のしつけや養育の中で最も重要なものと見なされるべきであり、この幸福への最も主要な寄与は、子供にその個人的な自由を最大限認めてやることだと考えていた。コレは、当時としてはかなり議論の余地のあるところで、彼の見解はあまりにラディカルで、包括的過ぎるとして一般にはほとんど賛同を得られるものではなかった。
彼は、児童期のおけるこうした自由の感覚を奪い取ったり、抑圧された子供の徹底した不幸せ感が、すべてとまではいわないものの、成人の大多数の心理的な不調の原因とになっていると考えた。
ニイルは、そこでサマーヒル・スクールには、子供が授業に出るように一切強要することをしない、という原則を設けた。加えて、この学校は民主的で、すべてのものごとは生徒、教師の全員参加の会議で決められ、生徒も教師と同様の一票の権利を与えられている。
多くの人は、この学校がこれまで成功してきたことは、子供に試練や厳しい生き残りのチャンス、残忍さ、暴政、そして混乱を経験するための処方として自由を与えると言うウィリアム・ゴールディングの『蝿の王』のやり方を断固として排除してきたからだ、と考えている。
ニイルの信念を持った彼のサマーヒルでの経験が教えてくれるのは、個人の自由から生まれる自己への信頼は、学業成績の遅れや自己中心性、わがままを齎(もたら)すというどころか、学習への動機付けや授業への出席率が、多くの場合、権威的な教育の場合の子供達の場合と悪くても同じくらいの高さになったということである。サマーヒルの生徒たちのほかの生徒や大人たちへの態度は、現実にはかなり大人びていて、個人個人の責任をよく自覚しているように見受けられる。彼らの権威に対する態度は、素朴に度外視しているというほどではないが、敬意を表しているというよりは、やや懐疑的である。 こうした傾向は、たぶんサマーヒルが受け容れている子供たちが、しばしば問題をはらんだ背景をもった子供達が多いということも考慮に入れなくてはならないだろう。たとえば、両親の不仲とか、ネグレクトとか、それがもとで心の中に殺伐としたものを抱えていたりするといった事情である。・・・」 *逆転の発想だけど...生徒に対して無関心じゃないことはたしかですね☆
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こんな学校が当たり前になればいいですね。
(^-^)☆
まだまだ先かなぁ…。。。
2013/1/15(火) 午後 7:10 [ - ]
むかしの藩校のようないろんな校風/カラーの学校があれば、この世はもっとおもろくなりそうなんだけど?...義務教育の期間/未成年の期間は「学」校に合わせてもいいと...それ以降は、本人が選べるようになればいいかと...飛び級もあり・留年もありじゃ駄目なんだろか?...^^;
Orz〜
2013/1/15(火) 午後 7:38 [ スモークマン ]
結局、なぜそんな校風にならないかっていうと、地方自治体によって管理されてるから?
国に管理されてる教師も先生も。
何かの管理のもとでは、支配下って形になるから、少数派はどうしても無視されがちで自在に変えられない。
じゃあなんで管理されなきゃならないかっていうと、やっぱり国家レベルでの集団ってことになるから?
その管理される教育現場の流れをを立ち切るには、楽チンな公務員意識を変えること?
楽チンな管理方法は個人主義者を排他して、没個性な多数派でないと、ブラック・シープになるっていう恐怖感を作り出して、暗黙の了解的な価値観を国民に植えつけること?
原始的な農耕民族のDNAが頭をもたげるのか、いわゆる村八分っていうやつかなぁ。
とにかく、まだまだ人間は精神的に進化する余地があるってことかも。
でも、少しずつ変わっていくと信じてます☆
スモークマンさんだけじゃないと思う。同じことを考えてる人がもっといるはずです♪(^o^)/
2013/1/15(火) 午後 8:24 [ - ]
こないだの大阪の事例で知ったんだけど...校長先生にゃ人事権はないんだってね?...権力のないトップじゃ、ホウレンソウも何にもなく不祥事は隠そうという自己保身...太平洋戦争の大本営の発表みたいなものね...
誰も責任を取ろうとしない公務員・官僚体質はどうすれば改善できるんでしょうね?...橋下大阪市長の手腕に期待したいです !!
校風/カリキュラムに違いがないのは、おっしゃる通り地方分権でなく中央集権だからですよね...道州制ってのが話題になってるけど...実現すれば教育現場もチェンジできるかもしれません...?...Orz〜
2013/1/15(火) 午後 8:58 [ スモークマン ]