アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

蘊蓄

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いままで疑問にも思わなかったけど...
鎖国時代にゃ...外に向かって開かれた窓口が出島で中国とオランダだけが幕府から認められた通商相手国だと習った記憶だったんだけど...いまは...「鎖国」って言葉・状況自体が見直されてるみたいねぇ...

鎖国(さこく)とは、徳川幕府が日本人の海外交通を禁止し、外交貿易を制限した対外政策である。ならびに、そこから生まれた孤立状態を指す。実際には孤立しているわけではなく、李氏朝鮮及び琉球王国とは「通信」の関係にあり、中国(朝と朝)及びオランダオランダ東インド会社)との間に通商関係があった。鎖国というとオランダとの貿易が取り上げられるが、実際には幕府が認めていたオランダとの貿易額は中国の半分であった。一般的には1639年寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶ。但し、「鎖国」という用語が広く使われるようになったのは明治以降のことであり、近年では制度としての「鎖国」は無かったとする見方が主流である。なお海外との交流・貿易を制限する政策は徳川日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られていた。」...wiki より

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山川出版社「新日本史」に至っては、本文中にまったく出てこない。著者の藤田覚・東京大教授は「幕府は最初から鎖国を意図していたわけでない。その状態がたまたま200年ほど続いた『なんとなく鎖国』だったと考えるほうが実態に近い」と理由を明かす。17世紀前半(江戸前期)、植民地化などを恐れた幕府は、キリスト教の布教に熱心なスペインやポルトガルの船の来航、日本人の海外渡航などを相次いで禁じた。ただ、想定外の出来事も重なった。中国(明)に国交を求めて断られたり、イギリスがオランダとの競争に敗れて日本から撤退したり。その結果、海外との往来が減ったのだという。一方で、「日本は、欧州との関係を制限したが、東アジアとのつながりは保った」と荒野泰典・立教大教授は言う。幕府は、海外へ向けた4カ所の窓口(「四つの口」)を開き、直轄や大名を通じた交易で利益を上げた。朝鮮・琉球と国交を結んで将軍の代替わりごとに使節を迎え、中国・オランダから生糸や薬品、蝦夷地からは木材や海産物などを交易で得た。・・・「鎖国」という言葉が登場したのは、19世紀(江戸後期)に入ってからとされる。オランダ語通訳で蘭学者の志筑(しづき)忠雄が1801年、オランダ商館の医師ケンペルの著書『日本誌』の一部を『鎖国論』と名づけて訳した。幕府が禁教令などを出した17世紀に「鎖国」の概念はなかった。藤田教授によれば、「鎖国」が日本古来の「祖法」と見なされていったのは18世紀末(江戸後期)以降。ロシアの使節ラクスマンが通商を求め根室に来航したのに接し、幕府が1793年、従来の対外政策を「国法」と文書に記したのがきっかけだったが、強国ロシアとの紛争を避けるため、貿易もやむなしとの考えも幕府にあったという。「でも、タテマエとして『国法』『祖法』を持ち出してしまった以上、その後は見解を容易には変えられなかった」(藤田教授)・・・

で...シーボルトさんってご存知ですよね ^^
彼は知らなかったけど、オランダ人じゃなくってドイツ人なのね...
ここで、不思議に思わない? ドイツとの通商は禁じられてる...
オランダの船に乗ってる限りは問題なかったんだろか?
彼のことたまたま調べてて、見つけたもので ^^


画像:http://ja.wikipedia.org/wiki/フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト より Orz〜

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シーボルト生誕200年を記念した日本の切手

フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルトPhilipp Franz Balthasar von Siebold1796年2月17日 - 1866年10月18日)は、ドイツ医師博物学者
・・・
1820年に卒業したシーボルトは国家試験を受け、ハイディングスフェルトで開業する。しかし前述のように、名門の貴族出身だという誇りと自尊心が強く町医師で終わることを選ばなかった。
東洋研究を志したシーボルトは、1822年にオランダハーグへ赴き、国王ウィレム1世の侍医から斡旋を受け、7月にオランダ領東インド陸軍病院の外科少佐となる。
9月にロッテルダムから出航し、喜望峰を経由して1823年4月にはジャワ島へ至り、6月に来日、鎖国時代の日本の対外貿易窓であった長崎出島オランダ商館医となる。本来はドイツ人であるシーボルトの話すオランダ語は、日本人通辞よりも発音が不正確であり、怪しまれたが、「自分はオランダ山地出身の高地オランダ人なので訛りがある」と偽って、その場を切り抜けた。本来は干拓によってできた国であるオランダに山地は無いが、そのような事情を知らない日本人にはこの言い訳で通用した。
出島内において開業の後、1824年には出島外に鳴滝塾を開設し、西洋医学(蘭学)教育を行う。日本各地から集まってきた多くの医者や学者に講義した。代表として高野長英二宮敬作伊東玄朴小関三英伊藤圭介らがいる。塾生は、後に医者や学者として活躍している。そしてシーボルトは、日本と文化を探索・研究した。また、特別に長崎の町で診察することを唯一許され、感謝された。
日本へ来たのは、プロイセン政府から日本の内情探索を命じられたからだとする説もある。
1826年4月には162回目にあたるオランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行、道中を利用して日本の自然を研究することに没頭する。地理や植生、気候や天文などを調査する。1826年には将軍徳川家斉に謁見した。江戸においても学者らと交友し、蝦夷地樺太など北方探査を行った最上徳内高橋景保(作左衛門)らと交友した。
徳内からは北方の地図を贈られる。景保には、クルーゼンシュテルンによる最新の世界地図を与える見返りとして、最新の日本地図を与えられた。
その間に日本女性の楠本滝との間に娘・楠本イネをもうける。アジサイを新種記載した際にHydrangea otaksaと命名(のちにシノニムと判明して有効ではなくなった)しているが、これは滝の名前をつけていると牧野富太郎が推測している。
1828年に帰国する際、先発した船が難破し、積荷の多くが海中に流出して一部は日本の浜に流れ着いたが、その積荷の中に幕府禁制の日本地図があったことから問題になり、国外追放処分となる(シーボルト事件)。当初の予定では帰国3年後に再来日する予定だった。

帰国とその後 

1830年、オランダに帰着する。翌年には蘭領東印度陸軍参謀部付となり、日本関係の事務を嘱託されている。

オランダ政府の後援で日本研究をまとめ、集大成として全7巻の『日本』(日本、日本とその隣国及び保護国蝦夷南千島樺太、朝鮮琉球諸島記述記録集)を随時刊行する。同書の中で間宮海峡を「マミヤ・ノ・セト」と表記し、その名を世界に知らしめた。
日本学の祖として名声が高まり、ドイツのボン大学にヨーロッパ最初の日本学教授として招かれるが、固辞してライデンに留まった。一方で日本の開国を促すために運動し、1844年にはオランダ国王ウィレム2世の親書を起草し、1853年にはアメリカ東インド艦隊を率いて来日するマシュー・ペリーに日本資料を提供し、早急な対処(軍事)を行わないように要請する。1857年にはロシア皇帝ニコライ1世に招かれ、書簡を起草するが、クリミア戦争により日露交渉は中断する。
48歳にあたる1845年には、ドイツ貴族(爵位は持っていない、戦前の日本であれば華族ではなく士族相当の層)出身の女性、ヘレーネ・フォン・ガーゲルンと結婚。3男2女をもうける。1854年に日本は開国し、1858年には日蘭通商条約が結ばれ、シーボルトに対する追放令も解除される。1859年、オランダ貿易会社顧問として再来日し、1861年には対外交渉のための幕府顧問となる。1862年に官職を辞して帰国する。1863年にはオランダの官職も辞して故郷のヴュルツブルクに帰った。1866年10月18日ミュンヘンで死去した。70歳没。」

ってことで...セレブで好奇心満載の冒険野郎ならではの貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)として、語り継がれるべき話だと思うなぁ ^^v
「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」
(『ヨハネ伝』の第12章24節のキリストの言葉 ) 🌸
ハーフで美しい"おいねさん" の波瀾万丈なお話はまたいずれ...
再来日したとき、妻と子との逢瀬は実現したんだろうか...?
すぐにはわからなかった...Orz...

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