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地元産マツタケ 不作一転、大量に 田辺の市場
「秋の味覚である地元産マツタケが和歌山県田辺市稲成町の南紀州青果に大量に入荷し、5日朝の競りで最も高いものは1キロ当たり7万円近くで競り落とされた。不作が続いていただけに市場関係者は「連休の雨がよかった。しばらく続いてくれれば」と期待している。今回入荷したのは、田辺市の各地で採られた300本余りの計約17キロ。大きなものは長さ23センチ、茎の直径5・5センチ、重さ180グラムもあった。今年は初入荷が例年より1週間ほど遅く10月中旬。その後も1キロ前後が数回入荷しただけだった。市場関係者は「本来なら11月上旬はマツタケシーズン終盤。今後については読みにくいが、傘の感じからまだ続くのでは」と予想している。競りに来た店主も「1カ月遅れのピークのよう」と話していた。
【大量に入荷した地元産のマツタケ(5日、和歌山県田辺市稲成町で)】」
今年は...すっかりこの味覚との遭遇は諦めムードでしたけど…^^;
こんなニュースを見たら...再び相見えることができそうで...わたしの気分もリゲイン♪
田辺市ってどこなんだろって調べた…^^
http://ja.wikipedia.org/wiki/田辺市 より Orz〜
和歌山県中南部の中心地である。熊野古道の中辺路ルート、大辺路ルートの分岐点で、「口熊野」と称される。
*この辺りでは...マツタケがまだいっぱい生育してるようですね♪
画像:http://matutakerando.seesaa.net/article/376843116.html より 引用 Orz〜
「最近では、もっぱら長野県産がダントツで全国 No.1 です。」
「マツタケは,主にアカマツの根に取りついて共生する菌根菌です。そして,他のきのこや細菌などとの縄張り争いにとても弱い菌です。だから,他の菌類が繁殖しにくい,土が痩せていて乾燥しやすいアカマツ林が繁殖の適地になります。マツタケの古くからの産地としては,京都が有名です。かつて,日本一の大都市であった京都では,建築用材や燃料として周辺の樹木の伐採が繰り返されていたことでしょう。山の地力が衰え,自然に痩地でも育つアカマツの林が増えていきました。15世紀にはすでに京都周辺はアカマツ林となり,マツタケが採れたということです。やがて都市近郊は樹木を伐りすぎて禿げ山になり,伐採現場が奥山へ進んでアカマツ林は都市の外側へ,そして,マツタケの産地も丹波や広島などの山間部へ移っていきました。
大正時代になると,都市部では石炭やガスなどの燃料が使われだし,農業の肥料も山野の落葉から魚粉や稲藁の堆肥に変わってきました。人が山の資源に頼る度合いが低くなってきたので,禿げ山になってしまった場所にアカマツが戻ってきました。また,洪水や土砂流出の原因となる禿げ山への植林による治山事業も精力的に進められ,アカマツ林の面積は急増しました。 そして,昭和初期にはマツタケが増え,16年には,全国生産量が統計を取り初めてから最高の12,222tを記録しました。戦中戦後はマツタケどころの話ではなくなり,統計の数字は急落しましたが,生活がおちついてきた昭和25年頃からまた生産量は復活しました。昭和30年代に入ると,一般家庭の燃料も薪や炭から石油やプロパンガス,電気などに急速に変わっていきました。 それに伴い,アカマツ林には人の手が入らなくなり,雑木が繁茂してきました。そして,林内は暗く,風通しが悪くなり,地面には落葉が積もって土が肥えてきました。マツタケの生活環境が,どんどん悪化していったのです。マツタケの生産量は,減少の一途をたどりはじめました。 これに追い打ちをかけたのがマツ材線虫病(松喰い虫)の蔓延です。数十年手塩にかけて育てた美林も瞬く間に枯れていきました。山林所有者は,マツを植林する意欲を失い,残されたアカマツ林は高齢化するばかりです。マツタケの発生に適する松林の樹齢は,20〜30年生と言われますから,マツ林面積の減少とともにマツ林の老齢化はマツタケにとって深刻な問題です。 かくして,かつて年間数千t台で推移していたマツタケは,現在では200t前後しか採れなくなりました。国産のマツタケを絶やさず,もっと気軽に口へ入れるためには,松林との付き合い方を考え直す必要があるでしょう。」 生きた化石になって欲しくない、いやせめて生きた化石でもいいから生き残って欲しい ^^;v
マツタケが採れるところは山・林の適度な?手入れが行き届いてるってインディケーターになりそ?… |

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