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これも、http://blog.livedoor.jp/miracakoto/archives/cat_50043282.html のサイトで知りましたぁ☆
上記サイトより Orz〜
「ここでいうみなみは南のフリして「皆身」です
西ばっか祈ってるけど皆、自分自身の身の中にあるんだよーという話ですかね」ようは...幸せの青い鳥は目の前にいるのにみんな他力本願になってるのはどうだかなぁ〜...って感じかな…^^
画像:http://matome.naver.jp/odai/2142166924865643001 より 引用 Orz〜
https://ja.wikipedia.org/wiki/一休宗純 より Orz〜
出生地は京都で、出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されている。『一休和尚年譜』によると母は藤原氏、南朝の高官の血筋であり、後小松天皇の寵愛を受けたが、帝の命を狙っていると讒言されて宮中を追われ、民間に入って一休を生んだという。・・・
応永17年(1410年)、17歳で謙翁宗為(けんおうそうい)の弟子となり戒名を宗純と改める。ところが、謙翁は応永21年(1414年)に死去し、この頃に一休も自殺未遂を起こしている。応永22年(1415年)には、京都の大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子となる。「洞山三頓の棒」という公案に対し、「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから華叟より一休の道号を授かる。なお「有ろじ(有漏路)」とは迷い(煩悩)の世界、「無ろじ(無漏路)」とは悟り(仏)の世界を指す。
*悟りってのは...一種の開き直りに似てる…?…^^;
自由奔放で、奇行が多かったといわれる。以下のような逸話が伝わっている。
こうした一見奇抜な言動は、中国臨済宗の僧・普化など唐代の禅者に通じ、禅宗の教義における風狂の精神の表れとされる。同時に、こうした行動を通して、当時の仏教の権威や形骸化を批判・風刺し、仏教の伝統化や風化に警鐘を鳴らしていたと解釈されている。彼の禅風は、直筆の法語『七仏通誡偈』が残されていることからも伺える。
(これは仙崖が信者にめでたい言葉を書いてくれと請われ「祖死父死子死孫死」と書いた逸話の誤りだと思われる)出典『禅門逸話集成』禅文化研究所」」
*「なんとかじゃ」って語尾は...岡山弁に似てる ^^ |

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南無阿弥陀仏は南に無いとあるけどね
2017/2/15(水) 午後 6:08 [ まこぶー ]
>まこぶーさん、いらっしゃいませ ^^
ですね ^^
ま、西方(さいほう)浄土の統率リーダーですから...まんざら間違いでもなかとですばい ^^;v Orz〜
2017/2/15(水) 午後 11:05 [ スモークマン ]