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碁は19x19で、真ん中の天元に対して点対称なので…黒番のときは、第1手を天元に打って、あとは白版の手の対称点の打って行けば負けることはないはずだと思ってましたが...ま、面白くも何ともないけど…^^;…プロ棋戦史上、かの天才棋士呉清源が打ってるのねぇ…but...なぜかしら負けてる?
画像:https://ja.wikipedia.org/wiki/マネ碁 より Orz〜
「史上有名な太閤碁としては、呉清源が来日初手合で木谷實相手に打ったものがある。呉は63手目までマネを続けたが、結果は木谷の妙手もあり白の3目勝ちに終わった。太閤碁はコミなしの碁で1目勝ちを目指すならある程度有力な戦法であるが、現代では6目半のコミを出すのが容易でないため打たれることはない。」
*ちなみに…呉清源はこのとき弱冠15歳だったのですねぇ☆
画像:https://ja.wikipedia.org/wiki/呉清源 より Orz〜
以下のような歴史からすると、この碁はコミなしで、盤面3目勝ちってことあるね ^^
https://ja.wikipedia.org/wiki/コミ より Orz〜
コミの変遷
当初4目半であったコミは、黒番の勝率が高いという理由で徐々に改められていった。
コミ5目半の時代には、4目半のコミを「小ゴミ(こごみ)」、5目半のコミを「大ゴミ(おおごみ)」と呼んでいたが、コミ6目半の採用によりこれらの呼称は廃れる方向にある。」
画像:https://ja.wikipedia.org/wiki/マネ碁 より Orz〜
「太閤碁という名称は、碁を知らなかった豊臣秀吉が碁を打たねばならなくなった時、臣下の者の入れ知恵によって第一着を天元に打ち、後を相手のマネをして一目勝ちを収めたという逸話に由来する。ただし、その気になれば碁を知らない相手に太閤碁を打たれても回避は容易であり(図はその一例)、秀吉自身も実際にはかなり碁をたしなんでいたことから、この話は後世の作り話であろうとされる。」
*まね碁と言っても...先に当たりになるようになる場合があるわけねぇ ^^;
昭和最強の棋士、囲碁の呉清源さんが死去 2014.12.1「昭和最強の棋士と呼ばれた囲碁の呉清源(ご・せいげん=九段)さんが30日、老衰のため神奈川県小田原市内の病院で死去した。100歳だった。大正3年、中国・福建省生まれ。昭和3年に14歳で来日し、瀬越憲作名誉九段に入門した。
昭和8年には、木谷実五段(当時)とともに、盤面の中央を指向する「新布石」を発表。隅の締まりを重視した従来の布石とは対照的なもので、現代布石の礎を築いた。同年の日本選手権戦で優勝、その記念対局で本因坊秀哉名人相手に奇想天外な手を打ち話題を集めた。14年には、木谷実と「打ち込み十番碁」を開始。1人と10局打ち、先に4勝した時点で次戦以降、負けた側が格下扱いされる制度で、2年弱かけて木谷を5勝1敗で打ち込む。31年まで続けられ、橋本宇太郎や坂田栄男、高川格らトップ棋士をことごとく破り、第一人者として君臨した。」 |

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>0:13amの鍵コメ様へ ^^
たしかに、若干の違和感がありますけれど…^^;...以下のような状況のようでありますようで…ご容赦のほどぉ〜m(_ _)m〜v
http://style.nikkei.com/article/DGXZZO06312200V20C10A4000000?channel=DF210220171901&style=1
2017/4/1(土) 午前 8:08 [ スモークマン ]