アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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ヴィーナスの変貌(3)

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続きです。

「永遠の母マリア:ウラジミールの聖母子像

聖母マリアは、地母神やヴィーナスと一体化[を統合]する。43

ウラジミールの聖母子像:勝利の聖母から優しき聖母へ

ギリシア型ヴィーナスとキリスト教の聖母も、その底には母のイメージを最期の救いとしている。49」

ウラジミールの聖母像は、見つけられませんでした・・・Orz

画像:上:ラファエロ・サンティ「大公の聖母」(1505年) Raffaello Santi"Madonna del Granduca"
ピッティ宮パラティーナ美術館蔵

「処女性と母性。
この二つは、女性に望まれる美しさの最たるものとして考えられていたのかもしれません。
乙女の持つ無垢な純粋さ、母の暖かな安心感。それを併せ持ったマリアの存在は、言葉で飾り立てなくても人の心をとらえたのでしょう。日本へのキリスト教の布教が「マリア信仰」で始まったことも頷けます。・・・」

(聖母子像 http://www1.megaegg.ne.jp/~summy/gallery/cowper.html )

(ラファエロ「大公の聖母」:http://homepage1.nifty.com/hosizora/art/raffaello/raffaello01h.html

「・・・ラファエロを指す言葉として、「マザコン」ということが言われる。彼が9歳のときに母親をなくしたことを思えば一面ではそうかもしれない。しかしただのマザコンであったならば、当時も、そして現在も彼の聖母子像が人々の心を捉えることはあっただろうか。
・・・旺盛な吸収力と努力の結果という点は聖母子像にも言えるのではないだろうか。つまり、他人の技術を積極的に研究し自分のものとしたように、自分が求めた母性を追求した結果、例えば「優しさ」といったものに結びついた。言い換えれば、単に母親の面影を追ったというより、母親という存在が持っているものを哲学的に定義づけられたからこそ万人に受け入れられる表情が描けたのではないかと思う。
・・・余談だが、「大公の聖母」の名前の由来は、1799年にロレーヌ家のフェルナンド3世大公が購入し、旅行中も手元から離さないほど大切にしたからだそうだ。」

(美の巨人たち:http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/021207.htm )

「世の中に、不可解なもの数知れず。男女の仲も、そのひとつ。男は女に何を求め、女は男に何を求めるのでしょうか?男の場合、究極の女性像は、母親だという説があります。その説が正しいかどうか判りませんが、ほとんどの男は、間違いなくマザコンです。恋まで、芸術の香りに包まれそうな町。ここはイタリア・フィレンツェ。美の天使が舞い降りた町です。・・・
ラファエロ・サンツィオ作『大公の聖母』。全体に暗いトーンのなかに浮き立つのは、赤い服に青いマントを羽織ったやさしい聖母マリアと、彼女に抱かれた、ふっくらした体つきの幼子のキリスト。2人の頭上には光輪。典型的な聖母子像です。聖母子は、キリスト教の重要なモチーフとして、遥か昔から数限りなく、描かれてきました。しかしラファエロの作品は、それまでの聖母子像とは、明らかに違ったのです。ラファエロの描くマリアは、生身の女性のようであり、そして母の姿、そのものなのです。「聖母子の画家」とも呼ばれるラファエロは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び賞されるルネサンスの巨匠です。・・・
  盗む。そう、ラファエロは模倣の天才でした。今日の一枚『大公の聖母』も、あのレオナルド・ダ・ヴィンチの技法を、見事に自分のものにした、作品でもあるのです。誰もがその爽やかな笑顔に、息を呑んだといわれる美貌の青年、ラファエロ。その彼が、レオナルド・ダ・ヴィンチの前で流した涙のわけとは・・・?美しく崇高な聖母子の姿。この1枚の絵のなかには、多くの謎とドラマが隠されているのです。絵の下絵となったデッサンが物語るものとは?そして、ラファエロが描いた聖母子が、500年の間に、多くの人たちに与えた影響とは?それらの秘密を解くキーワードは・・・、そうマザコン。ラファエロは、極めつけのマザコンだったのです。
キリストへの祈りに、救いを求める人々にとって、キリストを抱きかかえる聖母マリアの姿は、馴染み深いものです。だからこそ、聖母子像は、多くの人々に愛されてきました。「聖母子の画家」とも呼ばれるラファエロ。彼は37歳という若さで亡くなりますが、その生涯に、30点近くの聖母子像を描いています。そしてそのほとんどを、22歳から25歳のわずか4年間。フィレンツェ時代に、集中して描いているのです。・・・『大公の聖母』は、一連の聖母子の中でも、初期に描かれたものです。赤と青の衣は、聖母子の色として、昔から使われて来た色です。ラファエロも伝統に乗っ取っています。しかしこの絵は、明らかに1人の画家を意識して描いたものなのです。
・・・
ラファエロの少年期は、幸せだったのでしょうか?いえ、むしろ幸せ薄い少年でした。何故なら、彼がわずか8歳の時に最愛の母が亡くなります。そして3年後の11歳の時には、頼みの父さえも亡くなるのです。ウルビーノにある、ラファエロの生家。その彼の部屋には、15歳の頃に描いたといわれる、最初の聖母子像が残されています。壁に描かれたフレスコ画。そこに描かれているのは、マリアとキリストではなく、幼くしてなくした母親の面影であり、その腕に抱かれている幼い自分自身でした。ラファエロは、母への思いをこの1枚に残し、生まれ故郷を後にしたのです。
ラファエロが、古くからの都・ペルージャに出て、当時人気だった画家、ペルジーノの工房に入ったのは、15、6歳の頃でした。今も町並みに当時の面影が残ります。ペルジーノは、15世紀末のイタリアを代表する、画家の1人です。華やかな色彩で祭壇画や聖母子像を描いて、名を揚げた画家でした。そのペルジーノの色彩も、ラファエロは見事に自分のものにして行きます。・・・
ラファエロは21歳の頃、フィレンツェにやってきました。それはミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチの名声を聞いたからに他なりません。丁度その頃、2人はフィレンツェ政庁の依頼を受け、この町で作品の制作に取り掛かっていたのです。ラファエロより31歳年上のレオナルドはこの時53歳。8歳年上のミケランジェロは、31歳でした。2人よりずっと若いラファエロは、この偉大な先輩たちから多くのものを吸収しています。特にフィレンツェ時代には、レオナルドの技法に夢中になりました。今日の一枚『大公の聖母』では、ほとんど黒に近いバックのなかに、イエスを抱いた聖母マリアが浮かび上がるよう、描かれています。そのためにマリアとバックの境は、くっきりとした輪郭を持たさず、ぼかされています。またマリアのひざの辺りの深い影は、背景と同化しています。ラファエロはレオナルド・ダ・ヴィンチが、『聖アンナと聖母子』の素描で生み出した、スフマート、ぼかしの技法を取り入れたのです。輪郭線をぼかすことで、柔らかく穏やかな表情を作り出す技法です。・・・
素描や下絵では、レオナルドの精緻な背景までも真似しながら、仕上げではレオナルドのぼかしの技法を、巧みに取り入れたラファエロ。しかし最後には、1度描いた背景を黒く塗りつぶし、独自の世界に仕上げています。それは、最も聖母子が浮き立つ方法でした。ここがラファエロの、天才といわれる所以です。そして、彼の聖母子像は、目の肥えたフィレンツェの人々を、たちどころに魅了してしまいました。それは何故だったのでしょうか?キーワードは、そう、マザコン。
 ラファエロが人気になった理由は、いくつもあります。その爽やかな容姿。子供の頃から身についた高貴な物腰。彼には次々と上質のパトロンがつきました。しかしなんといっても、彼の絵の才能と、そのタッチの上品さ、そしてなんともいえない優しさが、上流貴族だけではなく、庶民にまで人気を呼んだのです。ラファエロが生み出した、独特のマリア像。その特徴が1番現れているのが、聖母のまぶたです。ラファエロの描いた聖母の多くは、こうしてまぶたが半分下ろされ、目を伏せています。それがしとやかでやわらかい雰囲気を、見事に醸し出しているのです。ラファエロの描いた、30点余りの聖母子像。その全てに共通している、自愛に満ちた優しいまなざし。そしてそれは見ようによって、静かな哀しみも漂わせています。
  ラファエロが描こうとしたのは、母の愛だったのかもしれません。フィレンツェのシンボル、花の聖母教会。人々は祈りと安らぎを求めてやってきます。ここではマリアは、母と子の普遍的な愛の象徴です。ラファエロが故郷に残した、最初の聖母子像。それはラファエロが、幼くして失った母のぬくもり・・・。マリアに見立てた母を、心のよりどころにしていたのかもしれません。「聖母子の画家」といわれる、ラファエロの原点。それは母の姿であり、それゆえ多くの人の心を、捉えて放さないのかもしれません。母の温もりにすがる幼子。それは自分自身。優しくも悲しい眼差しで、息子を見つめる瞳。ラファエロ以降、世界中の画家たちは、マリアを描く時には、ラファエロを手本にするようになったのです。
「聖母子の画家」誕生の1枚。しかしこの絵の完成には、ある有名な絵との出会いがあったのです。レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作『モナ・リザ』。そのモデルが誰であったか、諸説ありますが、そのひとつに、母親だったという説もあります。レオナルドも幼い頃に、母親と引き裂かれていたのです。真意はともかく、母への愛は永遠です。男は恋人に母を重ね理想の女性像を求めるのかもしれません。パトロンにも恵まれ、その後ローマに出て、当代随一の人気と名声を手に入れたラファエロ。稀にみる美形で、女性にも大変もてました。しかし彼は、1人の女性に縛られることを嫌い、度を超えた放蕩の末に、37歳にして亡くなります。芸術の館、ピッティ宮殿。その一角にあるパラティーナ絵画館。ここには究極の母の姿があります。ラファエロ・サンツィオ作『大公の聖母』。母への想いが、聖母へ新たな命を吹き込んだ、一枚。」

ほぼ全部引用してしまいました。。。Orz〜

画像:中:小椅子の聖母 1058-1511年 フィレンツェ ウフィッツィ美術館
ラファエッロ作 1483 ミ Roma 1520
  
   わたし好みの絵です・・・(^^

   下:ラファエロの自画像

なんだかさみしそう、、、共感できちゃうな〜(^^;

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