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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%95%B0
「奇数の完全数
奇数の完全数が存在するか否かは、未解決である。もしNが奇数の完全数ならば、Nは次の各条件を満たさなければならない。
*N=q^αP_1^2e_1・・・p_k^2e_kである。
*ここでq,p_1,p_2,...,p_kは相異なる素数でq≡α≡1 (mod 4)を満たす (Euler)。
*上記のとき、Nは 2^(4^(k+1))より小さい(Nielsen 2003)
*上記で、e_1≡e_2...≡e_k ≡ 1 (mod 3) でない(McDaniel 1970).
*上記で、e1 = e2 = ... = ek = βのとき、βは1,2,3,5,6,8,11,12,14,17,18,24,62でない.(Steuerwald,Hagis,Cohen)。
*上記で、e1 = e2 = ... = ek = βのとき、kは4β^2 + 2β + 2以下である。(山田智宏)。
*Nは12m+1または36m+9の形をしている(Touchard, 1953およびSatyanarayana, 1959)。
*Nは二つの平方数の和でなければならない(Stuyvaert, 1896による?)。
*N > 10^300 (Brent, Cohen, Te Riele, 1991)。
*Nは少なくとも9個の相異なる素因数を持つ (Nielsen, 2006)。3で割り切れない場合は12、3でも5でも割り切れない場合は15、3でも5でも7でも割り切れない場合は27個の相異なる素因数を持つ。(Nielsen,Norton 1960,2006)
*Nは10^8より大きい素因数を持つ(大野泰生、後藤丈志, 2006)。
*これは1955年にMuskatによって主張されていたが、その証明は発表されていない。これより古い下界としては10^7 (Jenkins, 2003), 10^6 (Cohen, Hagis, 1998) などがある。
*Nの2番目に大きな素因数は10^4より大きい (Iannucci, 1999)。
*Nの3番目に大きな素因数は100より大きい (Iannucci, 2000)。
*kを上記のようにおいた場合、Nのi番目に小さい素因数をp_iとすれば、p_1< 2+2k/3である(Gr殤, 1952)。またi=2, 3, 4, 5, 6のとき、p_iは2^(2^(i-1))*(k-i+1)より小さい(Kishore, 1981)。
*Nは重複も数えて少なくとも75個の素因数を持つ (Hare, 2005)。」
上のうち、
1) N=q^αP_1^2e_1・・・p_k^2e_kである。
は、今までのわたしのアルゴリズムから言えてますよね。^^v
2) ここでq,p_1,p_2,...,p_kは相異なる素数でq≡α≡1 (mod 4)を満たす (Euler)。
これも言えますね。
3) 上記で、e_1≡e_2...≡e_k ≡ 1 (mod 3) でない(McDaniel 1970).
これも言えそう。
*Nは二つの平方数の和でなければならない(Stuyvaert, 1896による?)。
これは不思議だなあ。。。全く思いつかない、、、^^;
2),3) に関してはそのうちアップいたします。^^v
画像:レオンハルト・オイラー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC
「オイラーの言葉
* 素数列に何らかの神秘を見出そうという数学者の試みは今日に至るまで実を結んでいない.いろいろ考え合わせると,どうやらこれは人間精神には決して入り込むことのできない神秘ではないかと思われる.
* (右目を失明したとき)おかげでこれからは気が散らなくてすむ.
オイラーへの言葉
* オイラーを読め,オイラーを読め,彼こそ我らの先生だ. - ラプラス
* 生涯全てで…彼は,純粋数学と応用数学の両方にわたって,彼の時代の数学全部を頭に詰め込んでいたかのようである. - アンドレ・ヴェイユ
* 私は,いわば高等解析学の幼少期を与えたにすぎないが,あなたはそれを十分に成長した大人のレベルまでもっていきました. - ヨハン・ベルヌーイ
* 本当に数学の好きな人はオイラーをいつも読まねばならない.彼の本はすべて分かりよく,いい方がうまく,計算がたくみだ,…「人はつねに源において学ぶべきである」 - ラグランジュ
* オイラーは,人が呼吸をするがごとく,鷲が空中にその身を浮かせておくがごとく,はた目には何の苦労もなく計算をした. - フランソワ・アラゴ」
http://nkiso.u-tokai.ac.jp/math/komori/jpeg/euler.htm
「オイラーはスイスで牧師の子として生まれた.父親は数学が好きで ヤコブ・ベルヌーイの弟子となって勉強した.オイラーはヨハン・ベルヌーイ の下で勉強した. (2人の ベルヌーイ には面白い逸話があります.)
26歳で結婚したオイラーには13人の子供がいた.
「オイラーは人間が呼吸するごとく,また鷲が空を舞い遊ぶごとく, 見た目には何の苦労もなく計算した」と言われるように, オイラーは子供たちと 遊びながら 数学の研究論文を書いたのである.
1735年に彼は右目の視力を失ったが,その不幸にもかかわらず彼の研究論文の 数は決して減ることはなかった.
彼は一生のうちに 500以上 の書物および論文を出版した.そして オイラーの死後も半世紀間,彼の論文はペテルスブルグ・アカデミー から刊行され続けました.
スイスの援助の下で出版されている彼の全集は 75巻 に達しようとしています. そしていまだかつていかなる数学者もオイラーの論文数を陵駕した者は いません.
オイラーは早くから国際的名声を得ていたが,フランスアカデミーの 賞を何と 12回 も取っている(1回取るだけでも大変な名誉).
生涯の最後の17年間は全くの 盲目 で過ごすことになるが,この悲劇さえも 彼の研究と出版の奔流はとどまることなく,1783年にお茶をすすりながら 孫の相手をしている最中に,突然76歳の生涯を閉じるまで続きました.
オイラーの業績をすべて紹介することはとても無理ですが, π e i の記号はオイラーの考案であることは覚えておいてもよいでしょう. 」
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