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「チーム医療」の話し合いをしたとき、「医師と患者さんとの信頼関係というものがそもそものコアであり、他職種はそれをアシストする役割を持ったプロなんだ。決して、患者さんが中心で、医師もその他の職種も同じ土俵の上なんてことはあり得ない。医師の指示のもと動いてくれなきゃならない手足なんだ。」ってことを、わたしは当たり前のようにしゃべりました。しかし、大きな反感を買ったようです。
チーム医療という言葉はいつごろからできた言葉なのでしょうかね・・・?できた背景、歴史がきっとあるはず。多分、医療事故報道が姦しくなってきた頃、患者さんの安全を含めた入院中のQOLを高める(改善する)ためと効率化の観点からではないのかな・・・在院日数が、どうのこうのといったことも絡んで。今までの患者さんに対する医療の基本が大きく変わったっていうのでしょうか?おそらくそんなことはないはずですよ。患者さんへの関わり方が、昔も今も同じ人間だのに変わるわけないですよ。IC,ガン告知?それらのいずれも患者さん側から主体的に求められてきたわけではないんじゃないのかなあ?全てこちら側の都合が大きいんだと思っています。ガン告知をして欲しくない方にも一律しちゃうことが、しかも末期の方にまで、果たして必要なことなんでしょうか?患者さんが望まれるならすべきことであって、こちらの都合で宣告するっていうのはどうもわたしはおかしいと思っています。クリニカルパスというものがあります。入院後の時間軸での流れを定式化したものです。スタッフ用と、患者さん用のものがあります。これがチーム医療の明らかなメリットの例として取り上げられました。他の職種の流れが把握できるから便利だ、分かりやすいってことです。これを作る前から、なくったってできてたんです。スタッフも動いてたし、分からなけりゃ聞きながら。患者さんにも説明しながら入院生活を送っていただいてたんです。それまでのやり方の標準化したものなんですから。これが導入される前と後で何が変わったか?患者さんを中心にした動きじゃなくって、このパスを中心にした動きに変わったんです。合理化です。それ以外に、たとえば、ほんとうに、医療事故は減ったんでしょうか?そんなことは学会からも聞こえてこないし。。。敷かれたレールの上を走ることは安心されるのでしょうね。患者さんからの声も概ね良好ですから。導入してよかったことは、分かりやすいからなんです。それまでの医療看護と結局は同じことをしているんですが。テレビの文字テロップが耳からだけよりも文字という視覚からの情報の両方の方が分かりやすい、記憶に残り易いという面はあるでしょうか。だから、患者さんへのアプローチとしては、会話だけじゃなくって、書きながらとか、ヒントになりますね。これは今まで足りなかったことなんでしょうね。患者さんサイドからは、何でも聞きなさいっていつも言ってます。自分のことなんだから、分からなければ分かるまで聞くべきです。それはともかく、スタッフ間の連携が密でなかったのでしょうか?昔は?あるいは、ゴールがよく分からないまま看護が為されていたのでしょうか?そんなことはないはずですよね。さっき述べたように、それまでの行われてきていたことの標準化なんですから、できてたことなんです。逆説的に、このようなパスができたことによって、患者さんは安心されるのでしょうが、スタッフ間のコミュニケーションは損なわれるように思うのですが。それまで取り交わされていたはずの情報が画一的に書かれてある通りにすることによって、スタッフ間の情報交換が減り、患者さんに対する感覚が、流れ作業的な物扱いになっていってやしないかって。そうじゃないって言えるでしょうか?
チームで同じゴールに向かい仕事を完遂する場合、誰かが、ブレーン(頭脳)となり、指揮を執り、他のメンバーはそれに従って一丸となることが基本だと思うんです。その目標を達成するためには血を汗を涙を流してでも自分の役割を全うするべきですよね?それがプロの仕事でしょ?オーケストラだって、指揮者の一挙手一投足に神経を張り巡らせて、それこそ指揮者の描く曲想に忠実に彼の手となり足となって自分のパーツをこなしてるんですよね。手となり足となることを厭われたら、、、オーケストラとしてはバラバラで、指揮者は壇を蹴って帰っちゃうかもしれません。映画監督だってそうでしょう。自分の思い描くカットが撮れるまで何度も何度も、褒め、叱り、なだめ、すかし(?)て作品を作るんでしょ?役割ってそういうものでしょ?誰だって、あなたの手足じゃないわよ、なりたくないわ、マリオネットみたいに操られたくなんてないって思う気持ちはあります。でも、それじゃあ、チームは動けないし、監督は、指揮者は仕事なんてできやしないはず。 手足がいやなら、、、何になりたいんでしょうか?頭脳ですか?みんなが頭脳を目指したら、誰が手足になればいいんでしょうか?人間の体一つ考えても、、、体に頭脳は一つ。手足は2x2の4本。どっちもないと何にもできません。頭脳の命令指揮通りに動かない手足は、全体として役に立たない。船頭が多いと船は山に登ってしまう。上司の「右腕」、とか、おまえの「双肩」にかかってる、なんて言葉もよく使われますが、、、手足はそれだけ重要なわけです。
リーダーの手となり足となって働くことがみんなそんなにお嫌いですか・・・?
手足じゃなく、そうかといって頭脳でもなく、、、一体みんなは何を求め、何がお望みなんでしょうか。。。。わたしには分かりません。。。
誰かが、頭脳役を、誰かが手に、誰かが足にならなきゃならないんです。誰かが、食物を作り、誰かが、それを運び、誰かがそれを売るんです。誰かがそれぞれの役割をしなくちゃならないし、そうでなきゃこの世は回りません。誰かが新聞を配り、誰かが夜の警備をし、誰かが麺の仕込みをし、誰かがパンを焼き、誰かが教え、誰かが愛を説き、誰かがそりゃおかしいよと糺し、誰かが、、、一人で全てのことなんて誰もできないんです。持ちつ持たれつの関係の上で社会は成り立ってる。。。
医師は給料が高いととよく言われる。それだけ責任があるから当然なんだろうと思うとも言われる。医師の責任?責任ってみんな同じように取るべきことがらじゃないの?それぞれの立場で。給料の高い安いで責任を取る率が異なるというわけないと思う。医師は医師としての責任、他職種はそれぞれの役割の中での責任って、みんなあるはず。責任の取り方で給料が違うわけじゃあないはず。全職種異なってる。誰が決めたの?医師が決めたわけじゃない。需要と供給のバランスで決まってるんでしょ?今の給料が高いか安いか?ある人からみれば高い?でも、当人にとってみたら安いと思ってるかも。自分じゃ決められないものでしょ。前の病院でも似たようなことを言われました。ある人が、もう少し、医者を増やすなり、休みを取らすなりしてはどうかって。上は、こう言ったようです。「出すものは出してるんだ。」・・・
わたしは切れました。人間って、お金だけじゃあないですよね?そういう問題じゃあないですよね?
役に立つ、相手から喜ばれるという自分の存在の意味が少しでも分かれば肉体的に辛くてもやっていけるものですよね?駒のようにあしらわれてるだけだと、ディスポのような扱いだと思えたら、、、?
わたしは、そんなこともあって以前の病院を去りました。自分では、手足のように、自分に出来ることは何でもしようとやっていました。手となり足となることを厭ったわけじゃありません。手足といっても、生身の温かい血の通ってない、いわばマネキンのような手足に過ぎないと感じたからです。わたしは、いくらでも取り換え可能な手足の役からは降りました。わたしが辞めても、新しい手足は取り付けられるのでしょうから。。。
心の裡を話しても話しても伝わらないものは伝わらないとつくづく思う。
何でも話せば分かるはずってのは嘘。こっちが垣根を取っ払って話しても、向こうはガードしたまま、その手を下ろそうとしない。相手のパンチを受けるつもりで懐に飛び込まないと伝わるものも伝わらない。胸襟を開かないと。。。そうだのに、コミュニケーションを取るために話し合う時間をもっととろうって。コミュニケーションが、話さなくっても取れてればそんな話しにゃならないはず。話しても取れないんだって分かってきたら、方法論としてはお手上げかな。。。
昔は医師の回診にナースはついてました。患者さんとどんな話しをしてるのかがライブで共有できてた。今は、、、回診に付く時間がないほど忙しいようです。みなさんはどう思われますか?方や、患者さん中心のチーム医療を掲げ、そのためにコミュニケーションを増やす時間をとろうっていうなら、まず回診につく時間を作る方が先決だと思う。
画像:ミュンスター条約締結の図(ヘラルト・テル・ボルフ画)
「ヴェストファーレン条約 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴェストファーレン条約(ドイツ語:Westf獲ischer Friede)とは、三十年戦争の講和条約で、ミュンスター条約とオスナブリュック条約の総称である。日本ではヴェストファーレンのラテン語読みからウェストファリア条約とも呼ばれる。この条約が近代における国際法発展の端緒となり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。
概要
ヴェストファーレン条約はヨーロッパにおいて30年続いたカトリックとプロテスタントによる宗教戦争に終止符をうった条約である。諸説はあるが、これが国際法の元祖となったともいわれ、この条約によって条約締結国の間には相互の領土を尊重し、内政への干渉を控えることを約し、新たなヨーロッパの秩序が形成されるに至った。この秩序をヴェストファーレン体制、ウェストファリア体制ともいう。
宗教戦争 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宗教戦争(しゅうきょうせんそう)は、宗教上の問題が原因で生じた戦争。一般には、宗教改革後の16-17世紀、ヨーロッパにおけるカトリックとプロテスタントの対立から起こった一連の戦争を指す。必ずしも宗教上の対立のみではなく、政治的な利害も複雑にからみ、深刻な争いとなった。同国民同士が血を流して争いあう宗教戦争への反省から、西ヨーロッパでは政治と宗教の分離が進められるようになった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E6%88%A6%E4%BA%89
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