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アラカルトの続きです。^^; 重複した内容もありますが、、、Orz〜
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F
「生態
翼長は50〜60センチ。雑食性でゴミや動物の死体をついばんでいるところがよく目撃される(都市部では、エサを得る為にごみ集積所を荒らすという行動が問題となっている)。脂身を好み、蝋燭や石鹸を持ち出す姿が目撃されている。繁殖期は春〜夏で、一夫一妻制で協力して子育てを行う。巣は樹上に小枝を組んで作るが、最近では電信柱や看板などに営巣することもあり、また巣の材料も針金・プラスチックなどさまざまなものを新規採用するようになっている(電線に針金類で営巣した場合、しばしばショートの原因となり、問題となっている)。営巣期間中は縄張り意識が強く、不用意に巣に近づいた人間や動物を攻撃するといった行動が見られる。抱卵期間は20日前後、巣立ちまでの期間は30〜40日程度。産卵数は2〜5(ハシブト)ないし3〜5(ハシボソ)程度。巣立ち後も2〜3ヶ月程度は家族でグループを組んで生活し、その後ひとり立ちをする。繁殖期以外は大規模な群れを作る。群れも仲間が窮地に陥ると他のカラスが助けに入ることもあるらしく、事故死したカラスを仲間のカラスが助けようとしている姿が目撃されている。
鳥類では最も知能が発達しているとされ、その程度は原始時代の人類ほどの知能だとも言われる[要出典]。協力したり、鳴き声による意思の疎通を行っている事が知られ、遊戯行動をとる事も観察されている。仙台市の青葉山では、ハシボソガラスが道路にクルミを置き、自動車に轢かせて殻を割るという行動が報告されている。これはカラスの知能が非常に高い事の証左である。色が識別でき、人間と同じRGBの他にV(紫)も識別できる。1996年、神奈川県で鉄道のレールの上にカラスが石を置くという事件が頻発した。その後も同様の事件が全国各地で散発している為、鉄道各社は対策に苦慮している。電線にぶら下がって「ブランコ」のような遊びをしていた、神社の賽銭を盗み自動販売機でハトの餌を購入していると報道されたこともあった。
カラスの肉
カラスの肉は、食用には適さないと考えられがちだが、中には食用にする地域・文化もあり、鯨肉などに近い味という意見もある。
2003年8月8日付の読売新聞報道(「カラスの肉は栄養豊富?帯畜大の食用化研究:北海道」)によると、帯広畜産大学畜産科学科関川三男助教授らのグループが、カラスの食用化を探る研究を進めている。研究は、将来の食糧難対策と、有害鳥獣として処分されるカラスの有効活用にメドをつけるのが目的。カラスの胸肉は、鯨肉にも豊富に含まれるミオグロビンと呼ばれる色素が多く、赤みが強いのが特徴。食感や味は鶏の胸肉に似ており、学生に食べさせたところ、評判も上々だったという。
東京都は、カラス嫌いで有名な石原慎太郎知事(かつて、ゴルフのプレイ中にカラスに襲われた個人的なトラウマが原因)が、ミートパイにして東京名物にすべきだと提唱したことがある。これは実現しなかったが、後に東京MXテレビの番組企画で、テリー伊藤らが用意したカラス肉のミートパイを石原は食べる羽目になった。
カラスの繁殖が著しい東京などでは、ホームレスがカラスを食糧にしているということが言われることはあるが、全くありえないとは言えないにせよ、一般的とは考えられず(コンビニや各種飲食店の残飯などが豊富であるため)、これに関しては、多くは都市伝説の域を出ないものと推測される。
イメージ
黒い姿から、『カラスが鳴くと人が死ぬ』、『カラスが集まる場所では死人が出る』等と言われ、不吉であると信じる人もあるが、カラスの実際の羽色は、「烏の濡羽色(からすのぬればいろ)」という表現もある通り、深みのあるつややかな濃紫色である(「烏の濡羽色」は、黒く青みのあるつややかな色の名前で、特に女性の美しい黒髪の形容に使われる事が多い。烏羽(からすば)色、烏羽とも)。
ファンタジー小説やゲームでは、黒猫などと並んで魔法使いの使い魔とされる事が多い。賢さと不吉なイメージからであろう。
アニメでは、「アーホーアーホー」とバカにしたように鳴くギャグが頻繁に用いられる。
神話・伝説
日本
日本において、カラスは古来、吉兆を示す鳥であった。神武天皇の東征の際には、3本足のカラス「八咫烏(やたがらす)」が松明を掲げ導いたという神話がある。日本サッカー協会のシンボルマークはこの八咫烏である。
但し、3本足のカラスという外形そのものは、中国起源の「日烏」である。中国では古来、太陽にはカラス、月にはウサギまたはヒキガエルが棲むとされてそれぞれの象徴となった。月日の事を「烏兎(うと)」と呼ぶ用例等にこれが現れている。足が3本あるのは、中国では奇数は陽・偶数は陰とされるので、太陽の象徴であるカラスが2本足では表象にずれが生じるからである。このカラスの外形の起源に付いては、黄土の土煙を通して観察された太陽黒点から来ているのではないかとする説がある。
カラスは熊野三山の御使いでもある。熊野神社等から出す牛王宝印(ごおうほういん)は、本来は護符であり、近世には起請文を起こす用紙ともされたが、その紙面では、カラスの群れが奇妙な文字を形作っている。これを使った起請を破ると、熊野でカラスが3羽死に、その人には天罰が下るという。なお、熊野は、神武天皇が東征の際に八咫烏と会った地である。「三千世界の烏を殺し、主(ぬし)と朝寝がしてみたい」とは、高杉晋作が唄ったとされるざれ唄で、この伝説に由来している(うるさく鳴くカラスを皆殺しにしてゆっくり眠りたい、と解釈される事もあるが、上記の伝説を知らない為の誤解である)。また、「誓紙書くたび三羽づつ、熊野で烏が死んだげな」という小唄もある。
また神話・伝説上では通常、私達が見慣れているカラスとは色違い・特徴違いのカラスが存在する。それらは、吉祥と霊格の高い順に八咫烏、赤烏、青烏、蒼烏と白烏が同等とされている。
民話のひとつには次のようなものがある。 カラスは元々白い鳥だったが、フクロウの染物屋に綺麗な色に塗り替えを頼んだところ、黒地に金や銀で模様を描けば上品で美しく仕上がると考えたフクロウはいきなりカラスの全身を真っ黒に塗ってしまい、怒ったカラスに追い掛け回され、今ではカラスが飛ばない夜にしか表に出られなくなった。カラスはいまだにガアガアと抗議の声を上げている、という。 似たような話に、欲張りなカラスの注文に応じて様々な模様を重ね塗りしていくうちに、ついに真っ黒になってしまった、というものもある。
元は違う色だったものが何らかのアクシデントで真っ黒になってしまった、という伝承は世界各地に見られる。
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慣用句・名文句
烏を用いた慣用句や名文句は次のようなものがある。
* 烏の行水(すぐに風呂から上がってしまうこと)
* 烏の足跡(目じりのしわが足跡のように見えることから)
* 烏の髪(黒髪のこと)
* 烏の鳴かぬ日はあっても(語尾に毎日何かが行われる様子を書く 物事を強調するために用いる)
* 烏の濡れ羽色(しっとりと濡れたような黒色 烏の髪と同様に黒髪を指す場合が多い)
* 闇夜に烏(見分けがつかないことの例え)
* ねぐらへ帰る烏が二羽、三羽(昭和時代の名アナウンサーである松内則三が、1929年(昭和4年)秋の東京六大学野球早慶3回戦の実況の際、夕暮れの神宮球場の情景をラジオで伝え、これがレコード化されたため著名になった文句[1])
飛行機
二宮忠八は、カラスが翼を広げて滑空する姿から、この翼の原理を応用すれば空を飛ぶ機械が作れると発想。1891年(明治24年)にゴム動力模型飛行機(カラス号)の初飛行を成功させた。
また、ナチス・ドイツの戦闘機は全体的に黒色だったためカラスに例えられた。・・・
カラスを使った楽器
* 「チェンバロ」のジャックの爪は元々鳥の羽根を使い、元気なカラスが飛び去った後落ちた羽をオリーブオイルで浸けたものが一番よいとされている。」
烏合の衆っていう意味は考え直されるべきかもしれませんね?^^;v
画像:ハシブトガラス。飛び立とうとしているところ
http://www.melma.com/backnumber_162055_3651036/
「歴史こぼれ話 〜 三本足の烏(カラス)
「月の玉兎」に続いて、今回は「太陽の金烏(きんう)」をとりあげましょう。中国では古くから、月の兎に対し、太陽には烏がいると言い伝えてきました。1972(昭和47)年、中国の長沙の馬王堆(まおうたい)一号漢墓で発掘された帛画では、最上部に天空の世界が描かれ、向かって右に赤い太陽内に黒い烏、向かって左に銀色の新月の上に蟇蛙(ひきがえる)と兎とが描いてありました。この考え方は古代の日本にも持ち込まれます。朝廷では即位の大礼や朝賀の儀式などの際、大極殿正門の左右に日像・月像幢(にちぞう・がつぞうとう)を立てましたが、日像幢の頂部には太陽をかたどる金色の円板に三本足の烏、月像幢の頂部には月をあらわす銀色の円板に蛙と兎とが描かれていました。馬王堆の帛画の烏は二本足の黒烏でしたが、漢代の『淮南子(えなんじ)』には三本足の金烏だとあります。中国では、陽数が好まれますから、いつしか二本足の烏に代わって三本足の烏が普通になり、それが日本に伝わってきたのだろうと思われます。三本足の烏と言えば、日本サッカー協会の旗章が思い浮かびます。
この烏は「記紀」神話に登場する八咫烏(やたがらす)です。カムヤマトイワレヒコノミコト(のちの神武天皇)が熊野から大和をめざしたとき、道に迷ったのを天照大神が遣わした八咫烏が案内したといいます。これをふまえて熊野神社は八咫烏を神紋とし、熊野牛王(くまのごおう)と呼ばれる神符にも多数の烏が描かれますが、神紋の烏の足ははっきりと三本になっています。原点である「記紀」には烏の足の数は記されていないのですが、いつのまにか、「淮南子」流の三本が採用されています。サッカー協会の旗章となったのは、日本サッカーの生みの親とも言うべき中村覚之助が熊野出身だったからだろうと言われていますが、三本足だったらサッカーするには都合がいいと考えたわけではありません。
◎野呂 肖生(のろたかおい):前世田谷学園教諭、前駒沢大学講師。著書に山川出版社「文化財探訪クラブシリーズ」「日本史こぼれ話シリーズ」等多数。」
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