アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

愛が憎しみに変わることっておうおうにしてありますよね?ありません?^^;
じゃあ、それは一体なぜなんだろって考えてたんです。。。
わたしが思ったのは、「愛」といっても、しょせんは自己愛をルーツにしてるんじゃないからかなって。。。だから、自分を満たしてくれなくなった対象に対して、一種の禁断症状みたいな感情が湧いてくるんじゃないのかなって。。。最初から、裏切ることが考えられないものへの「愛」は、それが憎しみに変わることなんてないはずなんです。抽象的な、頭の中で作りあげてる対象は自分を満たし続けてくれこそすれ、背を向けるようなことはないわけだから。。。自分ではコントロールできない他者を対象にしたときのみ生じる感情、それが「憎しみ」でしょ?でも、他者の心変わり、裏切りなんて、他者に存在する自由な心の領域であって、それをおかしいとか、変わらないでとか言ってみたところで栓無きことですよね。なのに、その他者の心の自由を非難するだけじゃなくて、「憎しみ」を持っちゃうのって考えてみるとおかしなことでしょ?
自己中、ナルシシズムから生まれるわがままな感情としか考えられないなって。。。^^;

http://www.nagaitosiya.com/a/love.html
永井俊哉ドットコム より Orz〜

「愛とは何か
愛という言葉は、しばしば「ワインをこよなく愛す」というように、「好き」と同じ意味で使われることがあるが、ここで問題にしたいのは、そうした嗜好としての愛ではない。・・・では、私たちが「精神的」という言葉で形容したくなる、狭義の愛は、嗜好としての愛とどう異なっているのか。

1. 愛の三つの特徴
愛と呼ばれる現象には、次のような特徴が見られる:

2.1. 実利の見返りがない犠牲
人は、恋人の愛を獲得するために、そして愛のあかしとして、惜しみなく犠牲を払おうとする。・・・しかしこの代償なき犠牲は、狭義の愛を嗜好としての愛から区別することには役立たない。ワイン愛好家が、お気に入りのワインを手に入れるために、高い金を支払うことは、個人的にはワインに興味のない輸入業者が金儲けのためにワインを購入するのとは異なって、自己目的的な消費であり、「実利の見返りがない犠牲」を払うことだからである。

2.2. 対象と一体になることへの欲望
ワイン愛好家は意中のワインを飲みたいと願うし、恋人はお互い抱きしめ合おうとする。物理的接近を伴わない場合でも、私たちは何かを愛する時、主客の対立を忘れ、対象に自己を見出し、対象と一体になろうとする。これも愛において幅広く見られる特徴であり、後で述べるように、恋人を愛することも、他者の中に自己を見出すことなのである。狭義の人格的愛に特徴的なのは、次の三番目の項目である。

2.3. 他者を媒介とした自己の存在の確認
私たちは、愛すべき対象が崇高だからこそ、多大な犠牲を払ってでも手に入れようとするのだが、実際には逆に、多大な犠牲を払うことによって対象を崇高な存在に祭り上げているとも言える。そして狭義の愛の最終的なねらいは、崇高な存在へと高められた他者から認められることを通して、自己を崇高な存在へと高めることなのである。・・・ここから、私は、嗜好としての愛から区別された狭義の愛の本質は、他者を媒介として自己の存在を確認するナルシシズムにあると主張したい。

2. ナルシシズムとしての愛
ナルシシズムとは、水面に映った自分の美しさに恋をしたギリシャ神話のナルキッソスに由来する言葉で、自己陶酔とか自己愛と訳される。ナルシシズムは、通常、性的倒錯と考えられている。・・・はたしてそうだろうか。
人間は誰でも、幼児のころはナルシストであることが知られている。生後6ヶ月から18ヶ月の間のいわゆる鏡像段階では、幼児は、鏡に映った自己を見て大はしゃぎする [ジャック・ラカン:エクリ]。「鏡に映った自己」とは母親のことでもある。母親の笑顔は幼児に向けられている。だから幼児は、母親の笑顔の中に自己を見出す。そして幼児は、排泄物を贈り物として差し出す(犠牲とする)ことで、この愛を受け取ると空想する。これがその後のあらゆる愛の原型となる。
崇高なものに対する、愛と似た感情として、尊敬がある。尊敬の対象に対して、人は「私もああなりたい」と願望する。だから、愛が主として異性に向けられるのに対して、尊敬は主として同性に向けられる。例えば、男の子は、母親に愛を感じ、父親には尊敬の念を抱くものなのである。愛と尊敬は別の感情である。
愛欲が、崇高な存在へ高められた存在者から認められることによって、自らを崇高な存在へと高めようとする欲望だとするならば、愛欲は名誉欲とどう違うのだろうか。・・・このことを説明する前に、愛には、ギリシャ思想系のエロース以外に、キリスト教系のアガペーがあることを指摘しなければならない。アガペーとは、「アフリカの貧しい子供たちに愛の手を」と言う時の愛のことである。図式的に言うならば、イデア界への上に向かっての憧憬がエロースであるのに対して、人間への下に向かう神の慈愛がアガペーである。「憐れみは愛に近し」(Pity is akin to love.)という英語のことわざにあるように、「かわいそう」と「かわいい」は紙一重である。愛欲と名誉欲が異なるのは、後者には、アガペーの側面がないからである。
このように、エロースとアガペーを分けた上で、しかしどちらの愛もナルシシズムだと主張したい。みなさんの中には、「たしかに、勇敢な行為で恋人を喜ばせ、それを見て自分の勇敢さに心酔する男性とか、ステータスの高い男性と付き合うことで、自分のステータスの高さを誇示する女性とかは、エロースの喜びに浸るナルシストだと言えるだろう。しかし、子供にろくに食事も与えることができない貧しい近所の母子家庭を見て、私がかわいそうに思い、金銭を与える時、それは純粋に利他的な動機からなされるのであって、こうした崇高な愛の精神をナルシシズムとして価値を貶めようとするのは、おまえの心が歪んでいるからだ」と言って、私に反論する人もいるかもしれない。
では次のような思考実験をしてみよう。あなたが金銭を与えた母親は、「ありがとう」とも言わずに、お金を受け取ると、あたかも「もうあなたには用がない」とでも言わんばかりに、立ち去ったとしたならば、あなたはどう感じるだろうか。「なんだこいつは。せっかく助けてやったのに、御礼の一言も言わないなんて」とむかつくのではないだろうか。だがもしあなたの行為が純粋に利他的であるならば、飢えた子供が食事にありつけるだけで十分なはずだ。にもかかわらず、あなたが感謝の言葉を求めるのは、他者を援助することを通して、援助できる自分の存在を確認したいからである。
・・・
4. 利己主義と利他主義の対立の止揚
エロースとアガペーは正反対に見えるが、構造は同じである。ナルシシズムを性的倒錯と考える人は、ナルシシズムをたんなるエゴイズムだと考えている。しかしナルシストは、たんに他者の中に自己を見出すだけでなく、自己の中に他者を見出す。自己を愛することが、他者を愛することになるという鏡の反転現象である。この間主観的な反照関係において、利己主義か利他主義かという対立地平は止揚される。 」

わたしにはよく分かるような気がする。。。^^
自己を愛する自己がいることに気付くとき、自己を愛する自己って他者なのか、愛される対象の自己こそが他者なのかって気付くと思うんです。いずれにしても、自己の中にもう一人の自己の存在に気付く。もう一人の存在=他者の存在に気付くってことでしょ? 『この間主観的な反照関係において、利己主義か利他主義かという対立地平は止揚される。』っていう言い回し、言いきりにわたしは惚れ惚れしてしまいます。^^
精確には分かっちゃいないんですけどね。。。^^; Orz〜

画像:『幻痛(ファントムペイン)』牧村泉・著 新潮社 2004年1月15日刊
http://www.so-net.ne.jp/e-novels/hyoron/syohyo/207.html
週刊書評
『幻痛(ファントムペイン)』/愛と憎しみの臨界反応  大森滋樹 から Orz〜
「・・・
家族がばらばらになることと、身体がばらばらになることについて、ここには明確な関係があるようだ。牧村泉は家族の軋轢や破綻に注目しており、それは個体空間の問題でもある、と評者は考える。
この問題を動物行動学として論じたのがコンラート・ローレンツの『攻撃 悪の自然誌』だ。すでに40年前に出版されたこの本は動物行動学のみならず、社会学的にも古典的名著であろう。ローレンツは最初に、次のような問題を読者に提示する。
ある種の生物には個体空間があり、その空間を侵犯する同種の生物に対し、攻撃衝動を抱く。しかし、オスとメスが夫婦生活を送る際、互いの個体空間を侵犯しあうのに、攻撃し合わないのはなぜか。
この問題に答えるのに、ローレンツはオドリバエを例に挙げる。オドリバエはメスの方が身体が大きく、不用意に近づくオスは花嫁に食べられてしまう。だが、ある種のオドリバエのオスは「すばらしくみごとなヴェール」をつむぎ、これを肢に引っかけて空中を飛び回る。すると、その美しい光景を目にしたメスの攻撃衝動は抑制され、オスは安全に交尾ができるのだ。オドリバエのこの「ダンス」は完全に形式的な儀礼であり、こうした儀礼、儀式、あいさつこそが攻撃衝動を抑圧する。これがローレンツの答えだ。
また、大群を構成する生物には個体識別の能力がないらしい。群れをつくる生物には同種間の攻撃衝動がなく、個体空間が消失している。ニシンは身を寄せ合っても、互いに攻撃し合わない。しかし同時に、こうした生物には「かけがえのない存在」もない。友人も妻も恋人も家族もなく、彼らは互いに取り替え可能な群れ??群衆である。彼らには「名前」がない。
個体空間があり、同種間攻撃をおこなう動物だけに個体識別の能力がある。そして、儀礼を通して攻撃衝動を抑圧することが、仲間とそれ以外の区別を生む。つまり、攻撃衝動は愛や友情のもととなる、重要な本能なのだ。「攻撃を含まぬ愛はないが、また愛なき憎しみも存在しない」というわけである。
愛や憎しみとは〈執着〉だ。自己自身に対する〈執着〉が相手に転移したとき、愛や友情が生まれる。個体空間は対象に転移し、自我の領域をひろげるわけだ。ゆえに、信頼を寄せた相手に裏切られると、自分の個体空間が傷つけられたのと同じようなダメージを受ける。その結果、自分は被害者だ、傷つけられたのは自分(の固体空間=自我)だ、と思い込み、愛や友情はかんたんに憎悪に反転するだろう。最悪の場合、臨界反応が発生する。・・・」

おもしろいですね、、、『愛や憎しみとは〈執着〉だ。』、、、これって、、、
やっぱり、愛のルーツはナルシシズムだってことじゃありませんか!?

同じ国民でしょ!

イメージ 1

「社保カード検討を開始 舛添厚労相が表明 [ 09月11日 12時55分 ] 共同通信

舛添要一厚生労働相は11日の閣議後記者会見で、年金手帳と健康保険証、介護保険証の役割を兼ねる「社会保障カード」導入に向け、基本計画策定のため、有識者でつくる「社会保障カードの在り方に関する検討会」を設置する方針を表明した。9月末に初会合を開く予定で、今後、人選などの準備を急ぐ。「検討会を中心にして広く国民の声を聴き、年内に基本構想をまとめたい」と強調した。」

今までなかったのが不思議なくらい!
また述べますが、たとえば、納税に関しては、ガラス張りにされてるサラリーマンがいる反面、青色申告という自主申告で済む方もいらっしゃる。これっておかしい!
納税が国民の義務であるというなら、同じようにするべきです!!
年金、健康保険に関しては、職業によって、年齢によって、区別されてる。。。これっておかしい。
職業選択の自由を謳っているなら、統一すべきでしょ!
どうなんだろ、、、医療費も一律1割(上限は設けて)とかにして、年齢、職業によって差別しないようにはできないんでしょうかねえ。。。
だいたい、同じ国民に対して、差別したようなシステムって違憲じゃないんですかね?
国民も、公務員に対してだけ情報公開を厳しく迫るだけじゃなくって、少なくとも、国民の義務である納税に関しては、自らも公開されることにやぶさかであるべきじゃないと思いますけどね!
自分にも、他人にも、厳しくあるか、寛大であるかが問われているんじゃないですかね。^^;
ダブルスタンダード、恣意的な、自己中な態度に、そろそろ気付いて改めなければ、、、いつまでたってもいい加減な状況は続きそう。。。
公務員もそうでないものも同じ国民じゃないですか!?
舛添さんなら、やってくれそうだと期待してます ^^v ガンバレ舛添厚労相!!

画像:社保庁と自治体に対し怒りが収まらない舛添要一厚労相
http://www.daily.co.jp/gossip/2007/09/05/0000597670.shtml

「舛添厚労相激怒「社保庁は泥棒だ」

社会保険庁や市町村の職員による年金保険料などの横領が3億4000万円以上にのぼることが判明したのを受け、舛添要一厚生労働相は4日午前、「泥棒だ!」とバッサリ。「手間がかかる」などの理由をつけて追及を“拒否”した社保庁を厳しく批判し、徹底的に事実関係を究明する考えを示した。
閣議後に会見した舛添氏は「もし刑事告発してなかったら、今から刑事告発してやろうかと思って。泥棒でしょう、これは。盗人なわけですよ。国民の税金を盗んだヤツを公表しなくていいのか、という話」と大激怒。国民の血税を平気で横領した社保庁と自治体を「泥棒」「盗人」呼ばわりした。
4日までに明らかになったのは両者で横領99件。うち、社保庁職員による横領は50件、総額およそ1億4千万円で、そのうち23件が刑事告発されていなかった。さらに、総額およそ2億円にのぼる市町村職員の横領については、その後の処分を全く調査していなかったという、理解できない腐敗ぶり。横領が発覚しないよう、オンライン上の年金記録のデータを改ざんするなど、もはや“着服”とは呼べないやり方に、国民の怒りは爆発炎上寸前だ。」

353

イメージ 1

問題353・・・某サイトから頂きました Orz〜

あなたはあるサッカーチームの広報担当です。チームの成績は現在1勝2分け。今週末のホームゲームにより多くの観客を呼ぶために、あなたならいったいどんな広報活動を行ないますか?
これはあくまで数字を使って答えを出すのが目的です。何かを配って観客を呼ぶとか、そういう案はすべてダメです。ここで使われている1勝2分けという数字を駆使して、どうやって観客の関心を引くか、それだけです。

* ちなみに、食い逃げされてもバイトは雇うな 禁じられた数字<上> 山田 真哉 光文社新書
って本に載ってるクイズのようですね ^^
面白そうだから買っちゃおうかな。。。

ピーターの法則

イメージ 1

イメージ 2

前出のパレートの法則と似てると思うんですが、、、^^
ピーターさんってなかなか辛辣なことをご指摘なさってますね ^^;


http://ja.wikipedia.org/wiki/ピーターの法則

「ピーターの法則とは組織構成員の労働に関する社会学の法則。

1. 能力主義の階層社会に於いて、人間は能力の極限まで出世する。すると有能な平構成員も無能な中間管理職になる。
2. 時が経つに連れて人間は悉く出世していく。無能な平構成員はそのまま平構成員の地位に落ち着き、有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。その結果、各階層は無能な人間で埋め尽くされる。
3. その組織の仕事は、まだ出世の余地のある、無能レベルに達していない人間によって遂行される。

南カリフォルニア大学教授の教育学者ローレンス・J・ピーター(Laurence.J.Peter)により自著 『THE PETER PRINCIPLE』の中で提唱された。 日本では1969年、『ピーターの法則?〈創造的〉無能のすすめ?(ローレンス・J・ピーター/レイモンド・ハル 田中融二訳)』 がダイヤモンド社より出版された(2003年再販の新訳は渡辺伸也)。」

極限まで出世しちゃいかんのだよね ^^;v
だって、その立場では無能呼ばわりされちゃうんだから。。。
でも、誰にも、本人でさえ、やってみるまで分からないってことありますよね。
自らの限界を感じたとき、自殺してしまう方があるようですが、、、また、それ以上に「昇進うつ」になってしまう方がありますが、、、撤退すればいいのにって思いますけどね?自分も無能だと分かったが、しかし、自分を抜擢したものも同じように見る目がなかった、無能だったわけだからさ。
玉砕するだけの守るべきものがある?潔く禅譲すればいいじゃないですか?

画像:上:ピーターさん?
http://home.j04.itscom.net/fukuda/story/index.htm から頂きました Orz〜

   下:その本

全1ページ

[1]


.
スモークマン
スモークマン
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(1)
  • ヤドカリ
友だち一覧
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

過去の記事一覧

検索 検索

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事