アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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http://www.hoctsystem.co.jp/story/s3/09.html より Orz〜
第9話 番外編

「・・・"虚数の話"・・・この本は米ニューハンプシャー大学で電子工学の教授をされているポール・J・ナーインという方が執筆されたもので、それを数学関係の本をよく扱っておられる好田順治氏が翻訳されたものである。著者はかなりの量の歴史的文献を渉猟した後がうかがえ、虚数の歴史や興味深い虚数の応用例を堪能することができる。大学1年程度の数学レベルの知識があれば、"虚数の発見によって数学はかくも発展した"と言われていることを改めて実感できる好著である。・・・
その話の前に準備知識として知っておかなければ意味のない数学界の背景をまず紹介する。 1900年(偶然にもちょうど最短の2世紀前の時期)、パリで開かれた国際数学者会議でヒルベルトはその後の数学の方向性を定めるような未解決の問題を提起した。それは23題あった。余談だが、やはり第1話で登場した高木貞次はその中の何題かを解いたと聞く。
さて、その23のリストの8番目にリストアップされたのが"リーマン予想"と言われている問題である。
数学の世界では今日に至るまで未だ解決されていない超難問がいくつか残されている。英国の数学者ワイルズによって解決された有名な"フェルマーの大定理"も1995年まではその1つであった。この定理が完全に証明された時(1回目の証明は欠点を指摘されて退けられる)、世界的な話題となったので皆さんもご記憶にあることでしょう。確か、日経新聞の科学欄でフェルマーの大定理の紹介とともに残された問題としていくつかの未解決問題が紹介されていたが、その中でも最難関の問題といわれているのがリーマン予想である。
リーマン予想を知るにはゼータ関数を知る必要がある。ゼータ関数の原型はオイラーが創始した(また、出てきましたね)次式のような関数である。この式は専門の数学者や数学マニアがやっきになる素数分布とも大いに関係がある。
画像:上
(P:素数)
オイラーの場合、変数は実数であるが、リーマンはこれを複素数に拡張した。リーマン予想というのはこのゼータ関数をゼロとする値、すなわち、複素根に関する推定である。
実はゼータ関数をゼロとする複素根は無限にあることは分っている。これを証明したのはハーディーである。これよりもずっと以前、リーマンはその短命の生涯の中でこの解のすべては実部が1/2に集中すると予想した。すなわち、解の形式がすべて
Z = 1/2 + Xi(i:虚数記号)
になるというのである。
これは高校数学で習った複素平面(ガウス平面)上では横軸の目盛1/2を横切る垂直線上にあることを意味する。
画像:下
事実、実際にスーパーコンピュータを利用した数値解析で可能な解のすべてはその通りであるという。だが、無限にある解の中に例外があることも無いことも現在に至る天才的数学者たちの頭脳をもってしても誰も証明できないのである。
ところで、皆さんは、こんな問題は純粋数学者の頭脳パズルで、実用面では何の価値もないと思われるでしょう。実際、数学の美しさのみを追求した純粋数学者のハーディーも生きている間はそう思っていて、ゼータ関数をこよなく愛していたと言われる。しかし、現在では溶鉱炉内の高温温度のサイエンスにリーマン予想は関係していることを筆者は別の書物で読んだことがある。
さあ、これでリーマン予想の困難さは想像されたと思う。
面白い話というのはこれからである。リーマン予想に対するヒルベルト、ハーディーが取った言動である。
ヒルベルトいわく「私が500年間の眠りについたとする。眠りから目覚めた時、私の第一声は"誰かリーマン予想を証明したか"」と。

ハーディーの場合はもっと面白い話が"虚数の話"で紹介されている。 ハーディーがデンマークの友人を訪れた際、帰り(英国まで)は荒い北海を小型船で乗り切らねばならない状況になった。 この時、彼は帰りの無事を祈って友人に「私はリーマン予想の証明を持っている」と書いて郵送した。 もし、神がこのままハーディーを召してしまったなら、彼の偽の栄光が残ったままとなる。 それでは、神は自分を死なせはしないであろうと、ハーディーは思ったという。
この話を余計に面白くしているのは彼が常日ごろ無神論者だったことである。」

わたしもどの本かで読んだ記憶があります。。。^^
こういう話って大好きです ^^v
ハーディさんって、茶目っ気がありますよねえ♪

画像:最下:リーマン( 1826年9月17日 - 1866年7月20日)、ヒルベルト(1862年1月23日 - 1943年2月14日)、ハーディ(1877年2月7日 - 1947年12月1日)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ベルンハルト・リーマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/ダフィット・ヒルベルト
jiten.search.biglobe.ne.jp

高木関数

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奇麗でしょ♪
これもフラクタル図形だよね・・・?
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http://www.nikonet.or.jp/spring/sanae/MathTopic/takagi/takagi.htm より
いたるところ微分不可能な関数

「いたるところ微分不可能な関数というものを考えてみましょう.
次のような関数を考えます.
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そしてp(x)の合成関数として,次のような関数を定義します.
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さらにこの関数の無限個の和をとります.
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これは折れ線となる関数の無限個の和となります.
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これは著名な「解析概論」の著者 高木貞治が考えた“高木関数”と呼ばれるものです.
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例えば真中の点0.5における点Aの近くでは,右側では傾き1の直線を,左側では傾き−1の直線を無限に加えることになります.つまり右微係数は+∞,左微係数は−∞となります.
またそれ以外の任意の点Bでは傾き1と−1の直線が交互に繰り返し交わっています.つまり振動することになります.」

http://ja.wikipedia.org/wiki/高木貞治 より

「高木 貞治(たかぎ ていじ、1875年4月21日 - 1960年2月28日)は、近世日本初の国際的数学者。

岐阜県本巣郡数屋村(現・本巣市)に生まれる。岐阜尋常中学校を経て第三高等中学校(現・京都大学)へ進学し、1894年に卒業。帝国大学理科大学(現在の東京大学理学部)数学科へ進み、卒業後にドイツへ3年間留学。ヒルベルトに師事し、多大な影響を受ける。代数的整数論の研究では類体論を確立し、クロネッカーの青春の夢を解決した。これは、その後の日本の数学の発展に影響を与えた点でも重要である。『解析概論』『初等整数論講義』『代数的整数論』など多くの定評ある数学教科書を著し、これらは、現在でも多くの学生や研究者に愛読されている。また『近世数学史談』などの数学の入門的啓蒙書も偉大な傑作となっている。」

画像:高木貞治 たかぎ ていじ TAKAGI Teiji
http://www.civic.ninohe.iwate.jp/100W/01/002/index.htm より Orz〜
「1894年(19歳)、東京帝国大学理科大学数学科に入学。菊池大麓、藤沢利喜太郎に学ぶ。1897年大学院入学。文部省留学生としてベルリン大学、ゲッチンゲン大学に学ぶ。1901年末に帰国し、東京大学で代数学の講座を担当。1903年、ゲッチンゲンで得た楕円関数の虚数乗法論に関する成果を発表し、理学博士となる。1920年高木類体論に関する論文をドイツ語で東京帝国大学紀要に発表。1922年類体論に関する第2論文を発表。1927年、アルティンが高木の理論を補足し、高木・アルティンの類体論が完成。以降、1929年オスロ大学名誉博士、1932年チューリッヒ国際数学者会議副議長、フィールズ賞選考委員に着任するなど、国際的な場で活躍する。1936年東大を停年退官。1940年文化勲章受章。1955年、日本での代数的整数論国際シンポジウム名誉議長を務める。
(写真:1925年頃の高木貞治。高木貞治先生生誕百年記念会編『追想高木貞治先生』(1986-87年), グラビアより)」

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0054.htmlより Orz〜
高木貞治『近世数学史談』1942 河出書房・1995 岩波文庫・1996 共立出版 他

「・・・こんな話を高木は書いている。
担当教官となったヒルベルトが高木に「おまえは代数体の整数論をやりたいらしいが、ほんとうにやるつもりか」と聞いたらしい。当時、代数的整数論などというものは世界中でもゲッチンゲンしかやっていないのだから、東洋の片隅の日本からやってきたおまえはそんなことができるとはおもえない、という意味である。高木が「やります」と答えたところ、ヒルベルトはすぐさま「代数函数は何で決まるか」と尋ねた。口頭試問のつもりであったのだろう。高木がぼうっとしていたら、ヒルベルトは「リーマン面で決まるんだ」と言った。なんだ、そんなことを答えればいいのかと思ったが、黙っていたところ、面魂(つらだましい)でもいいと見えたのか、自分の家に来いという。そこでのこのこついていって、ヒルベルトの家で、高木は自分がやりたいのは「基礎のフィールドがガウスの数体であるばあいの数学論」、すなわち「レムニスケート函数の虚数乗法」をやりたいのだという旨を告げた。これはそのころ「クロネッカーの青春の夢」という美しい名でよばれている問題のひとつで、当時、日本人の誰一人として知らなかった問題だった。この挿話は日本人高木の豪胆を物語るものではなく、高木の数学コスモポリタンとしてのセンスの高さをあらわしている。
・・・高木貞治の数学ダンテイズムは時代や文化や社会にも切れ味を発揮していた。本書の付録に入っている「回顧と展望」にはこんなことを書いている。たいへんに示唆深い。
数学には「三つの大きなA」がある。クラインがよくそのことを強調した。Arithmeti、Algebra、Analysis である。この統合こそが数学だった。そう、高木は見た。それが最近では、みんなみんな「一つの小さなa」ばかりを追いかけている。それは abstract である、と。
こんなことでいいのかと高木は言いたかったのだ。「一つの小さなa」ばかり追いかけてどうするのか、と問いたかったのだ。これは、高木が文化勲章を受賞した1940年のときの記念講演での、すなわち60年も前の警告だった。たしかに、われわれはその後もキャピタル(大文字)を欠いた"a"にかまけすぎている。3つのキャピタルAを束ねる力を失っている。」

抽象的なメタレベルのことばっかりやってることへの警鐘?
地に足がついてない感じ・感触が嫌いなんだろうか。。。?
わたしからしたら、、、『クロネッカーの青春の夢』を解決したこと自体十分 abstract なことだと思えるんですけどね、、、^^;

1289:面積

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問題1289

図のように直角三角形ABCと この三角形に相似な直角三角形DCAがあります。
AB=6cmのとき ADの長さの最小値はいくらになるでしょうか。














































解答

ライブ問にてまたいずれ v

1288:面積

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問題1288

∠Aを直角とする直角三角形ABCがあり、AB=12cm AC=6cmとなっています。
辺ABの3等分点をAに近いほうからD,E 辺ACの3等分点をAに近いほうからF,G 辺BCの中点をMとします。線分DE上に点Pを 線分FG上に点Qをとるとき 三角形PQMの面積の最大値はいくらになるでしょうか。


















































解答

ライブ問にてまたいずれ v

1287:場合の数

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問題1287

マサルさん、トモエさん、マサヒコ君の3人が15点満点のテストを受けました。
その結果、3人とも得点は異なっていて、最高得点はトモエさん、最低得点はマサルさんであったそうです。また、トモエさんとマサルさんの得点の差は5点以下でした。
このとき、3人の得点の組み合わせは何通り考えられるでしょうか。

















































解答

・わたしの

15〜4までで、(4+3+2+1)*(15-3)=120 ^^

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