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http://ja.wikipedia.org/wiki/アルチュール・ランボー より
画像も Orz〜
「ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud, 1854年10月20日 - 1891年11月10日)は19世紀のフランスの象徴派詩人。ランボオとも。主な作品に散文詩集『地獄の季節』、『イリュミナシオン』など。
早熟の天才。詩人ヴェルレーヌによって才能を見出され、後にマラルメらとともに、「呪われた詩人」と評される。ダダイスト、シュルレアリストら、20世紀の詩人たちに絶大な影響を与えた。
『地獄の季節』でフランス文学史上、最も早熟な、屈指の天賦の才能を見せる。若いうち(20歳代前半)に詩作を放棄したが、後にフェリックス・フェネオンらによって編纂された『イリュミナシオン』における散文詩の数々は、ほとんどが意味不明なほど難解であり、「読解不可能」と指摘されながらも、読む者たちを惹きつけて止まない非常に強い求心力を持つ。理性と感性を多大に読み手に要求しつづけるのである。従って極めて多くの注釈・研究書がフランス国内外問わず存在するが、今後もこれと言った決定的な解釈は不可能であるだろう。また、この世には難解な、すなわち、詩的な「論理の飛躍」が顕著な「詩」あるいは「散文詩」が数多くあるが、そのような、現在の我々が「詩」とみなしている文章の原型はここにあるといっても過言ではない。
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生涯
1854年、フランス北東部アルデンヌ県シャルルヴィル(現在のシャルルヴィル=メジエール市)に生まれる。父は陸軍の軍人、母は小さな農地主の長女。ランボーは2人目の子で、2男であった。
1870年、家出。普仏戦争下のパリへ辿り着くが、無銭乗車のために逮捕され、家に送り返される。以後、家出を繰り返す。
1871年、パリへやって来る。ヴェルレーヌに出会う。以後、共にブリュッセル、ロンドンなどを放浪する。ヴェルレーヌは妻子を捨てての放浪だった。
1873年、ヴェルレーヌとの別れ。ヴェルレーヌはランボーに拳銃を2発発砲、うち1発がランボーの左手首に当り、ランボーは入院、ヴェルレーヌは逮捕される。この別れの後に『地獄の季節』を記す。
1875年、この年に書いた詩が彼の最後の作品とされる。以後、兵士、翻訳家、商人など様々な職業を転々とし、ヨーロッパから紅海方面を放浪、南アラビアのアデンでフランス商人に雇われ、アビシニア(現在のエチオピア)のハラールに駐在する。
1886年、自立して武器商人となったランボーはエチオピアの王侯メネリク(後のエチオピア皇帝メネリク2世)に武器を売り込みに行くが、足元を見られてかえって損を蒙った。しかし、この経験からエチオピア通となったランボーはその後ハラールで商人として比較的成功する。
1891年、骨肉腫が悪化してマルセイユへ帰り、右足を切断したが、癌は全身に転移しており死去。臨終は妹のイザベルが看取った。
その他
ランボーの作品に「母音のうた」というものがある。これはフランス語の基本母音である「A(アー)、E(エー)、I(イー)、O(オー)、U(ウー)」を主題として、これらの母音の音から連想される色についてうたっている。この作品からするとランボーは音と色の共感覚を明瞭に持っていたと考えられる。
ランボーの少し長い詩に、『酔いどれ船』があるが、この詩は幻想的な内容で、非常に奇妙なイメージが次々に展開されて行く。しかし、詩において何を述べているのかの解釈として、これはパリの当時の街角のありさまをうたっているとも解釈できる。LSD を服用して得られる幻想にも類似している。イギリスの詩人であるディラン・トマスの散文詩にこれに似た幻想的な作品があるが、何が似ているかというと、トマスの作品は非日常的幻想的なイメージや言葉を列挙しながら、何を叙述しているのかのレベルで見ると、例えばロンドンの建物の屋上から見た風景を幻想的・象徴的に書いたという点である。また、ランボーの愛読者でもあったアメリカの政治学者兼SF作家のコードウェイナー・スミスは、ランボーの作品の影響を受けたSF作品を書いた。「インストルメンタリティ」シリーズの一つの短編として、『酔いどれ船』(Drunkboat)がスミスには存在する。
エチオピア(アビシニア)におけるランボーの後半生を扱った小説に、アラン・ボレルの「アビシニアのランボー」があり、そのままの邦題で、また「地獄の季節」という邦題で翻訳がある。
映画「ランボー」は、原作者デイヴィッド・マレルがランボーに触発され、彼を主人公(ジョン・ランボー)に擬して書いた小説「一人だけの軍隊」の映画化であり、綴りが英語風に変えられているが、正しくランボーへのオマージュである。「一人だけの軍隊」の冒頭にはランボーの詩句が引用されている(早川書房版)。・・・」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~cama/france/cafe/litrture/rimbaud.html より Orz〜
「・・・文学界では「早熟の天才詩人」などと言われ,もてはやされているランボーですが,ランボーの詩ははっきり言って「子供の書き殴った詩」にほかならないと僕は思います。後世に,映画界のアバンギャルドと言われたゴダールも,自作の映画内でモチーフとして引用した有名な詩「永遠」は,たとえばこんなふうです。
L'eternite'
Elle est retrouve'e.
Quoi? - L'Eternite'.
C'est la mer alle'e
Avec le soleil.
永遠
また,見つかった。
何がって?−永遠さ。
それは行ってしまった海さ
太陽といっしょに。
まあ,これだけ読んでもよく分からないですよね。はっきり言って,韻も踏んでいないし,何らかのリズムの規則性があるわけでもありません。フランスの詩にかぎらず,一般のヨーロッパの詩というのは,リズムあってなんぼのものですから,こういうのはいわゆる詩の範疇には入らない雑言なのです。
でも,この短い文と,行間の空間まで含めた全体から受け取るイメージというのはどうでしょう。きれいな韻を踏んだ詩もいいですが,この書き殴ったような本当に「乱暴な」言葉と言葉の組みあわせから,僕たちはなんとも言いようのない,深いイメージを抱くのです。
その新鮮なショックとイメージは,それまでの冗長なフランス詩にはないものを持っていました。そのため,当時ではランボーの詩はまったく評価されず,後世では,フランス現代詩のさきがけと,やたらともてはやされることになりました。ランボー以降の詩を「現代詩」と呼ぶ,と定義する学者も多いのです。
さらに,彼が詩を書いたのは17〜19歳くらいの間と言われています。これが,彼が「早熟の天才」と呼べれるゆえんです。その後,ランボーはぱったりと詩作をやめてしまったので,これを文学界では「ランボーの文学との決別」などと言って,これまたもてはやしています。
でも,ひるがえって考えてみると,この年代の少年がこうした詩というか言葉の切れ切れをぶつけることはよくあることじゃないでしょうか。意味もなく,むしゃくしゃしたり,怒ったり,泣いたり,その反動として詩をノートに書き殴ったりした経験はだれしもあるでしょう。結局,ランボーの詩もこうした青春のほとばしりに過ぎないのではないかと僕はよく思います。僕はランボーの詩が大好きなランボーファンではありますが,純粋に文学的に捉えた場合,ランボーは早熟の天才ではなく,青春だけに生きた少年詩人だったのだと,結論つけざるをえません。
でも,それだからと言って,ランボーの詩の評価が下がるわけでは決してありません。むしろ,彼の詩が少年期の書き殴った詩だからこそ,僕たちの誰もが必ず味わってきたであろう感覚だからこそ,彼の詩は強く僕たちの心を揺さぶるのです。そして,こうしたみずみずしい感覚を,こうした言葉の組みあわせによって表現するということ自体が,そのまま現代詩になっているのですから,ランボーがこの種の現代詩の先駆者だと言ってもいいのかもしれません。
確かにランボーのような詩人は希有な存在なのかもしれません。彼が詩を書いていたのは,17〜19歳くらいのころだけと言われていますから,まさに彼の作品は青春そのものです。そして,彼は自らの青春とともに,詩人であることをやめました。いえ,やめるより仕方なかったというほうが正しいと思います。この時代の心境を激しく書き殴って詩にしてきた若者は,自身が歳を取るとともに詩を作る対象を見失ってしまったのでしょう。若さゆえの暴走やためらい,怒りや驚きだけを表現の中心にしてきたランボーは,「地獄の季節」と呼ばれる詩集で,文学と「決別した」のではなく,「決別せざるを得なかった」のだと僕は思っています。
余談かもしれませんが,僕はランボーのことを思うとき,若くして亡くなったシンガーソングライター尾崎豊のことをかぶらせてしまいます。彼も,青春特有の怒り,嘆き,悲しみ,発散,そうしたものを一身に背負って,詩を作り,歌ってきた希有なカリスマ性を持つシンガーでした。昔風に言えば,彼もまた詩人であったのです。
青春の時代はだれにでもあります。そして,そのときしか味わうことのできない独特な感覚や感情も確かにあります。しかし,それは,あくまでもその時期だけに味わえる一過性の感情であり,長続きはしないものです。それが悪いとはいいませんし,そのやるせない感情自体を否定したりもしません。ですが,それを表現者として,表現の源泉として保ちつづけるのは非常に難しいことだと思います。その頃の感情は,はかないからこそ輝いているのであり,いつか終わりが来ることが分かっているからこそ甘く,せつなく,心を打つのです。だから,彼らは表現者として長く生きることはできませんでした。
ですが,それはそれでいいのです。文学というものは,いや芸術というものは,ときとして非常に過酷な運命を人に与えるものです。そして,その運命に巻き込まれたランボーや尾崎は,彼らの時間を精一杯生き抜き,そして光り輝く作品を残したのです。彼らは長く表現し続けることはできませんでしたが,その光り輝く一瞬を珠玉の言葉に残して,世を去っていったのです。
ランボーという少年詩人がかつていました。そして,その詩は,僕たち現代人の心を揺さぶる何かを持っています。彼の詩は,青春の嘆きや怒り,悲しみや驚きに満ちています。ときに荒々しく,ときに冷酷に,世の中を眺めるその視線には,大人たちが忘れてしまった新鮮な感動があふれています。
彼の詩はまさにロックです。燃え上がる熱き青春の魂です。こういう魂に共感できる人なら,ぜひ一読されてみることをおすすめします。」
むかし、彼の詩を読んでいたく共感し、憧れた記憶があります。そんな彼が急に詩をほっぽらかしてその対極とでもいえるような商人に身を投じたのがどうしても解せなくって、、、でも、わたしも大学の2,3年ごろまでいっぱい詩を書いてた時期がありますが、、、ぱたりと書けなくなっちゃいました。感性が失せたんだと思ったね。勝手に推測するに、、、彼も書けなくなったんだと思うんです。。。^^;
その理由?そんなの分からない、、、自分でもなぜだか分からない、、、子供みたいにみずみずしい、この世界を新鮮な驚きで見てた、見えてた心がいつの間にか消えちゃったとしか、、、それが、、、大人になったってことでもあるのかなって思ったり、、、だから、、、大人になるって何か大切なものが剥がれ落ちちゃう過程のことじゃないのかなって。。。^^;
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