アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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そのまんまです ^^; Orz〜

http://www.i-ise.com/jp/column/column_200507.htm より Orz〜
「能力とは素質×教育である 2005年7月31日 国際社会経済研究所 理事長 関本忠弘
「経営は人なり」と良く言われる。私から言わしむれば、経営は無論のこと人間の諸々の行動の成否は、それを構成する人間の質によって大きく左右されることは言を俊たぬ。特にその目指す成果目標のレベルが高くなればなる程、人々の能力に支配される。という事は、基本的には、中心的役割を果すリーダーほか主要人物の能力のレベルが決定的な要素となる。人は言う、「為せばなる為さぬばならぬ何事も為さぬは人の為さぬなりけり」と。
しかしながら、私の八十年に近い経験のおしえる所によると、為さんとして如何に努力してもその人たちの能力如何によっては必ず しも物事が成功するものでは無いことは明々白々の事実なのである。目標のレベルが高くなればなるほど、大変高い相関をもって上記の原理が当てはまるのである。
すなわち、別の言葉で言えば、対象とする問題を解決するに適した能力を保有しているや否やがKeyポイントなのではあるまいか。
しからば「能力」とは如何なるものか。私の経験によれば、能力=素質×教育(努力)である。超一流の棋士の出現の歴史を紐解く時、その多くは小学生の下級年度から碁石を握り、駒を差した人が多いのである。逆に言えば、成長後、超一流の棋士になった人の多くは小学生の下級生の頃からその素質の優秀さを認められ、勉学に励む機会があった人たちなのである。所謂、名伯楽の目に止まり、厳しく鍛えられる機会を持ち、努力をした人たちなのである。戦後のあの食糧事業の厳しかった頃に、全国を行脚して碁の素質のある子供を見出し、膝元で教育された木谷実九段は正に今日の碁界を育て上げられた功労者であり、最大の敬意を受けるに価する偉大なる人物である。私は今、碁界の例をあげて素質の重要性に触れた。しかし、これは単に碁界だけの問題だけではない。ピアニストの世界、さらには、先端技術創造の世界、さらには経営の世界においても、その素質の優秀さが芽を出し始めている年頃と内容はそれぞれ異にするといえども、当該分野における素質の持つ重要性は何等変わることはない。
その為には如何にして超一流の素質を持った人物をそれぞれの分野で見出すかという問題に帰着する。そのための第一の不可欠条件は、それぞれの分野において如何ほどの名伯楽が存在するか、第二の点はその目がねにかなう素質を持った人物がそれぞれの分野においていか程多数存在するかにある。この事実は今後の日本の将来にとって最重要問題なのである。この観点からしても素質をもった政治家を如何に見出し、その人材を如何に厳しく鍛えてゆけるかこそ22世紀の我が国の発展のために必要不可欠なポイントである。そのためには選挙民自身が痴呆であってはならず、透徹した目で能力をもった政治家を選択せねばならぬのである。これこそが我が愛する日本の将来のために国民一人一人が目差さなければならぬ務めなのである。以上                             」

その通りだと思う...
わたしがよく思うのは、、、仕事・職業の選択の自由はある・・・
だけど、悲しいかな、、、それに向き不向きもある・・・
だから、、、それぞれの仕事に向いてるかどうか・適性があるのかどうか教えてくれる伯楽がいてくれたなら・・・この世はどんなに適材適所という、もっと各人のとって相応しい・正当な社会になるような気がする...んだけど,,,いっぽうで、、、
努力してみなくちゃ、自分の才能がいかほどのもかも自分じゃわからないからこそ...
夢を持って各自奮励努力するわけだ...
さいしょから、先が見えたんじゃ夢も希望もなくなるし...
その意味からすると、、、伯楽役は地獄の閻魔大王にも似てるかな・・・?Orz...

http://www.iec.co.jp/kojijyukugo/vo69.htm より Orz〜
「伯楽の一顧
人物を見抜くことで有名な人の知遇を得て、登用の道がひらけることをいいます。伯楽は馬を鑑定する名人であり、売れない馬でも、彼が道で一寸振り返って見ただけで、価格が10倍になったと伝えられています。
伯楽は、性は孫、名は陽、「列子」や「准南子」のような老荘系の書物に登場していろいろ逸話を残しています。「世に伯楽あって、しかるが後に千里の馬あり」のように伯楽に見いだされないと、名馬も名馬となれない、というようなものもあります。
秦の穆公は、自分の部下で馬の鑑定の名人である伯楽を大いに尊重していたのですが、彼も老齢となったため、秘訣を子供に伝えておくように命じました。ところが伯楽は、「私の子供は凡人でその素質はないと思います。馬を外見からみるだけなら、形や筋骨などで分かるのですが、千里の馬という名馬となれば、外見上の顔・姿・格好からでは判別できないのです」として、その能力を備えた人物として九方皐という人を紹介しました。穆公は、喜んで、彼に名馬を堆薦するよう依頼したところ牝の黄色の馬を指定してきました。早速それを取りにやらせると案に相異してその馬は牡の黒毛の馬でした。公は怒って伯楽を詰問すると「馬を観ず、天機を観る」と返事したとのことです。はたして、この馬は千里の名馬だったと言います。
人物を見極めるのに、外貌にとらわれたり、表面だけから判断する人が多いようです。
丁寧な物腰の人や、明敏な反応をする相手と面接すると、「たいへん立派な人物です」などとすぐに気に入って登用する経営者が多いのですが、そのような判定では才能ある大人材を獲得することはできないでしょう。
人を見抜くコツは、伯楽の言ったように、顔・姿・格好というような外見だけではなく、よく話を聞き、その志を知らなければならないでしょう。また、それぞれ人間は、運、不運の星を持っており、天機という言葉であらわされるように、「ツキ」を呼ぶことができるかどうかも大きな要因です。
人材を見いだすのは、持っている知識や学歴、キャリアだけを見ないで、ヒラメキのような潜在的な資質や、可能性、将来性も読み取らなければならないでしょう。しかし、そのうえに、天機を読むということになれば、特に人物評価眼を持った人でなければ不可能です。
しかし、そのような人を見極める能力を持つ人はめったにないといってもよく、伯楽が子孫によくそのコツを教えてほしいと依頼されたとき断ったのはそのためです。
さらに注目したいのは、特別の能力のある人物を信頼し、穆公に推薦した事実です。「牝・黄色の馬」と「牡・黒毛の馬」との相異は、九万睾にとっては問題ではなく、その馬の持つ天賦の運を読み切って、自信を持って指定したのです。この事情を伯楽はよくよく見抜いていたと考えます。」

画像:『南米の忘れ雪』とも言える名馬ペパーミント(ピッペルミント)
umineko-world.jugem.jp/ ?page=1&cid=13 より Orz〜

木谷 実

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わたしは囲碁を打つものだから、彼の名前は本で知ってるし、タイトルホルダーを綺羅星の如く生み出した木谷道場のことも知ってる♪それは、錚々たるメンバーです。そんなタイトルホルダーを全国各地から、発掘(彼のお目がねにかなった子ども)し、自宅に住み込ませ、互いに切磋琢磨・鎬を削らせた結果がもたらした果実です。だから、名伯楽と呼ばれています♪ 彼が、天才であった間接証明でもありますね ^^v

画像:昭和8年(1933)、呉清源五段(左)と木谷実六段(右)は“新布局”を研究。記録をとっているのは安永一(中)。
画像:黒番の呉清源(21)、本因坊秀哉(59)に三三、星、天元の布石。

http://monjukai.exblog.jp/ より Orz〜
「 (1) 木谷 実は、大正末期から昭和にかけて、呉 清源と並び、日本囲碁界の双璧と
  称された棋士。呉 清源と共に、従来の常識を全く打ち破る新しい布石を生み
  出したことでも有名。
 (2) 木谷 実の特徴は、何と言っても日本囲碁界を代表する幾多の棋士たちを育て
  上げたことで、正に「名伯楽」といわれる所以である。木谷自身の大タイトルの
  獲得数こそ少ないが、いわゆる木谷一門、その多くが木谷 実の内弟子となって
  研鑽を積み、その後の日本囲碁界を背負っていく棋士たち、が保有する段位の数は、
  合計約380段(孫弟子を加えると500段以上)となっており、又日本の七大タイ
  トル獲得の延べ数では、全体の五割近くを木谷一門が占めている、という驚異的
  実績を残している。
 (3) 木谷 実は、早くから、当時(昭和初期)の交通事情の良くない中、全国を巡り、
  有望な棋士の卵を見つけ出す努力を続けていた。そうしてこれらの石を磨き上げ、
  育成し、棋道の発展に大きく貢献した。木谷は、鈴木為次郎に入門の為12歳で
  上京した時、一時大相撲の二所ケ関部屋に寄寓したことがあり、この時、後の第
  32代横綱・玉錦(当時18歳)と知り合い、二人の交友は生涯続いた。このことから、
  木谷 実は、大相撲に強い関心を持ち、囲碁が大相撲のように日本の国技となる
  ためには、立派な棋士を育てること、その為には、「部屋」の制度が基本となると
  考えたことが、木谷一門を作り上げることに結びついたのではなかろうか。勿論
  名伯楽となるためには、木谷自身の人格が第一であるが、その過程における美春
  夫人の内助の功についても筆舌に尽くしがたい。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/木谷實 より

「木谷 實(きたに みのる、1909年1月25日 - 1975年12月19日)は、囲碁の棋士。兵庫県神戸市出身、鈴木為次郎門下、九段。20世紀の棋士の中でも指折りの存在とされている。
若くして天才と呼ばれ、1924年に日本棋院が設立されるとすぐに参加している。そこで中国から来た呉清源と出会い、後に彼は友人でありかつ最大の好敵手となる。
木谷と呉は1933年から1936年ごろに「新布石」と呼ばれる革新的な序盤理論を発表している。彼らは1939年から「世紀の対局」とも称される「鎌倉十番碁」を打ったが、その結果は呉の勝利に終わっている。本因坊には3度挑戦して獲得は失敗するなど大タイトルには恵まれなかったが、新布石を初めとした新機軸を多数創案し、その信念に裏打ちされた独創的スタイルは碁界の尊敬を集めた。また全国から優秀な少年を集めて育成した「木谷道場」からは多くの大棋士が巣立ち、昭和後半のタイトル戦線をほぼ独占するほどの勢いを示した。その功績は計り知れない。
棋士の小林禮子は三女。毎日放送元アナウンサーでフリーアナウンサーの吉田智子は四女。
元国立長寿医療研究センターの木谷健一は長男。法政大学法科大学院教授の木谷明は二男。
・・・
木谷の棋風は生涯何度も変化している。低段時代は戦闘的な棋風で「怪童丸」の異名をとったが、五段時代に新布石を発表して位の高い碁に変化した(前田陳爾はこの時代の木谷を「史上最強の五段」と評している)。1936年ごろからは実利を重んじる棋風となって呉清源との十番碁を戦っている。療養からの復帰後は、先に地を稼いで相手に大模様を張らせて突入する戦法を多く採るようになり、「木谷流のドカン」と呼ばれた。いずれも印象的なスタイルであるが、中でも1933年からの「新布石」構想は革命的な布石として囲碁史に燦然と輝いている。
・・・
木谷は、多くの棋士を育てたことでも知られている。神奈川県平塚市の彼の実家において「木谷道場」を開き、彼の妻である木谷美春によって運営されていた。また梶原武雄が、いわば一門の「師範代」として厳しく彼らを鍛えたことも大きいといわれる。多くの棋士がこの道場で育ち、1970年代初頭から1990年代半ば頃までタイトル戦線を席巻した。現在孫弟子まで含めた一門のプロ棋士は50人以上、段位の合計は500段を突破しており、現代囲碁界の父と呼ぶべき存在である。主な門下生は以下の通り。
岩田達明
大平修三
大竹英雄
石田芳夫
趙南哲
趙治勲
金寅
加藤正夫
宮沢吾朗
武宮正樹
小林光一(木谷の三女・禮子の夫)
小林覚                                      」

画像:木谷定石(ツケサガリ)
http://www.pietsch-companion.com/igo_talk/archives/2005/08/post_333.html より Orz〜
wikiより
「木谷はツケヒキではなくこのサガリを多用した。やや手がかかり過ぎと見られて、他の棋士はほとんど使用しなかった。「木谷定石」といった場合、この手段を指すことが多い。」
「ツケヒキ定石の後は・・・堅くツグのが伝統的な手法であったが、木谷は・・・カケツぐ手段を開発した。・・・一路広くヒラけるメリットがある。」

カケツギ定石も彼が開発したものなんだ !!

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