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不覚にも...彼の作品は最後の絵しか知らなかった...^^;
以下のサイトで彼が「ルドンの黒」と形容されるほど黒の好きな「黒の画家」だったなんてことを知りました...^^;v Orz〜v
画像はすべて同サイトから拝借させていただきました〜m(_ _)〜v
画像:『眼は奇妙な気球のように無限に向かう』 1882年
画像:『夢のなかで』 「?:地の精」
画像:『笑う蜘蛛』 1881年
画像:『シーター』 1893年
画像:『オフィーリア』 1905~08年
画像:『キュクロプス』 1914年ごろ
http://lapis.blog.so-net.ne.jp/2008-06-27 より Orz〜
「・・・1879年、ルドン39歳の時、初めてのリトグラフ集『夢のなかで』が出版される。1881年には、木炭画を中心とする初めての個展をパリで開くが、一般の反応は冷ややかであった。しかし、ユイスマンスなどの一部の慧眼の士には絶賛される。デカダスの聖書といわれるユイスマンスの『さかしま』には以下のような一節がある。
これらのデッサンを前にしていると、あたかもそれとよく似たゴヤの『俚諺集』の幾枚かを前にしたときのように、またエドガア・ポオの物語を読んだときのように、名状しがたい一種の不安感が彼を襲った。ポオの読書に伴う幻覚と恐怖の印象とを、オディロン・ルドンは別の芸術に置き換えたのであった。 (J.K. ユイスマンス『さかしま』)
ユイスマンス『さかしま』においては、この『笑う蜘蛛』も主人公デ・ゼッサントの部屋を飾る作品の一つとされている。作中で、「?のまんなかに人間の顔のある恐ろしい蜘蛛」と描写されるこの絵は、一度見たら忘れることができない。「ルドンの黒」を代表する作品であると言えよう。ルドンは、「黒」について以下のように述べている。
黒は本質的な色だ。黒はとりわけその高揚感と生命力を、あえて言うなら、健全さの深い隠れた源泉からくみ取っている。黒の生命の内にこもった熱は、正しい食事療法と休息、いわば力の充溢にかかっているのだ。(ルドン「黒の本質」『私自身に』 『オディロン・ルドン 自作を語る画文集 夢のなかで』より)
【1890~1919 色彩の輝き】
やがてルドンの作品は鮮やかな色彩を帯びはじめる。なかでも1893年に描かれた『シーター』の青は美しい。1895年の書簡に、「私が少しずつ黒色を遠ざけているのは本当だ。ここだけの話だが、黒は私を酷く疲れさせる。」という一節がある。この作品は、ヒンドゥー教の神ヴィシュヌの化身であるシーターを描いたものだという。・・・
空と海が解け合った神秘的な作品である。
オフィーリアの入水は、世紀末の画家が好んで描いたテーマの一つである。若き乙女が花と共に水面(みなも)を流されて行くという死の場面は、蠱惑的な魅力に溢れており、世紀末特有の病んだ精神を引きつけたようである。このテーマはルドンにも魅力的だったようで、彼も何作か描いている。死は人にとっては避けることができぬものであり、洋の東西を問わず恐怖の対象である。しかし、そこに同時に甘美なものを見いだす場合もある。ルドンは、「死の記憶」という興味深い文章を残している。
くすんだ金色の風景、心をとらえるやさしさ、深い平和、沈黙、足下に降り積もった木の葉・落ち葉の郷愁を誘う香り、秋の庭、それは消え去った生命の記憶を蘇らせる・・・・・・悲しい喪の魅力。落ち葉下では死は甘く、過ぎ去るすべてのものと混ざり合い、私たちにさよならを言う・・・・・。
(ルドン「死の記憶」『私自身に』 『オディロン・ルドン 自作を語る画文集 夢のなかで』)
ルドンは、ギュスターヴ・モローの作品から多くの影響を受けている。・・・キュクロプスのガラテアに対するかなわぬ恋を描いたこの作品もモローの影響があったという。ルドンは、『私自身に』のなかで、モローを以下のように評価している。
ギュスターヴ・モローは、彼にふさわしい完全なる名声を得ていないし、これからも得ることはないだろう芸術家である。彼の精神のすばらしい特質と描くという芸術の実践の中で示された洗練さは、現代美術の世界の外に彼を位置づける。
(ルドン「モローとドラクロワ」『私自身に』 『オディロン・ルドン 夢のなかで』より) 」
ルドンの作品も特異な感覚ですよね...
ピカソの「青の時代」といい...この世界と格闘する仕方は十人十色以上の...百人百色...♪
絵画も音楽も思想も数学も囲碁も...いつも新鮮な切り口を開けて人を魅了する...^^v
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