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息子がバーゲンで掘り出し物があったって買ってきた♪
なんでも...1780円だったのが...100円均一でのクリアランスセールだったらしい...^^
これから...物が売れなくなったら...いろんなところでこんな投げ売りが始まるのだろうかしらね...?
お金持ちが...長い目で見たらますます資産を増やせるというシステムになってるのがよくわかる...
紀伊国屋文左衛門の話を思い出した・・・^^
画像:紀伊国屋文左衛門
000000.000000.blog.zmapple.com/ 2005-09.html より Orz〜
http://ja.wikipedia.org/wiki/紀伊國屋文左衛門 より
「紀伊國屋 文左衛門(きのくにや ぶんざえもん、寛文9年(1669年)? - 享保19年4月24日(1734年5月26日)?)は、日本の江戸時代、元禄期の商人である。元姓は五十嵐氏。名は文吉。俳号は千山。略して「紀文」と呼ばれ、「紀文大尽」と言われた。生没年もはっきりしないなど、人物伝には不明な点が多く、半ば伝説上の人物である。「架空の人物である」とする説もあるが、実在したとする説が主流である。・・・
ミカン船伝説
文左衛門が20代のある年、紀州は驚くほどミカンが大豊作だった。収穫されたミカンを江戸に運ぼうとしたが、その年の江戸への航路は嵐に閉ざされていた。江戸へ運べなくなり余ったミカンは上方商人に買い叩かれ、価格は暴落した。当時江戸では毎年鍛冶屋の神様を祝う「ふいご祭り」があった。この祭りでは、鍛冶屋の屋根からミカンをばら撒いて地域の人に振舞う風習があったが、紀州から船が来ない事でミカンの価格は高騰していた。
紀州では安く、江戸では高い。これに目をつけたのが文左衛門だった。早速文左衛門は玉津島明神の神官で舅の高松河内から大金を借りてミカンを買い集め、家に残ったぼろい大船を直し、荒くれの船乗り達を説得し命懸けで嵐の太平洋に船出した。大波を越え、風雨に耐えて何度も死ぬ思いをしながら、文左衛門はついに江戸へたどり着く事が出来た。この時の様子が「沖の暗いのに白帆が見ゆる、あれは紀ノ国ミカン船」とカッポレの唄に残った。
ミカンが不足していた江戸でミカンは高く売れて、嵐を乗り越えて江戸の人たちの為に頑張ったと、江戸っ子の人気者になった。大坂で大洪水が起きて伝染病が流行っていると知った文左衛門は、江戸にある塩鮭を買えるだけ買って先に上方で「流行り病には塩鮭が一番」とデマを流し上方に戻った。デマを信じた上方の人々は我先にと塩鮭を買い求め文左衛門が運んできた塩鮭は飛ぶように売れた。紀州と江戸を往復し大金を手にした文左衛門は、その元手で江戸に材木問屋を開き、江戸城をも焼いた明暦の大火の時には木曾谷の材木を買占めて一気におよそ百万両を手にした。こうして文左衛門はしがない小商人から豪商へと出世、富と名声を掴んだ。
晩年
しかし全財産をつぎこんだ十文銭の鋳造事業の失敗により、以降は乞食同然の生活となり哀れな晩年を送った、と言われている。 」
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