アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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問題3675(友人問)

格子上の次の A~E の5点に友人たちがそれぞれ以下のような人数います。
A:(1,7) に3人、B:(2,1) に2人、C:(3,5) に1人、D:(5,3) に2人、E:(7,2) に5人。
これから、全員が集合することになりました。
全員の移動距離の総和を最小にする地点は以下のどこにすればよいでしょうか?

1. (4,3) の地点
2. (5,2) の地点
3. (5,3) の地点
4. (6,3) の地点
5. (6,2) の地点

















































































解答

・わたしの

地道に...

(x,y)とする...
3|x-1|+2|x-2|+|x-3|+2|x-5|+5|x-7|...
x=4で...9+4+1+2+15=31
x=5で...12+6+2+10=28
x=6で...15+8+3+2+5=33

3|y-7|+2|y-1|+|y-5|+2|y-3|+5|y-2|
y=2で...15+2+3+2=22
y=3で...12+4+2+5=23

けっきょく...(5,2)


もっと論理的に出せないのかなぁ...^^;?

・友人からのもの

各地点からの移動距離の総和を s とする。

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たとえば I 図の位置のA,B に m,n人 (m > n)がいるとき、s を最小にする地点は X なら、s=am+bn だが、m > n なので、Aのときが最小になる。このことは、距離 aとb の値に関わらず、人数の多い地点がs を最小にすることを意味している。

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II 図のように3つの地点がある場合の s を最小にする地点は、人数が最大の Cではなく、Bです。なぜなら Aの2人が Bに移動すれば 6人になり、5人を上回るからです。ただし、もし Cの方の人数が 7人であれば、6人を上回るので s を最小にする地点は Cです。

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では本問。III 図は横方向に見たものです。AとBがCに移動すると6人。EがDに移動すれば7人。したがって s を最小にするのは Dの地点です。(x座標が5)
IV 図は縦方向に見たものです。AとCがDに移動すると6人。BがEに移動すると7人。したがって s を最小にするのは Eの地点です。(y座標が2)
よって、 s を最小にする集合地点は (5,2) の格子点ということになります。

♪...なるほど...理解できるけど...すぐに気付けない...これって...実用的な問題ですよね...^^v

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問題3674・・・算数にチャレンジ!! Ver3 http://arot.net/challenge/ より Orz〜

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図は、一辺の長さが29cmの正方形を12個の長方形に分割したものです。
正方形の縦の辺は、頂点Aに近い方から順に1:2:3:4に分けました。
正方形の横の辺は、頂点Aに近い方から順に1:2:3に分けました。

では、12個の長方形のまわりの長さの和は何cmでしょうか。





































解答

・わたしの

(5*2+4)*12=168 cm
でいいですよね ^^

茶室の椿事...

茶室の椿事
良寛は時おり茶会に招かれることがあった。今でも、もとは解良(けら)家にあったという良寛在世のときからの茶室が原田家邸内に移築保存されている。・・・

http://ryoukankai.up.seesaa.net/zenkoku/haradake-tyasitu-thumbnail2.jpg栄重(よししげ)の『奇話』二十七段が描いたその茶会は、いわゆる濃い茶で、ひとつの茶碗に盛られたドロドロの緑茶を口で小刻みに吸って適度に飲み、次にまわす作法である。ところが良寛は、自分のところにきた茶碗をガブリと飲み干してしまった。しかし、良寛の次にはまだ客が控えている。
                                  原田家茶室
それに気づいた良寛は、その口に含んでいた茶を碗に吐き出し、次の客にまわしたと。次席の客はどうしたか。ナムアミダブツと念仏を唱えてそれを飲んだ、と後に良寛が栄重に語って聞かせたという椿事(ちんじ)・・・ http://ryoukankai.up.seesaa.net/zenkoku/tyasitu-naibu-thumbnail2.jpg良寛はただ反射的にか、口に含んだ茶を碗に吐き出した。次客は、良寛のルール違反を克服するのに念仏をもってしたというのは、どこかほろ苦くて、おかしみがある。それに続いて、同じ茶席での奇行は『奇話』二十八段にある。客の居ならぶ茶席で良寛は、鼻の穴に指をつっこんで鼻くそを取り、それを指で丸め、気づかれないようひそかに自分の席の右側に置こうとした。良寛が何をしているかは、狭い茶室の中ではお見通しだ。右側の客は良寛の右側の袖口を引き鼻くそを置かせまいと制止する。右側がまずければ左側に、と持ちかえて左側に置こうとする。左側の客も袖口を引いて置かせまいとする。無言の拒絶にあった良寛は、仕方なくその鼻くそを自分の鼻の穴に戻して置いたという滑稽な話。濃い茶を飲み干したのは、不注意でついつい過ったのだという申し開きの余地は十分にあるが、同じ席での鼻くそ話を聞けば、あきらかに良寛は茶室でおどけを演じているとわかる。これは何かの寓意を示すため、わざとなした態度であったにちがいない。それは何の寓意だったか。
そのヒントは、茶の湯の歴史をひもとけばつかめるかもしれない。ただの清涼飲料であったお茶が、堺の商人から出て宗匠となった利休
(りきゅう)により、格式も高い「わび・さび」の風流にまで変容して既に五百年になる。だから茶の湯を点(た)てるとは「茶芸」ではなくして「茶道」なのである。歌の道と同じようなレベルの高い茶の道は利休によって確立されたのである。茶道とは単なる喫茶を越えた、多分に美意識を伴う精神の儀式というものになり変わった。でたらめで筋道が立たず、異常に程度のひどいことを「無茶苦茶」の漢字をあてて表現する。これは精神の理路を正すべき茶の湯の効用を裏側から言いあてた例だが、これを見ても茶道の何たるかがナットクできる。
余談になるが、利休の茶の点前
(てまえ)にはキリスト教のミサ[聖餐式(せいさんしき)]の手順を摂り入れてある。これはあまり知られていない。茶道こそ日本の伝統的なものと固く信じて疑わない日本人なら、茶道がキリスト教の影響を受けるはずはないと思うだろうが、その双方の儀式を知る人ならばハタと思いあたるところはあるはず。
利休の前に茶人なく、後にも茶人なしといえるほど、利休の茶にはほかの誰にも真似のできない意外性を取り入れている。利休の「七哲
(しちてつ)」と呼ばれる、高山右近(うこん)・蒲生氏郷(がもううじさと)・細川三斎(さんさい)・古田織部(おりべ)らの七人の弟子は皆すべて武人で、キリシタンに関係が深かった。それらの弟子にとり囲まれていた利休は、神秘的なミサの儀式をたちまち茶の湯に応用した。信長とその後の秀吉に仕えた利休の茶の湯は、政治や権力と密接にかかわり、もはや天下びとにとっても政治的な戦略の道具としてなくてはならないものになった。飲みまわしの濃い茶という形式をはじめたのは利休だといわれる。濃い茶の飲みまわしは「一味同心」の感情をよびさます。お茶でなくとも「一味神水」のまわし飲みは、農民一揆など連帯感を強める儀式として日本にも古くからある。
静寂の境に集まった者たちは団結を誓ったのち、次なる飛躍をめざして踏み出す境界に茶の湯の意義がある。この安息と緊張という精神の節度なしに茶の湯の効用というものはなきに等しい。それはちょうどキリストの「最後の晩餐」を儀式化し、パンとぶどう酒を飲みまわすミサの息づまる緊張と同じくらいの緊張を求められた。
日本人にとってキリスト教は新しかったが、すでに二千年の歴史をもつ。茶の湯はたかだか五百年。それでも利休は、日本の数奇を伝統にした「不易」なるものの中に、キリスト教の儀式を「流行」として摂り入れ、それによって新しい様式を生み出した。南蛮渡来の文化は新鮮で刺激的でもあったからだが、そこに利休の創造性の秘密がひそんでいる。
わが良寛は「茶人くさきはなし」を嫌って「戒語
(かいご)」に書きとめている。茶の湯も、利休が作り出したときのような緊張感もなく、単なるお稽古ごととして形骸化し、ただの形式作法に流れていることを忌避したい気持ちが強かった。濃い茶の飲みまわしは茶室に参集した者たちの強い連帯の絆を求めるものである。しかし、吐き出したお茶が汚いからとて「ナムアミダブツ」の念仏で飲むとは心外なこと、という思いがあったろう。書家の書、歌人の歌、料理人の料理をきらったほどの良寛だもの、茶の湯の由来も知らず、軽い気持ちで列席する人には一泡ふかせてやろうとしたのかも。」

*人にとって必要に迫られ作られた、人のためのルールでしかなっかたはずだのに、知らぬ間に人はそのルールを金科玉条のように奉ってる/縛られててしまってる...そんな逆転の構図に気付けよって...そんなの滑稽だろって...ことですよねぇ?
茶道も葬式仏教も政治も...医者も看護師も公務員も...無茶苦茶になってやしないだろうかって...喫茶/喫コーヒー/喫煙しながら...思いを馳せる余裕が欲しいもの...^^;...
すっかり良寛さんに魅せられてしまってます...^^
こんな境地がすこしわかるようになった気がしてる...恐れ多いけど...Orz~


〜無言の感化〜
どうかすると人はムダ口が多く、意味のない話題で饒舌(じょうぜつ)になってはいないだろうか。何を考え、どう思っているかは、口を開いて表明しなければ伝わらないとしても、ただしゃべるだけ、書くだけで、そのまま通りすぎてしまっているから、現代は言葉に対する信頼がうすくなってしまった。本が売れなくなって出版不況だと嘆かれるけれど、場あたりの言論による無責任な言葉の氾濫が、読者から愛想づかしをされていると見るべきなのである。・・・
しかし一方で現代の若者の、とりわけ男の子が口ベたで話題不足だというのも深刻な現実となっているという。女の子とデートしても、たちまち話すことが尽きてしまい、次からは忌避されて続かなくなるのだ。どうしてこんなことになってしまったのか。
饒舌であれ、口ベたであれ、そこに共通するのは生きる充実感を喪失してしまっているというのが、わたしの観察するところである。人としてどう生きたらよいのか、そのたしかな座標軸の手ごたえを見失っているから、言葉だけ宙に浮いたような虚しさが漂っているのだ。

http://ryoukankai.up.seesaa.net/zenkoku/ryoukanzo-ryusenji-thumbnail2.jpg良寛は、言葉づかいには慎重な人であった。あふれるほどの思いがあっても、時と所と場合を選んで的確な発言を心がけていた。どちらかといえば寡黙(かもく)だったことが知られている。禅宗では、いわく言いがたいところに真意があるというのを、「不立文字(ふりゅうもんじ)」とか「教外別伝(きょうげべつでん)」とよんでいる。そうだとしても良寛のはむしろ、良寛に特有のスタイルがあるように見える。
良寛をよく知る人、解良栄重
(けらよししげ)の『良寛禅師奇話』四十八段に、良寛が解良家に泊まりにきたときの様子を書いたものがある。
良寛がやってくると、主人と家族や使用人たちが、みんな和やかに睦みあい、和気あいあいの気分に満たされる。しばらく逗留して良寛が帰ったあとも、数日のあいだ家内の者みな明るく打ちとけているのが常だった。炉端で、良寛と一晩でも語れば、心の底からしみじみとすがすがしい心境になったという。それは良寛が、わざわざ経典を引いてお説教をたれたり、善行
(ぜんぎょう)を積めとか陰徳(いんとく)を施(ほどこ)せと言ったわけではない。台所のカマドの火かげんを見たり家事を手伝ったり、折を見て奥座敷でしずかに坐禅を組んでいただけ。口にする話題といえば、詩歌がどうとか、人間の道を説く訓話でもなく、日常の立ち居ふるまいに必要な平凡なことだけで、どういわれたからどうというのでもない。
それでも解良家の大家族にそんな影響力をもっていたというのは、良寛の内奥に輝いている、言い知れぬ徳の力というのだろうか、接する人に何ともいえない感化をおよぽしているもののようだった、と。・・・
栄重の『奇話』五段には、良寛はつね日ごろから「自分は客あしらいというものが嫌いだ」とよく言っていたという。五合庵(ごごうあん)に客が来ても、ちゃんとしたもてなしができないので、客あしらいの気づかいが大嫌いだと表明していたことが知られている。
そんな不器用で寡黙な良寛を尊敬し、下へも置かぬ態度で接待した解良家のありようも好もしい。それにしても良寛という人の存在感がそういう迎えられかたをして、ちっともおかしくないということに、わたしは驚きをかくせない。
こうした「無言の感化」をおよぼす良寛という人の存在感は、どこから出てきたものであろうか。それは良寛が、肚
(はら)の底から社会正義に燃え、そのためには身を捨てる覚悟をもって生きていたからである。耳あたりがいいだけの饒舌と、本心は利己主義なのに、あたかも社会正義に生きているかのような多弁によって飾り立てた口舌の徒=知識人のずるさを根底から排除していたともいえる。それは当時の寺の住職に納まり暖衣飽食に甘んじていた僧侶と、はっきりちがう無住無冠の生きかたをみずからに課したのを見てもわかる。

何ゆゑに 家を出でしと 折ふしは
心に恥ぢよ 墨染の袖

良寛は、何のために出家して僧となったか、時折は自分の着ている墨染の衣の意味を考えて自分の心を恥ずかしく思え、と自省をうながす歌を詠んでいる。
出まかせのりっぱな言葉による多弁と、無責任な言動は他人に迷惑をかける。それが迷惑かどうか自分の知ったことではないと思うなかれ。その前に、むしろ自分自身を損
(そこな)っていると知らねばならない。そのような確固とした自覚があった。
良寛ほど「言行一致」ということを考え抜き、それを徹底して実践した人は少ないと思う。それゆえにこそ、無言のなかにもオーラの輝きがあったのである。

人の善悪(さが) きけば我が身を 咎(とが)めばや
人は我が身の 鏡なりけり

人のよくない行いを聞いたなら、自分に落度があったのではとわが身を反省し責めてみよ。自分に対する人の態度は、わが身の鏡なのだから、と決して他人事としてすませなかった。
この世はすペて、ブーメランのようなものである。どんなにひどい悪業も、人知れずなした美徳も、時間の差はまちまちだが、必ずそれを振り出した自分の手元に帰ってくるものである。良寛はそれを先取りしていた。」

*「心に恥ぢよ 墨染の袖」って...自分の仕事/ミッションは何なのかっていう初心のことだと思ってる...別に黒い僧衣を纏ってなくたっていいですよね...? 
わたしはときどき白衣を脱いで仕事してる...^^;...でも...
心にはちゃんと白衣は被ってるつもり...^^;v
そういうことですよね...? 良寛さんにお尋ねしてみたいわたし...Orz~

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問題3673・・・ヤドカリさんのブログ http://blogs.yahoo.co.jp/oka_yadokary/16144611.html より Orz〜

図のように、厚さ 1cm の木の板で容積が 108cm3 の枡を作ります。
枡を作る材木の体積が最小になるときの、その材木の体積は?
枡に液を満たしたとき、液の部分も全体も正四角柱になるものとします。






































解答

ライブ問です...
under consideration...^^;

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