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画像:http://dharma.oddiyana.com/?page_id=16 より Orz〜 「マンジュシュリー(文殊菩薩) 文殊菩薩は智慧の象徴として、右手に経典を、左手に刀を持ち、人々の無明や迷いを切断します。文殊菩薩の智慧とは、仏教哲学の真髄である空性(般若)を意味し、無明を断ち切ることで、この智慧を得ることができます。」 *たぶん右手と左手反対でしょね?...サウスポーでなければ...剣はやっぱ右手だよね ^^ ちなみに... 画像:http://www4.ocn.ne.jp/~henjyou/details1.html より Orz〜 「普賢菩薩(ふげんぼさつ) 普賢菩薩の「普」は、あらゆるところに行き亙るという意味。「賢」は、すぐれて善いという意味であり、悟りを求める心である菩提心(ぼだいしん)が、身・口・意に亘ってすぐれて働くことを表す。『華厳経』では、普賢菩薩が十大願という広大な誓願を立てて衆生救済のために働くことが説かれる。」 ちなみに...わたしの好きな菩薩像は...♪ 画像:http://www.koyasan-u.ac.jp/mikkyobunka/blog/diary.cgi?date=20100916 より Orz〜 弥勒菩薩坐像 エロイじゃないですかい!! ^^v http://ja.wikipedia.org/wiki/菩薩 より 「菩薩(ぼさつ)、梵名ボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व [bodhisattva]の音写)は仏教において、成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者。 後に菩薩は、修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くということで、庶民の信仰の対象となっていった。 ・・・ 日本における菩薩 日本では、仏教の教えそのものの象徴である如来よりも、身近な現世利益・救済信仰の対象として菩薩がより崇められてきた。主な菩薩として、母性的なイメージが投影される観音菩薩、はるか未来で人々を救う弥勒菩薩、女人成仏を説く法華経に登場し女性に篤く信仰されてきた普賢菩薩、知恵を司る文殊菩薩、道端にたたずみ最も庶民の身近にある地蔵菩薩などが、尊崇されてきた。 また、神仏習合の一段階として、日本の神も人間と同様に罪業から逃れ自らも悟りをひらくことを望んでいるという思想が生まれた。それに基づき、仏道に入った日本の神の号として菩薩号が用いられた。八幡大菩薩が代表的である。さらに、高僧の称号として「菩薩」の名が朝廷より下されることがあった。例えば行基菩薩などである。 菩薩の像容 仏像で表現される場合、菩薩は古代インドの王侯貴族の姿で表される。これは出家前の釈迦をモデルとして描かれたものである。髪は結い上げられ、結い残した髪は垂髪(すいはつ)といって肩を覆う。額には如来と同じく白毫がある。 下半身には裳(も)あるいは裙(くん)と呼ばれる巻きスカート状の下衣を纏い、左肩と右腰を巻くように条帛(じょうはく)と呼ばれるたすき状の飾り布を掛ける。 さらにその上に宝冠、瓔珞(ようらく。 ネックレス)、臂釧(ひせん。 アームレット)、腕釧(わんせん。 ブレスレット)、足釧(そくせん。 アンクレット)、耳璫(じとう。 ピアス)、天衣(てんね。 肩や腕に掛ける細長い飾り布)といった装身具を身につける。 また、光り輝く身体を表現する光背という装飾品を背後に背負う。 さらに菩薩は蓮華座というハスの花を象った台座の上に座る、または立つ。一部 禽獣座(きんじゅうざ)といって動物の背に乗る場合もあるが(普賢菩薩や文殊菩薩など)、この場合でも動物の背の上に蓮華を載せ、その上に座る場合が多い。」 *『髪は結い上げられ、結い残した髪は垂髪(すいはつ)といって肩を覆う』!!...これだ♪ あと...ネックレス、アームレット、ブレスレット、アンクレット、ピアス、...今と変わっちゃいないじゃんかぁ〜♪ 算数好きなもので...算数トライアスロンにエントリーしたんだけど...どうしてもわからない問題が残ってる...^^;...一つは図形...もう一つは組み合わせ...どちらも解けそうで解けないツンドラ地帯...^^ 頭の温暖化で埋まってるマンモスの姿が見えればいいんだけど...? 学会発表の練習も後回しにして取り組んだ...と過去形...もうさすがに諦めつつあるわたし... 文殊の知恵が欲しい〜〜〜ってな具合に使えばいいんだろか...^^;...? 発表までカウントダウンになって来た... 尻から煙が上がって来た... まるで...のんびり尻をあげて動く恐竜のよう...^^; わたしゃ...絶滅種かもしれないなぁ... 時間がこのまま停まればいいのにって思うことが多いけど... 時を止める少女のように...? 楽しい時間はあっと間に過ぎて行っちゃう... だから...そう思っちゃうわけだよね... で...過ぎてしまったら...回顧しちゃう時間に襲われる... そんな時間なんて不要だし、そんな時間はもったいないっていうのに... 楽しかった時間を回顧/懐古できるならまだしも...シェーン come back !! みたいな回顧... もう二人の4次元世界での交差は過去のものだっていうのに... 季節外れの黄砂のように再び邂逅できるのならまだしも...^^;... 4次元空間を飛んでる鳶が人だとしたらば... 飛翔のスピード上げてターゲットを捕まえることも出来そうに思えたりするけど...どうなんだろ...? わたしは...いまだ実態じゃない幻影を追い続けてるんだろか...??? だとすると...追っても追っても無為徒労...?...老いちゃうだけなんだろね...^^;... その行為が例え不毛だとしても追い続けたい衝動には勝てないわたし... 色即是空とはいえ...空即是色とも言ってる...それが生きてることそのものなのよね...? 読売新聞 2010/11/14 よみうり堂 本 欄より Orz~ 『自我の源泉 近代的アイデンティティの形成 チャールズ・テイラー著』評・片山杜秀(音楽評論家・日本思想史研究者) 「「人命は地球より重い」。かつて福田赳夫首相はそう述べた。日本国憲法も個人の尊厳と人格の絶対を基調としている。福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という名言をのこした。とにかく人間は人間様なのだ。みんなが等しくものすごく偉い。日本に限らず近代世界の常識だ。誰がそんなことを拵(こしら)えたか。本書によればデカルトやロックやカントという。人間は等しく偉大な理性がある。道徳律にしたがい、善悪を判断できる。ひとりひとりが神にも匹敵する知性だ。だから偉い。この常識に著者は異を唱える。デカルトの『精神指導の規則』やロックの『人間知性論』は、人間を機械になぞらえすぎていないか。扱い方を誤らねば誰しも理性を満遍なく発揮できる?そんなことがあるか。著者は考える。人間精神は機械のように、最初から出来上がってはいない。説明書通りにすれば一丁上がりではない。大切なのは時間だ。長い人生に様々な経験を重ねて迷い続け、ついに真の理性に触れられるかどうか。人間なんてその程度。そこで著者の共感するのは、ルソーの『エミール』やモンテーニュの『エセー』やプルーストの『失われた時を求めて』 。どの本にも明快な結論がない。自己省察や感想が続くばかり。ああ言えばこう言う。人間の真実はマニュアルにならない。自我の源泉は道徳や善を求め彷徨(ほうこう)するところにある。ところが、デカルトらには彷徨し成長する時間の思想がない。人間を完璧な神になぞらえ、最初から十分な理性があって当然と思っている。間違いだ。人間には、彷徨の経験の度合いによって、上下貴賤がある。そして魂を賤から貴へと常に鍛錬してゆく義務もある。その義務を放棄している人間に権利も尊厳もへちまもない。人間は、はなから人間様ではない。錯覚するな!自由主義と個人主義の上に居直り、奢り高ぶった現代人への警告の書。・・・」 *たしか...カントは「純粋理性批判」って書物を著してたはずだけど...?
わたしは...この意見には与できない...Orz... だって...生まれながらの才能(gift)ってのがあるわけ...いかに彷徨しようとも、到達できる度合いはそれで左右されちゃうってことは気づいてるでしょ?...誰もがチョモランマにゃ登頂できない...!! そもそも、彷徨できることさえもが...天賦の才能かもしれないんだとしたら... そのことをもってして、人の上下/貴賤を決めつける基準にしちゃいけないし...できるわけないんだよ...ね...^^;?... |
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2010年11月14日
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今気になってるものをごちゃ混ぜに...♪ |

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問題3909・・・浮浪の館 http://www.geocities.jp/hagure874/ より Orz〜 解答 上記サイトより Orz〜 同じです♪
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