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「小町の美しさに魂を奪われた深草の少将は、小町の愛を強要するが、小町は百夜通って満願の日、晴れての契りをむすぶことを約した。少将は99日まで通い、最後の晩、大雪のため途中で凍死してしまうのであった。・・・
深草の少将の住まいは墨染欣浄寺(ごんじょうじ)
当地は昔深草の少将の屋敷があったところと伝えられ、池の東の藪陰の道は「少将の通い道」と呼ばれ、訴訟のある者はこの道を通ると願いが叶うといわれている。・・・
謡曲「卒塔婆小町(そとばこまち)
四番目物 特殊物 観阿弥原作 世阿弥改作
あらすじ 高野山の僧が仏教に出会った喜びを述懐しつつ都へ上る途中、鳥羽の辺りで老醜を恥じ、都を逃れた乞食の老女に出会う。朽木と思い倒れた卒塔婆に腰掛けている老女を教化しようと卒塔婆の功徳を説く僧。ところが老女は僧の言葉に反論し、迷悟は心の問題であり、本来無一物と気づけば仏も衆生も隔たりはないと論破する。教化するつもりが逆に言い負かされた僧は三拝する。僧に名を問われた老女は小野小町と答える。突然、小町は狂乱し「小町の許へ通おう」と叫び「人恋しい」と訴える。四位少将の霊が憑いたのだ。そして少将の怨霊は百夜通いのさまを繰り返す。やがて憑いた霊も去り、小町は後生安穏を願う。・・・
深草少将について
この深草の少将という人物は、正史にその名をとどめていないと言います。それで、後の僧正遍昭(右近衛少将、従五位上 良岑朝臣宗貞)が深草の少将に一番近い人物といえる・・・
僧正遍昭(816〜890)のこと
天つかぜ 雲の通い路 ふきとじよ
をとめの姿 しばしとどめむ
『小倉百人一首』に有名なこの歌の作者が僧正遍昭です。この歌の意味は「天女を迎えに来る雲の道を閉ざせ。天女のように美しいこの未通女(をとめ)をいましばし私の元に留めさせよ」という意味で・・・「五節の舞」は11月大嘗祭新嘗祭の辰の日に奏せられる少女の舞で、舞姫は5人でした。小町はこの五節舞姫であったと伝えられており、この歌の「をとめ」は小町ではないかと言うのです。この宗貞がなぜ僧になったかというと、自分が使えていた「仁明天皇」が崩御した時に少将宗貞は姿を消し比叡山に隠れ、出家したそうです。そのくらい君に忠心を抱いていたということになるようです。そしてこれが墨染桜の話につながります。その話を細川幽斎から聞き感動した豊臣秀吉は墨染桜寺を保護するわけです。欣浄寺と墨染桜寺はすぐ近くです。」
いい話ですねぇ♪
「伏見区・墨染にある墨染寺(ぼくせんじ)の墨染桜です。墨染寺は通称「桜寺」とも呼ばれていますが、その名前の由来はこの「墨染桜(すみぞめさくら)」で、地名もここから付けられました。・・・純白の花びらがほんのり薄墨色に染まっているかのように見えます。ソメイヨシノなどの桃色がかったサクラと比べると違いが良く分かります。」
「「墨染め桜」:平安時代、上野岑雄(かむつけのみねお)が友人の死を悼み、「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」と歌ったところ彼の悲しみに感じ入った桜が喪に服すように灰色がかった色に咲いたという伝説から。実際に淡墨桜と呼ばれる桜が岐阜県本巣市に現存する。」
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「桓武天皇の孫という高貴な生まれであるにもかかわらず、出家して天台宗の僧となって僧正の位に昇ったこと、また、歌僧の先駆の一人であることなど、遍昭は説話の主人公として恰好の性格を備えた人物であった。在俗時代の色好みの逸話や、出家に際しその意志を妻にも告げなかった話は『大和物語』をはじめ、『今昔物語集』、『宝物集』、『十訓抄』などに見え、霊験あらたかな僧であった話も『今昔物語集』や『続本朝往生伝』に記されている。」
画像:葛飾北斎、「小野小町像」
わたしは歌は詠めないけど...^^;
いつも思ってるのは...天女さまがピンポイントでわたしのところに舞い降りて下さるように願ってる♪...精度悪いんじゃないって...^^;...Orz〜...
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