アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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詠み人知らず...

久々に患者さんの作られた歌を見せていただいた...

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「早く逃げろ」迫る津波に叫び声あっと呑まれる現世のこと

年齢を気にせず生きんと決めたれば老いの命に夏陽燦々

乙女心思わす紫陽花七変化ひと日降りしく雨に華やぐ

懸崖(*けいがん)の朝露光る朝顔はひと日の始まりラッパ吹くごと

花の春夏はわだつ海秋紅葉雪深き冬季節はめぐる

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3番目がいつまでも乙女心であろうことの証と思える歌ね🌸
年齢を気にしたこともない/気にしなきゃいけない理由がわからないわたしだから...いつも暑い夏は好き ^^
津波は押し寄せてるけど見えない死の象徴...襲われたらだれも逃げられない...現世ってそれまでがすべて...
だからこそ...自分を生きるしかないし...有限の時間じゃみんな未完成のままで往く...Orz...


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東日本大震災では地震で亡くなった方より、津波にさらわれて亡くなった方が大半をしめています。それではいつ来るのか? 地震の後、数十分の猶予があると言われています。しかしここで気をつけたいのが第一波が最大の津波ではないということ。東日本大震災では地震から2時間半後に最大津波が来た地域もあり、それにより亡くなっている方も実際にいるのです。今回の津波は過去最大級で23メートルと観測されている地域がありました。鉄筋コンクリートの建物でも4階を超え、屋上まで波が押し寄せています。これまでの3階以上に避難する、という避難訓練が行なわれてきましたが、今後は6階以上に避難するような方向になるのではないでしょうか。海抜40メートル以上の高台に逃げてください。また逃げる際に車を使って逃げるのは死亡率を高めます。それは渋滞にはまって身動きが取れなくなり、津波に飲み込まれたという方が実際多かったからです。もし徒歩で行ける範囲に高台があるのなら徒歩で逃げる方が賢明なのです。
東日本大震災の津波被害を受けた地域の津波の高さの計測が行なわれました。岩手県宮古市では、津波の高さを示す遡上高が38・9メートルに達したことが東京海洋大学の調査でわかっています。これは1896年の明治三陸地震により同県大船渡市で確認された38・2メートルを上回り、国内最大規模の津波と認定されました。他にも宮古市の田老地区で37・9メートルの遡上高が確認されています。この事からも最低海抜40メートル以上に逃げてください。もしかしたら更に大きな津波が来る地域があるかもしれません。あくまで40メートルは目安にして、更に高いところまで逃げましょう。津波にさらわれると、浮遊物にぶつかり、骨折して、溺れてしまいます。助かる助からないは時間との勝負です。日頃から防災グッズを用意しておくのはもちろんのこと、どこに逃げれば安全なのか、事前にご家族で決めておいた方がいいでしょう。震災後は当面電話が通じません。

*去年このきりもみ状態を体感したなぁ...自分じゃどうしようもないことにいつかみんな遭遇する...助かるかそうでないかは...自分の力の及ばないところで決まってる...
わたしゃ...ご先祖様やら今まで関わってきた故人に感謝した...
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"I cannot tell a lie" Cherry Candy Holder Axe


桜の木と言えば...ワシントンを思い出せるのはわたしの世代かもね...^^;...?
「道徳」で習ったんだっけ?...それが真白に近かった子供の心に見事にプリンティングされたかどうかは怪しいけど...こうやって思い出せちゃうんだから...たぶん...惚けたって...この記憶を入れた引き出しは残ってるんだろうかなぁ...そのときは自分で確かめることあたわずなんだろから...確認作業は子供らに任せるとするかいなぁ...まるで、ギロチン台に登って行くとき使用人に切り落とされた自分の首を持ってまだ自分が意識があればウインクを送るから確認してくれって頼んだラボアジェに似てる...^^;...?

昭和58(1983)年にサリー大学という大学の生物学講師をつとめていたハロルド・ヒルマンという人物が「ニュー・サイエンティスト」という雑誌に投稿したものだそうです。ちょうどそのころ、極刑に対して医師はどのような態度をとるべきかという議論が世界医師会という団体で議論されていたらしい。
■ヒルマン氏の推測によれば、「脳に流れ込む血液がいっきに減るので、(意識は)2〜3秒で消える」とのこと。ただし、その直前には、「周囲の組織が切断されるので、急激な、おそらく極度の痛みがともなう」という意味のことが書かれています。つまり、瞬時にあの世に行けるわけではなく、短いけど強い苦しみを味わうことになりそうです。
■フランス革命の際にギロチンで処刑されたアントワーヌ・ラボアジェという人物がいます*2。「質量保存の法則」を発見した科学者だそうです。ラボアジェ氏、断頭台にあがるとき、「首を切り落とされてからどのぐらいまばたきをしていられるか、観察してほしい」と友人に依頼したらしい。ラボアジェ氏のまばたきは約15秒続いたとのこと。ラボアジェ氏の科学者魂には拍手を贈りたいところですが、残念ながら、この逸話は事実であるという証拠が見つかっていないらしい。面白おかしく捏造されている可能性も否定できないようです。
■ヒルマン氏の推測とは少し異なりますが、20世紀初頭に斬首後の意識について医師が実験した記録があるそうです。明治38(1905)年6月28日午前5時30分(フランス現地時間)。ランギジュという殺人犯がギロチンにかけられました。このとき処刑に立ち会ったポリエという医師が、ランギジュの頭部で実験を行なったそうです。その記録が、アリスター・カーショーという人の著した「ギロチンの歴史」という書物に残されているとのこと。
■斬首のあとでランギジュのまぶたと唇が不規則にぴくぴくと動いたそうです。痙攣性の動きが止まったところで医師は大きな声で強く呼びかけたらしい。「ランギジュ!」。死刑囚のまぶたがゆっくりと開いたそうです。ポリエ医師は痙撃ではなかったと言っています。目は、ポリエ医師や弟子たちの目を見つめていたとのこと。数秒後、ふたたびまぶたは閉じられます。
■ポリエ医師は再度呼びかけてみます。するとまたまぶたがゆっくりと開いて、目がポリエ医師に向けられます。目は生きている人間のようで、1回目よりもっと射るような目つきだったとポリエ医師は証言しているようです。数秒後にふたたびまぶたが閉じられ、3度目の呼びかけには死刑囚は反応しなかったとのこと。目は死者特有のぼんやりしたものに変わっていたそうです。時間にして25〜30秒ぐらいだったようです。
■100年前の薄気味悪い実験によれば、だいぶ長く意識があったようにも感じられますね。
◆参考*1:書籍「実証超科学講座」初版56〜59頁、ニュー・サイエンティスト編集部編、ISBN978-4-576-07161-9、二見書房
◇*2HP「ギロチンで胴部から離れた頭部は、実は大科学者のもの?

ラボアジェは質量不変の法則を発見した大科学者です。ラボアジェは高精度の大型天秤を開発しました。化学反応の実験を密閉した瓶の中で行います。反応前と反応後の重さを量る実験を何度も繰り返しました。「どーも、化学反応の前後では、重さは変わらんぞ」と気が付くわけですね。
●酸のもとは、酸素だろうと考えて、「酸の素」つまり「酸素」という名前をつけたのはラボアジェ先生だそうです。日本語に訳されても「酸素」なわけですね。ただし、酸のもとは実際は水素イオンなんだそうです。誤解に基づいた命名らしい。
●元々、徴税請負人という仕事もしていました。弱い立場の人からお金をむしりとるような、イメージの悪い商売です。科学の実験には莫大な資金が必要です。そのために稼いでいたのかもしれません。
●フランス革命のとき、徴税請負人であることを理由に逮捕されます。そして寛政6年(1794)の5月に裁判で有罪となり、即刻ギロチンで死刑が執行されたそうです。
●フランスの学界の人たちは、誰も助けてくれなかったそうですね。みんな革命の狂気におびえていたんでしょうか。
●チャップリンがマッカーシー旋風で共産党のシンパと疑われたときも、誰も助けてくれなかったと聞きます。傷心のチャップリンはアメリカを去ります。同じ業界の人って意外に冷たいことがありますよね。
◆参考:書籍「心にしみる天才の逸話20(講談社ブルーバックス)」山田大隆著、4-06-257320-2、講談社
◇HP「ラボアジェ – Wikipedia」」


これは...信憑性があると思うのは...人の脳神経の酸欠によるダメージとしては...視覚が最初にやられ、聴覚はしばらく残ると考えられてるから...その理由でゲーテの最後の言葉「もっと光を!!」ってのは...昼間で明るかったはずなので目が見えなくなった彼は思わず叫んだのではないのかって説があったはず...首肯できる ^^
だから...ラボアジェもランギジュも目は見えずともしばらくは耳は聞こえてた可能性はあるんだと...?
でも...一番楽であろうと思われ&確実な死刑の斬首刑にも関わらず...超激痛も体験しても気絶もせずに意識が残るんだとすると...絞首刑だって同じ気がするし...死刑にこそ安楽死の導入が考えられなきゃ...あるいは確実に気絶したあと死刑執行してくれなきゃ...うかうか犯罪も犯せない...^^;...冤罪にでも巻き込まれたら...わたしゃ絶対脱走するし...寒いから腹が減ったからといって逆戻りなんか死んでもしやしませんよぉ〜〜〜!!...ま...死んだらできゃしないわけですから...「生きてる限り/目が黒いうちは」って表現にしなきゃおかしいんだけど...Orz...
で、脱線した話を元に戻します...

「父親が大事にしていた桜の木を切ったことを、少年時代のワシントンが正直に打ち明け、かえって父親からほめられた。実は創作といわれる教訓話は、いかにもアメリカらしい。つまり告白したワシントンは、謝罪をしていない。 ▼作家の村上龍さんの指摘である。》
アメリカでは、この桜の木の話は、切った斧に焦点をあてて、「ワシントンの斧 George Washington's axe」として一般に知られているようです。

つまり父親から誕生日の贈り物としてもらった斧の切れ味を試すために、父親が大切にしていた庭の桜の木を切った。

《George Washington's axe》
http://www.biographybase.com/biography/Washington_George.html
Admirers of Washington circulated an apocryphal(*典拠の怪しい) story about his honesty as a child. In the story, he wanted to try out a new axe and chopped down his father's cherry tree; when questioned by his father, he gave the famous non-quotation: 
"I cannot tell a lie. It was I who chopped down the cherry tree."
The story first appeared after Washington's death in a naive "inspirational" children's book by Parson Mason Weems, who had been rector of the Mount Vernon parish. See also George Washington's axe for an elaboration of this story. 」
・・・
2008年7月に、アメリカのジョージ・ワシントン財団が、ワシントンの少年時代(6歳から20歳まで)の住居跡が見つかったが、そこからは、桜の木も斧も見つからなかったと発表。・・・」

そうみたいですよ!!...「そう」の鏡像「うそ」ってこと!! でっち上げ/捏造...によるマインドコントロール...奇麗な🌸にはとげがある...どうしてそこまでして作り上げなきゃいけないんだろ...? 教育現場に持ち込まれるとしたら...この国にとって都合のいい方向に感化しようとしてると思った方がいい...だって...普通はできはしないことだからこそ心が動かされるわけで...現実はその反対なんだって反面教育ならいいかもしれませんけどね...^^;...人格立派じゃないとえらい人にゃなれないとかってのは嘘っぱちじゃないのかなぁ...^^;...それよりも...偉人達の失敗談やら人としての卑怯な部分やら姑息なところ悩んでたことそれらすべてをさらけ出した逸話の方が教育的効果ってあるんじゃないのかなぁ...みんな変わりゃしないんだって...でも頑張れば夢も叶うしいいこともあるかもしれないんだって...そっちの方がストレスかからなくって自由に生きれそうじゃん🌸
今日のこの記事のタイトルは「ジョージワシントンに斧で切られた桜が満開🌸」にしなきゃいけなかったかしらぁ〜...Orz〜

桜の日🌸...3/27

六日の菖蒲十日の菊...今更って感じになっちゃったけど...これから旬の桜にまつわる話を蒐集🌸

画像:http://120.hp2.jp/?p=2331 より Orz〜
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財団法人 日本さくらの会が1992(平成4)年に制定しました。さくらと「3(さ)×9(く)=27」の語呂合わせです。日本の歴史や文化、風土と深く関わってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深めてもらうことを目的にしています。財団法人 日本さくらの会は学校への作植樹などを行っています。しかし語呂だけでなく歴史もあります。3月27日、アメリカ合衆国ワシントンに桜の植樹式が行われました。ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜並木は、世界の名所の一つになっています。毎年3月末から4月のはじめにかけてシーズンには、盛大に「桜まつり」が開催され、全米から観光客が訪れ、パレードやその年の「桜の女王」が選ばれます。 1912年(大正元)3月26日に日米友好の印として日本からワシントンD.Cに3,000本 (*2000本?) の桜(ソメイヨシノ)が贈られました。アメリカのタフト大統領夫人の希望により、当時の尾崎行雄(尾崎咢堂(がくどう) 東京市長がプレゼントしたものです。そして 翌27日にポトマック公園で植樹式が行われましたそうです。その送られた桜の苗木というのは、東京荒川堤の五色桜を穂木にして、台木づくりは、実は伊丹市の北部荻野小学校校区、植木の産地東野村で育てられました。日米友好のシンボルとして80年以上の歳月を経て今も多くの人々に親しまれているこの桜のルーツは…兵庫県伊丹である。これは市民にとっても県民にとっても大きな誇りであり、この歴史的認識を深めそして世代を超えて語り継いでいきたいものですね。 その返礼として…1915年にその返礼として「ハナミズキ」贈られたのが始まり。(...*花言葉は「返礼」って言われてるのはこれがルーツなんだろか...? )アメリカの使節が「白いハナミズキ」の苗木40本をたづさえて来日し、その2年後さらにピンクの苗木12本と種が贈られています。ハナミズキは英語ではdogwood(ドッグフード)と呼ばれる。dogwoodの語源には諸説あるが、一説には17世紀頃には樹皮の煮汁を犬の皮膚病治療に使った為と言われる。」都立園芸高等学校の原木より育成とありますから、園芸高校に原木がある。(元々3本あったそうだ) 日比谷公園・小石川植物園・北の丸公園・霞ケ関公園・小金井公園に植樹される。」

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花びらに見える赤いのは花びらじゃありませんよ〜それは苞(。^p〇q^。)プッ
花びらは真ん中のちびっちゃい黄色い丸々です(。_゚)〃ドテッ!

http://www.bigme.jp/000-000-03-04/03-04-26/03-04-26.htm より Orz〜
「ハナミズキ
の「4弁の花びら」に見えるのは、芽やつぼみを包み、保護するが変容した、 「ソウホウ(総)」という
」です。だから、ハナミズキ開花のプロセスには、「花びらに見える葉(ホウ)」が、「包み」やパッケ−ジの役目を
しているのが、よくわかります。
ハナミズキの「花びらに見える葉(ホウ) 包葉」は、真ん中の黄緑の「たくさんの小さな花」を包む「風呂敷包み」のよう
に、はじめはなっています。そのうち、上のほうだけチラッと開けてみたり、上は包んで真ん中だけ、光りをあてたり、いろ
いろな形をとります。2枚は閉じ、2枚は開くとか。・・・」

「アメリカの首都ワシントンのポトマック河畔の桜並木は、世界の名所の一つ。この桜は明治の終わりごろに、アメリカのタフト大統領夫人の希望により、当時の尾崎行雄東京市長がプレゼントしたものです。その返礼で大正4年にアメリカの使節が白い花水木の苗木40本をたづさえて来日し、その2年後さらにピンクの苗木12本が贈られた。日比谷公園など都内の公園や植物園に植栽されたが、太平洋戦争を境に「敵国の贈り物」はその所在が不明になってしまった。生き残りの原木にほぼ間違いないと思われる一本が、東京大学付属の小石川植物園に健在である。幹周り1メートル、高さ8メートルの老木であるが、今も白い花を咲かせているという。」

「アメリカ・ワシントンDCのポトマック河畔で、1912年3月27日に桜の植樹式が行われてから、きょうでちょうど100年になりました。
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これは、1966年10月5日にアメリカで発行された“国土美化運動”の切手で、ポトマック河畔の桜越しのジェファーソン記念堂が描かれています。

幕末の開国以降、来日経験のあるアメリカ人の中には、桜の美しさに感動し、アメリカにも桜の植樹を行おうと提唱する者が少なくありませんでした。なかでも、著名な女性紀行作家で1894年に初来日したエリザ・シドモアは、1885年以降、ポトマック河畔への桜の植樹を提案し続け、1891年には『日本での人力車旅情』を出版し、日本人や桜の名所の紹介をしています。
シドモアは、1909年から桜の苗木を買う募金活動を行うとともに、同年4月5日にはタフト大統領夫人ヘレン宛にポトマック河畔への桜の植樹を提案。タフトが陸軍長官時代に夫ともに来日して(タフタ=桂協定を結んだときでしょうかねぇ)桜の美しさを知っていたヘレンは、即座にシドモアの提案を受け入れると返答しました。
同じ頃、ニューヨークでは現地在住の科学者、高峰譲吉が「ニューヨークに桜の並木をつくろう」との運動を展開していましたが、ポトマック河畔での植樹計画が明らかになったことで、ニューヨーク駐在の水野総領事とともに、東京市による2000本の桜の苗木寄贈を日米双方に伝えます。
東京市もこの計画を受け入れ、1909年7月、日露戦争終結のために仲介の労を取ってくれたアメリカに感謝し、日米親善を深めるため、桜の寄贈を決定。同年11月、苗木2000本が日本郵船の「加賀丸」に積み込まれて横浜を出港し、12月にシアトルに到着。翌1910年1月には、ワシントンに運び込まれましたが、運び込まれた苗木は病害虫に冒されていたため、焼却処分になってしまいました。
このため、東京市では約束を果たすため、2度目の寄贈を行うことを決定。荒川堤の五色桜を穂木にして、伊丹市の台木で約6000本の苗木が育てられ、1912年2月、日本郵船「阿波丸」に乗せられて、シアトルに向けて出港しました。到着後、これらの苗木はワシントンへ向けて運ばれ、同年3月26日、ワシントンに到着。翌27日、タフト大統領夫人と珍田駐米日本大使夫人が、ソメイヨシノの苗木2本の植樹を行いました。これが、ポトマック河畔の桜のルーツです。

なお、切手に描かれているジェファーソン記念館は、第3代大統領のトマス・ジェファーソンを記念して1943年に建てられましたので、100年前の植樹の際には存在していません。

ワシントンDCの桜を描く切手としては、僕個人としては、日米修好100年に際してアメリカ側が発行した切手のイメージが強いのですが、
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これは、1960年の日米修好100年を記念してアメリカで発行された記念切手で、ワシントンDCのワシントン記念塔(Washington Monument)と桜が描かれています。

日本側から桜を贈った返礼として、アメリカからハナミズキが送られたことを考えると、昭和天皇の訪米に際して発行された切手(日章旗とハナミズキ、星条旗を桜の組み合わせ)も悪くないですね。・・・

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昭和天皇の訪米が具体的に検討され始めたのは、1973年春のことで、もともとは当時の首相・田中角栄の思いつきによるものでした。もっとも、1973年には20年に1度の伊勢神宮の遷宮が予定されていたことに加え、政府と宮内庁の間の調整不足もあって、この計画は頓挫しています。しかし、1973年7〜8月の田中・ニクソン会談で、ニクソンが天皇訪米を日本側に要請したことからこの話が再燃。・・・
さて、昭和天皇の訪米に際しては、天皇ご夫妻が帰国した10月14日に上のような2種類の記念切手が発行されています。デザインは星条旗に桜を配したものと日章旗にハナミズキを配したものの2種類です。ハナミズキはアメリカの国花ではありませんが、1912年に日本から桜を送られたこと(これが、ワシントンDCのポトマック河畔の桜並木のもとになった)の返礼として、アメリカがハナミズキを日本に送ったことに由来するもので、日米の友好親善を示すのにふさわしい組み合わせといえます。
昭和天皇の訪米は、太平洋戦争の終結30年の節目の年に行われましたが、今年は、その訪米からも30年。まさに“昭和は遠くなりにけり”という感じですね。2005-10-15
わたしゃ、桜も花水木もどちらも大好きですが...花水木がアメリカからの贈り物だったとは全く知らなかった...^^;...素敵なプレゼントだと思うし...こんな発想は女性ならですね♡
秘話を見つけました🌸
1937年、ジェファーソン記念館建立を巡って反乱が起きた。それも“桜を守れ!”と女性の反乱だった。1937年〜1938年に起きた"Cherry Tree Rebellion(桜事件)"である。 
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150人の女性が、ポトマック河畔の桜の木に体を縛り付けた。この写真をワシントン・ポストは全米に流した。フランクリン・ルーズベルト大統領は、「報道自由の乱用だ!」と言い続けたが、結局、民衆の「桜を切るな!」と言う声には勝てなかったのだ。民主主義、つまり「主権在民」の良い例である。民主主義を疑うなかれ!

桜事件

1937年、フランクリン・ルーズベルト大統領は、ジェファーソン記念堂を建立する夢にとり付かれた。ポトマック河畔が理想と考えた。それには、900本の桜の木を撤去しなければならない。発表と同時に、ワシントン住民から抗議の声が上がった。ルーズベルトは、ジェファーソン記念堂は桜よりも重要だと主張した。一年が経った。「桜を守れ!」の声は大きくなった。工事が始まると発表が出たとき、150人の女性が河畔に集まった。そして彼女たちは、桜の木に体を鎖で繋いだ。ルーズベルトは折れた。記念堂を南(現在位置)に移す決定を出した。さらに、“日本の桜を植樹する”と声明を出したのである。民衆の勝ちであった。

Optimistic...^^

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きょうは...日当直で縛られてる...べつに...Mじゃないんだけどなぁ...^^;...

Paul Smith の EAU DE TOILETTE を頂いた...🌸
ポールスミスって名前にも疎いわたしだけど...
たしか息子達の腕時計がそうじゃなかったかなぁ...^^;...?
わたしがoptimisticな仮面を被ったpesmistic な野郎だって知ってるぞぉ〜って隠喩?
それとも...加齢臭(別名「エイジングノート」)が漂いだしてるのかいなぁ...^^;...
本人にはわからないんだろか知ら...加齢臭って...?
目には目を歯には歯を臭いには匂いを🌸


「加齢臭(かれいしゅう)は、中高年特有の体臭の俗称。
2000年12月11日に、資生堂リサーチセンターの土師信一郎博士らにより、高齢者の体臭の原因の一つが2-ノネナール (C9H16O) であることが発見された。「加齢臭」という言葉は、土師らにより「加齢により体臭も変化する」という概念を示す言葉として命名された。
この体臭成分は青臭さと脂臭さを併せ持つ。加齢臭は男性のみの症状との誤解も多いが、元々は臭いを気にする女性向け商品の体臭の研究のため、女性の体臭の研究で発見された物質の一つである。主に40歳代以降増加する。閉経後は男性より女性の方が統計学的有意差をもって2-ノネナール産生量が多い。加齢とともに増加しノネナール発生の原因となる物質の一つは、9-ヘキサデセン酸である。9-ヘキサデセン酸には臭いはないが、分解されるとノネナールを生成するため、分解した9-ヘキサデセン酸は、蝋燭(ろうそく)・チーズ・古本のような臭いがする。2-ノネナールはアルデヒド類であるため、アルコールから生成されたアルデヒドも2-ノネナールの原料となっている。喫煙者の場合、非喫煙者に比べて悪臭が強くなる傾向があるがこのメカニズムはまだ解明されていない。ノネナールの抑制には、ノネナールの基質となるアルコールフェノール類、アルデヒド類、脂肪酸を減少させることが重要である。9-ヘキサデセン酸の分解の抑制 には酸化還元剤と抗菌剤が有効である。加齢臭自体は機能性香料である程度抑えることができる。
さらにライオンが女性用消臭剤の研究目的で20代後半から30代の特有のニオイについて研究を行ったところによると、2-ノネナール臭とは異なる、ペラルゴン酸(C9H18O2) を原因とする加齢に伴う臭いがあるとのことである。この物質は主に30代から増加するという結果報告もあり、今後のさらなる研究が待たれる。

非ノネナール臭 

男性は皮脂などの老廃物の分泌が女性に比べて多く、体臭もそれに伴い強いと唱えるひとたちもいる。汗などの臭いについても男性ホルモンが皮脂腺の発達を促すために、皮脂が大量に分泌され、その結果脂汗臭くなるという説である。女性ホルモンは現時点では脂肪酸酸化抑制効果はまったく証明されていない。なお、男性でも女性ホルモンは産生される。閉経後の女性と、同年齢の男性では男性の方が女性ホルモン産生量が多い。

*ならどうして、男性型脱毛は改善しないの?
男性の方が早死になの?

「加齢臭は読んで字のごとく加齢によるものですから、一般的には40代を超える男女に起るにおいなのですが、若いからといって加齢臭が絶対しないとは言い切れないのです。
40才以上の男女の約8割に加齢臭は起ります。また、40才以上の男性で8割以上が加齢臭に悩むといわれています。加齢臭が起り始める多くは、初めに書いたように中高年の男女ということになりますが、早い場合では20代後半から加齢臭のにおいがし始めるというのですから、若いからといっても決して安心できないんです。
加齢臭になりやすい生活というのは、タバコを吸う本数が多い、お酒の量が多いことや加齢臭のみならず体臭の原因になりやすい肉類中心の食生活で、当然栄養バランスは無視した食事をしている。運動不足、仕事に追われてストレスはたまりまくりなどなのですが、・・・」

*自分でも臭うもののようですね ^^
ま...いい香りだから...アロマセラピー的に使っちゃお!!...Orz〜🌸

南京桃 🌸

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春の訪れを感じさせてくれる南京桃は一本の木からなんと手間暇かけて接ぎ木(芽接ぎ)栽培され、赤、白、ピンクの3色の花が咲くことで親しまれています。この伊丹市特産花木「南京桃」は、約150年前に中国原産の八重咲きの花桃が兵庫県伊丹市に持ち込まれ、東野地区で栽培されたのが始まりといわれます。 別名として寿星桃、アメントウと呼ばれますが1本の木から3色の花が咲く南京桃は、伊丹産(ブランド)以外で未だにみかけることがありません。(もしあれば教えてほしいです。)東野地区は伊丹市北部に位置し古くから果樹植木生産農家が多く、昔は長尾村として現在の宝塚市山本地区とともに日本の三大植木産地として知られ、全国に果樹苗木を出荷しておりました。特に接木栽培が盛んな所です。毎年米国で春の訪れとともに首都ワシントンD.C.では桜まつりが賑やかに開催されます。 その日本から友好親善のシンボルとして1912年に贈られたワシントンの桜は実はこの伊丹市の東野地区から出荷された桜の台木に東京荒川堤で採取されたソメイヨシノ種等を補木として接木されて静岡市の興津農業試験所で育てられた後米国へ出荷されました。それほどこの地の接木技術が高く評価されていました。

より Orz〜
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赤、白、ピンクの3色の花が咲く伊丹市特産花木「南京桃」は、約150年前に中国原産の八重咲きの花桃が兵庫県伊丹市に持ち込まれ、東野地区で栽培されたのが始まりといわれます。 市内でも東野地区は果樹植木生産農家が多く、特に接木栽培が盛んな所です。日本から贈られた米国のワシントンポトマック河畔の桜は実はこの地区から出荷された桜の台木に東京荒川堤のソメイヨシノ種等を補木として接木されました。 南京桃」に受け継がれたその接木の伝統技術は小型の花モモの原木に、3色の花が咲く枝を「芽接ぎ」という独特な技法で接ぎ、伸びた枝をワラなどで引っ張ってしだれさせます。 その姿が大道芸の「南京玉すだれ」に似ていることから、南京桃と名付けられたといわれています。 主な出荷先は関東、東北地方で、4月3日に旧暦で行われるひな祭りには欠かせない花となっています。 


欲張りのわたしには...ぴったしの盆栽だわい🌸

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