これも藤原正彦氏の「天才の栄光と挫折」のYou tube のお話から聞いた言葉 ^^
数学者を表現する言葉らしい...but...医者も同じと思うけどね...^^;...365日 on call って意味だけど...^^
また同じく...「数学の神様は自分の払った犠牲よりも大きい宝は与えない」とも...
ハミルトンだったかラマヌジャンだったかの生涯に触れたときにおっしゃってたような気がする...
ラマヌジャン生誕75周年を記念して発行されたインドの切手。
2010年は没後90周年
「シュリニヴァーサ・ラマヌジャン (Srinivasa Aiyangar Ramanujan 1887 - 1920);誰が呼んだか、ふたつ名は「インドの魔術師」。一介の事務員にすぎなかったが、ハーディによりケンブリッジに招聘されたことを契機にその天才性があまねく有名になった。ヒンドゥー教徒で厳格な菜食主義者であったため、戦時中で食糧難だったイギリスで体調を崩し、三十二歳の若さで病没。戦争はときに数学者を殺す。」
ラマヌジャンはバラモン教の経験なる母親から骨の髄まで教義を叩き込まれたらしい...バラモンのカースト制って...地位は上でも経済的な貧富度とは無関係らしいね...武士は食わねど高楊枝ってな矜持でもって生きるプリンシプル...彼はイギリスでもサンダル履きで第一次世界大戦が始まりジャガイモが欠乏しても出されたジャガイモは食べなかったらしい...なぜかって?...くつは神聖なる牛の皮だし、ジャガイモもゆでるスープにゃ牛の脂とかが入ってるからなのよ!!...だから...ごはん?にレモン汁と塩みたいな食事で2年で病気になって帰国したらしい...脚気になったんじゃないのかいなぁ?...(結核かアメーバ赤痢と言われてるようですけど...)...彼が妻を連れて行っていれば違ったかもしれないと藤原先生はおっしゃってました...藤原先生の留学体験からの話として...(・言葉という面・食事の面・性的な面...これらすべてを通した心身の憩いという観点からワイフを連れて行った方が健康的だとおっしゃられてた...さもありなん!!...異国でなくっても首肯できるわたし...^^;...)...帰国して数年でなくなってしまうんだけど...それでも擬テータ関数って、わたしにゃさっぱりわからないけど凄いもの発見したらしい...彼の妻と母親(コマラタマール)との確執のなかでまた異国の生活のなかで最後まで孤独のうちに無くなったって...
かたやハミルトンは15,6歳(すんません...記憶違いのようでした...下記事では19歳...)のとき一目惚れしたキャサリンだったっけ、相思相愛になったものの彼女の父親に貧乏な彼と結ばれることを懸念した彼女の父親によって裕福な貴族と結婚させられてしまった...その失恋の傷をず〜っと引きずったまま...彼はこれまたわたしにはよくわからねど...相対性理論にも量子力学にも必須になった正準方程式を導き...
よくわからねど...Hはハミルトニアンって呼ばれるものらしい...^^;
また、複素数の3次元版を考えてて壁にぶつかっていたときあのブルーム橋の上で雷にうたれたように閃いたのが四元数の発見!!...らしい...晩年は想像力もさすがに衰えたらしく新たなものは見つけられなかったらしいけど...最後にむかしのキャサリンから「会いたい」って連絡があり飛んで行って何十年間の空白を補って余りある逢瀬ができたらしい♪...それから2年後に亡くなったようだけど...そんな彼の人生は素敵だし/羨ましくも感じたけどなぁ ?...終わり良ければすべて良しじゃん?...^^
ウィリアム・ロウアン・ハミルトン William Rowan Hamilton (1805〜1865)
「ウィリアム・ロウアン・ハミルトンはアイルランドの首都ダブリンで、法律事務所を営む父の9人兄弟の4番目として生まれました。3歳のときに牧師補をしていた叔父に預けられてます。この叔父による教育のもとでハミルトンは早熟な才能を発揮して、5歳までに英語・ラテン語・ギリシャ語・ヘブライ語が独会できるようになりました。さらに10歳までにはイタリア・ドイツ語・アラビア語・サンスクリット語・ペルシャ語が加わります。彼の途方もない才能とエネルギーは言語の修得で消耗することなく暗算少年として名を馳せる一方で、ユークリッドの原論やニュートンのプリンキピアなどの数学の本を読んでいました。ハミルトンは18歳でアイルランドを代表する名門大学トリニティ・コレッジを首席で入学して、数学や古典などのあらゆる試験で一番をとるという前代未聞の快挙をあげたので、すぐに社交界の寵児になりました。
何もかも順調だったハミルトンでしたが、19歳になったばかりの頃、栗毛で愛くるしい青い瞳のキャサリン・ディズニーに一目惚れしてしまい、やがて相思相愛の仲になります。しかし、娘が無一文の学生と恋の深みに陥るのを恐れた彼女の父親は、彼女を中年の資産ある牧師と強引に婚約させてしまいます。ハミルトンはすっかり打ちひしがれて、絶望のあまり病気がちとなって長い鬱状態に陥ってしまいます。キャサリンとの失恋の傷は終生癒えないまま、彼の人生に影を落とすことになるのでした。
失恋の痛手からようやく立ち直ったハミルトンは、持ち前のエネルギーを数学や物理学などに発揮していきます。彼が大学4年生のとき、卓抜な業績によって、なんとダンシンク天文台長に推薦されて、それを受諾します。天体観測やデータの整理などは助手などにまかせて、彼はもっぱら数学の研究に精進します。また、22歳の彼はイギリスの湖水地方に、35歳も年長の大詩人ウィリアム・ワーズワースを訪れて互いに意気投合しています。数学と詩は同じ想像力の上に成り立ち、数学の目指す真と詩の目指す美とは同一物の二側面であると信じて、しばしば試作に励んでいました。そんな中、名誉は彼に降り注いで、30歳でナイトの称号を授与されて、その2年後にはアイルランド学士院長となります。
ハミルトンは次第に代数学の基礎に関心を持つようになります。あいまいだった複素数を実数の対として公理論的に再構成することに成功します。そして、3次元への一般化を見出そうと苦心を重ねて、10年余りの思索のすえに3次元を超えて4次元へと導かれて、ついに1843年にハミルトン(38歳)は散歩の途中でブルーム橋にさしかかった時、四元数の概念に思い当たります。彼自身この突然の閃きに深く感動して、ナイフで橋の上に四元数の基本式を刻み込んだのでした。後に、この偉大な発見が契機となって新しい代数系が数学の世界に導入されたり、物理学の各分野に応用されたりするようになるのですが、当初は、ハミルトンが予期したほどの反響を呼びませんでした。それでも、その後も老骨に鞭打って執念に燃えて研究に没頭したのですが、彼の独創的な思考力はすでに枯れていたようです。
痛風と気管支炎で60歳で逝くまでの20年余りは誰からも賞賛や励ましの言葉を得られず、ハミルトンにとって辛い時代でありました。その中にあって彼の孤独を慰めたのは、初恋の人キャサリンの思い出だったのかも知れません。彼は終生キャサリンへの愛を抱き続けたのでした。四元数発見の現場となったブルーム橋の壁面には、現在、次の碑文が埋め込められています。
「ここにて、1843年10月16日、ウィリアム・ハミルトンは、天才の閃きにより、
四元数の基本式を発見し、それをこの橋に刻んだ。 i2=j2=k2=ijk=-1」 」
ブルーム橋にある四元数発見の碑文。散歩の途中閃きを得たハミルトンは、四元数を定義する式を橋に刻み付けた。
「晩年のハミルトンは、アルコール中毒に溺れながら誰にも理解される事のない数学研究に没頭した。遺体が発見された時、ハミルトンの部屋は酒と肉汁にまみれた二百数十冊のノートで埋め尽くされており、この中には正しい物、誤った物、判断のつかない物が入り混じった数式の山が残されていたという。また四元数は一部に「四元数カルト」と呼ぶべき一団を構成するものの、大勢からは無視され、省みられるまでに100年ほどの時間を必要とした。」
*天才の彼が一目惚れをして相思相愛になり、最後は彼に一目会いたいと彼に手紙を送り...(目出たく二人は結ばれた...唇だけだったにしてもね!! ^^)...彼と同じように愛し続けていてくれたというキャサリンの画像を是が非でも見つけたいのですが今のところわからない...Orz...
わたしは...何十年ものあと再びまみえたことは賭けだった気がしてるけど...^^;...この二人は、波長もぴったりだったんだろうなぁ...ハッピーエンドでよかったよかった♪...少々妬けちゃうぞ...^^