覆水盆に返らずの英語バージョンがあるってことは...
古今東西普遍的な人間の感情なんだろうか?
レッドカードだって、次の試合には出れなくっても復帰できるんですよね?
人間社会では...次の試合ってのが、今度生まれ変わったときってな意味なんだろうか...^^;
「人を呪わば穴二つ」とも言うのにも関わらず...
「幸運の女神は二度は微笑まない」?...神様でもあるまいに...^^;
骨まで愛して欲しいと思い・骨まで愛してくれてたと思ってた相手に裏切られた暁には...
恨み骨髄に達す...?
愛が深ければそれに比例しての憎しみにトランスフォームしちゃうのが人間の脳?...感情を司る脳にスイッチオンされてしまい、もうその暴走はどうにも止まらなくなってしまうものなのかも?
このリベンジが成就されなきゃカタルシスが起こらないという脳って...危ない代物じゃん?
だから...「目には目を」もあるけど...「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」って催眠を掛けちゃわないことにゃ歯止めがかからないってことなのかもね...
だとしたら...扁桃体を抑制できる薬ができたら...その因循から人は解放されるかも知れないんだけどなぁ...?
「周の大軍師にして、斉国始祖・斉太公。
周に仕えるようになった経緯については、諸説紛々としており、推測の域を出ない。また羌の出身とも言われているが、実際のところ不明。周の軍師となり、文王の子武王を補佐し、商(殷)の帝辛(紂王)を「牧野の戦い」で打ち破る。後に斉に封ぜられる。兵法書・六韜の著者とされたがこれは全くの創作(後代の戦略家による著作)である。歴史上重要な人物にも拘らず、数々の伝説に包まれて実態がつかめない謎の人物である。この原因として封神演義等の伝奇小説により、実像が掻き消されてしまったともいえる。―太公望像―太公望という別名は、渭水で釣りをしていた所を文王が「これぞ我が太公(祖父)が待ち望んでいた人物である」と言われ召し抱えられたという話に由来する、と言われている。この故事にちなみ、釣り好きを「太公望」と呼ぶ。ただし、「望」とは元々『呪いの眼で見る』という意味を含む為、これが正しいかどうかは疑わしく、他の例からしても、「太公の望」という意味であると解すのが自然である。太公望は曲がっていない真っ直ぐな針を使い、さらに敢えて水中に入れなかったとも言われ、この時、釣り上げた大魚の腹から六韜(りくとう)が出てきたという伝説もある。
* http://ja.wikipedia.org/wiki/六韜 より Orz〜
「『六韜』(りくとう)は、中国の代表的な兵法書で、武経七書の一つ。このうちの『三略』と併称される。「韜」は剣や弓などを入れる袋の意味である。「文韜」「武韜」「龍韜」「虎韜」「豹韜」「犬韜」の6巻60編から成り、全編が太公望呂尚が周の文王・武王に兵学を指南する設定で構成されている。中でも「虎の巻」は、兵法の極意として慣用句にもなっている。」
また、姜尚が斉に封ぜられた時に昔別れた妻が縒りを戻そうと来たがこれを拒んだというエピソードがあり、 「覆水盆に返らず」という諺はここから生まれたという。 盆とは、物を載せて運ぶ為の平たい容器ではなく、ボウル状の丸い容器、鉢や盥等のことである。 但し盆器が登場したのは戦国時代以降であり、このエピソード自体が後年の創作とされる。」
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