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オイラーさんが自分で発見したオイラー積を使ってユークリッドの証明以外に初めてなされたものです☆
tsujimotterのノートブック http://tsujimotter.hatenablog.com/entry/2014/03/31/110631 より 引用 Orz〜
「
したがって、
s=1 においては右辺も発散するはずです。
ここで素数が有限個であると仮定すると、右辺は有界です。このことは、左辺の調和級数が発散するという事実に反します。
したがって、背理法により仮定が誤りであること、すなわち、素数が無数にあることが示されました。 」
http://terra.sgu.ac.jp/monolog/2012/131.htm より 引用 Orz〜
盲した巨人がみた素数の大地
「オイラーは、1707年4月15日にスイスのバーゼルに生まれ、1783年9月18日にロシアのサンクトペテルブルクで一生を終えました。若い頃に右目を失明して、以降片目だけで研究を続けていました。数学は片目でも支障がないので、能力を如何なく発揮しました。天才的な能力、なおかつ膨大な成果をあげ、それを論文に残していきました。数学の巨匠としての能力も実績があったので、ギリシア神話の片目の巨人サイクロプスの異名で呼ばれていました。
オイラーは、若い頃から才能を発揮していました。20歳の時には、ロシア帝国のペテルスブルグ王立学士院で職を得て、以後、死ぬまで給料をもらい続けていました。1740年から26年間はプロシアに滞在していたのですが、その間も学士院から給料が払われ続けました。オイラーは、生涯ロシア皇帝あるいはエカチェリーナ1世や2世の寵愛を受けていたようです。59歳の時に左目も白内障で失い、全盲になってしまいました。しかし、全盲になって死ぬまでの17年間も、論文を書くスピードは変わらなかったといいます。論文の生産のスピードたるや、尋常ではありませんでした。 スイス自然科学協会が、1909年、オイラーの著作全集の刊行を計画しました。当時、500篇ほどの論文があるといわれていました。ところが、調べてみると、ペテルスブルグから新たに400篇近くの著作が見つかりました。現在わかっているだけで、886篇の論文があるようです。 著作量は、論文で800 page/yearになるといいます。単なる文章ではなく、数学的な成果を報告するものですが、数学者の一生分の研究業績を一年で書いていたことになります。その生産量を生涯にわたって継続していたのです。もちろん、全盲になった後の17年間も口述筆記で同じ生産量を保っていたそうです。オイラーの死後、未発表の論文が47年間もかかって公開されたそうです。 まさに、巨人です。 オイラーの名前のついたものが、数学の世界にはいっぱいあります。オイラー数、オイラー積分、オイラーの公式、オイラーの等式、オイラーの五角数定理、オイラーの定数、オイラーの定理、オイラー標数、オイラー法、オイラー予想・・・・などがあります。」 *60歳になって全盲になったあとにも…
「複雑な級数を第17項まで計算した二人の学生の答が、小数点以下50桁目だけが違っていた。やむなく師匠のレオンハルト・オイラーが暗算で検算したという。暗算?そう、オイラーは若い頃右目を失明し、59歳の時に左目も白内障で失って全盲だったのである。・・・
オイラーはニュートンの物理学を幾何から解析に翻訳し、その道具によって次々と物理の問題を解決していく。変分法、剛体の力学、流体力学、音響学、航海術、船舶の設計。驚くべき事に、難解な式変形を必要とする月の運動の理論、今で言う三体問題(太陽と地球と月)、に史上初めて計算可能な近似解を与えたのは視力を失った後のオイラーだった。複雑な計算を全て暗算で行ったのである。」 |

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