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すっかり忘れてたけど…コンビニでもどこのお店でも...プレバレンタインみたく恵方巻き寿司デーなのね♪
今年は「東北東」に向かって、丸かじり(太巻き丸かぶり) ^^
たまに食べたらマイウ〜!!
明日が立春〜〜〜いよいよ春だ春だ♪
考えたら願い事をお願いする、願掛けって日が多い気がするけど気のせい?
ドラゴンボールのように7個を何年もかけて旅して修行しながら集めなきゃ,お願いごとを聞いて下さる神龍(シェンロン)が現れないってのと比べたら…
庶民の安易さとお手軽さに唖然呆然…^^;
ま、それだけ、庶民の苦労は絶えずして元の苦しみにあらず...つぎからつぎから消えては現れちゃうってことなんだろか?…それとも欲深いだけってなことなんだろか…^^;…?
庶民の生活そのものがふだんの修行なんだってえらい坊さんがいらっしゃったよね…^^
親鸞さんだったっけ?…
庶民のささやかなハレの日の一つってことで...わたしも願掛けを漠然としましたよ…☆
http://ja.wikipedia.org/wiki/恵方巻 より Orz〜
「節分の日は暦の上で春を迎える立春の前日にあたるので、一年の災いを払うための厄落としとして「豆撒き」が行事として行われているが、大阪などでは同日に太巻きを「巻き寿司」「丸かぶり寿司」や「恵方巻」と呼び、それを食べるイベントが行われる場合がある。恵方巻は、太巻き(巻き寿司)を節分の夜にその年の恵方に向かって無言で、願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじり(丸かぶり)するのが習わしとされている。「目を閉じて」食べるともされるが、一方「笑いながら食べる」という人もおり、これは様々である。また、太巻きではなく「中細巻」や「手巻き寿司」を食べる人もいる。
太巻きには7種類の具材を使うとされ、その数字は商売繁盛や無病息災を願って七福神に因んだもので福を巻き込むと意味付けされる。別の解釈もあり、キュウリを青鬼、ニンジンや桜でんぶ(おぼろ)や生姜を赤鬼に見立てて「鬼を食べて」鬼退治するという説[要出典]や、太巻きを鬼の金棒(逃げた鬼が忘れていった金棒)に見立てて、鬼退治と捉える説[要出典][21][出典無効]もある。」
語源由来辞典より Orz〜
「恵方巻きの「恵方」は、陰陽道でその年の干支によって定められた最も良いとされる方角のことで、その方向に歳徳神(としとくじん)がいるといわれる。」
画像:http://ja.wikipedia.org/wiki/歳徳神 より Orz〜
ほとんどの暦では、最初の方のページに王妃のような姿の美しい姫神の歳徳神を記載している。歳徳神の由来には諸説あり、『簠簋』では、牛頭天王の后・八将神の母の頗梨采女(はりさいじょ)であるとしているが、これはでたらめであるとの批判もある。また、牛頭天王が須佐之男尊と習合したことから、その妃の櫛稲田姫(くしなだひめ)とも同一視される。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/クシナダヒメ より Orz〜
「ヤマタノオロチ退治の説話で登場する。アシナヅチ・テナヅチの8人の娘の中で最後に残った娘。ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていたところを、スサノオにより姿を変えられて湯津爪櫛(ゆつつまぐし)になる。スサノオはこの櫛を頭に挿してヤマタノオロチと戦い退治する。
高天原を追放されて出雲に降り立ったスサノオは、ヤマタノオロチという怪物に毎年娘を食われているアシナヅチ・テナヅチの夫婦と、その娘のクシナダヒメに出会った。彼らの話によると、もうじき最後に残った末娘のクシナダヒメも食われてしまう時期なのだという。哀れに思うと同時に、美しいクシナダヒメが愛しくなったスサノオは、クシナダヒメとの結婚を条件にヤマタノオロチの退治を申し出た。アシナヅチとテナヅチは、喜んでこれを承諾した。
スサノオとの結婚が決まると、スサノオの力によってクシナダヒメは小さな櫛の形に変えられた。そして櫛としてスサノオの髪に挿しこまれ、ヤマタノオロチ退治が終わるまでその状態である。
スサノオがヤマタノオロチを退治した後、櫛にされたクシナダヒメは、元通り美しい娘の姿に戻してもらい、スサノオの妻となった。 スサノオはクシナダヒメと共に住む場所を探して、須賀の地に宮殿を建てた。」
画像:http://ameblo.jp/isoara/entry-11276169224.html より 拝借 Orz〜
★櫛稲田姫命(八重垣神社の板壁画)
http://ja.wikipedia.org/wiki/スサノオ より Orz〜
「『古事記』の記述によれば、神産みにおいて伊弉諾尊(伊邪那岐命・いざなぎ)が黄泉の国から帰還し、日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、鼻を濯いだ時に産まれたとする(阿波岐原は江田神社の御池に比定される)。
『日本書紀』では伊弉諾尊と伊弉冉尊 (伊邪那美命・いざなみ)の間に産まれた三貴子の末子に当たる。その与えられた役割は、太陽を神格化した天照大神(あまてらす)、月を神格化した月夜見尊(月読命、つくよみ)とは少々異なっているため、議論の的となっている。 統治領域は文献によって異なり、三貴神のうち天照大神は高天原であるが、月夜見尊は滄海原(あおのうなばら)または夜を、素戔嗚尊には夜の食国(よるのおすくに)または海原を治めるように言われたとあり、それぞれ異なる。
『古事記』によれば、建速須佐之男命はそれを断り、母神伊邪那美のいる根之堅洲国に行きたいと願い、伊邪那岐の怒りを買って追放されてしまう。そこで建速須佐之男命は根の国へ向う前に姉の天照大神に別れの挨拶をしようと高天原へ上るが、天照大神は彼が高天原に攻め入って来たのではと考えて武装して彼に応対し、彼は疑いを解くために誓約を行う。
建速須佐之男命は、櫛名田比売の姿形を歯の多い櫛に変えて髪に挿し、八俣遠呂智を退治する。そして八俣遠呂智の尾から出てきた天叢雲剣を天照御大神に献上したその後、櫛から元に戻した櫛名田比売を妻として、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(島根県安来市)へ行きそこに留まった。
そこで、
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を と詠んだ。これは日本初の和歌とされる。
*日本の神話もおもろいじゃん♪
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