朝礼でみなさんにご挨拶を述べさせて頂きました…
「今日で皆さん方とお別れです。
袖触れ合うは他生の縁といいますが、皆さん方と一緒に仕事ができたのもその何らかの縁だと思ってます。同じ窯の飯を食べることはほとんどなかったわけですが、同じ空間と時間を共有し、家族といる時間よりも皆さん方と一緒にいる時間の方が長かった。喜怒哀楽…ま、わたしゃ「怒」が度を超してたのかもしれません。でも、怒るなと言われることと、笑うなということとは同じなんだと知ってください。愛憎...とも言います。人は、憎しむ自分、ジェラシーを焼く/焼かれる自分を発見し、自己嫌悪に陥りますがなかなかそこから逃れられません。ジェラシーが歴史を作ると言われるくらい、人とはジェラシーするものと開き直るしかないと思ってます。誰でもおそらくそうなんです。だから、焼きもちを焼く自分を攻めず、寛容に。憎しみも人ならではで、普通の動物は無関心か従順になるだけです。人は羊の皮をかぶった憎しみの炎に燃えた羊なんです。でも、愛の反対は憎しみではなく「無関心」なんです。まだ、関心を持たれてる/関心を向けられてる。マザーテレサは言いました。無関心こそ敵だと。どうか、わたしが怒り、憎むことでトラウマになった方がたには心より謝りお詫び申し上げます。と同時に、人を呪わば穴2つという覚悟で今後ともそんな自分の扁桃体と付き合うしかないとも思っているわけです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとうのは、一種のフェチだと思うわけですが、これも人間の脳の性向で致し方のないものだと。社会性を帯びるのは3人からと言います。派閥ができるという意味だそうです。「人間とは社会性のある動物」とは、言い換えれば派閥を作らなきゃ生きられない/自然に派閥が出来上がっちゃう。いいも悪いも関係なくね。ま、いろんな派閥が見られましたが、わたしはマイペースでしか生きられない我が儘な人間ですが、それでも一匹狼じゃ生きられません。多かれ少なかれ袖触れ合い、助けられ、関係を持たずには生きられないし仕事もできません。その意味は相対的で、お互い様ではありますが、関係者のみなさまにはこれまでのわたしへ関心を頂戴しましたことに感謝申し上げます。
三人寄れば文殊の知恵とも言います。できれば、大変失礼なものいいで恐縮ですが、烏合の衆でなくそうあるようにみなさんの脳と体と心を活かして、おもてなしに溢れた病院になられますよう祈念いたしております。光陰矢の如し、「棺桶までは一直線」です。命短し恋せよ乙女。自分の仕事と自分の楽しみを両方の翼にして自分の人生という大空を羽ばたいてください。人はみな今の所死す存在です。最期にやることはやったしよく遊んだって笑って死を迎えられるように精一杯生きてください。
暑さ寒さも彼岸までってのはおかしい。此岸までです。彼岸は涅槃。絶対の安寧の場所。多くの煩悩(寒さ)に懊悩し、快楽(暑さ)に耽るのもこの彼岸にいてるあいだだけの賜物とすべてを赦し寛容な心で人生を楽しみたいと思います。ってな話を長男の結婚式の餞の言葉として考えてます。
みなさん方のご健康/ご健勝と〇〇病院のますますのご発展を別の此岸の地から眺めさせて頂きたいと思います。どうかお元気でご活躍下さいませ。本日を持ちまして、みなさんとは最後です。さようなら。」
わたしは無事に卒業できたのか知らん…
ある意味過去のわたしの命日とも思えたり…^^;…Orz…
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