専門医の更新で点数がよくわからず...いままで出席してた学会の領収証を家捜ししたり,抄録しゅうのコピーも散逸しててて積ん読スポットを精査してたりで...ちょい眠れなくなったもので…^^;
「賢者タイムは基本的に、男性は射精をした後に訪れる無気力な時間です。射精をすることでホルモンバランスの影響で冷静な状況に陥りま。これは多くの男性に訪れず時間で、自分では回避できないのです。冷静な状態になって無気力になることで、まるで賢者のような姿になることからこの時間帯を「賢者タイム」と呼ぶようになりました。男性は射精後10分でこの賢者タイムに陥ることが多いです。これは男性特有の時間帯だと考えている人もいます。しかし、賢者タイムは女性にも訪れるのです。女性は男性に比べてすぐに賢者タイムに陥ることはありません。・・・」
つまり…オーガズム/アクメに伴うエクスタシー状態(忘我)って脳内麻薬がピークに分泌されて、おそらく、脳波のα波が出てるのではないのかいなぁ?
「オーガズムは不随意もしくは自律的な大脳辺縁系により支配されており、性器と肛門を取り囲む下部骨盤筋群の高速な筋収縮のサイクルを伴う。オーガズムの間には脳波のパターンにはっきりとした変化が現れ、このことはオーガズムの反応における辺縁系の重要性を示している。男性と女性の脳はオーガズムの間には類似した変化を見せ、脳活動のスキャンは大脳皮質の大部分での一時的な代謝活動の低下と辺縁系での代謝活動の無変化もしくは増大を示す。
1970年代のマスターズ&ジョンソンの研究では、「生理的な反応の大半は男女共通である」とされた(と主張された)が、男女のオーガズムの生理的な相違点としては射精および不応期の存在がある。男性においては、オーガズムは一般的に射精へと至り、オーガズム後しばらくは再びオーガズムに到達できない不応期(英語版)がある。不応期にはしばしばリラックス感が伴い、これは神経ホルモンであるオキシトシンとプロラクチンの放出によるものとされている。女性はオーガズムを比較的長時間維持することができ、オーガズム直後の性的刺激により再度オーガズムに戻ることができる。」
*どうも脳全体は一時的な活動低下をもたらすようで...賢者タイムってのは...形容に無理あるか…?…^^;
but…「大賢は大愚に似たり」とも言うから…案外、その顔貌だけは…「賢者」にも見て取れるのかも知れん ^^
脳波がフラットに近づいてるとしたら…
「プチットモール:petite mort(プチモルト):小さな死」と呼ばれるのも頷けますね ^^
「仏思想家のジョルジュ・バタイユが「エロティシズムérotisme」を、生殖を伴う性行為と対置的に定め「小さな死」と表現しました。セックスと表現するとバタイユに怒られます。それは何かを生み出す「ために」という目的性、生産性、有用性の次元に属し、単なる生殖活動に過ぎない。エロティシズムは逆に他者と一体となることで自我が崩壊し(脱自extase)、生命エネルギーを使い果たすことで擬似的に死を(瞬間的に)体感する「死のシミュレーション活動」です・・・」
「SEX、つまり性行為とは「人の性は死の世界を漂うことである」であると喝破したのは、文化人類学者の栗本慎一郎氏であった。それはSEXにおける絶頂、ドイツ語でいう「オルガスムス」や英語の「オーガズム」、フランス語の「アクメ」の意味は「小さな死」というものなのだ。「エクスタシー」の意味は「魂が外へ出る」「恍惚感」「昇天」という意味である。性的な絶頂感を日本語では「イク」「果てる」という言葉という言葉で表現する。「イク」を「逝く」と書けば、日本語も性的絶頂感が「死の世界」と近い距離にあることがわかる。絶頂のときに、一瞬だけ「あの世にイク」のである。「果てる」という言葉も「命が果てる」という意味で使われる。こういった性的絶頂のときに死をイメージするのは、SEXが本来【親から子へと命の継承をする行為】と考えてみると当たり前かも知れない。・・・(巨椋修(おぐらおさむ) 山口敏太郎事務所)
でも...何らかの共通点ってのがありそうで解明してもらいたいですね☆
*以下のように,酩酊状態もその仲間のようだし…^^
恐山のイタコのトランス状態になって憑依現象(神懸かりだっていいわけで…)さえも、広い意味では…エクスタシー(忘我)であり、賢者タイムと呼んだってよさそうな…?…^^
「トランス (英: trance) あるいはトランス状態とは、通常とは異なった意識状態、つまり変性意識状態の一種であり、その代表的なものである。
その状態にもよるが、入神状態と呼ばれることも、脱魂状態や恍惚状態と呼ばれることもある。」
「古代ペルシャ人は酔っ払った状態で決断をした時、それを素面の状態で再考するというルールがあった。そして素面の時に決断をした時には酔っ払った状態で再考する。
<関連> In vino veritas (イン・ビノ・ベリタス)とは、「酒に酔えば、人は本音や欲望を表に出す」という意味のラテン語 の慣用句。諺。vinoはワインを、veritasは真実を意味する。しばしば "In vino veritas, in aqua sanitas"「酒に真実あり、水に健康あり」の形で用いられる。英語圏やラテン語圏などで広く用いられる。多くの言語や文化において類似の慣用句がみられる。・・・ヘロドトスの『歴史』によれば、ペルシア人は酒を何よりも愛しており、重要な会議は必ず酒盛りの席で行われる慣わしであった。仮にも素面の席で相談してしまった内容があったら、後日あらためて酒を飲み直して再決定する仕組みだった、とされる。(『歴史』第一巻133章) また、帝政ローマの歴史家であるタキトゥスは、ゲルマン民族の会議は酒を伴った宴会であり、彼らは酩酊することで参加者同士が隠し事をすることを防げると信じていた、と記している。」
*これは…酒が自白剤のごとき作用で、余分な仮面を脱いでの飲みニュケーションとして受け継がれてますが…^^
素面は建前だけの面白おかしくもない世界でしか生きてないことを古からわかってたってわけで…
本音=真実の世界と合わせて豊穣なる生/性を享受できるための方策・知恵を本能的に弁えていらしたってわけですねぇ♪
so...賢者タイムに…本音をついしゃべってしまいかねないのよね…^^…?
同じ話題の記事をいかにも書いてましたわ…^^;
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