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「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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画像:http://www.mag2.com/p/news/152554 より 引用 Orz〜

どっちが勝っても日本は絶望。米大統領選「トランプ対ヒラリー」の悲劇イメージ 1



今日の朝刊より Orz〜

「ジョセフ・ナイ 国際政治学者
米大統領線で共和党候補になることが事実上確定した実業家ドナルド・トランプ氏は、米国が持つ同盟関係の勝ちに深い懐疑を表明して来た。同氏の世界観は正に、19世紀の遺物そのものだ。当時米国は、「面倒な同盟関係」は避けるべきだという初代大統領ジョージ・ワシントンの助言に従い、欧州への関与を避けて西半球に専心する「モンロー主義」を追求していた。大規模な常備陸軍がなく、海軍も1970年代にはチリよりも小さいものだった米国は、19世紀の地球規模の勢力均衡の中ではごく控えめな役割に甘んじていた。米国を決定的に変えたのが、第一次世界大戦への参戦だ。時のウッドロー・ウィルソン大統領は伝統を破って米軍を欧州の戦闘に派遣した。それに加えて彼は、地球規模の集団安全保障体制を構築する「国際連盟」を提唱した。だが、1919年、米上院は国際連盟への加盟批准を否決した。その後米軍は本国にとどまり、米国は元の「常態」に戻った。既に地球規模の主役になっていたにも関わらず、米国は、孤立主義の毒に染まったのだ。30年代に米国がどの国とも同盟関係を持たずにいたため、経済的不況と大量殺りくと新たな世界大戦をもたらす悲惨な10年間に繋がってしまった。不吉なことに、トランプ氏が行った最も詳細な外交演説は、同氏が正にこの孤立主義と「米国第一」主義的な感情が渦巻いていた時代からの着想を得ているということを示唆する。こうした感情は米国の政治潮流の中に常に存在してきた。だが、第二次大戦の終結以降、主流になることは決してなかった。当然である。それは平和と繁栄を促進するのでなく、阻害するものだからだ。孤立主義からの脱却と国際政治における「米国の世紀」の始まりを画したのは、第二次大戦後のトルーマン大統領による決断である。それが、恒久的な同名と海外での軍事駐留につながったといえる。米国は1948年、欧州再建のための「マーシャル計画」に巨費を投じ、翌49年に北大西洋条約機構(NATO)を創設した。50年には国連軍を率いて朝鮮戦争を戦った。日本とも安全保障条約を結び、現在に至るまで米軍は欧州と日本、そして韓国に駐留し続けている。米国内には、ベトナムやイラクのように惨憺たる結果をもたらした介入政策を巡っては激しい党派間対立がある。だが、同名システムに関しては岩盤のような総意がある。それは外交政策を作ったり考えたりする人々だけではない。世論調査によれば一般国民の大多数がNATOと日米同盟を支持している。にもかかわらず、戦後70年で初めて、主要な大統領候補がこの米国の総意に疑問を突きつけているのだ。同盟は米国の力を補強するだけではない。それは例えば核兵器の危険な拡散を遅らせることで、地政学的安定も保つ。歴代の米大統領や国防長官達は時に、同盟国の防衛支出水準が低いと不満を漏らすこともあった。しかし、彼らは、同盟とは不動産契約ではなく、例えば友情のように安定をもたらす誓約と考えるべきだということを常に理解していた。19世紀の特徴は、各国が便宜的な同盟関係を結んでは組み替えていたことだった。これに対し、現代の米国の同盟は、比較的予測可能な国際秩序を支えてきた。日本のように、受け入れ国の支援のおかげで米軍をその国に駐留させた方が米国内に置くより安上がりな場合すらある。ところが、トランプ氏は、自分の政策が予測不可能であることをむしろ美徳のように称揚している。これは的との交渉では有益なこともあるかも知れないが、友人達を不安にさせる最悪のやり方だ。米国民はしばしば、同盟国の「ただ乗り」に文句を言うが、その「バス」を運転しているのは米穀自身だということに気付いていない。欧州にせよ、ロシアやインド、ブラジルあるいは中国にしても、新たな挑戦者が米国を追い抜いてバスのハンドルを奪うことは今後数十年、不可能ではないが、まずあり得ない。米国には、「過去の支配的な諸大国」と異なる特徴がある、と言うのは英国の戦略研究かローレンス・フリードマン氏だ。その違いを「米国の力の基盤が植民地支配でなく同盟関係にあること」と指摘する。同盟関係が旨さんなのと対照的に、植民地支配は負債となる。いわゆる米国衰退論は、不正確で誤解を生む文言だ。それどころか、これを真に受けた国がロシアのように冒険主義的政策に乗り出したり、中国のように近隣諸国に攻勢を強めたり、あるいは米国自身がおびえから過剰反応を起こしたりするようなら、この文言は政治的に危険な意味を孕む。米国は多くの問題があっても、絶対的な衰退はしていない。予見し得る将来、米国はどの国より強力であり続けるだろう。米国にとって真の問題は、中国その他の競争相手に追い越されることではない。多くの国家や日国家的な主体がそれぞれ力の源泉を増大させていくのに伴い、グローバル・ガバナンス(地球規模の統治)に新たな障害がもたらされると言う問題だ。真の挑戦は無秩序であり、それによって問題解決が不可能になることなのだ。トランプ氏の政策に酔って起こり得るのは米国の同盟関係の弱体化であり、それでは同氏の言う「米国を再び偉大にする」道には程遠い。今後米国は益々多くの超国家的問題に直面するだろう。その際求められるのは、米国の力を他国に「対して」だけでなく、他国と「共に」行使することだ。世界が一段と複雑化している中では、他国と最も連携している国こそが最もつよい国になる。国務省政策企画室長を努めたアン・マリー・スローター氏が「外交とは社会資本であり、国の外交的接触の濃度と広がりに依拠している」と指摘した通りだ。豪州の調査器官「ロウィー研究所」によれば、米国が有する大使館、領事館や代表部の数は世界各国のランキングで首位だ。米国は約60の同盟条約を結んでいるのに対し、中国は数えるほどしかない。英エコノミスト誌の推計では、世界150カ国中100カ国近くが米穀寄りで、反米の国は21カ国しかない。「中国の世紀」はまもなくだという主張と反対に、あれ割れは「ポスト米国の世界」に入ってはいない。米国は依然、地球規模の勢力均衡と国際故郷剤の供給をはかる動きの中心にある。しかし、米国は、軍事的、経済的、そしてソフトパワーの面でもかつてほど卓越した存在では亡くなっていくだろう。世界経済で米国の占める割合派低下し、影響を及ぼして行動を組織する能力も次第に誓約される見通しだ。だからこそ、米国にとってはこれまで異常に、同盟を維持して新たなネットワークを築いていくだけの信用を保つことが、地球規模で成功を得るための中心的課題となるのだ。」

ちょい冗長だけど...一極集中型の世界秩序にはもうならず、勢力均衡=パワーバランスの上の平和の上の繁という姿でのサステナビリティが思い描かれてるわけね ^^...米国型の勢力礎は友情にも似た絆に信を置くという、契約社会とは別次元の方に担保を預けてるところは歴史的な教訓から来たものなんでしょうねぇ ^^
画像:Amazon より Orz〜
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今日の朝刊より…
「猪木武徳 青山学院大学特認教授
ちょうど去年の今頃、新聞をはじめ日本のメディアはこぞってフランスの経済学者トマ・ピケティ氏の大著「21世紀の資本」をめぐる論評を取り上げ、一種のブームが巻き起こっていた。海外でも、原著が英訳された一昨年春頃から有力紙と学術専門紙上で激しい議論の応酬が見られた。ピケティ氏は、先進諸国における過去30〜40年の経済格差を示す膨大なデータを示した。これを根拠に富裕層への高率課税による再配分を主張する政策家と、それに対抗して自由競争の基盤を守ろうとする論者の対立が改めて人々の耳目を引くことになった。ピケティ氏の著作が知的関心の高い読者や政策担当者向けの研究解説書であったため、多くの論者が議論に加わって、まさに百家争鳴の観を呈した。経済学は「密教的科学」と呼ばれ、その「知的島国根性」を揶揄されることが多い。そうした現状の中で起きた「ピケティブーム」は、本来日常の経済生活を対象とするはずの経済学への親近感を取り戻す効果を持っていたとも言えるだろう。その後の1年を振り返ると、日本では「あの騒ぎは一体なんだったのか」と思うほどブームは冷却している。一方、英米ではこの1年間、ピケティ氏の著書についての論評が専門誌に掲載され続けてきた。ピケティ氏の粘り強い研究姿勢には行っての敬意を払っても所得や資本(富)の測定と格差拡大メカニズムの理論構造に懐疑的な論者が多く、ピケティ氏の旗色は概して悪い。今や英米の議論は、ピケティ氏と共同研究も行ったオックスフォード大の経済学者アンソニー・B・アトキンソン氏の不平等に関する研究成果(山形浩生・森本正史訳「21世紀の不平等」)を踏まえた、より現実的な政策の可能性を探ろうとする方向に動き出している。ただ、現実の政治の場では、経済格差への不満と平等化への欲求を主張する政論の中に、ピケティ氏の研究の影響がはっきりと認められる。人々は「自由」を獲得することの難しさと「自由」を失うことのコストに無感覚になる一方、「平等」には強い関心を抱く。だからこそ、格差はつねに古くて新しい問題であり続ける。この点は、米大統領選挙の前哨戦の中にも読み取ることができる。自由で競争的な経済活動によって富を増加させるべきか、あるいは競走を制限して所得や富の強力な再分配を図るべきか。その際、政府の強制力(つまり富裕者への増税)に頼って、政府支出の内容は議会に任せるのが打倒か。それよりむしろ、激しい競走で勝者が得た富は、成功者自身の自発的な社会還元の哲学に委ねるべきではないのか。大統領選では、こうした点を巡る候補者達の政治姿勢の違いが顕著に表れているのだ。

to be continued…
手と目が疲れた…^^;
こないだモーニング食べながらこの記事を読んでたんだけど…
大変わかり易かったもので…☆
来し方行く末(こしかたゆくすえ)を想うときのインフラ知識としてスクラップ!!
日本経済新聞社さん、新聞から打ち込んだので大目に見てね Orz〜
昔のお坊さんが仏教伝来時に写経したようなものなのだと…^^

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*途中大きく落ち込んでる年は丙午という年で…

https://ja.wikipedia.org/wiki/丙午 より Orz〜
丙午(ひのえうま)年の生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮めるという迷信は、丙午の年には火災が多いという江戸時代の初期の迷信が、八百屋お七が1666年の丙午生まれだとされたことから女性の結婚に関する迷信に変化して広まって行ったとされる。江戸時代には人の年齢はすべて数え年であったため、もしも八百屋お七が1666年の丙午生まれならば放火し火あぶりにされた天和3年(西暦1683年)には18歳になってしまう。西鶴などの各種の伝記では16歳となっている。しかし浄瑠璃作家紀海音が浄瑠璃「八百やお七」でお七を丙午生まれとし、それに影響された為長太郎兵衛らの『潤色江戸紫』がそれを引き継ぎ、また馬場文耕はその著作『近世江都著聞集』で谷中感応寺にお七が延宝4年(1676年)に掛けた額が11歳としたことが生年を寛文6年(1666年)とする根拠となった。紀海音は演劇界に強い影響力を持ち、文耕の近世江都著聞集も現代では否定されているものの長く実説(実話)とされてきた物語で有り、お七の丙午説はこのあたりから生じていると考えられている。・・・

1966年生まれ

この迷信は昭和になっても強く1966年の出生率は前年に比べて25%下がった。子供をもうけるのを避けたり、妊娠中絶を行った夫婦が地方や農村部を中心に多く、出生数は136万974人と他の年に比べて極端に少なくなった。一方で前年および翌年の出生数は増加している。なお、出生数が1966年を下回るのは本格的な少子化時代に入った1989年以降である。
1966年に生まれた子供は少なかったことから、この学年度(翌1967年の早生まれを含む)の高校受験大学受験が他の年より容易だったのかについては当時からしばしば論じられた話題であったが、大学一般の入学率については有意な差がみられないものの、国公立大学への進学率は1985年に上昇した。またこの年の子供は第一子(初めての子供)率が50.9%で統計史上過去最多であり、少子化が進んだ現代でもこの数値は超えられていない。

*赤字の意味がよくわからないんだけど…^^;...2人目以降はこの年には生まなかったという意味なんでしょうが...少子化の今なら...毎年2人目はほとんど産んでないはずなんですのにね…?
*60年周期でやってくるわけだけど…次の2026年(11年後、TOKYOオリンピックの6年後)...すでにいまの特殊出生率の方が低いわけだから...いまの少子化の要因以上のバイアス源にゃならないと予想しますけど…?…^^;


日経新聞(201582) より Orz〜
「戦後70年日本のかたち−5−
老いた「夢の福祉国家」 社会保障巨大化の軌跡
 
終戦から16年後の1961年。街には石原裕次郎と牧村旬子が歌う「銀座の恋の物語」が流れていたこの歳、日本は夢の福祉国家に踏み出した。すべての国民が安い費用で医療サービスを受けることができ年金ももらえる「国民皆保険・皆年金」を導入。経済成長を国民の安心につなげる仕組みを取入れたのだ。
 
成長の果実「皆年金」
  60年代〜
61年当時、世界でもまだ珍しかった国民皆保険・皆年金。先行したのはすべての国民が健康保険などの公的医療保険制度に加入する「皆保険」だった。「あっという間にできた印象がある」。54年に厚生省(現厚生労働省)に入った幸田正孝・元厚生事務次官(83)は国民皆保険についてこう振り返る。大正時代に工場労働者を対象とした健康保険法が制定され、昭和に入ってからも農民などを加入者とする国民健康保険精度がつくられていた。これらを拡大していく形で皆保険が実現した。「すでに基盤があったうえ、市町村長の要望も強かった」(幸田氏)
一方、すべての国民が公的年金制度に加入する「皆年金」はすんなりとはいかなかった。戦時中に今の厚生年金の原型となる年金制度はつくられていた。しかい、それは工場労働者など雇われて働き、定年があるという労働者のための制度。定年がない自営業者や農業従事者なども含めた全国民に年金が必要という認識は政府にはあまりなかった。だが、都会で就職しふるさとに戻らない若者が増え親の面倒は子どもが見るという日本の伝統が崩れ始めていた。年金に関する国民の関心も強まり自民党や社会党が皆年金を選挙公約に取入れた。そして自営業者らのための国民年金もつくられ、皆年金が実現していく。55年の厚生省入省後間もなく国民年金制度づくりに携わった吉原健二・元厚生事務次官(83)は「政治主導だった」と語る。当初は保険料負担に対する反発もあった。なんとか発足した国民年金は月100円の保険料を25年払えば、65歳から月2千円の年金がもらえる設計。サラリーマンの平均月収がおよそ4万5千円の時代にささやかな仕組みとして出発せざるを得なかった。高度経済成長の波に乗り国全体が豊かになる一方、67年には総人口が1億人を突破。保険料や税で社会保障制度を支える現役世代も増え続けた。医療や年金などすべての福祉制度が拡充し日本は夢の福祉国家への階段を駆け上がっていく。福祉元年と呼ばれた73年。70歳以上の高齢者が病院にかかった際の自己負担がなくなり、無料で医療を受けられるようになった。時の首相は田中角栄氏。日本列島改造論を掲げて登場した田中氏は公共事業だけでなく、社会保障の拡充にも意欲的だった。厚生年金では、現役男性の平均月収の6割が標準的な年金金額の目安となり月5万円の年金が実現。国民年金でも夫婦で月5万円にまで達した。皮肉にも、夢の福祉国家は福祉元年の73年に転機を迎える。この年の暮れ、第1次オイルショックが起こり、日本は戦後初のマイナス成長に陥る。
 
少子化対策後手に
  80年代〜
高度成長は終わりを告げる。すでに70年代に人口に占める65歳以上の人の割合が7%を超え日本は「高齢化社会」になっていた。第2次オイルショックが起きた79年。大平正芳首相は公的支援を拡大して来た潮流を改め自助努力や家庭の役割を重視する「日本型福祉社会」を提唱した。社会保障制度は「このママではだめだとの雰囲気が出始めた」(吉原氏)ためだ。82年、政府は老人保健法を制定。高齢者が医療を受けた際に一部負担金を求めることにした。年金についても85年の制度改革で初めて本格的に給付水準を引き下げることになった。痛みを伴う改革はゆっくりとしか進まなかった。長寿化に対応し厚生年金の受給開始年齢を60歳から65歳に引き上げることも検討したが、反発が強く85年改革では見送られた。結局、94年と2000年の改革で25年度までかけて段階的に実現(男性の場合。女性はさらに5年遅れ)することが決まった。給付が絞れないなら、その分きちんと財源を確保できたのかというと、そうではなかった。厚生相や自民党税制調査会長などを歴任した津島雄二・元衆院議員(85)は「80年代は野党を中心に『減税』の声ばかりが強かった」と回顧する。増大する社会保障の財源として消費税を充てる考えは「60年代からあった」(津島氏)。だが、消費税が導入されたのは89年。その後も減税は続き、国の財政は悪化の一途をたどる。少子化対応も後手に回った。89年、「157ショック」が起こる。1人の女性が生涯に生む子どもの数が2を大きく割り込み、過去最低となったのだが、政府は「『産めよ増やせよ』の戦時政策の反省から人口施策に関わるべきでないとされていた」(幸田氏)。円高不況を乗り越えた日本はバブル経済に突入、高揚感に包まれていた。岡本圀衛・経団連副会長(70、日本生命保険会長)は「ベビーブームはまたやって来るという雰囲気だった」という。経済界が事態の深刻さを認識したのは「生産年齢人口が減り始めた96年」(岡本氏)ごろだった。社会保障改革は21世紀に入り本格化したが、その軌跡はちぐはぐ感が強い。2000年には深刻化する介護問題の解決の切り札として介護保険制度を導入した。だが介護が必要な高齢者が想定を上回るペースで増え、制度は相次ぎ修正を迫られる。04年には現役世代の際限のない負担増を抑えようと、年金保険料に上限を定めその財源の範囲で年金を給付する仕組みを導入。12年には社会保障と税との一体改革関連法が成立した。社会保障費の財源となる消費税を5%から8%、さらに10%まで引き上げていく方向性が固まった。だが、社会保障拡充を主導した政治も痛みの伴う改革はためらいがちで改革の歩みは鈍い。足りない財源を国債発行に頼る構図が続き国の借金は1000兆円を超した。政府推計によると、25年度の社会保障給付費総額(自己負担を除く)149兆円。12年度比36%増え同期間の国内総生産(GDP)の増加率(27%)を大きく上回る。戦後にかたち作られた世界に冠たる日本の社会保障。理想を追い求め巨大化したが、恩恵を受ける人と負担する人の不公平感は強まっている。人口減と低成長が日常の風景になるなかで、どう未来に引き継げばよいのか。解はまだ得られていない。(担当:編集委員 山口聡) 」

宇宙人は存在する...

我田引水の記事見つけた♪

画像:http://autonetonline.com/cat5/ より Orz〜
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スティーヴン・ホーキング
1942年1月8日 -


●宇宙物理学の権威 ホーキング博士「高度文明宇宙人は存在する」産経新聞、読売新聞記事

★1.産経新聞2010年4月27日朝刊

「宇宙人存在する」
「地球植民地化も」

【ロンドンAFP-時事】
「車いすの天才宇宙物哩学者」として知られる英ケンブリッジ大のスティーブン・ホーキング博士は25日放送の米テレビ番組で、宇宙人は存在すると断言。

ホーキング博士断言.

その上で、高度な文明を持つ宇宙人が地球を植民地化する可能牲があり、「未知との遭遇」は地球に破滅をもたらす恐れがあると警告した。

この番組は「ホーキング博士と宇宙へ」と題され、ディスカバリーチャンネルで放映。
自らの星の資源が枯渇した知的生命体が巨大宇宙船に乗って宇宙をさまよう想像図を示しながら、ホーキング博士のコメントを紹介した。

博土はこの中で、「わたしの数学的頭脳にとって、宇宙人の存在を想像することは完全に合理的だ」と指摘。
ただ、資源を求める高度な伎術文明を持った宇宙人が地球に来訪すれば、
「コロンブスの米大陸到達が先住民にもたらしたのと同様の好ましくない結果を招く」と警告。
「これら知的生命体は宇宙の『遊牧民』となり、到達する惑星をことごとく征服し、植民地にしようとするかもしれない」と予想している。


★2.読売新聞2010年4月28日

【ワシントン.山田哲朗】車いすの天才物理学者として有名なスティーブン・ホーキング博上が25日、宇宙についての米テレビ番組で「人類はエイリアンとコンタクトすべきでない」と発言し、話題を呼んでいる。

ホーキング博士は.発達した科学文明を持つ異星人がいる可能性は高いとしたうえで、異性人の地球訪問は「コロンブスがアメリカ大陸に到着したのは、アメリ力先住民にはよくなかった。同様の結果になる」と指摘。人類は異星人との接触を試みるべきではないとの見解を披露した。
自らの資源を使い果たした異星人は、「遊牧民となって、征脳して移住できる感星を探すだろう」とも述べた。
宇宙論の権威による悲観論に、専門家の間では「一方的な推測だ。友好的な異星人に出会える確率も同じぐらいでは」などと、戸惑いの声も上がっている。」




●ところで、「UFO」に対して皆さんはどのようなイメージを抱いているだろうか? 
ある種のロマンを感じているだろうか? 地球外文明の乗り物だと思っているだろうか?
それとも、UFOには全く興味がないし、UFOなんて幼稚な人間が考える空想の産物だと思っているだろうか?
その他、様々な意見があると思うが、いずれにせよ、日本ではUFOに対して否定的な見解を持つ人が圧倒的に多いような気がする。

●頭のいい人ほどUFOを否定するのであろうか……?
この件に関して、興味深い統計がある。
これはIQ(知能指数)148以上の人だけが加盟できる「メンサ・インターナショナル(世界天才クラブ)」のフランス支部が実施したUFOに関するアンケートの結果だが、それによると、
◆UFOの実在を信じる……………93%
◆UFOの現象を調査したい………76%
◆UFOを目撃した…………………40%
◆UFOに招かれたら乗りたい……46%
◆UFOは地球外文明のもの………52%
となっている。
天才と呼ばれる人々の約90%がUFOの実在を信じているのである。
また、アメリカの科学雑誌『インダストリアル・リサーチ&ディベロップメント』が1200人の科学者・技術者を対象に、UFOについてアンケート調査を行なったが、なんと61%もの人たちがUFOの存在の可能性を認めていることが判明した。

●このように、欧米ではインテリ層ほどUFOの存在を認める傾向があるようなのだ。(断言はできないが、日本では逆の結果になると思う……)。」

ちなみに...中学校のときのわたしのIQは150以上あったらしい...
学年で(250人くらいだったけど...)二人いたって...
その後は...凋落の一途をたどってる気がする...^^;...
インターネットのIQ検査じゃ...今は130台だったんだもの...なはっ...
高校のとき160あった奴が...東大の文1に入ったなぁ...
彼、今頃どうしてんだろ...?

たいていUFOの話をすると...いかがわしい奴と思われちゃうのよね...^^;...
わたしゃ...どう思われたってヘッチャラだから...平気で話しちゃうけど...Orz...

わたしが存在すると思ってる理由は...
地球人=宇宙人そのものだと思ってるから...^^
地球にいる人類って知性体が存在するなら...どうして...この宇宙に我々以外がいないって否定できます?...存在証明は我々がいるってことだけで十分だと思うんだけど...

で...ホーキング博士の推論は...人類と同じ発想/歴史観でのアナロジー...
人類よりもずっと進んだ文明の持ち主が...人類と同じような考え方のレベルかどうか...人類には計り知れない訳だよね...
だから...彼の予想は...おそらく杞憂だと思いたい...


http://ja.wikipedia.org/wiki/スティーヴン・ホーキング より

スティーヴン・ウィリアム・ホーキング(Stephen William Hawking、1942年1月8日 - )はイギリス理論物理学者である。「車椅子の物理学者」として知られる。
ホーキング放射ブラックホールの蒸発などの、ブラックホールに関する研究が特に有名であるほか、『ホーキング、宇宙を語る』の著作などでもよく知られている。
サイエンスフィクションを好み、実際にアメリカのSFテレビドラマ『新スタートレック』に本人のホログラムイメージ役で出演の経験がある。
筋萎縮性側索硬化症を発症したとされている。しかし、本来発症から5年程度で死に至る病気の患者でありながら途中で進行が急に弱まり、以後40年近くも健在でいる。

一般相対性理論が破綻する特異点の存在を証明した特異点定理ロジャー・ペンローズと共に発表した。

一般相対性理論と量子力学を結びつけた量子重力論を提示している。この帰結として、量子効果によってブラックホールから粒子が逃げ出すというホーキング放射の存在が予測されている。
タイムトラベルが不可能であるとする「時間順序保護仮説」を提唱した。この仮説では、過去に行くことを許容する閉じた時間線が存在するためには場のエネルギーが無限大でなくてはならないとする。・・・」

知的情熱、自説も覆す 梅原猛さん

新著「葬られた王朝」

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    「まだまだ新説を世に問うつもり」と意気盛んな梅原猛さん(京都市で)=奥村宗洋撮影


発表した学説を自ら批判することほど、研究者にとって難しいものはない。それを文化勲章受章者である哲学者の梅原猛さん(85)が、新著『葬られた王朝』(新潮社)でやってのけた。自らの古代学の集大成と位置づける書は、古代出雲王国の実在を、現地調査から得た知見を盛り込みながら、大胆に、スリリングに説いている。(西田朋子)

古代史3部作完結

法隆寺を聖徳太子一族の怨霊(おんりょう)鎮魂の寺と論じた『隠された十字架』(1972年)、万葉歌人・柿本人麻呂の刑死説を唱えた『水底の歌』(73年)に続く古代史3部作の完結編。「過去50年間に及ぶ諸学問の経験を総合して、思想上の冒険ができたのは大変幸せ」と語る。
この中で梅原さんが自説を方向転換したのは、ヤマタノオロチ退治などの出雲神話。70年に発表した「神々の流竄(るざん)」では、出雲で成立した神話ではなく、「大和の先住民の伝承が、8世紀の律令国家形成期に、ある政治的意図をもって出雲に置き換えられ、古事記・日本書紀に収録された」と論じている。
しかし、84年に島根県・荒神谷遺跡で銅剣358本が、96年には加茂岩倉遺跡で銅鐸(どうたく)39個などが出土。出雲周辺に一大文化圏が存在したことを示す遺物が次々と見つかった。
梅原さんは2年前、出雲を訪れたのを機に「自説が間違いなら、生きているうちに正さんといかん」と意を決し、現地を再訪。遺跡や出土品の調査だけでなく、古い神社をくまなく歩いた。「神事や奇祭は文献上、隠された事実を冷凍保存していることが多い」からだ。その結果、「アマテラスを開祖とするヤマト王朝以前に、スサノオを開祖とする出雲王朝が数百年にわたり日本を支配していた」と、記紀神話を読み解いた。
韓国(からくに)から渡来したスサノオは、圧政で人々を苦しめる豪族=ヤマタノオロチを退治し、出雲平野に豊かな王国を築く。6代目の大王オオクニヌシの時代には因幡(現・鳥取県東部)や越(北陸〜新潟県)、南進して近畿まで支配するがやがて衰亡。南九州から東征してきた天孫族に「国譲り」を迫られ、稲佐の海に隠れた――。
「弥生時代、日本列島の文化的中心は日本海沿岸にあった」などとする梅原さんの推論は、終章でさらに熱を帯びる。「日本に律令制を導入した藤原不比等こそが記紀編纂の実務者であり、藤原氏が権力の中枢を占め続ける布石として建国神話を改竄した。そして闇に葬った前政権の神々を鎮魂するため、出雲大社に巨大本殿を建造した」
戦前は皇国史観に支配され、戦後はその反動から長らく記紀神話の歴史的解釈はタブー視されてきた。「うぬぼれず自棄に陥らず、このようなかたちで国をつくった日本の姿を、冷静に見つめなければならない」
年齢と共に、「学説は過激さを増している」。自説も含め通説を覆し続ける知的好奇心、精神の柔軟さの源とは? そう尋ねると、しばし沈黙して「青年だった僕らを『死ね』と戦場に駆り立てた祖国への怒りと、それでも消えない愛情。相反する強い気持ちが、私をさらなる日本研究に駆り立てる」と答えた。
90歳までに近年最大のテーマである世阿弥論と親鸞論を完成させ、「最終解答として、西洋近代思想批判と自然回帰の思想を書く。それから人麻呂論、アイヌ言語論……。120歳まで生きないとなぁ」。知的活火山は健在である。(2010年5月10日  読売新聞) 」

*「隠された十字架」も「水底の歌」も買ったのに...未読のまま...^^;
   でもこういうの好き♪

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       http://blogs.yahoo.co.jp/remon_17986/29426346.html より Orz〜
出雲大社(いずもおおやしろ、いずもたいしゃ)は島根県出雲市にある神社である。式内社(名神大)、出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。
祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。古来より「国中第一之霊神」として称えられ、その本殿は「天下無双之大廈」と評された。
縁結びの神様としても知られ、神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われる(神在祭 旧暦10月11日〜17日)。正式名称は「いずもおおやしろ」であるが、一般には「いずもたいしゃ」と読まれる。

由緒
日本神話によれば、大国主神が天津神に国譲りを行う際、その代償として、天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしいと求め、造営されたのが出雲大社の始まりであるという。古代より杵築大社(きづきたいしゃ、きづきのおおやしろ)と呼ばれていたが、明治4年(1871年)に出雲大社と改称した。・・・
昔から神社の大きさをおぼえ歌で数える風習が有り、「大屋を誦して謂う。雲太、和二、京三(うんた・わに・きょうさん)」で、一番の雲太とは出雲大社。2番目の和は奈良の大仏・・・奈良を昔は大和の国と言っていましたので、大和の和。三番目の京は京都の平安神宮の大極殿のことです。・・・」

「・・・「止むを得まい。この葦原中津国は高天原に差し出そう。ただ、わしの隠れ住むところは注文どおりに致せ。汝、高天原に戻って天津神にこう告げよ。天津神の御子が世世神の火を絶やさず、継ぎ伝えるところの、煙立ち上る富み足りた厨そのままに、太柱深く地底の岩根踏まえ、ヒギ高く高天原に届かんばかりの宮を造り、わしを祭れ。・・・そうすれば我が子たち百八十神、事代主に従って使え、叛く事はあるまい」。
これが出雲王国の王・大国主命の最後の言葉だ。しかし敗軍の将でありながらかなり強気の要求である。米軍に無条件降伏した日本とはかなりの違いだ。これも建御名方神が善戦し、条件付で降伏したことによると想像している。
そしてこの天に届くような宮と思われる遺跡が、2000年3月に現出雲大社の境内から発掘された。それは1M余の柱3本の組柱の木柱痕であった。これはある程度予想はされていた事ではあったが皆ドキモを抜かれた。その予想とは大社に残る古文書の中に古代大社の構造図があり、その図が正に発掘された木柱痕と同じであったのだ。構造図によれば3本の木柱を鉄の輪で束ね一本とし(3M位になる)、それを9本立てて高層神殿を立てたと記されていたのだ。その高さは16丈(48M)であったと言う。
平安時代当時の建築物のビッグ3をこう記していた。「雲太、和二、京三」と。
これは出雲大社が一番、次が奈良の大仏殿、三番目が平安京大極殿と言う意味だ。今の奈良の大仏殿は当時と同じで45Mと言われている。大社に伝わる16丈とは48Mになるので、その言い伝えが正しいと推定された。そしてその推定を更に裏付けたのが大手ゼネコン大林組がチャレンジした、古代出雲大社復元プロジェクトとであった。
大社に伝わる構造図を基に構造計算をし、木柱3本束ねれば48Mの大社の建設は可能であると結論したのだ。
古事記の内容が史跡と繋がる例は少ない中で、この大国主命の要求した宮と、コンピューターによって再現された出雲大社が重なった意味は大きい。・・・」

*そうか...むかし NHKの番組で見た記憶あるんだけど...すでに10年前の話になるんだなぁ...^^;...

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