アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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讀売新聞 2009.06.22. 文化欄 2009 思潮 6月 より Orz〜

「夢なき時代」打開策は? 冷徹な目か ラテン的価値観か
北朝鮮の核実験、新型インフルエンザの流行、民主党の代表交代、GM破綻といった大ニュースが次々に押し寄せている。それぞれは独立の事象だとしても、全体として、我々が歴史的な変化に直面しているとの感覚を抱かせる。今月は各事象の分析もさることながら、それを受け止める日本人の意識や思想を探る論考が目を引いた。まず「1990年代」と「ゼロ年代」の思想変化を<かわいい>という語から明らかにするのが、韓国思想研究家・小倉紀蔵氏の「『かわいい日本』の衝撃」(『外交フォーラム』)。氏によれば、<かわいい>は、90年代は無目的で人畜無害な対象に向けられて使われた。それがゼロ世代になると「『アタシはカワイイのよ!』と自己のかわいさを派手に追及しプロデュースしマーケティングする主体」となったという。「消費をエンジョイしつつ底なしの相対主義によって彩られた『終わりなき日常』を生きる」ポストモダンの90年代から、「ゼロ年代は相対主義を乗り超えて再び主体的な『意図』『選択』『序列化』の時代になった」。だが「主体的」になることが毎年3万人の自殺を引き起こしたと、仏文学者の内田樹(たつる)氏は「若者の自殺者急増、その真の理由」(『中央公論』)で見る。氏は「私たちの社会で自殺者が増えた時期は、地縁・血縁の中間共同体が崩壊し、『自己決定・自己責任論』と『自分探し』イデオロギーが瀰漫した時期とピタリと符合する」と指摘。行政もメディアも知識人も「個人が自分自身の運命の支配者になること」を奨励したことが自殺増をもたらしたとし、これを減らすには「『あなたはあなた自身の運命の支配者ではない』ということを証明してみせるしかない」と説いている。社会学者の見田宗介(むねすけ)氏と消費社会研究家の三浦展(あつし)氏は、対談「『進歩』が終わった世界を若者はどう生きるか」(『中央公論』)で、ゼロ年代の若者の意識変化を論じている。この中で三浦氏は、<あの世を信じる><奇跡を信じる>20代の若者が、2003年から08年の間に、それぞれ15%から23%、30%から36%に増えたとする調査結果を示し、「若者が『脱呪術化』ならぬ『再呪術化』されている」と指摘。さらに<男は仕事、女は家庭>に同感する20代女性が増えていることも挙げ、若者の間で「進歩」「夢」「未来」という価値意識が「溶解している」と述べる。こうしてみると、今に至るゼロ年代とは、底なしの相対主義から抜け出すため、個人が自らの運命を支配しようとする「再主体化」を志向しながら、結果として不安やストレスを高め、未来を期待できなくなった時代、といえるかもしれない。今後の打開策を示す論考は、多くはない。今月号で廃刊する『大航海』が「ニヒリズムの現在」を特集しているところが、状況を象徴しているかのようだ。その中で、「ポストモダン・ニヒリズムとは何か?」を発表した思想史研究者の仲正昌樹氏は、「『ポストモダン状況』を受け入れることが『ニヒリズム』だとすれば、"私たち" は『ニヒリズム』を超克することができるのか?」と問いかけ、こう提案している。「焦って強引に新たな価値の源泉を発見しようとするのではなく、存在論的な不安に耐えながら、"私たち" の欲望の流れ、その変容を冷徹に見つめ続ける」それでも道筋を探すなら、見田・三浦対談の見田氏の見解が目に留まろう。「近代後においては、ラテンアメリカの文化がモデルになりうるのではないでしょうか。ラテンアメリカの文化の基本は、恋愛のみならず、同性の友人、仕事関係者まで含めた人間関係それ自体を楽しむことです」。成長が望めない時代には、「よい人生を送る」という視点から価値を考えよという呼びかけだが、日本人はどこまでラテンになれるのだろう。(文化部 植田滋)」

若者の自殺はともかくとして...中高年の自殺者の責任は国にあると思ってる...それまで刻苦勉励で働いてきた者が不況という自己責任以外のところで路頭に迷う...戦後のヤミ市の頃は食う物もなく金もなくっても生き抜いてきたバイタリティはどこに行ったのかは問わないが(案外ここ(タフさの衰退)の解明が急務だったり・・・?)...あたら国民の命を粗末に考え過ぎてると...困窮したときこそ国は救いの手を差し伸べるべき存在なんだ...!!
結構なスピードで生きてきた国民は急ブレーキを踏まれたら...慣性で踏みとどまれない者が出てくるに決まってる...成長・業績の留まるところのない目標・国威発揚という至上主義が当たり前のような社会に疑うこともできないまま適応して...いまさら...「よい人生を送る」ことに価値をシフトした生き方を探るって?今までの生き方は自分の人生を犠牲にした・幸せを求めることなんて視野になかったとでも言うのだろうか...? ラテン民族流に生きるとかなんて...またぞろ真似事...人はいつだって、どこだって「愛し愛されて」生きられれば「幸せ」なんだと思ってる...^^v♪
今の状況で「妻は家庭」ってのは男にとっては辛いんじゃないのかな...? 食べさせていけなけりゃ妻もめとれないじゃん...!!

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讀売新聞 2009.06.28. 本 よみうり堂 より Orz〜

「岸田秀談話集 官僚病から日本を救うために 評・本村凌二(西洋史家)
あるパーティで本人と立ち話したことがある。歴史家は手続きこそしっかりしているが岸田歴史論の方がだんぜんおもしろい、と評者が言ったら、歴史家が「もし」を問わないからですよ、とのお返事だった。人間は本能が壊れたから、その代わりに自我をつくった。その自我は不安定だから、神、国家、民主主義などの幻想で支えるのである。この「唯幻論」は単純だが、切り口が鋭い。日本の組織や共同体はひどく自閉気味である。自分の部署や仲間をかばうだけで、社会や国家をかえりみない。それを官僚病と名づけ、島国の鎖国があったからだという。岸田本を読んで「目から鱗が落ちる」を実感した来生たかおは、「真理なんてない」という岸田さんの話が理解されればすごく平和になる、と讚える。だが、みんなが同じようになればという考え方は危険だ、と相手に諭される。さすがだと思った。新書館、1800円」

むかしわたしも彼の本を読んでかなり感化されてると思う♪
日本は黒船に強姦されたトラウマを引きずってるんだってな文章も読んだ覚えあり...^^;
喩えが秀逸だし...Aha体験できますよ!!
ただ、、、上の文脈では...社会や国家は幻想だって言うのに...それを顧みないのはけしからんってな理屈はおかしいよね...? 幻想だから故に顧みられにくいんだよね...でも...幻想で成り立たせてる限りにおいてはそれが幻想とはいえ...守り抜かなきゃ瓦解するリスキーな存在の人間でもあるわけだから...
矛盾の中で生きるしかないってのが真相かもね...^^;v
だとすると...大きな物語を死守する視点で物事の判断をしてなきゃ...自分で自分の首を絞めることになるってわけだ...わたしが吠えるのはその観点からなんだって思いたい...「唯幻論」教の信者だな...わたしって...^^; Orz...

画像:岸田秀
http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/interview.cfm?i=20061212cm001cm&p=2 より Orz〜
「・・・経済活動で戦争なんてしません。そもそも、経済活動そのものも幻想で成り立っている。中国侵略で日本は失敗したが、同じようなイラク侵略で米国は成功したい。それによって日本に完全に勝ったと初めて思えるからです。イラク国民はいい迷惑ですね。米国が世界政策を進めていく限り戦争はなくならない。米国も強迫観念にかられている、という自分自身の状況を自覚すべきです。
ただ、先住民の虐殺の事実を認識することは米国人にとって容易ではありません。現実を見つめることがスタートなのは、神経症の治療と同じです。例えば親に虐待されて育った子にとっては、親が自分に対して愛情を持っていない、というのは辛い現実。辛いので、親が自分を殴ったのは自分を愛しているからだ、とその事実を正当化して考えがちです。でもこれは自己欺瞞だから、親への不満や疑い、憎しみを無意識に抱えている。無意識に抑えているものが衝動となって出てくるのが神経症です。その神経症を治すには、まず現実を見つめることが何よりも大事です。そこから出発して事実を受け入れ自分の人格構造を立て直さないといけない。それが神経症の治療です。

◆──日本も同じ神経症だと指摘していますね。
その通り。日本も降臨天孫説を唱え、我々の先祖は天から降りてきた神である、という誇大妄想から始まっています。アメリカも病人だが、日本も病人。でも人間は生まれながらにして本質的に神経症だといえます。100%現実を認識することなんてできないから多かれ少なかれ神経症になる。だからまずは病人であるということを自覚し病気の症状をコントロールしないといけない。ところが、米国のように、自分は病人なんかでなく、正しい理想を世界に広める為に頑張っているんだと思っている限り、症状は治らない。・・・
敗戦以来、日本は米国の植民地ですからね。日米同盟なんて大嘘。同盟というのは対等な関係で結ぶもの。自衛隊はアメリカの傭兵のようなもの。支配されて洗脳されているわけですから、まずそういう厳しい現実を見つめないといけない。現実を見た上でどう行動するかというのが大切です。そういう世界の現実を見渡した上で、それでも米国の従属国であることがやむを得ない選択と判断されるのならば仕方がありませんが。
・・・
◆──資本主義はどうですか。
資本主義も人間の本能が壊れた、という点から説明できます。僕はヨーロッパ人というのは世界で最初の被差別民族で、そういう被差別状態が現代の発展の原動力になった、と主張しています。ある土地に住んでいて、その土地の自然の産物である程度豊かに暮らしていける環境では、個人主義は必要ありません。集団としてその土地の産物で暮らしていけるわけですから。
黒人として人類が発祥したアフリカはまさにそういう理想の地だったんですよ。ときには地震や台風などの自然災害で作物がだめになり、餓死したり飢饉が起こったりしますが、全員が平等にやられる。皆それぞれ自分の土地の産物で大体暮らしていけた時代に、ヨーロッパは寒冷で土地がやせて暮らしにくく、ヨーロッパ人は世界で一番貧しい民族でした。そんな所に自分から進んで行くわけがない。
アフリカから、被差別民族としての白人がヨーロッパに追われていったのです。土地が貧しいから、狩猟採取だけでは足りず、皆で平等に分けていると全員が餓死する。だから能力のある者の努力の成果を評価してやることで、有能な者の力を発揮させ、そうすることで社会が成り立っていった。そこで能力のある者とない者の格差が生まれました。
次に労働の対価として貨幣が生まれました。貨幣があればなんでも買えるし、果物や肉や魚だったら腐るが貨幣は蓄積できる。土地のやせたヨーロッパに追われた結果、その必然性として貨幣が誕生した。貨幣は資本主義の始まりですからね。・・・」

おもしろいでしょ!!♪

http://ja.wikipedia.org/wiki/岸田秀 より
「岸田 秀(きしだ しゅう 1933年12月25日-)は、心理学者、精神分析学者、思想家、エッセイスト、和光大学名誉教授である。・・・香川県善通寺市に生まれ、香川県立丸亀高等学校を経て早稲田大学文学部心理学科を卒業する。同大学大学院修士課程修了後、ストラスブール大学大学院留学、その際、同大学院を「卒業」したと思っていたが、後で博士号を取っていることを確認できなかったという。1972年から2004年まで和光大学教授を務めた。雑誌『現代思想』によって思想界にデビュー。1978年に出版された『ものぐさ精神分析』はマスコミを中心に話題となり、当時の思想界の若きスターだった柄谷行人も岸田の理論には注目していた。また、岸田の理論を信奉した伊丹十三は、岸田をメインにすえた思想雑誌『モノンクル』を刊行した。1980年代に到来する「ニュー・アカデミズム」の先駆とでもよべる人物であり、また、学者・研究者としてどの学会にも属していない。

思想
岸田は、「人間は本能の壊れた動物である。」という定義から始まり自我、家族、国家に*及ぶ独自の思想、「唯幻論」を『ものぐさ精神分析』(およびその原点となった雑誌掲載の論文「日本近代を精神分析する‐精神分裂病としての日本近代」など)で提唱する。常識として疑われることなく通用している意味、観念を幻想といいきり、徹底的な相対化をおこなう、いわば「価値の紊乱(びんらん)」にこそ、この思想の独創性が見出せる。語り口の痛快さによって多くの読者を得て、80年代前半の思想界の注目を集めた。『ものぐさ精神分析』を出版した際、「自分が言いたいことは一つしかない、著作はこの一冊でお終いだ」と宣言し、実際『ものぐさ精神分析』における唯幻論の思想はその後も変わらず一貫性を保っている。ただし、著作は多くの読者を集めたことからその後も多数出版している。・・・」

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続きです ^^v

http://www8.cao.go.jp/kourei/kou-kei/14semminer/s_kouen02.htm より Orz〜
「カー・ボランティア――「ボランティア 妻が付き添う 駄目オヤジ」
89年ごろはまだ事実こうしたことがありました。私の少し若い友人のご両親お二人とも大正生まれで、父上のほうは先だって亡くなりました。理工系の方で定年後は、学習遅滞児に算数を教えるなど、ボランティア精神が豊かな方でした。車がお好きで、地域のカー・ボランティアもなさっていました。今のようにタクシーの病院送迎が介護保険の保険点数に入る世の中ではありませんでしたから、お年寄りとその家族にとってカー・ボランティアは本当に助かりました。奥様もまた地域の消費者運動などのリーダーをしていて、すごく忙しい方です。しかし、夫にはやはり何かやってもらいたいし、カー・ボランティアの仕事はみんなに喜ばれているのだから、夫へお呼びがかかると、妻はご飯の支度をしていても火を止めて、自分の会合があっても慌てて遅刻の電話を入れて、夫のカー・ボランティアの隣に付き添うのです。つまり、夫は車の運転だけをする。「お年寄りの体に触ったことがないから、おれはいやだ」。差別的な意味ではなく、けがでもさせてはならないからというわけです。「ボランティア 妻が付き添う 駄目オヤジ」というわけでした。ところが、つい1年ほど前、わが「女性と仕事の未来館」で、フィランソロピーの担当として働く会社の方々のイベントがあり、ボランティアに集う男性たちの川柳大賞というのがありました。そこで第1位は、「朝ボラに 行く顔そろう 縄のれん」です。時代も変わってきたなと思いました。

2.失われた10年から創造の10年へ
89年辺りから、この年表をご利用いただきたいと思います。89年は、世界政治の上でも、またやがて私どもに大きな影響を及ぼすという意味でも、まさにエポック・メーキングな年です。ベルリンの壁崩壊の年です。ベルリンの壁崩壊というマクロのことと、今、私が申し上げるミクロなことは、まさにだれかの言葉ではありませんが、「人が生きるということ、すべて私的なことはすべて政治的なことである」などという言葉と重ね合わせると、多少どこかで関連があるのだろうと思っています。

90年代は「市民社会づくりの基盤整備の10年」
経済的側面からみれば、この90年代の10年間は、失われた10年とか無策の10年などと言われますが、これはそのとおりなのでしょう。「失われた10年(Lost Decade)」とはアメリカのエコノミストが言い出した言葉だそうで、経済や財政の面からみれば、それを否定することはできません。でもそれだけでは日本人に元気が出ないではないですか。先ほど・・・奇しくも8年前の今日、起きた阪神・淡路大震災をきっかけにみえて来た日本の民の力のお話をなさいましたが、それらを含めて、私は「この10年を失われた10年と言わば言え、視点を変えれば、21世紀型市民社会をつくる基盤整備の10年であった」と言いたいと思っています。お仕着せ型民主主義、お任せ型民主主義から自立参画型民主主義の基盤をつくる法律、制度をざっと並べてみただけで、このメモのようにあります(下記参照)。男もとれる育児休業、男もとれる介護休業などは、景気の低迷する1990年代になってやっと出てきているのです。この10年間にできた法律全部といったら、この資料に書かれている法律の何十倍もあります。その中には、戦前に回帰を思わせるような後ろ向きの法律もなくはありません。時代は、一本調子で進むものではなく、常にためらいながら、ジグザグコース、時に一進一退しながら行くものだろうと思っています。しかし、よくみると、戦後五十数年の歴史の中でも、やはりそれはその前半世紀近く着々と、先輩方が準備していてくださったからだと思いますが、21世紀型市民社会のキーワードが、ここ10年で法制化されてきています。
この10年のキーワードは、「対等なパートナーシップ」「参加から参画へ」「ワークライフ・バランス」、そしてあえてこれに付け加えるなら「循環型社会」そして「コミュニケーション」「コモンズ」。対等なパートナーシップは、もちろん女性と男性の対等なパートナーシップ、地域と行政との対等なパートナーシップ、地方と国との対等なパートナーシップ、特定非営利活動推進法に象徴される官と民との対等なパートナーシップ、介護保険法に象徴されるような、提供者と利用者との対等なパートナーシップなど、いくつものバリエーションがあります。・・・男もとれる育児休業とか、男もとれる介護休業などは、少子化の直撃を受けた結果とはいえ、景気の低迷する1990年代になってやっと出てきているのです。

制度が変われば、男性も変わる――男女が共同で参画していく時代
そして「制度が変われば、男性も変わる」とだれかが言いましたが、まさにそのとおりです。制度が変わらないと、どうも男の人というのは変わりません。残念ながら、私個人にかなり強力なパワーを持ちながら、わが夫一人を変えられなかった。意識はもともとある程度新しい人です。ですから、一緒になったのですが、お酒の飲み過ぎをやめさせることができませんでした。これは冗談ですが、飲みすぎ禁止制度が職場にあったなら、日本の男性は制度を守りますから、変わったのではないかと思っています。 その意味でまさに今、民であり、地域であり、そして男性と女性が共同で参画していく時代が今、来ているのです。これから一人ひとりの人生の中にそうした変化、今、自分はどんな波の中にいるのかという座標を見ながら、自己実現していくことが必要になると思っています。
NPOはどちらかといえば男性モードだとつくづく思います。定款をつくり、規約をつくって、届け出を出し、そして呼びかけ、役員を選び担当を決めます。ドラッカーがちゃんと言っていることを今日はじめて知りました。しかし、会社のコピーだったら駄目なのです。そこにやはり地域の心、くらしの認識、男女共同参画の心が必要なのです。我田引水といわれるかもしれませんが、私はほんとうにそう思っています。
私には1つ心配事があります。粗大ゴミ、濡れ落ち葉などという時代の軛からはずっと変わってきて、男性の社会参加は急激に進んできましたが、ではいったい家庭で自分のパートナーとの関係はどう考えているのだろうか、ということです。妻もまた、志を持って、自らが選んだところに参加していく時期に、「ボランティア 妻が付き添う 駄目オヤジ」ではホントに駄目なのです。考えてみると、時代は大きく変わっているようですが、究極の高齢者の生き方は今新しく誕生しているのです。
2月の声を聞きますと、雛飾りが並びます。私はお雛さまが大好きです。お雛さまというのは視点を変えると結構新しい内容を含んでいます。まず内裏さまを見てください。男と女の大きさが同じです。三人官女は結構高い位置にいます。キリッと胸を張って、アタッシュケースを下げて丸の内を歩くキャリアウーマンのようです。専守防衛かもしれませんが、弓矢に身を固めた右大臣、左大臣もいます。武装した右大臣、左大臣はあまり上のほうにいないで、中ほど、花橘に身を寄せて、なかなか風流な平和を守る右大臣、左大臣です。そして五人囃子はずらりと男の子ばかり。男は歌舞音曲のお稽古事なんぞするよりも、武芸に励め。今のあり方でいえば、何しろ勉強、偏差値の高い大学、いい会社などといっていた時代ばかりではなかったのです、日本の昔は。
日本の男性は元気がないなどといわれますが、こうした元気の出るようなたくさんの基盤整備の法律をこの10年間つくってきているのです。私は今、日本中で元気のいい男性を一人挙げろといわれたら、江見先生、堀田先生はその見本ですが、別な分野で一人挙げるとすれば、ウィーン国立劇場の音楽監督に任ぜられた小沢征爾氏を挙げたいと思います。小沢征爾氏はあの五人囃子の未来形です。
そしてレギュラーメンバーではありませんが、いちばん下段には時折登場する高砂やの翁媼は極めつきです。あの昔に作られても、じいさんが座り込んで、ばあさんに「おい、お茶」とか「おい、カー・ボランティアに行くから、おまえも乗れ」などと言っていますか。じいさんとばあさんは二人とも松の木の下に立ち、二人とも戸外に出て、かたや箒、かたや熊手と、それぞれ個性に合わせた得手の得物を持ち、やっていることは何かといえば、同じことをやっているのです。濡れ落ち葉になる代わりに、松の濡れ落ち葉をかいています。今でいうなら、地域清掃美化ボランティア活動、もしかしたらシルバー人材センターかもしれないと申し上げて終わりたいと思います。」

役割分担が不明瞭になったから...男は弱くなったんじゃないのかなあ...?
いくら歳を取っても動ける間はやっぱり男と女で出来ることはおのずと違うでしょ...?
子育て休暇なんて、よく知らないけど...給料は減らされないの?
もし、手取りも減っちゃうなら...体のいいコストダウンじゃないのかな...?
男に子守をさせて、女がそれ以外のことをするのって...私には不可解...
子育てはやっぱり母親の役目じゃないのかな...
母の愛をいっぱい受けて育つのがこどもには必須だと思う...けど...^^; Orz...

「失われた10年から創造の10年へ 樋口恵子
1989(H.1)
・ベルリンの壁の崩壊
・ゴールドプラン(高齢者保健福祉10か年計画)
1990(H.2)
・1.57ショック(1989年合計特殊出生率)
1991(H.3)
・育児休業法(92年施行)
1995(H.7)
・国連・第4回世界女性会議(北京会議・北京行動綱領)
・ILO156号条約批准(家族的責任を有する男女労働者の機会及び待遇の均等に関する条約 96年6月発効)
・社会保障制度審議会勧告「世帯型から個人型へ」
・育児介護休業法(99年施行)
1997(H.9)
・改正男女雇用機会均等法(99年施行)
・介護保険法(00年)施行 
1998(H.10)
・特定非営利活動推進法(NPO法)施行 
1999(H.11)
・情報公開法(01年施行)
・男女共同参画社会基本法(同年施行)
2000(H.12)
・地方分権一括法(同年施行)
・消費者契約法(01年施行)
・児童虐待防止法(同年施行)
・ストーカー規制法(同年施行)
・女性と仕事の未来館創設 
2001(H.13)
・配偶者暴力・被害者保護法(同年施行)
・内閣府男女共同参画会議「仕事と子育ての両立支援策に関する専門調査会」報告、閣議決定 
2002(H.14)
・厚生労働省「女性のライフスタイルの変化等に対応する年金のあり方検討会」報告
・厚生労働省「女性の活躍推進協議会」
・少子化対策プラス1(→次世代支援法(案)へ)

この10年間のキーワード
◎対等なパートナーシップ/参加から参画へ/ワークライフ・バランス   」

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続きです ^^v

http://www8.cao.go.jp/kourei/kou-kei/14semminer/s_kouen02.htm より Orz〜
「「粗大ゴミ」(1981年)――「父ちゃん家事やれ、残業するな。頑張れ母ちゃん 81春闘」
国際婦人年をきっかけに女性のグループができました。中心は私よりもっと若い世代で、私とか俵萠子さん、吉武輝子さんらは姉貴分、もっと年上には、市川房枝先生、田中寿美子先生など、当時の国会議員(参議院)は後見役の感じでした。若い人たちが春闘のスローガンについて、「樋口さん、この合言葉を何とも思いませんか」と言うから、「おかしいわ」と言ったら、「われわれはもう替え歌をつくりました」。それが「母ちゃん内職、それでも赤字。頑張れ父ちゃん、81春闘」の2番として、「父ちゃん家事やれ、残業するな。頑張れ母ちゃん、81春闘」。そのとおりで、まさにワークライフ・バランスであり、男女のパートナーとしてのバランスです。先輩で当時毎日新聞の記者だった方にたまたまこの話をしたら、「面白い。書きなさい」。・・・性別役割分業システムを変えて、男性も女性も、経済的、生活的、精神的に自立し、自立した男女として手を取り合って、夫婦が進んでいくという形が新しい時代の生き方ではないかなどと書きました。ついでに筆が走ってしまい、「労働者諸兄、労働組合は有用な組織と私は思っているが、幹部の皆さんがこのような考えでは、一緒に働いている労働組合の女性の働く権利はどうなるのか。男性自身の家庭参加こそ問われるべきだ」。そしてその頃、定年退職者を輩出している湘南地域の公民館で先輩の主婦から聞いたエピソードを書き添えて、原稿を終えました。「定年後の主人というのはなんて鬱陶しいのでしょう。かさばるばかりでものの役には立たず、今さら修理はきかず、捨てるといったって、手間隙かかる。まるで粗大ゴミでございます」。私はとどめの言葉のちょいとしゃれた文句ぐらいのつもりで書きましたら、これが大騒動になりました。
翌日から毎日新聞学芸部への反響はすごく、結果としては半々だったそうですが、最初の反応は「男だって、何も好きで働いていると思うか。妻子を養うために、昔から男は外に出ると7人の敵あり。妻子を養わんがために、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、働きに働いてきたというのに、定年後、粗大ゴミとは何事か。うぬ、この樋口恵子などという女は許しておけぬ」という感じです。私はちゃんと伝聞として書いたのに、こうした反応がありました。しかし、「そのとおりですわ」という声もまたいっぱい来ました。「夫に定年があるのに、なぜ家事には定年がないのですか」。・・・そこにおいて「粗大ゴミ」という言葉は全国に知れ渡り、私が「そうじゃない」と言っているのに、私は命名者のごとく扱われたのです。気の早い男からは「あなたのような女は人間の風上にもおけぬ」とか、脅迫状まで来ました。これが1981年です。

「産業廃棄物」(1985年)――女子差別撤廃条約批准
1985年に日本が女子差別撤廃条約を批准し、晴れて締約国となった時、朝日新聞が国際シンポジウムを開きました。海外からもゲストを呼び、日本のパネリストとしてお出になったのは、私より先輩の方では国連の女性代表などをなさっていらした縫田曄子さん、それから気鋭の評論家、フェミニストの上野千鶴子さんです。その席上で上野さんが「粗大ゴミ」という言葉を引用して、「定年後の夫のことを『粗大ゴミ』などと言っている人たちがいるが、私はそれよりも『産業廃棄物』と呼びたい」。上野さんの造語というよりは、一部で使われていたようですが、これもまたそう言っている人がいるので「自分は『産業廃棄物』を選びたい」。立錐の余地もなく参集した朝日マリオン会場の聴衆からどよめきが上がったといいます。どよめきはしたけれど、さしたる反論、抗議はなかったようです。これが85年です。私はこのときまったく関与しておりません。

「濡れ落ち葉」(1989年)――流行語・新語表現賞
私は1989年、また一つの言葉の造語者とされてしまいました。これも絶対私ではありません。辛辣な造語の名人というのは、意外なほど一般の民衆、家庭の主婦などです。これはあるシンポジウムで伝聞として聞いたものです。「近ごろは、粗大ゴミではなく『濡れた落ち葉』と言うのですって」。この時は「た」が入っていました。ですから、私は「濡れた落ち葉」と「た」を入れて紹介しています。
妻の動静を見ていて、妻がどこかへ出かけそうになると、自分もパッと身支度を整えて、「わしも行く」。「わしも」族という言葉も同時に生まれました。妻の方はいつも夫について来られれば気が重いですから、何とかして置いていこうと思います。そこで「あなた、大阪へ赴任した息子が今日は宅急便を送ると言っていたけれど、まだ届かないから、待っていてやってよ」。今みたいに時間指定がピシッとできなかった頃です。夫は「お隣に頼んでいけばいいだろう」と言い返します。さらに「まだ布団が乾ききっていない」などと言っても、「もう十分乾いた。取り込んでいきなさい」と言う。ああ言えばこう言う。はらってもはらっても、まるで下駄の股、サンダルの横にへばりついた落ち葉のようについてくる。これを忍法濡れ落ち葉の術といいます。このように妻の行くところにずっとついてくるので、妻は鬱陶しくてしょうがないという話がありました。面白いわねと言って、私はまた拡声器を持っていますから、あちこちに行って話しているうちに、取り上げるメディアが多くなりました。・・・
その年の師走も迫る頃、何があったと思いますか。『現代用語の基礎知識』は、執筆者としては私もなじみがあり、原稿はとっくに出していました。別のセクションから「樋口さん、新語・流行語大賞に入選しました」と電話がかかってきて、これには驚きました。「濡れ落ち葉をもって、あなたは大賞ではないが、流行語・新語表現賞に推薦されました」と言うのです。「ちょっと待ってください。別に私は造語者ではないのです」と今の経緯を話しても、「よろしいのです。この自由国民社の流行語大賞は多少のお遊びもありまして…」と言われてしまいました。その年、大賞になったのは「オバタリアン」です。これをつくった漫画家の方は、中高年の女の図々しさをマイナス・イメージで捉えて描いた。ところが面白いもので、その時期の中高年女性のパワーはそれをプラス・イメージに変えてしまいました。「そうよ。私たちは悪口にひるまずに外へ出ていき、社会に発言し行動する。そう、私たちがオバタリアン」とやってしまったのです。それがあの土井旋風、オバタリアン・ブームでした。あの時を思うと、今の社民党は情けないのですが…。・・・そのころ、「セクシュアル・ハラスメント」も賞を得ました。「セクシュアル・ハラスメント」というのは、今や改正男女雇用機会均等法においても、その防止努力義務が事業主に課せられています。ただ、日本の法律はカタカナをめったに入れませんから、別な表現になっています。「セクシュアル・ハラスメント」、いわゆるセクハラは造語でも新語でもないはずですが、その年に福岡ではじめて、全員女性から構成される弁護団がつき、セクシュアル・ハラスメントが福岡地裁で勝訴を収めたからです。「セクハラ」という絶妙な縮め語で流行語になりました。この賞は福岡の弁護団を代表する女性弁護士に与えられました。「ですから、樋口さんがもらって、ちっともおかしくない。やはり定年後の男性ウォッチャーとして、あなたより適切な人はおりません」と言われて、「そうですか。では、自分がつくり手だという人が出たら、いつでも渡しますからね」ということで、授賞式に行きました。元『週刊朝日』編集長をなさった扇谷正蔵先生が賞杯を渡してくださいました。よく存じ上げている先生で「うーん。おれはこういう表現はいやなのだよ。いやだな、いやだな。しかしよく時代を表しているな」と言いながら、賞杯を渡してくださいました。
考えてみてください。1981年、粗大ゴミ――脅迫状、85年、産業廃棄物――無反応、そして89年、濡れ落ち葉――受賞。ホップ・ステップ・ジャンプです。何という大きな変化でありましょう。と言っているうちに、実は男性自身が変わり始めたのです。」             

昔の男性は...おそらく定年迎えるまでに大勢しんでたんじゃないのかなあ...^^;
私も家を建てるとき銀行で借金するわけだけど...昔はローンを払い終わる頃には...旦那は大方死んでましたって聞いたもの...^^;;
それとも昔の男に比べその後の男は自立度において見劣りするようになったとでも...?
だとしたら...それはなぜ・・・?どうして・・・?

To be continued...

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彼女の話はおもしろいしいつも説得される...^^
随分前に以下のサイトを探し当ててたんだけど...忘れないうちにスクラップをば...♪
まんまです・・・^^; コメント付けたくなったとき付けます...今日は無性に眠いので...Orz...Zzzz...

http://www8.cao.go.jp/kourei/kou-kei/14semminer/s_kouen02.htm より Orz〜
画像:樋口 恵子  高齢社会をよくする女性の会代表
<略歴>
東京家政大学教授
1956年東京大学文学部美学美術史学科卒業・東京大学新聞研究所本科修了。時事通信社・学習研究社・キャノンを経て、評論活動に入る。・・・

「高齢者の実像がもっと伝わるように――コミュニケーションが大切
私は、メディアの中に等身大のしっかりした高齢者像を打ち立てて欲しいと考えています。現役でも40代になると第一線の記者をデスクに引き揚げてしまうような今のメディア、マス・メディアの人員配置では、高齢者像がどこまで描けるのかなと思うことはあります。
1つだけ例を申し上げます。これはある地方のある大新聞の話です。自治体などが長寿番付というのをやりますが、東の横綱は女性で108歳とか、男性は107歳ということで、ずっと前頭ぐらいまで番付を作って、新聞がそのまま掲載する。若い人たちは「すごい。うちの村にはこんな人がいる」と言っていたわけですが、お年寄り自身あるいはお年寄りの家族から「元気ならともかく、寝たきりでいるのに年齢を晒されるのはうれしくない」という声が出て、それを取り止めたところがあるそうです。その頃まだ65歳前だった私は、番付を出すことにちょっと違和感を持ちながらも、そこまできちっと考えていなかったものですから、載せられる身の思いというものに想像力が不足していました。言われてみれば、横綱まで行ってしまったら、後は死しかないではないですか。相撲なら、横綱は引退してから、親方になったり、ちゃんこ鍋屋を開いたり、いろいろな生き方があります。ですから、長寿番付というものは、記録として出すのはともかく、一人ひとりの家族の中で看取られながら、長い介護生活をしている時に、98歳小結などと出た時、どんな気がするのかなというところまでは思い至っていないし、ましてや私の歳の半分以下の人が多い第一線の新聞記者が思い至らないのは当然のことと思いつつ、その話を聞きました。
私は介護保険創設にもいろいろかかわらせていただきました。今は改定作業の最中ですが、介護保険も含めて、やはり利用する高齢者側の意識と実像がもっと伝わるようにするには、メディア、あるいは担当する人たちにコミュニケーションの技法を磨いていただきたい。結局はコミュニケーション。もしかしたら21世紀のキーワードの1つは多世代、男女、あるいは多人種、多民族といった背景の違う人たちとのコミュニケーションになるのではなかろうかなどと思っています。・・・私も赤穂浪士は大好きです。高齢社会をよくする女性の会は毎年12月14日直前の土曜日に「女たちの討ち入りシンポ」を行っています。昨年は年金問題、今年は高齢女性の住宅問題です。・・・かつ、私はこの1月から杉並区シルバー人材センターから家事の人材を派遣していただいています。本来なら、武蔵野から来ていただくはずでした。私の家は杉並区役所へ行くよりは三鷹あるいは武蔵野市役所へ行くほうがずっと近いという地理的条件にあります。ところが、10年ほど前私が最初にシルバーさんをお願いしようとしたとき、武蔵野へ申し込んだら「管轄外」と言われてしまいました。以来お願いしてなかったのですが、時代が変わって近頃シルバー人材センターに「成長産業」のような力強さを感じております。

1.メディアと私の関係
今日の前半はメディアと私の関係をお話しさせていただきます。後半は「失われた10年から創造の10年へ」というメモ(* 最後の記事にアップ予定 Orz...)が出ていますように、21世紀を迎えた近過去、90年代からの動きを振り返りながらお話をします。直近10年を振り返ってみますと、今後来るべき10年において何をなすべきかがわかってくるかと思います。
今日おいでの方々もそうかもしれませんが、私はもちろん男女共同参画推進論者です。これは男性も女性も共々幸せになる社会であるにもかかわらず、一部の男性からはまるで男の権益を奪うがごとき憎まれ方をしています。私は長年家族関係とか男女の生き方、夫と妻との関係、親と子の関係といったものを主たる研究領域としてきました。あえて言えば、私は定年後の男性のウォッチャーなのです。

私の「老いるショック」
・・・私の「老いるショック」は、白髪もそうでしたが、アクセサリーの重さでした。40歳ぐらいの頃はじめて中国へ行き、清水の舞台から飛び下りる思いで、古代ガラスの黄色いネックレスを買ってきました。私は図体が大きいので、大きいネックレスが似合うのです。当時はどこへ行くにも、大きい黄色のネックレスをぶら下げて出かけました。ところが、古代ガラスというのは比重が鉄に近いのだそうです。40代は何でもありませんでしたが、50代に入って、私はネックレスで肩が凝る自分を発見しました。この肩の凝りは何だろうと思ったら、その重いネックレスが原因だったのです。これが私の「老いるショック」です。以来、このネックレスは使われることのないまま、記念としてわが家の引き出しの奥にしまわれています。私は今、黄色いものをつけたい時は琥珀です。琥珀が高齢者に好まれる理由がよく分かりました。琥珀は非常に軽いのです。衣服と重さ、アクセサリーと重さが、本当に私の「老いるショック」でした。

経済的自立と社会参加と自己実現を一時にかなえることができるのは仕事
・・・時は1981年(昭和56年)。まだ総評が健在で、総評のリーダシップで春闘が行われていた頃です。労働組合の力にちょっと陰りが出てきた頃ですが。1981年、総評傘下の家族の会も含めて、合言葉を募集したところ、当選した合言葉は「母ちゃん内職、それでも赤字。頑張れ父ちゃん、81春闘」でした。皆さん、今は笑うでしょう。でも、81年には笑わないで、大まじめにこれが採用されました。ただし、一部の女性―私たちは疑問を持ちました。
その6年前の1975年(昭和50年)は、日本の国際的な女性運動が世界の源流と一致して流れ始めた時です。日本にも女性運動はもっと以前からありました。アメリカで参政権運動の後、ベティー・フリーダン(Betty Friedan)などが第2期の女性運動を起こしたのが1960年代です。この動きが世界に広がり、国連で取り入れられ、国連主催で第1回国連世界女性会議がメキシコシティーで行われたのが1975年(昭和50年)です。日本において、男女平等、性別役割分業見直しの声が一般に普及し始めたのは、この10年後の女子差別撤廃条約という国際条約を批准した1985年前後からではないでしょうか。
1985年には、女子差別撤廃条約を批准し、その批准の要件の1つとして、男女雇用機会均等法ができ、家庭科の男女共修が定まりました。その前に国籍法の父系優先血統主義を父母両系血統主義に改めました。これら女子差別撤廃条約を批准する上で支障となる日本の法律制度の主な3点が改められて、条約に批准したのが、1985年(昭和60年)です。つまり、1981年はそのちょうど間ですから、めざめる女子はめざめていました。1975年の国際婦人年、そして女性差別撤廃条約、男女雇用機会均等法づくりに向けて、世の中はとにかく動き出していたのです。もちろん当時はまだ「男は仕事一辺倒。女は家事・育児・介護一辺倒」が主流でした。しかし、「それでは、一辺倒の弊害が出るのではないですか」と、今の言葉でいえば、まさにワークライフ・バランスをとるようにという提言は、まず家事・育児を一身に背負いながら働いている女性たちの側から出てきていました。女性もまた、自分の能力を活かして職場で働きたい、働いて自分自身の経済的自立も果たし、社会的貢献も果たしたいということなのです。
雇用労働であれ何であれ、経済的自立と社会参加と自己実現と他人への後見という4つを一時にかなえることができるのが仕事だと、私はつくづく思っています。バラバラに果たせるものなら、他にいくらでもあります。仕事をするよりも、趣味のほうが自己実現できるかもしれないし、経済的自立なら、だれかから莫大な財産を寄贈されればいくらでも自立できます。社会参加も、これは本当にもっと別なあり方もいろいろあるでしょう。他者の幸せへの貢献もいろんな筋道があります。でも、4つを一時にかなえてくれるのは仕事しかありません。仕事の範囲はNPOまで広げて考えてよいと私は思っています。
働く権利がまだ女性に確立されていなかった時代を生きた一人として、女性の就労問題にはその頃からいろいろ発言をしていました。当時いちばん心から取り組んでいたのは、女性の結婚退職・出産退職若年定年制に対して、反対の声を挙げることでした。労働組合はこちらの味方かと思っていたら、「母ちゃん内職、それでも赤字。頑張れ父ちゃん、81春闘」ですからがっくりきました。内職しないで済む賃金を父ちゃんにくれたら、母ちゃんは家にいろということではないですか。もちろんそういうご家庭があることは否定しません。しかし、父ちゃんの収入が十分であろうがあるまいが、自分自身の就労の意欲を考えてみたら、この言葉はどうでしょうか。
最近憲法論議が盛んで、9条についていろいろ論議されています。私は憲法27条が大好きです。「すべて国民は勤労の権利を有し、義務を負う」とあります。こんな潔い条文はありません。よく日本の現在の憲法は権利のみを書き過ぎて、義務が少ないと批判する方がありますが、27条を見てほしいと思います。ところが、私が若いころ聞いた解釈によりますと、これは働きたい人すべてに職を与えなくてもいいのだそうです。昭和20年代末頃のある憲法学者の解釈によると、27条は「パンを与えよ。しからずんば職を与えよ」なのです。「あなたのようにちゃんと食べられている専業主婦は何も仕事がないからといって、憲法違反だなどと言うことはできない」と言われてしまいました。「そもそも憲法は国と国民との関係を規定しているので、会社と働く人のような私人同士の問題は扱わない」とも言われました。ずいぶん腑に落ちない思いをしてきましたが、やっとこの頃、女性の就労について世の中の意識が腑に落ちるようになってきました。10年前私が60歳で死んでしまっていたら、こんな世の中を見られなかったわけですから、長生きはするものだと思っています。 」

To be continued...


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