アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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讀売新聞「地球を読む」2009.05.30.より Orz〜
国益とは何か
国民と国家 利益は一致
「戦後の日本では、「国益」という言葉は長く敬遠されてきた。1999年故小渕首相が21世紀の日本のあり方を考えるため、「21世紀日本の構想」懇談会を設立したとき、ある分科会で、国益という言葉を使うべきかどうか、議論となった。わたしは肯定論だったが、反対論もあった。外交や国際政治の専門家の中でさえ、ためらいがあった。それは言うまでもなく、国益の名のもとに国民の利益が抑圧された戦前の記憶が、まだ強烈だったからである。国益とは国民の利益と対立するものだという考えも強かった。しかし、たとえば昭和16年(1941年)の日米開戦は、国益にかなうことだったのか。もちろん否である。国家の利益にとっても国民の利益にとっても、それは大失敗だった。昭和20年8月に戦争をやめることは、国家にとっても、国民にとっても利益だった。つまり問題があるのは国益という概念なのではなく、国益という言葉の中に盛り込む内容である。国民にとっての利益は、大体の場合、国家の利益なのである。国益を考える場合にまず重要なのは、自国の利益だけを追求し、他国の利益を顧みない態度は、取るべきではないということである。国際社会は、世界の国々がみずからの国益の実現をめざして競争する場であるが、世界が緊密に結びついている今日、協力の側面も重要である。これは個人についても同じことで、自分の利益だけをひたすら追求するような人は、結局、周囲から信頼も尊敬もされず、かえって損をするものである。この点をさきの小渕懇談会は「開かれた国益」という言葉で呼んだ。相手の国益を理解、尊重し、死活的な利益以外は、相互性の原則に立って、柔軟に対処することが必要なのである。次に重要なのは、虚飾の国益と、本当の国益を区別することである。国民の声が、すなわち国益とも限らない。明治38年(1905年)9月、国民の圧倒的多数は、ポーツマス条約反対だった。昭和8年3月、松岡洋右全権が国際連盟から脱退を宣言したとき、世論はこれを拍手喝采した。上辺だけの、表面的な利益を追求するのではなく、よく考え抜いて、どこに本当の国益があるか、発見しなければならない。利益1の追及に、100のコストがかかるようなものは適切な政策ではないだろう。竹島問題について、私は日本が正しく、韓国の立場は誤りだと思うが、日韓関係をぶち壊してでも、竹島を取り戻すべきだとは考えない。実現に100年もかかるようなものも、適切な政策ではないというべきだ。最近、谷内正太郎・前外務次官が北方領土に関して3・5島返還という案に言及して厳しい批判を浴びた。前次官、現政府代表という立場や、タイミングについては問題があるかもしれないが、最終的な案としては、それほど悪いものだとは思えない。日本では、100%を主張して決裂すると褒められ、80%の案で妥協すると批判されることが多い。しかし、決裂の結果、60%も取れなくなることが少なくない。国益上は、拙劣なやり方というほかない。以上にも関係するが、とくに安全保障の分野では、完全を求めすぎて、国益を損なうことが多い。「完全は次善の敵」という言葉がある。細部まで完全無欠を求めるあまり、大きな決定が出来なかったり、タイミングを逃したりすることが少なくない。ソマリア沖への海上自衛隊護衛艦の派遣は、ようやく実現し、新法も成立しそうだが、国連で議論が始まってから1年かかった。護衛艦派遣は、日本の艦船、船員、貨物を守り、国際秩序に貢献して、世界から評価される行為で、全く問題ない行動なのに、随分無駄な議論が多かった。その他、安全保障問題では、集団的自衛権の問題でも、武器輸出三原則の問題でも、かつての防衛費の国民総生産(GNP)1%問題でも、少し従来の政策を超えかけると、周辺国の懸念とか、憲法に抵触する「おそれ」が指摘される。こういうときは、どういう「おそれ」がどれほどあるか言うべきである。これらについては、いずれもメリットの方がデメリットよりずっと多いと私は考えている。ほとんど存在しない「おそれ」で日本は自らの手を縛って国益を損なっている。ところで、国益という言葉の内政的側面もきわめて重要である。戦後日本で国益という言葉が使われなくなった結果、はびこったのは省益であり、部分益である。たとえば農業である。農家と分類されている家計のうち、農業所得ゼロのところがかなりある。農業生産で国民に貢献していない人々を、税制等で保護しているのである。こうした手厚い農家保護のせいで、日本は自由貿易協定(FTA)で諸外国に立ち遅れている。また、法科大学院の再検討において、弁護士が増えすぎて職がなくなるなどの議論がされている。しかし、国民のために良質な法律家を生み出すことが国益なのであって、その観点からの議論が十分でない。これらの議論で共通するのは、利害関係者の間で議論がなされていることである。関係者の利益不利益は、国益の基準によって吟味されなければならないと考える。以上から明らかなとおり、国益を適切に定義するためには、専門家の役割が重要であるが、この専門家と一般国民を仲介するメディアの役割が極めて重要である。ところが、メディアには、極端な意見を増殖して掲載する傾向がある。その傾向を放置せず、全体としてバランスのとれた見方を提供することが、良識あるメディアの条件である。極端な意見をことさらに強調するのは、民主主義の自殺行為である。近頃の一部のメディア、それにネット世論は、ただの感情の吐露になりがちである。中国には自由なメディアがないので、ネット世論がその代替物となっているが、これは極めて無責任で危険なものである。このように、左右の極端な意見ではなく、中道に位置する人々の声を結集することが、国益の実現で重要である。ところが昨今の政治では、自民党は公明党に遠慮し、民主党は社民党に配慮することにより、中道よりも、むしろ極端な声が強く反映されている。これだけ財政状況が悪化しても増税の議論が進まず、安全保障環境が悪化しても、大胆な安全保障政策が打ち出せないのは、そのためでもある。今は非常時である。総選挙後には、非常時を乗り切るため、2大政党間に大連立または協力関係を樹立して、常識的な路線を、断固として歩むことが望ましい。」

わかるけど...中道ってのが難しいのだと...折衷ではないはずだものね...^^;
それに...世論≠国益ということもわかるけど...だったら誰が国益にかなってることだって決断すればいいんだろう...^^;?
未曾有の不況に対し超大型補正予算が組まれたようですが...巡り巡って...そのつけは必ずや増税という形で跳ね返ってくるわけでしょ・・・? すでに自動車税は上がってるんだってね...知らなかったけど... 去年いくらだったかなんて覚えてないもんなあ...^^;

画像:北岡伸一:97年から東大法学部教授。日中歴史共同研究委員会の日本側座長。専門は日本政治外交史。主著は「清沢洌」「独立自尊 福沢諭吉の挑戦」など。
www.asahi.com/information/ db/130/20080310_1.html より Orz〜
「北岡伸一・東大教授に聞く
 ??明治・大正時代の新聞を読んで感じるのは何ですか。
「折に触れ、明治新聞雑誌文庫の新聞を読んできたが、印象深いのは明治の新聞の発展プロセスが、世界史的にユニークだったことだ。福沢諭吉は『西洋事情』初編(1866年)で『西人新聞紙を見るを以(もっ)て人間の一快楽事となし、之を読て食を忘ると云(い)ふも亦(また)宜(むべ)なり』と述べているが、民間組織が世界の情報を集め、印刷し、伝えるのは、当時の日本人には大変な驚きだっただろう」
「情報は政府専有ではなく、民間にも共有される。新聞が生まれて50年で、日本は世界屈指の新聞大国になった。まれに見る急速な発展で、非アルファベット圏では最初だった。第2次世界大戦前には100万部を出す新聞が三つもできている」
「幕末、福沢は海外に行くと新聞に着目し、上海の英字新聞でアメリカ南北戦争や太平天国の乱を知った。清国の李鴻章も、日本の薩英戦争を英字新聞を通じて知っている」
「新聞の急発展の素地は識字率にあった。幕末、成人男子の識字率は30%から40%、女子も10%を超えていたといわれ、世界的にも極めて高い。徳川時代の平和のたまものだ。10人に1人が文が読めると、文書行政が可能になるといわれる。口頭に比べて、正確で複雑なことが伝えられるからだ」・・・」

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2009.05.24.讀売新聞 「本 よみうり堂」より Orz〜
日本の難点 宮台真司 著 幻冬舎新書 800円
「利他性こそ社会を再生 評・小倉 紀蔵(韓国思想研究家)
日本が抱える多様な論点=難点を、全部まとめて一人で論じ尽くしてしまおうという本。めまいがするほど明快で鋭く、熱い。紙からシューシュー湯気が出て危ないくらいだ。宮台氏は特殊なスコープを持っている。これは倍率ではなく「抽象度」を自由自在に変えられるのだ。たとえば教育問題や経済問題の事実関係を述べているとき急に話の抽象度をグイと上げる。すると今までの話が驚くほど明確に俯瞰できる。で、次はまたもう少し抽象度を上げてみる・・・。この操作が絶妙だから、急勾配のジェットコースターに乗っているようでスリリングだ。若者に人気のある所以である。「すべての境界線は恣意的につくられたものだ」というポストモダン的な世界観を終わらせ、その恣意性を熟知しつつも価値や現実に関与せよ、というのが基本的な立場。こっちにもあっちにも確固たる根拠はないことを知りつつ、どっちかを選べ、ということ。そしてグローバリズムや格差化で包摂性を失った(排除されるものを平気で生み出す)日本社会を、もういちど包摂的なものにつくりかえていくべきだ、とする。それをするには日本人の民度をもっと高めなくてはならない。しかし、マスメディアも政治家もポピュリズムに走っているから、誰も本当のことをいわない。・・・<システム>がすべてを蔽いつくし、<生活世界>が空洞化した日本をどう「世直し」するのか。随所で彼は「利他性」が大切だと説く。本当にスゴイ奴はみな利他的に思考している。そこにのみ、国土や風景、つまり<生活世界>の再構築の可能性はあるというのだ。」

『「すべての境界線は恣意的につくられたものだ」というポストモダン的な世界観を終わらせ、その恣意性を熟知しつつも価値や現実に関与せよ、というのが基本的な立場。こっちにもあっちにも確固たる根拠はないことを知りつつ、どっちかを選べ、』・・・ってなところが非常に気になる ^^;・・・こりゃ読んでみなけりゃならないな♪

画像:宮台真司の「日本の難点」
http://d.hatena.ne.jp/Mjqq/ より Orz〜

画像: www.cswc.jp/lecture/ lecture.php?id=60 より Orz〜
「宮台真司:・・・専門は、理論社会学・システム理論。著書に『権力の予期理論』『終わりなき日常を生きろ』『14歳からの社会学』『世界はそもそもデタラメである』ほか多数。共著に『学校が自由になる日』『幸福論』ほか多数。」

http://members.at.infoseek.co.jp/toumyoujisourin/miyadai-sinji.htm より Orz〜
「●宮台真司(みやだい・しんじ)社会学者。東京都立大助教授。少なくとも商業的にはおそらく「90年代最強の評論家」(小林よしのりを除けば)あの東大小室直樹ゼミ(橋爪大三郎とかを輩出)伝説の大秀才。・・・「左翼にありがちな無政府主義的な発想を論破するために」社会学を学んだという本人の言葉どおり、デビュー当時は自動化し、形式化された戦後民主主義的言論の偽善を暴く「新保守」論客と思われていた(ド右翼の小室ゼミ出身だし)だが、* こう書くと、本業に学者先生をやっていることを除けばただのサブカル系ライターと何ら変わりないように思えるが、宮台の「段違いの強さ」は例えば相棒の宮崎哲弥などの追随を許さないものがある。その強さの秘密の第一は、本業の「社会学」を援用した論理性の高さ。オウム問題を扱った「終わりなき日常を生きろ」は(吉本隆明のパクリではあるが)オウム問題というより90年代の文化的特質を適切に解説した本として他に類を見ないだろう。「成熟社会では色んなものが簡単に手に入りすぎるため、<終わりなき日常>を楽しんで生きることが難しくなる。そこで人々は無理に充実感を求めて<国家のために>とか<全人類の平和と幸福のために>などとスケールの大きな自意識過剰に陥りがちである。そのために我々はこの<終わりなき日常>を飽きずにまったりと生きる智恵を身につけなければならない」・・・・・概ねこんなことが書いてある。こうして書くとまるで小林よしのりの「脱正義論」ソックリに思えてくる。やはり、犬猿の仲のこの二人の確執が基本的に「近親憎悪」であるという多くの指摘は当たっていると思う、タネ本も同じだし。・・・あれほど「メディアの上の自分は<キャラクター>でしかない」ということに自覚的だった宮台が、近年多くのところで「自分の物語」を語り始めているという大塚英志の指摘は正しい。・・・さんざん「まったりと」生きろとアジっていた宮台先生は、今では必死に「物語」を求めて「世界のあり方が変わった」と騒いでいる。かつて「逃げろや逃げろ」とアジった浅田彰が逃げ切れずに失速したように。・・・」
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/宮台真司 より
「宮城県仙台市で誕生(1959年)。母方の祖父は生物学者(元帝大教授)。父は宮台昇元キリンビール取締役医薬開発部長)。・・・中森明夫らとサブカルライターとして活躍していた大学院時代、特に大きな学恩を受けたのは、社会学者の小室直樹、哲学者の廣松渉であり、自身はそれぞれを「極右御師匠」、「極左御師匠」と呼んでいる。** その結果、こうした行為に及ぶ女子高生の生き方を「キツい学校的日常を潰されずに生き抜く知恵」、つまり「まったり」であると評価する。1990年代にはメディアに度々登場しブルセラ社会学者として注目を集めた。 その後は、青少年の「性の自己決定」問題、政治思想、教育問題、国際政治と発言の幅を広げていき、今に至る。一時期、ジャーナリストの速水由紀子との事実婚関係だったが、現在は解消し、書店員の女性(佐伯胖の娘)と結婚している(佐伯の教育論については門下の佐藤学を含め痛烈に批判していたことがある)。・・・

発言
政治
・・・吉田茂から田中角栄までは、「『親米愛国』のごとき論理的にはありえない『あえてする選択』を表面上は保ちつつ、裏面で一国として立ちうるだけの官僚や政治家の力量を高め、独自外交に必要な内政リソースを調える」密教が伝承されていたが、「米国発のロッキード事件でペシャンコにされ」「竹下経世会は、角栄の内政利権だけ継承し、外交は『アメリカさんありがとう』」になったことについて、「『あえてする選択』のはずが、数代後には『あえて』がキレイさっぱり忘却されちゃうわけ(笑)。それを僕は『ネタからベタへ』」と呼んでいる。・・・
思想
日本の55年体制的左翼・右翼思想を「大いなるものに一体化したがるヘタレ」として批判した。「左」とは「条理で世界を覆える」立場、「右」とは「不条理に貫かれる事に打ち震える」立場であると定義し、「解放的関心の強い『左』と、条理で条理の限界を見極める『右』は論理的に両立可能」と主張する。現在の右翼や左翼について「馬鹿ばかり」等、再三に渡って非難している。・・・
社会学
・・・<社会>の出発点にある「非日常的なお祭り騒ぎ」について、「平時に冷静に考えれば、法は『特定の誰か』がつくったものにすぎず、そこには全体が部分に対応するアイロニーが見いだせます。法は、一般意志のごとき全体との対応を僭称しますが、所詮はロマン主義的な意味で不可能です。この不可能を集合的沸騰によって乗り超えるんですね」「僕はここに、社会学とロマン派とアイロニーの結節点を見いだします」と語っている。
終わりなき日常を生きろ
「僕は、日本では、『主体の成熟』がなくても、<生活世界>への共属さえあれば、<世界>と<社会>とを切り離したうえで、<社会>を安定して志向できるだろうと考えました」。しかし、「流動性の高い『第四空間』が、<生活世界>と機能的に等価な感情的安全調達機能を果たすというのは、幻想に終わりました。それだけじゃなく、一貫性にこだわらないモザイク状の実存を生きる存在として持ちあげていた女子高生たちが、のちに軒並みメンヘラになりました。という次第で、僕の認識に甘さがありました。だから僕は、実存上の転向はあり得ないけど、認識上の転向をしました」。
天皇論
「天皇主義が体制側保守だとするのは、あまりにも歴史を知らぬ者どものいうことだけど、それだけじゃなく、たとえ反天皇を標榜しても、共産党における宮本顕治のごとく、公式権力を持たざる者がカリスマを帯びる事態は、天皇主義ではないのか。後者のような機制を、僕は『草の根の天皇制』と呼びます」。ロマン主義とはロマン的な対象が「何」であるか、それを決定することはできないとみずから認めている思想であり、「ヒトラーの『理想』は、劣等感にさいなまれた小市民のエゴイスティックな自己投射にすぎないのか。それとも、ドイツ民族のために、暗き現在を憂え、輝かしき未来を招来せんとしたのか。こうした問いの、根源的な決定不能性を国民が自覚しない限り、素朴なロマン派的国民が自覚的なロマン主義者に軽蔑されつつ自由自在に操られてしまうという事態を、絶対に回避できません。『田吾作による天皇利用(による国民操縦)』についても、まったく同種の決定不能性があることを、ロマン主義とのからみであえて言いたいんですよ」と述べている。
文学
「僕は、昔から『サリンジャー的』と『アーヴィング的』という対比をするの。前者は“実存の不条理”、つまり“自分の謎”を描き、後者は実存をひとまず括弧に入れて“世界の不条理”、つまり“世界の謎”を描きます」と語り、村上春樹の『海辺のカフカ』について、「上巻を読んだ時点では、前作よりさらに『世界の不条理』に肉薄してると思ったんだよ。でも、下巻でゲンナリ。『自分の不条理』に戻ってるじゃん(笑)」と述べている。・・・
社会
・・・情報技術について、見田宗介の『現代社会の理論』を参照し、「高度情報化社会の活路があるとしたら、資源と環境に負担をかけずにコミュニケーションを楽しめる技術的環境を実現することです。本物のペットよりも育成シミュレーションのほうが、ずっと環境にやさしい(笑)」と述べ、「IT化が進めば人々は貧乏になるけど、貧乏に耐えられるコミュニケーション作法を与えてくれるのもまたIT」と語っている。また、「グローバル化は先進各国で格差拡大の痛みを伴います。だから、『底辺部分ではモノで幸せになることは望めないから、情報で?アキバ系で?幸せになれ』」と述べている。「an・an」的セックスについて、そもそも「性は『規範に取り巻かれた強迫』だから、自分がタブーだと思っていたことをあえてやることで、容易に自我崩壊感覚が得られます」。しかし、「『an・an』のセックス特集は、セックスは自分らしくなるためとか、美しくなるためのものだっていうわけ。僕からすると『きれいごといってるんじゃねえよ、そんなのただの日常じゃん』と思う(笑)」と述べている。・・・」

社会学者だけに食指は多岐にわたるんだろうけど...鋭い指摘に満ちてて知的興奮を覚えますね♪

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2009.04.12.の讀売新聞 本 よみうり堂 より Orz〜
「不況になって以来、毎日のようにオフィスに営業の電話がかかってくる。そしてその度に、多くの経営者が思い違いをしていることに、残念な気持になる。信用のないところで新規開拓を行っても、成果はでない。ほんとうに成果を出そうとするなら、仕事で既存客を感動させることである。そうすれば、自然に口コミが広がり、売り上げは着実に伸びていく。消費に慎重な顧客は、念入りに調査をして業者を選定するため、評判の良い業者には人気が集まるからだ。では、どうやってお客を感動させるか。その秘訣を学べるのが石原和幸著『世界一の庭師の仕事術』(WAVE出版、1400円)である。路上で一本数十円の花を売っていた著者が、やがて五坪の花屋を手に入れて坪当たりの売り上げ日本一に。その後、フランチャイズの誘いに乗って8億円の借金を背負わされるも、見事、業態転換をして世界一の庭師になった。本書から学べるのは、「全力で、喜ばせようと思ってやったことは伝説になる」ということだ。誰よりも元気にあいさつすることで注文を取った話、「福岡にいる彼女に誕生日の花をどうしても贈りたい」という男性の要望に応え、3千円の花束を長崎から福岡まで届けに行った話、花をもらい慣れているバーのママを驚かすために1千本のカスミソウをプレゼントした話・・・。不況下でも変わらない商売の原点が書かれており、じつに参考になる。現在、中村克著『最後のパレード』(サンクチュアリ・パブリッシング、1200円)という本がベストセラーになっているが、これは東京ディズニーランドのキャストだけが知っている、感動のエピソードを集めたもの。そして、当のオリエンタルランドも、2008年の入園者数は、過去最高の2722万1千人を記録している。不況だからこそ、人を喜ばせるという商売の原点を大事にしたい。そういう意味で、上記2冊は、広く読まれてほしい本だ。」

長崎から福岡まで花束を届けるって話・・・今のような宅急便なんてなかった時代なんだろうね・・・? いまなら、、、モンスターカスタマーって呼ばれかねない自己中なる無理難題...^^;
飲みやのママさんを喜ばすのにバブリーな戦略しか思いつかない貧弱な発想...^^;
わたしはどうも...ひねくれ者だから...そんな話にゃ感動しないけど...Orz...
据膳を出してる訪問者を喜ばすってことに関しては異論はないな!!♪
お客さんは何かを求めて来てるんだもの・・・それに応えるってのが基本・原点であるのは当たり前だよね ^^v

画像:世界一の庭師の仕事術
www.kaza-hana.jp/ blog/2009/04/post-63.html より Orz〜

http://jinzai-banknet.cocolog-nifty.com/staffroom/2009/04/post-6874.html より Orz〜
「ガーデニングの世界選手権、英国チェルシー・フラワーショーで3年連続ゴールドメダル受賞。世界が感動する庭をつくり続ける、花と緑のプロフェッショナル・石原和幸はじめての仕事論。全国展開するまでに成長した花屋経営の成功と挫折。44歳で多額の借金を背負いながら、新たな夢に向けて庭師としてゼロから再出発。金なし、コネなし、知識なしの男が独学で世界を目指し、わずか5年でどのように夢をつかんだのか。驚きの発想と行動から、どんなに苦しい状況でも、新たな「一歩」を踏み出す勇気がもてる一冊です。・・・

画像:石原和幸
http://www.mabuworld.co.jp/products/episode01_umbrella/concept/index.html より Orz〜
「昭和33年長崎生まれ。大学卒業後「池坊」に入門。その後フランスでフラワーデザインを学び長崎で花屋を開業。英国のチェルシーフラワーショーに出品し平成16年にシルバーギルトメダル受賞。18年、19年、20年と3年連続でゴールドメダルに輝く。」

画像:緑の扉 −The Green Door−
only-one-niwa.jugem.jp/ ?cid=4 より Orz〜

「最後のパレード」って本に関しては、、、以下のサイトも参照 Orz〜
blog.livedoor.jp/deathtron/ archives/51805110.html
2009年04月27日「最後のパレード」今度は社内文集盗作疑惑&オリエンタルランドから配達証明

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続きです ^^v
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1287.html より Orz〜
「・・・菊池はここでも「自我」と「幻想の崩壊」と「小さな社会」との極限を取り出してみせたのである。「掛け値」を問うたのだ。なぜ菊池はこういうことが面妖なほどにうまいのか。菊池寛はかなり貧しい幼少年時代をおくっている。明治21年の暮に香川の高松に生まれたのだが、父親は小学校の庶務係で、菊池をまったく大事にしなかったらしい。「私は父の愛を知らなかった」と回顧している。そんな余裕もなかったのだろう。・・・が、ここまでのことなら、この程度の少年時代はよくあるだろう。ところが『半自叙伝』には、「私は14、5歳になり、身体が発達するにしたがって醜くなった」と書いていて、ここが気になる。父親も「お前くらいおとなびた変な顔をしている奴はいない」と言ったようで、このトラウマとは生涯闘わざるをえなかったとおぼしい。菊池寛はのちのちにいたるまでトルストイ(580夜)好きだったことでも有名なのだが、そのきっかけはトルストイが母親から「お前は顔が醜いから、いい子でいなければ誰からも可愛がられないよ」と言われたことによっていた。こうして菊池はもっぱら読書とスポーツに耽る青少年期をおくることになるのだが、尋常小学校4年のころには紅葉(891夜)・露伴(983夜)・水蔭・柳浪らを読みまくっている。これではかなりなマセになる。しかし、修学旅行にも行かせてもらえなかったのである。だから万引きもした。高松の学校では万引きのことを「マイナス」と言っていたらしく、菊池はこの「マイナスの記憶」をずっと持ちつづけたようだ。のちに小説『盗み』にもなった。高松中学でもいろいろ「わいた」をした。悪戯である。勉強はよくできたのだが、教室の授業は気にいらない。香川県教育委員会が開設した図書館に入りびたりになるほうが、ずっとおもしろかったようだ。「私は学校に通うよりも半分以上は図書館に通った。いや、作家としての学問も八分までは図書館でした」と『半自叙伝』にもある。高等師範に入るために上京しても、まっさきに通うのは上野の図書館なのである。・・・そこにもうひとつ、菊池の境涯を形成した趣向があらわれた。井原西鶴(618夜)の文芸に溺れたことと、その西鶴でも『男色大鑑』に随喜したことだ。・・・菊池の男色感覚がその後にどのようになったのか、捩れたのか、それとも抑制されたのか、実はたいした趣味ではなかったのか、そこはよくわからない。ただ、大学を転じながらしだいに異能を発揮していったことだけが、語られている。最初に入ったのは明治大学の法科。任井田益太郎・小林丑三郎・牧野英一の講義には感心したが、法律そのものはおもしろくない。22歳で一高に入ろうと決意する。明治43年だった。ところが正則英語学校で受験勉強にとりかかると、養父から仕送りの中止が申し渡された。ともかく菊池は貧乏だったのである。そこで早稲田の授業にもぐりこんで入試にそなえた。実は西鶴に惑溺したのがこのときの早稲田の図書館でのことだった。一高には合格した。文科である。高等小学校が2年よけいで、中学卒業後も2年を費やしたから、合計4年ほどの年上の入学生だった。芥川、久米正雄、佐野文夫、松岡譲、成瀬正一、土屋文明、山本有三らが同級生にいた。菊池は久米ととともに野球部に入り、やっとバンカラと文芸ボヘミアンな気分を満喫するようになる。けれどもそれも束の間、菊池はマント事件にまきこまれ、退学してしまう。親友の佐野文夫が先輩からマントを質屋に出して生活費のタシにしようと言い出し、これを菊池が引き受けて質入れしたのだが、そのころマント盗難届けが出ていたため、菊池にいっさいの嫌疑がかかったというものだ。佐野文夫とは、のちに日本共産党で活躍し、そして“転向”をした、あの佐野のことである。時の校長の新渡戸稲造(605夜)は菊池に同情していたらしいが、面倒なことを嫌う菊池はあっさり退学処分を受けるほうを選んでしまう。こうして大正2年のこと、25歳になっていた菊池は京都帝国大学の英文科に行く。周囲にまったく知り合いのいない菊池は、生活はズボラのまま(フロにも入らず)、ここで創作にめざめていった。第3次「新思潮」にも参加した。卒業後は東京に戻って時事新報社に取材記者として入社する。28歳だ。芥川・久米・成瀬・松岡らと第4次「新思潮」を発刊することにも力を入れた。そこに『屋上の狂人』も発表した。そして翌年は『父帰る』を書いた。この時期前後から、文芸作家菊池寛の真骨頂がいちじるしく開花した。『恩讐の彼方に』『藤十郎の恋』『真珠夫人』『蘭学事始』『入れ札』『俊寛』をたてつづけに書いた。33歳くらいまでのことだ。そして、35歳の大正12年には「文芸春秋」を創刊してしまうのである。では、ここで今夜とりあげた『真珠夫人』をちょっとばかり覗いておくことにする。大正9年6月から12月まで「大阪毎日新聞」と「東京日日新聞」に連載されてセンセーショナルな話題となった作品だ。『真珠夫人』については、2002年にフジテレビ系列が昼ドラで全65回にわたる放映をして、これが大いに話題になったらしいので、多少は知られているのではないかと思う。・・・2002年のフジの昼ドラでは、舞台を大正期から昭和20・30年代におきかえている。ぼくは、2度か3度か“出勤前”にちらっと見たが、それだけでも、ああ、これは当たるなと思えたものだ。そのくらい連ドラものにふさわしく、毒々しく演出されていた。毒々しくというのは、ひとつの演出的解釈である。必ずしも菊池がそのような連載小説を書いたわけではなく、菊池は『忠直卿行状記』や『入れ札』同様に「自我」と「幻想の崩壊」と「小さな社会」との極限的な展開に集中した。ただこの作品では、復讐がテーマで(『恩讐の彼方へ』もそうだったが)、かつその復讐をはたす主人公が瑠璃子という元華族のヒロインであったため、当時から読者もセンセーショナルな熱狂をもって迎えられた。・・・こういう『真珠夫人』が大向こうに迎えられたのは当然である。通俗小説の代表格ともなった。紅葉の『金色夜叉』、蘆花の『不如帰』を継ぐとも言われた。それを川端康成(53夜)は頻りに「通俗小説、通俗小説」と連発しながら、評価する。これは、近代の自然主義文学が「心境小説」として登場してきたのに対して、そしてそれが「純文学」と名付けられていったのに対して、あえて反旗を翻したことを、川端なりに告げようとしたものだった。
直木三十五(364夜)は、日本の近代小説は「鏡に写った自分の顔」を書いた。顔でなければ、「自分がいる部屋」のことを書いた。それが近代心境小説だった。大衆文学はそうではなくて、「窓の外」を書いたのだと言った。直木らしい指摘だろう。しかし、これらの評価はその通りのところもあるが、そうでないところもある。そうでないところの第1点は、『真珠夫人』以前には、こんな小説はまったくなかったということだ。『金色夜叉』や『不如帰』もここには及ばない。第2点は、ひょっとするとこれは通俗小説ではないかもしれないということだ。だいたい通俗小説と言い方がつまらない。少なくとも菊池寛にあっては、もっと踏み込んでいる。それはぼくの見方でいうのなら、「負の状況」という領域への正確な踏み込みだったと思われる。そして第3点、菊池寛こそは「意味の市場」に最初に挑戦した作家であり、編集者であり、プロデューサーだったということだ。・・・菊池が文芸春秋社で初めて社員数人を公募したのは昭和8年のことだった。このとき応募してきたのは700名をこえた。僅かに告示をしただけだったのに、たいへんな応募者数だ。こんな出版社はかつてなかったのだ。さらに興味深いのは、このとき菊池は自分で入社試験の問題を作った。「東京の地名の由来を答えよ」というもので、麹町・春日町・雑司ケ谷・八重洲河岸の4題になっている。これを答えれば社員にするという魂胆がいい。この試験で、のちに文春の社長になる池島信平が新入社員になった。まさに「意味の市場」づくりを着々と実現している。ライバルだった中央公論社の嶋中雄作は、こういう菊池のことを「生(しょう)のまま飛び出している」と言った。なるほど「生」(しょう)である。意味を生きたまま使おうとしている。逆にいえば、「掛け値」は問題なのである。・・・」

画像:真珠夫人 DVD

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD27456/story.html より Orz〜
「〔前篇処女の巻〕清貧の老政客唐沢光徳のひとり娘瑠璃子は父の友人元子爵杉野の息子と恋仲であったが、高利貸荘田の家の新築祝いに招かれ、その成金趣味の悪口を直也と話し合っているのを荘田に立聞きされその恨みを買った。荘田は復讐のため、直也の父を介して、唐沢へ瑠璃子を自分の後妻に求めた。そして杉野から断られると、借金の多い唐沢の借用証を買い占めて、尚かつトリックで唐沢を横領罪に陥れ、瑠璃子との結婚を迫るのだった。直也と瑠璃子は馳け落ちをしようとするが、唐沢が自殺を計ったためそれも果せず、瑠璃子はついに荘田へ嫁いだ。しかし初夜に瑠璃子の父が倒れたため、彼女は荘田から純潔を守ることが出来た。その後瑠璃子は荘田と戦いながらその身を守ったので、ある暴風雨の夜、葉山の別荘で瑠璃子を襲い、自分の先妻の生んだ白痴の息子に組み敷かれて、その衝撃から荘田が死んでしまったとき、瑠璃子は莫大な遺産を抱え、処女のままの未亡人としてあとに残されたのであった。しかし直也は、彼女の純潔を信じないで、自分との約束を破って荘田に嫁いだことを激しくなじって去ってしまった。そのため瑠璃子の人生観は一変して、真珠夫人と呼ばれながら、未亡人の名の下に処女の肉体を秘め、次から次へと変態的な恋愛巡礼が始まったのだった。
〔後篇人妻の巻〕・・・瑠璃子に失恋して自殺した青木淳の臨終の場で瑠璃子はフランス文学者渥美信一郎を知った。瑠璃子は彼に妻があると知りながら彼を愛し、信一郎も彼女を愛すると誓った。彼女はこれこそ自分の求めた真実の恋であると信じたが、妻を捨ててまで自分との恋を完成する気持が信一郎に無いことを悟ったとき、彼女は再び激しい幻滅に襲われた。自殺した青木淳の弟稔は、荘田の娘美奈子に慕われていたが、彼は瑠璃子を恋して、彼女に求婚した。美奈子はそれを立聞いて、自分の愛を奪う人としてその義母瑠璃子を激しく憎悪した。瑠璃子は、そうした美奈子と稔を軽井沢に誘い、浅間の山頂へ連れて行って、二人を結んでやった。・・・」

ややこしすぎて着いていけないけど...女性には受けるストーリーなんだろかね...何しろ男性を玩ぶことによって恨みを晴らす・リベンジの物語のようだから...

けっきょく、、、自分を知りたいんだよね・・・?
掛け値なしの自分って一体何物なんだかを・・・自らを恃んで生きるために・・・
掛け値なしの自分を愛してくれる他者を求めてるわたしにはひしひしとわかる...^^;
菊池寛も彼自身がそう思ったればこそ、忠直の行状を彼なりに分析して見せられたわけだし、、、
それを読んだ我々自身にもその匕首は突きつけられたってことはみなのこころに実はある深遠/アビス(abyss)をのぞかせられたわけだ...だからこそ,,,ぞくぞくしちゃうんだ...

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菊池寛は掛け値無く「生(しょう)」の人であったこと、またそれが世のまやかしを暴いていく根源的な心性であることを忘れている今の状況に警鐘を鳴らし、改めて生きる意味を問い掛けてる!

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1287.html より Orz〜
「編集を仕事とする者にとって、菊池寛は大きい。面妖でもある。どのくらい大きいかというと、作家や戯曲家として、「文芸春秋」の創刊者や文芸春秋社の起業家として、新聞小説の変革や芥川賞・直木賞の創設などを通して、文芸的なるものを「経国の大事」としたことが大きい。・・・
ぼくはいまもって「文芸春秋」こそが日本の雑誌のエディトリアル・フォーマットに永遠の金字塔をたてた成果だと見ている。『情報の歴史』を見てもらうとすぐわかるだろうが、「タイム」とほぼ同時期の創刊だった。この日本的エディトリアル・フォーマットを破るものはなかなかあらわれない。・・・「文芸春秋」に匹敵できるのはせいぜい「週刊新潮」か、さもなくば花森安治の「暮らしの手帖」くらいであろう(506夜)。ユニークな雑誌ならいくらもあるが、フォーマットを変えない魅力をもっている雑誌は稀有なのだ。・・・どうも何かが人に抜きん出て、すぐれて異能なのだ。何かというのは、人をメディア的に惹きつける異能性というものである。・・・
『忠直卿行状記』は大正7年の作品で、歴史に名高い暴君として知られた松平三河守忠直を主人公にした。僅か13歳で越前67万石の大封を継いだ殿様で、とくに大坂夏の陣において真田幸村の軍勢を蹴散らして大坂城一番乗りをはたしてからは、我儘、奔放、強情、身勝手をほしいままにした。癇癖が強くて、しかもどんな者にも負けたくないという自負でかたまっていた人物である。新井白石(162夜)の『藩翰譜』にもぼろくそに書いてある。この忠直におこった境涯の一点を、菊池寛はみごとに描いた。夏の陣ののちの日々、城内で連日のように武芸の立ち会いをしてこれを次々に打ち負かすことを好んだ忠直は、ある日、二人の家臣の会話を立ち聞きをする。二人とも今日の槍術試合で打ち負かされた相手である。二人は「殿の腕前もずいぶん上がったものだ」と感心している。初めて臣下の偽らざる称賛を聞いた忠直はたいそう満足をするのだが、その直後、「以前ほど勝ちをお譲り致すのに、骨が折れなくなったわい」と言うのを聞いて、逆上した。なんとかその場の怒りを抑え、そのかわり翌日の立ち会いを真槍(しんそう)にした。
家中の者は驚き、殿の乱心かと疑い、国老は懸命に諌めるのだが、聞きはしない。家臣たちが次々に恐れをなして引き下がるなか、昨日の一人が潔く真槍をひっつかんで主君に刃向かうのだが、三合ほど合わせると槍を左に受けて倒れ、もう一人のほうもしばらく槍を交えたのち右の肩に槍を受けて倒れた。二人の見えすいた負けっぷりに忠直の心は楽しまない。おまけにその夜のうちに二人が相前後して割腹したことを知らされた。
これで忠直は、いったい自分の力というものが確信できなくなっていく。すべては砂上の楼閣に築いた栄誉だったのかもしれない。
焦燥のうちに武芸から遠ざかっていたところ、生意気な小姓が「殿はなぜ近ごろは兵法座敷に入りませんのか」と問い、「いっときのお手柄にちと慢心あそばしたのではありませぬか」と余計なことを言った。たちまち忠直は杯を小姓の額に投げつけた。小姓はその夜に自害した。
それから十日ほどたって、忠直は家老と囲碁を遊んでいた。このとき家老がうっかり「殿は近ごろ、ご上達じゃ」と言ってしまった。すると忠直はいきなり立ち上がり碁盤を足蹴にした。案の定、家老はその夜に切腹して果てた。もはや忠直の乱行はとめどを知らなくなって、ついには愛妾たちが人形のようにしか自分に接していないのに腹をたて、家臣の女房を城中に呼んで手籠めにしようとした。これなら本当の異性の溌剌とした抵抗に出会えるかと思ったのである。妻を取り上げられた3人の家臣のうち、二人は切腹をもって抗議したが、もう一人の与四郎は城中に乗り込み、勇敢にも匕首(あいくち)をもって主君に飛びかかった。忠直は必死でこれをとりおさえ、そしてその瞬間になぜか心が晴れた。「お前はまことの武士じゃ」と褒めて妻とともに退出させ、自分は自分で掛け値のない技量を発揮できたことに満足した。ふつうの小説なら、ここでおわるはずである。しかし、菊池はもう一歩踏み込んだ。忠直のこの満足も束の間だったのである。その夜、与四郎夫婦は枕を並べて心中自殺を遂げた。忠直の残虐はこれでまたまた燃え上がる。・・・ざっとこんな話だが、菊池寛が忠直を歴史物語ふうに描いていないのは一目瞭然だ。まさに近代的に描いている。上に立った者の傀儡性と、自身が自身に問うべき価値の喪失が描かれている。つまりここには、世の中における「掛け値」というものがもたらす「幻想の崩壊」が巧みに炙り出されていたのである。なるほど、うまい描き方があったものだと思った。・・・松本清張(289夜)に『形影』がある。「菊池寛と佐佐木茂索」というサブタイトルがついている。そのなかで清張は、菊池の文学はゾラ(707夜)や花袋らの自然主義小説がとりあげていた「自我」を極限化して、うんとリアルにしたのではないかと指摘している。・・・」

To be continued...

画像:忠直卿行状記 1960年11月22日(火)公開/1時間34分大映京都/白黒シネマスコープ
www.raizofan.net/ link4/movie4/tadanao.htm より Orz〜
「忠直は彼にへつらい、何の抵抗をみせない家臣たちにいいしれぬ不満をいだいていた。その内面的な苦悩を知ってくれる者は誰一人としていない。そんな心理的演技にとりくむのは『大菩薩峠』で名演技を示した市川雷蔵さんです。「菊池寛の名作の一つに数えられるものを、どこまで自分で演れるかが一つの課題でしょう」と謙虚に語りながらも忠直に勝負する雷蔵さんです。
[ 梗概 ]
浅水与四郎は幼少から忠直の側近く仕える忠臣で、忠直附きの腰元志津と祝言をあげた。忠直は内外からその英邁振りをうたわれ、特に武芸に熱心で、よく家中の若者を集めて槍試合などを行った。
ある日、みずから白軍の大将となって出場した忠直は、紅軍の副将島左太夫、大将小野田右近を突き伏せた。ところがその晩、忠直が奥庭に出た時、昼間の二人が話す「以前ほど、勝ちをお譲りするのに骨が折れなくなった」という言葉を聞いて愕然となった。
翌日、急に槍試合を命じた忠直は、真槍で例の二人を傷つけてしまった。二人はほどなく割腹して果てた。生まれてこのかた自分の身に注いでくれる賞讃は偽りであり、家臣の追従であることを知って深い懐疑にとらわれた忠直の行動は、それからというもの暴虐非道を極めた。人妻を犯したり、諫言する家臣を斬り棄てるなど別人のような乱行がつづいた。これは不信に包まれた忠直が人生の真実を求めてさまよう悲痛な姿であった。
この行状は幕府の耳に入り、浅水与四郎は国家老本多土佐の命を受け、申し開きのため江戸へ発った。このことは忠直に対する不信であると正純に囁かれた忠直は、本多土佐を斬り棄て与四郎の妻志津を城中に監禁するが、志津はカンザシを片手に身を守った。
江戸から帰った与四郎はこれを知って城中に忍び込み、短剣を持って忠直に躍りかかった。敏捷無類、太刀を執っては家中第一と言われた必死の与四郎を忠直は見事に取り押さえた。忠直は自分の腕が確かであることを知った。与四郎夫婦の真実の姿も知ることが出来たが、初めて人生の真実を知った時はすでにおそく、忠直は六十七万石の大名を去らねばならぬ時であった。
母の清涼尼を上使として将軍家の上意は、領地召上げのうえ、その身は豊後府内にお預けという厳しいものであった。護送の役人に守られながら、配所へ赴く忠直卿の側には与四郎夫婦の姿があった。忠直の顔は流罪人とは思われぬほど明るかった。( キネマ旬報より )」


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