アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

すべらない話

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
イメージ 1

"I cannot tell a lie" Cherry Candy Holder Axe


桜の木と言えば...ワシントンを思い出せるのはわたしの世代かもね...^^;...?
「道徳」で習ったんだっけ?...それが真白に近かった子供の心に見事にプリンティングされたかどうかは怪しいけど...こうやって思い出せちゃうんだから...たぶん...惚けたって...この記憶を入れた引き出しは残ってるんだろうかなぁ...そのときは自分で確かめることあたわずなんだろから...確認作業は子供らに任せるとするかいなぁ...まるで、ギロチン台に登って行くとき使用人に切り落とされた自分の首を持ってまだ自分が意識があればウインクを送るから確認してくれって頼んだラボアジェに似てる...^^;...?

昭和58(1983)年にサリー大学という大学の生物学講師をつとめていたハロルド・ヒルマンという人物が「ニュー・サイエンティスト」という雑誌に投稿したものだそうです。ちょうどそのころ、極刑に対して医師はどのような態度をとるべきかという議論が世界医師会という団体で議論されていたらしい。
■ヒルマン氏の推測によれば、「脳に流れ込む血液がいっきに減るので、(意識は)2〜3秒で消える」とのこと。ただし、その直前には、「周囲の組織が切断されるので、急激な、おそらく極度の痛みがともなう」という意味のことが書かれています。つまり、瞬時にあの世に行けるわけではなく、短いけど強い苦しみを味わうことになりそうです。
■フランス革命の際にギロチンで処刑されたアントワーヌ・ラボアジェという人物がいます*2。「質量保存の法則」を発見した科学者だそうです。ラボアジェ氏、断頭台にあがるとき、「首を切り落とされてからどのぐらいまばたきをしていられるか、観察してほしい」と友人に依頼したらしい。ラボアジェ氏のまばたきは約15秒続いたとのこと。ラボアジェ氏の科学者魂には拍手を贈りたいところですが、残念ながら、この逸話は事実であるという証拠が見つかっていないらしい。面白おかしく捏造されている可能性も否定できないようです。
■ヒルマン氏の推測とは少し異なりますが、20世紀初頭に斬首後の意識について医師が実験した記録があるそうです。明治38(1905)年6月28日午前5時30分(フランス現地時間)。ランギジュという殺人犯がギロチンにかけられました。このとき処刑に立ち会ったポリエという医師が、ランギジュの頭部で実験を行なったそうです。その記録が、アリスター・カーショーという人の著した「ギロチンの歴史」という書物に残されているとのこと。
■斬首のあとでランギジュのまぶたと唇が不規則にぴくぴくと動いたそうです。痙攣性の動きが止まったところで医師は大きな声で強く呼びかけたらしい。「ランギジュ!」。死刑囚のまぶたがゆっくりと開いたそうです。ポリエ医師は痙撃ではなかったと言っています。目は、ポリエ医師や弟子たちの目を見つめていたとのこと。数秒後、ふたたびまぶたは閉じられます。
■ポリエ医師は再度呼びかけてみます。するとまたまぶたがゆっくりと開いて、目がポリエ医師に向けられます。目は生きている人間のようで、1回目よりもっと射るような目つきだったとポリエ医師は証言しているようです。数秒後にふたたびまぶたが閉じられ、3度目の呼びかけには死刑囚は反応しなかったとのこと。目は死者特有のぼんやりしたものに変わっていたそうです。時間にして25〜30秒ぐらいだったようです。
■100年前の薄気味悪い実験によれば、だいぶ長く意識があったようにも感じられますね。
◆参考*1:書籍「実証超科学講座」初版56〜59頁、ニュー・サイエンティスト編集部編、ISBN978-4-576-07161-9、二見書房
◇*2HP「ギロチンで胴部から離れた頭部は、実は大科学者のもの?

ラボアジェは質量不変の法則を発見した大科学者です。ラボアジェは高精度の大型天秤を開発しました。化学反応の実験を密閉した瓶の中で行います。反応前と反応後の重さを量る実験を何度も繰り返しました。「どーも、化学反応の前後では、重さは変わらんぞ」と気が付くわけですね。
●酸のもとは、酸素だろうと考えて、「酸の素」つまり「酸素」という名前をつけたのはラボアジェ先生だそうです。日本語に訳されても「酸素」なわけですね。ただし、酸のもとは実際は水素イオンなんだそうです。誤解に基づいた命名らしい。
●元々、徴税請負人という仕事もしていました。弱い立場の人からお金をむしりとるような、イメージの悪い商売です。科学の実験には莫大な資金が必要です。そのために稼いでいたのかもしれません。
●フランス革命のとき、徴税請負人であることを理由に逮捕されます。そして寛政6年(1794)の5月に裁判で有罪となり、即刻ギロチンで死刑が執行されたそうです。
●フランスの学界の人たちは、誰も助けてくれなかったそうですね。みんな革命の狂気におびえていたんでしょうか。
●チャップリンがマッカーシー旋風で共産党のシンパと疑われたときも、誰も助けてくれなかったと聞きます。傷心のチャップリンはアメリカを去ります。同じ業界の人って意外に冷たいことがありますよね。
◆参考:書籍「心にしみる天才の逸話20(講談社ブルーバックス)」山田大隆著、4-06-257320-2、講談社
◇HP「ラボアジェ – Wikipedia」」


これは...信憑性があると思うのは...人の脳神経の酸欠によるダメージとしては...視覚が最初にやられ、聴覚はしばらく残ると考えられてるから...その理由でゲーテの最後の言葉「もっと光を!!」ってのは...昼間で明るかったはずなので目が見えなくなった彼は思わず叫んだのではないのかって説があったはず...首肯できる ^^
だから...ラボアジェもランギジュも目は見えずともしばらくは耳は聞こえてた可能性はあるんだと...?
でも...一番楽であろうと思われ&確実な死刑の斬首刑にも関わらず...超激痛も体験しても気絶もせずに意識が残るんだとすると...絞首刑だって同じ気がするし...死刑にこそ安楽死の導入が考えられなきゃ...あるいは確実に気絶したあと死刑執行してくれなきゃ...うかうか犯罪も犯せない...^^;...冤罪にでも巻き込まれたら...わたしゃ絶対脱走するし...寒いから腹が減ったからといって逆戻りなんか死んでもしやしませんよぉ〜〜〜!!...ま...死んだらできゃしないわけですから...「生きてる限り/目が黒いうちは」って表現にしなきゃおかしいんだけど...Orz...
で、脱線した話を元に戻します...

「父親が大事にしていた桜の木を切ったことを、少年時代のワシントンが正直に打ち明け、かえって父親からほめられた。実は創作といわれる教訓話は、いかにもアメリカらしい。つまり告白したワシントンは、謝罪をしていない。 ▼作家の村上龍さんの指摘である。》
アメリカでは、この桜の木の話は、切った斧に焦点をあてて、「ワシントンの斧 George Washington's axe」として一般に知られているようです。

つまり父親から誕生日の贈り物としてもらった斧の切れ味を試すために、父親が大切にしていた庭の桜の木を切った。

《George Washington's axe》
http://www.biographybase.com/biography/Washington_George.html
Admirers of Washington circulated an apocryphal(*典拠の怪しい) story about his honesty as a child. In the story, he wanted to try out a new axe and chopped down his father's cherry tree; when questioned by his father, he gave the famous non-quotation: 
"I cannot tell a lie. It was I who chopped down the cherry tree."
The story first appeared after Washington's death in a naive "inspirational" children's book by Parson Mason Weems, who had been rector of the Mount Vernon parish. See also George Washington's axe for an elaboration of this story. 」
・・・
2008年7月に、アメリカのジョージ・ワシントン財団が、ワシントンの少年時代(6歳から20歳まで)の住居跡が見つかったが、そこからは、桜の木も斧も見つからなかったと発表。・・・」

そうみたいですよ!!...「そう」の鏡像「うそ」ってこと!! でっち上げ/捏造...によるマインドコントロール...奇麗な🌸にはとげがある...どうしてそこまでして作り上げなきゃいけないんだろ...? 教育現場に持ち込まれるとしたら...この国にとって都合のいい方向に感化しようとしてると思った方がいい...だって...普通はできはしないことだからこそ心が動かされるわけで...現実はその反対なんだって反面教育ならいいかもしれませんけどね...^^;...人格立派じゃないとえらい人にゃなれないとかってのは嘘っぱちじゃないのかなぁ...^^;...それよりも...偉人達の失敗談やら人としての卑怯な部分やら姑息なところ悩んでたことそれらすべてをさらけ出した逸話の方が教育的効果ってあるんじゃないのかなぁ...みんな変わりゃしないんだって...でも頑張れば夢も叶うしいいこともあるかもしれないんだって...そっちの方がストレスかからなくって自由に生きれそうじゃん🌸
今日のこの記事のタイトルは「ジョージワシントンに斧で切られた桜が満開🌸」にしなきゃいけなかったかしらぁ〜...Orz〜

不条理なガサ入れ...^^;

イメージ 1

友人からのリクエストで...むかしストリップ劇場で捕まった話を吐露しますぅ〜...^^
大学時代友人と某ストリップ劇場に入ったんだけど...同じ友人と京都だったかで行って以来の2回目だったはず...入場料いくらだったか覚えてない...で...ミュージックも覚えてないけど...^^;...奇麗なお姉さんが舞台でいよいよ踊り始めた...どのくらい経過したのか覚えてないけど...急に笛が鳴り...動くなぁって声!!
何事が起こったのかさっぱりわけわかめ...踊り子達は消えちゃう...
劇場にライトが灯り...そこには何人かの警官達の姿...だったか...私服だったかも覚えていない...
が...観客は皆外に連れ出され...劇場の前にはよく見る護送車!!
それに乗せられ警察署まで連れて行かれた...学生のわたしはこの先が読めない...^^;
取り調べが始まってから徐々に了解できてきた...
ようは、観客から証拠を収集したかったわけなのよ...
「踊り子は何をしていたか?」、「どこまで見せたか?」...たしかそんな質問をされたように覚えてる...
わたしゃ...その頃から切れやすかったのか...こちとらは、お客で入場料も払ってるってのに、肝心なシーンが見れないままのガサ入れってのはいかがなものですか?...TPOってものがあるんじゃないですか?...笛を鳴らす時間が早すぎたんじゃないですか?...入場料返せ!!ってなことは言わなかったけど...
なんにも見てないですよ!! その前に警笛鳴らされちゃうんだから...タイミングが悪すぎますよ!!...ってことは申し上げた覚えはある...but...本当に見なかったのか、見たあとだったのかも定かでない記憶になってる...^^;...わたしはっていうか、たぶんみんな、踊り子達の味方をしたに違いないと思ってる!!
彼女達はそれが仕事だし...わたしらはお客だったわけなんだ...そこはストリップ劇場だったのよ!!
そこにガサ入れして、何を見たかとか見せたかなんて質問は...愚問...!!
不条理この上ない税金の無駄遣いなる愚行としか思えなかったなぁ...Orz...
ま...それ以来...ストリップ劇場に足を運んでないわたしです...行きたいと思わなくなってしまったのは...ひょっとして...このときのトラウマかもしれません...^^;...?

Moon rabbit ♡

よりOrz〜
イメージ 1

月にいるというウサギ...♡
きょうは...すでに十七夜のお月様だったけど...ほぼまん丸◯お月様の中で跳ねてるってのがこのウサギなのよね♪

画像:http://wired.jp/wv/gallery/2008/10/16/蛍光色の動物を作り出す
:gfp利用の遺伝子組み換-4/ より Orz〜
イメージ 2
論争を呼んだ光るウサギ

「遺伝子組み換えによって光る動物というアイディアに、アーティストたちも飛びついた。

遺伝子操作により緑色蛍光タンパク質を組み込まれて誕生したとされ、物議を醸していた蛍光色ウサギ「アルバ」が、1ヵ月ほど前に死亡したと報じられた。この芸術プロジェクトをめぐっては、芸術作品としてこのウサギの作成を依頼し、緑色に輝くウサギの写真を公開した芸術家と、実際に遺伝子操作を行なった研究者双方の主張には従来から大きな隔たりがあった。そもそもウサギの写真の信憑性を疑う声もある。蛍光色ウサギは本当に存在したのだろうか。」

暗号解読...

イメージ 1


暗号解読 ロゼッタストーンから量子暗号まで
サイモン・シン

単行本: 509ページ
出版社: 新潮社 (2001/7/31)
ISBN-10: 4105393022
ISBN-13: 978-4105393021
発売日: 2001/7/31
商品の寸法: 20 x 14.5 x 4 cm

有名なアメリカンジョークがあるんだけど...
「アメリカがアポロで月へ行った頃、重大な問題に遭遇した。宇宙の無重力状態ではボールペンが使えなかった。そこでNASAは何億ドルもの研究資金を投入して遂に『無重力空間でも字が書けるボールペン』を開発した。一方そのころソビエト連邦の宇宙飛行士は鉛筆を使っていた」
ドイツがエニグマっていう最強の暗号機械を使い、作戦伝達を行っていた。それを英国の天才数学者チューリングは「ボング」という解読機械を開発し、ドイツの暗号文をすべて解読して、ドイツ優勢の戦局を一気に逆転させてしまった。最新数学技術の開発合戦。その勝者こそ歴史の勝利者である!!
というふうに散々盛り上げておいて...
ところでそのころアメリカでは、ネイティブアメリカンの現地語をそのまま暗号として通信に使っていた。アメリカ人以外でそんな言葉を知っている外国人はいないので、その言葉がそのまま暗号状態になってしまったのだ。
・・・
ああ、人生の無常さよ...最高の暗号機械を突破する最高の解読機械を発明した天才数学者チューリングは、その後同性愛容疑で逮捕されそうになり、その逮捕前に自殺してしまった(当時の英国では同性愛は違法)なんという人類的損失。コンピュータの歴史はこのため十数年発展しなかったことはあきらかだ。
ってな内容は本文のごく一部なのだが、妙に気になるところだった。
実は素数と暗号の深い関係を、その入門編といったところが本書の目的だと思う。現在のインターネットにおける電子商取引では暗号技術は必要不可欠なモノであり、何故それほど重要かということが解説されている。・・・」

この本は読んだんだけど...上の話は覚えてないんだから...嫌んなっちゃう...^^;
日本の暗号にも鹿児島弁が採用されたってな話なかったっけ...?

解読不可能な暗号
第二次世界大戦が、激しさを増した1943年、同盟関係にあったドイツから日本に、二隻の潜水艦(=Uボート)が寄贈されることになりました。そのうちの一隻が、ドイツ海軍の乗組員によって東南アジアの日本の勢力範囲まで、回航されたU511号です。
この潜水艦には、1940年9月の日独伊三国同盟成立時から、ドイツに駐在していた軍事代表野村直邦海軍中将(のち大将、海軍大臣)が、便乗することになりました。
野村中将は、他の追随を許さないドイツ通であり、その帰国は、日本の戦術にも大きな影響を与えるなど、重要な意味をもっていました。
U511号は、目的地とされたペナンに着くまで長い期間、連合軍の哨戒圏(しょうかいけん=敵の攻撃を警戒して見張っている地域)を突破しなければならないため、野村中将の動きは、高度の軍事機密事項でありました。そして、日本の外務省としては、秘密裡に野村中将の出発の確証を得る必要がありました。
当時、日本の外務省と在独日本大使館の情報交換は、乱数表(0〜9の数字を無秩序に並べた表)を用いた暗号電報に頼っていましたが、戦局の悪化にともない、さまざまな混乱がおこり、信頼できない状態に陥っていました。
野村中将の動きを察知するために、外務省は、実に大胆不敵な連絡方法を採用しました。それはなんと、国際電話で堂々と日本語で話すというものです。ただし、使われたのは、日本人であっても、他の地方の人間にはわからない、早口の鹿児島弁でした。
通話をしたのは、
外務省側:鹿児島県姶良(あいら)郡加治木村出身の人(暗号名は、「カジキ」)、
在独大使館側:鹿児島県日置(ひおき)郡吉利村出身の人(暗号名は、「ヨシトシ」
の二人でした。
この方法は、野村中将出発前後、10数回行われました。では、最初のころの通話のようすを、吉村 昭氏の『深海の使者』(文春文庫)から引用してみましょう。
――――――――――――――――――――――――――
カジキサー、カジキサー(カジキさん、カジキさん)」
ヨシトシサー? (ヨシトシさんか?)」
カジキサー、ノムラノオヤジャ、ハヨ タタセニャ イカンガナ モ タッタケナ〜?(ノムラの親爺、早く発たせなくては、いけないが、もう発ちましたか?)」
カジキサー。ヨシトシノオヤジャ(「ノムラノオヤジャ」という言い方をとっさに変えてます。) モ イッキタツモス。(カジキさん。ヨシトシの親爺は、もうすぐ発ちます。)」
             (中    略)
ヨシトシサー、ヨシトシサー。ヨシトシノオヤジャ モ モグイヤッタドカイ?(ヨシトシの親爺は、もう潜って行かれましたか?)」
モ モグリャッタ。(もう潜りました。)」
――――――――――――――――――――――――――
アメリカの軍事情報部は、もちろん、これらの通話を傍受し、録音盤を作成して検討しましたが、しばらくは内容はおろか、どこの国の言葉かさえ、分からなかったといいます。」

明治維新の官軍の方の薩長土肥(さっちょうとひ)の勢力図を彷彿とさせますが...
明治政府は...なぜに官軍側の言葉を日本の標準語にしなかったんだろう...?
話しことばの近代史

イギリスがドイツ軍の暗号を解読できてることを知られたくなかったがために同胞の人々を見殺しにしたという今では信じられないような話って有名なの???
戦時には...同じようなことは起こるのは致し方ないことは覚悟しておくのが国民の義務なんですかねぇ...?

画像:http://120.hp2.jp/?p=3273 より Orz〜
イメージ 2

                 アラン・チューリング
        (Alan Mathison Turing1912年6月23日 - 1954年6月7日

 
第二次大戦でドイツが用いていた暗号機は 「エニグマ」 と名付けられていた。 その名は英国の作曲家エドワード・エルガーの変奏曲36番 「Enigma」 から取られたものと云う。 「Enigma」 は 「謎」 という意味である。 これは、一時は、難攻不落の暗号とまで云われていたものであったが、 イギリスはこの暗号の解読にも成功していた。
英国はロンドン郊外のブレッチェリーパークに要員を集め、ここで解読に当たらせた。 この時、革命的とも云われる手法を導入して、エニグマ暗号への突破口を開いたのがチューリングである。 このチューリングは後に、自ら青酸カリを塗ったリンゴをかじって自殺する。 天才と狂気とは紙一重の隣り合わせであろうか。それにしても、このようにしてエニグマは破られていた。
・・・
英国はエニグマ解読の事実を最後まで秘密にした。 コベントリーの町がドイツ空軍の大編隊の爆撃機によって無差別空襲を受けた時も、 英国の首相のチャーチルは、エニグマ解読による情報によってドイツ空軍の空襲を予め知っていたが、 エニグマ解読の秘密を守るために、敢えて事前の対策を取らず、 コベントリーの町をスケープゴートにしたと云う真偽不明の噂さえ伝えられている程である。 エニグマ解読の事実が公表されたのは、戦後も二十年以上を経た1970年代に入ってからである。」
以前アップしてるかも...^^;...してたらめんご...Orz〜

イメージ 1

http://ja.wikipedia.org/wiki/レオンハルト・オイラー より
オイラーの父も数学の教育を受けた人物であったが、父はオイラーに自分の後を継いで牧師になることを望んでいた。しかしヨハン・ベルヌーイによって才能を見いだされ、オイラー自身の数学への興味もあって数学者になる道を選んだ。1727年に、オイラーはサンクトペテルブルクのアカデミーでダニエル・ベルヌーイの同僚となった。この地で、彼はバーゼル問題を解決したことで有名になった。だが、エカチェリーナ1世の突然の死でロシアは政情不安となり、視力の悪化も伴って、研究生活は不安定なものとなった。1741年、プロイセン王国フリードリヒ2世の依頼でベルリン・アカデミーの会員となり、ドイツへ移住。その業績からフリードリヒ2世に「数学のサイクロプス(単眼の巨人)」と賞賛される。彼は『無限解析入門』 "Introductio in analysin infinitorum" と『微分学教程』 "Institutiones calculi differentialis" という2冊の数学書を出版した。また、オイラーはアルンハルト=デッサウ公女の教育のために科学への入門書を執筆し、その後、『自然科学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙』 "Lettres à une Princesse d'Allemagne sur divers sujets de physique et de philosophie" として出版された。この本は欧米で一般の読者を対象にした科学書として広く読まれ、オイラーの最も有名な著書となった。当時ベルリン・アカデミーには、ヴォルテールもいたが、二人が親密になることはなかった。エカチェリーナ2世が帝位についたことで、オイラーは再びサンクトペテルブルクに戻った。1771年ごろには失明したものの、彼は精力的な研究生活を最後まで続けた。墓は、アレクサンドル・ネフスキー大修道院にある。・・・
ライプニッツによって定義された関数を初めてy=f(x)の形で表したのもオイラーである。
彼は歴史上最も多産な数学者であったといわれ、1980年〜2000年にかけて流通していたスイスの第6次紙幣の10フラン紙幣にその肖像を見ることができる。」

数学で神を証明した数学者、オイラー(05.12.04)
           参考:数論とフェルマーの最終定理、ナツメ社
数学史上、もっとも多産な業績を残したオイラー(1707-1783)の仕事量はとにかく半端でない。
その生産性の秘密は、オイラーは時と場所を選ばずに仕事ができた人であったからだろう。 食事の合間の半時間に数学の論文を書ききったとか、 幼児を膝の上にのせたまま研究報告を書くこともままあったと言われている。 多産な論文と歩を合わせるように(?)13人の子沢山のオイラーには、 避けて通れない日常だったのだろう。
これほどまでに研究熱心なオイラーが、論敵を打ちのめす武器として 数学を使ったと言えば意外に思われるかもしれない。
二度目のロシア滞在中のとき、オイラーは女帝エカテリーナからある頼みごとをされた。 フランスの哲学者ドゥニ・ディドロ(1713-1784)が女王の臣下に無神論を吹き込んでいて困る、 これを封じてほしい、というのである。 これはオイラーにとって簡単な仕事だったようだ。
あるとき、ディドロは、神を代数学的に証明している数学者がいる、 というふれこみの発表会に出席する。 彼に向かってオイラーは語りかけた。 「閣下、(a+bn)/n=x であるがゆえに神は存在するのです。ご返答を」。 数学の不得意なディドロは沈黙し、宮廷を辞する羽目になったという。」



*恐れ多くも...オイラーさんと似てるのは?なんてこと思ったりしたんだけど...
彼は性欲旺盛だったってこと...? だって...子ども13人だなんて...^^...
そっち方面のお話だったら談論風発できるかもしれないなぁなんて...
滅相もないことを想像したり...Orz...
むかしは...いっぱい子ども作ったんだろうけど...新生児死亡率が高かったはずだから...?...
それにしても13人とは... 素数を愛したオイラーさんだけあるわ!! 
しかも...右目の失明の原因が勉強のし過ぎだなんて...医学的にゃよくわからねど...^^;...
完敗でっす...^^;;;...Orz...
でも...完全数の一つの6は越えたけど...つぎの28はさすがに諦めたのね...13の次の素数17も...^^...?
オイラーもそうだけど彼を受け入れた奥さんの方もよっぽど丈夫じゃないとと思うんだけど...?

.
スモークマン
スモークマン
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(1)
  • ヤドカリ
友だち一覧
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

検索 検索

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事