|
写実主義も徹底されると、超現実味を帯びるような気がするのはわたしだけ?
レオナルド・ダ・ヴィンチのリアリズムに近いような。。。
わたしの好みは、上の静物画と下の絵を平気に同空間に飾りたい。。。(^^;
「・・・彼の描いた革新的な宗教画は教会において物議をかもしたが、裕福な人々は彼の作品の劇的な構成力を評価し、独創性を認めた。艶のある画風が時には同性愛者に彼の作品を求めさせることもあった。
カラヴァッジオは『聖母の死』、『聖マタイの殉教』など数多くの宗教画を描いたことで知られている。その特徴は画面の明暗の差が激しい宗教画としては極めてドラマチックな作風にある。また人物モデルに当時のフィレンツェの市井の人々を起用し、目に見えるものを見たまま画布に細密に描くという徹底したリアリズム表現を行った。彼はデッサンや習作を描くということをほとんどしなかったとみられ、現存していない。 また制作にあたって彼は意図する構図どうりにモデルを配置し、現在の写真や映画撮影のようにレフ板のような物で強烈な光を当てて、描いていたと推測される。
彼は数多くの逸話を残している。 例えば『聖母の死』では、注文主の教会が「聖母マリアの昇天」というテーマで描くよう依頼したにもかかわらず、カラヴァッジオは単なる横たわる女の骸として生々しく描いている。一説によると、自ら身を投げた女の死体をモデルに克明に描いたと言われている。そのため、事実を知った教会は祭壇を飾る絵としてふさわしくないという理由で受け取りを拒否する。しかし、画面に描かれたマリアの周りの人々の繊細な表情やもう1つの主役の強烈な光と陰は、大切な人を失った人間の悲しみを劇的なまでに強調している。
・・・
「当時、ローマにおける画家たちはこれを革新的なのこととして受け止め、とりわけ若画家たちは彼を慕い、彼を唯一の自然主義的な写実主義者として称賛し、彼の作品を奇跡とみなしていた。彼らはモデルの衣類を脱がせ、明かりを持ち上げながら、カラヴァッジョの作品を揃って模写するのに懸命であった。」−ジョヴァンニ・ピエトロ・ベローリ(1672)
同世代や続く世代の画家たちに、彼がもたらした革新が与えた影響を無視することはできないだろう。彼の忠実な写実主義、モデルの選択、明暗表現、彼独自の静物画の豊かな通路をしめした“闇の様式”、彼の色彩に対する眼などは、カラヴァッジオ作品の特徴である。
・・・
“ユトレヒト カラヴァジェスキ”と呼ばれた、ユトレヒト出身のカトリック教会芸術団体は、17世紀の最初の年にローマへ旅行をした際、カラヴァッジオの作品に深く影響を受けていた、とベローリは描写している。彼らが北へ帰った後の流行は長く続かなかったが、後に1620年代ヘンドリック・テル・ブリュッヘン(Hendrick ter Brugghen)やファン・バブーレン(Drick Van Bahuren)の間で強烈に影響を与えていた。
続く世代においてカラヴァッジオの強い影響が少なくなかったことは、イタリアに一時滞在した際に彼の作品を見たと思われるルーベンス、フェルメール、レンブラントそしてベラスケス(Valazquez)へ与えた影響においてたどることができる。
現代画家のノルウェー人のオッド・ネルドル(Odd Nerdrum)はカラヴァッジオの作品を模倣し、現代風にしようと試みている。おそらく西洋の基準の中でジョットやマサッチョを除いては、生きた世代を超えて影響力を与えた者は彼以外にはいないであろう。
・・・
最後のリラ紙幣に
カラバッジョはイタリアの10万リラ紙幣に肖像が採用された。このときには「人殺しを紙幣の顔に採用するとは!」と一部から批判の声があがった。しかし、画家として業績や時代背景などを考慮して採用されることになった。」
画像:上:『果物籠』 1596−97 アンブロジアーナ絵画館(ミラノ)
中:『聖母の死』(Morte della Madonna) 1605-1606年 ルーヴル美術館(パリ)
この絵の聖母マリアのモデルも娼婦だったらしい。彼は、自分の愛人(娼婦)をマリアのモデル
としたらしい!罪深いものこそ神の祝福があるべきだって考えてたからと、NHK(1/28) の教育テ
レビでやってた。わたしは、そうじゃなんじゃなくって、実際に彼にとっての娼婦、愛人が、
聖母そのものと感得してたからだと思うんですよね。。。(^^)
下:『愛の勝利』(Amor Vincit Omnia) 1602年 - 1603年 ベルリン国立美術館
「愛の勝利(イタリア語:Amor Vincit Omnia(「愛は全てを征服する」の意)、Amore Vittoriosoなどの名でも知られる)は、バロック期のイタリアの画家、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571年 - 1610年)によって描かれた絵画。現在はドイツ、ベルリン国立美術館が所蔵している。
カラヴァッジョはこの絵画を1601年から1603年にかけて、ローマでもっとも裕福な人物の一人、ヴィンチェンツォ・ジウスティニアーニ侯のために製作した。この時期には、カラヴァッジョは次第に教会のために製作することに情熱を傾けるようになっており、この作品は個人的なパトロンのために製作された最後の世俗的な作品群の一つである。」
(愛の勝利 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
|