アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

好きな絵

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二十歳の自画像

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これを見てると、一人でもこの世と対決して生きていくんだっていう凛とした雰囲気を感じます。
作品数がべらぼうにある作家でギネスにも載ってるんですってね。それだけ汲めども尽きぬ表現したいものがあったってわけだ。(芸術は爆発だ!表現して頭ん中から放出しないことには、それこそ頭が破裂しちゃうのかもね。(^^;

「青は、遠い、遙かな色。空の青も、夜の青も、手に取ることが出来ないからです。ウルトラメール・フォンセ。ブルー・アズール。ブルー・ド・プルス。ブルー・ド・コバルト。青は、彼岸の色。天上の色。人は、その青に近づこうと、幾つもの色を創り出して来ました。20世紀初めの事。青い色の奇跡を起こした画家がいました。二十歳の若者です。名は、パブロ・ピカソ。パリのマレー地区は、貴族の館が立ち並ぶ古い町。その館の一つが、美術館になっています。ピカソ美術館。
ピカソは、1973年に亡くなりました。莫大な遺産を残された遺族は、相続税の代わりに彼の作品をフランス政府に納めました。ピカソの生涯に渡る作品3500点。それがここに収められているのです。その中に今日の一枚。・・・

他の画家から刺激や触発を受けても、影響されるということはありませんでした。いつも、自分のスタイルを持っていました。それは青の時代、バラ色の時代、キュビズムと一貫しています。最初にピカソが道を開き、後から大勢の画家がついていく。その頃には、彼の興味は別の所に向かっている。そういう資質は、若い頃から持っていました。」

まるで坂本龍馬みたいですね!

「重いスペインの空気から解放されたピカソは、パリの風を全身に満たし、新しい作品を描いていきました。しかし最初のパリ滞在は、2ヶ月で終わってしまいます。カサヘマスの精神状態がおかしくなってしまったのです。ジェルメーヌという女性との恋愛問題が原因でした。マラガは、ピカソの生まれた町です。ピカソは、親友の気分を変えるには、アンダルシアの強烈な太陽が必要だと考えました。しかし、カサヘマスの気分は一向にすぐれませんでした。塞ぎこんでしまった彼は、パリに戻ってしまったのです。ピカソの20世紀は、悲しい報せで幕を開けます。カサヘマスが、命を断ったのです。
ピカソが、再びパリにやって来たのは、その年の6月の事。カサヘマスが借りていたクリシー通りのアトリエで暮らし始めたのです。ピカソは、取りつかれたように絵を描き始めます。彼の死を、反芻するように。そして、青い色に魅せられていくのです。ピカソが描いたあの世とこの世。友人の召され行く魂を。果たせなかった願いを。青い絵の具で染め上げたのです。二十歳の無名の画家は、どん底の貧しさの中で、アトリエにこもりました。闇の中、青い情熱を迸らせて。そして、思いがけない行動を取るのです。ピカソは、カサヘマスの恋人ジェルメーヌをその手で抱いたのです。親友が死を賭けて愛した女と。罪悪の奈落の底で。親友の生と死を自分の体に宿すように。
青ざめた孤独が亡霊のように佇んでいます。人生の深淵を見てしまったような二つの眼差し。絶望、後悔、背徳。青春の彼岸へ向かうパブロ・ピカソ、戦慄の青。」

(美の巨人たち:http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/010908.htm

この辺の時系列が以下のように異なる解説もあります。。。

「・・・これは世に言う“青の時代”の作品だ。この頃の彼の絵は青色の大洪水。貧乏で一番安い青色しか買えなかったという説もあるが、やはり親友カサヘマスの自殺が彼の手に青いチューブを持たせたのだろう。
カサヘマスはピカソと共同生活していた画家志望の若者だ。彼はピカソの並外れて高い画力の作品を間近で見ているうちに、敗北感から絵筆を握れなくなった。また、カサヘマスが熱愛していた女性がピカソのもとへ走るに及んで、失意の彼はカフェでピストル自殺を遂げる…。」

(カジポン国際美術館:http://kajipon.sakura.ne.jp/bijyutu/zb2.htm

画像:自画像
   もう一枚の名前は・・・?(ジェルメーヌをえがいてるんでしょうか・・・?)

真珠の耳飾りの女

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絵に関しても、まったくアットランダムに、わたしの思いつきみたいにここに蒐集したいと思います。
この絵は、フェルメールさんのもの。もうずいぶん昔に、大阪まで観に行きました。夏真っ盛りの炎天下の元、長い行列に並んで、やっと逢えたんですが、、、思ったより小振りの作品でした。
鑑賞させてくれるんだったら、もっと光を!!って感じで暗すぎたな〜(^^;

個人的にはこんな無垢な小女に会いたくて遠路出かけたんですよ〜(^^)

フェルメールブルー:

「かつて画家たちは、青色にはラピスラズリという顔料を使用していたが、原石がひじょうに珍しいため、大変高価で、そう簡単に手に入れたり使ったりできなかった。しかし、19世紀にウルトラマリンという人工顔料の青が開発されたので、それまでほどの制約を受けることなく青色を使えるようになった、といっていました。
・・・あたかもラピスラズリとウルトラマリンは別物のように解してしまいます。しかし実際は、ラピスラズリとウルトラマリンは同じものです。・・・
まず、ラピスラズリは顔料のことではなく、青色の顔料の材料となった原石のことです。そして、ラピスラズリをもとにしてつくられた青色の顔料が、ウルトラマリンあるいは天然ウルトラマリンあるいは(天然)ウルトラマリンブルーと呼ばれるものです。ちなみに、このウルトラマリンを好んで多用した画家に、われらがフェルメールがいます。フェルメールブルーといわれる青は、ウルトラマリンの青なんですね。
・・・ラピスラズリはきわめて珍しい原石でした。世界でもアフガニスタンやチリなど、ごく一部の地域でしか産出されません。かつてヨーロッパで使われたウルトラマリン用のラピスラズリは、アフガニスタンで採れたものだといわれています。したがって、アフガニスタンからヨーロッパまで重い石を運ぶためには陸路ではなく海路が使われ、それでウルトラマリン、「海を越えてくるもの」という名がつけられたのでした。ウルトラマリンは、そもそも原石が貴重であったことに加え、顔料に精製するのも複雑な工程を経なければならず、そのため大変高価な顔料となり、金1gとウルトラマリン1gが等価であったとは、よく語られる話です。そして、19世紀になって、ラピスラズリの組成が明らかにされ、ウルトラマリンも化学的に合成されるようになりました。なので、化学合成のウルトラマリンは、人工ウルトラマリンと呼ばれています。」

(フェルメール美術館ブログ: ウルトラマリン:http://vermeer.de-blog.jp/artart/2006/11/post_f839.html

画像:真珠の耳飾りの女:http://www4.ocn.ne.jp/~artart/versub/shinnju.html
Girl with a pearl earring
46.5cm×40.0cm
Mauritshuis, The Hague

「ハーグにあるマウリッツハイス美術館で、『デルフト眺望』の対面に展示されているのが、この『真珠の耳飾りの女』。別名『青いターバンの女』とも言うように、主人公の少女はターバンを頭に巻き、こちらに振り向きざまのポーズを取っています。この、振り向きざまのポーズは、当時のオランダで流行したものと言われ、オランダ絵画らしさの一端を担っているようです。」
 

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