アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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岩窟の聖母

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画像:岩窟の聖母 ルーヴル版(Virgin of the Rocks)1483-1486年
199×122cm | Oil on panel | Musee du Louvre, Paris

(松岡正剛の千夜千冊『マリア』クラウス・シュラ...:http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0359.html

「いつどこで『岩窟の聖母』を見たのかは忘れたが、その後長いあいだ、このマリアの表情に惹かれていた。極端なことをいうと、このような女性を心の中で夢想しつづけた。だから『居酒屋』のマリア・シェルには胸がつまるほど憧れた。
 なぜレオナルド・ダ・ヴィンチがこのような瞼を伏せた俯きかげんのマリアを描いたのかは知らない。が、その後いろいろ見ていると、すでにマサッチオにもリッピにもトゥーラにも、ウェイデンにもメムリンクにも瞼を伏せたマリアがいた。レオナルドとほぼ同時代のボッティチェリの『書物の聖母』では、振り返った幼童イエスを上から見つめるマリアが描かれていて、なぜマリアの目が伏せがちになっているかの謎を解いている。
 わが子を慈しむためにいつも伏目がちになっているマリアに、あえて正面を見させたのはラファエロだった。『小椅子の聖母』である。これはいまでもその絵を見るたびにドキッとする。」

伏し目がちなマリア像はラファエロのオリジナルかと思ったら、、、逆だったんですね!
「小椅子の聖母」は、前々回に出てますね。(^^)v

(レオナルド・ダ・ヴィンチ-岩窟の聖母 ルーヴル版- http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/davinci_rocks_a.html

「言わずと知れたルネサンス期の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ不朽の祭壇画『岩窟の聖母』。ミラノ滞在時に手がけられた本作の主題は原罪(#1)を犯さずにイエスを宿した聖母マリアの姿≪無原罪の御宿り≫と考えられているも、・・・(#2)。このルーヴル美術館版は画面全てがレオナルドの真筆とされ、本来ならばミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂の礼拝堂を飾る作品であったが、当時、レオナルドとこの祭壇画の依頼主との間で作品の構成や報酬を巡りトラブルがあり、それを仲裁した(当時ミラノを治めていた)フランス王ルイ12世に、レオナルドが献上したとされる。本作では聖母マリアを中心に、左に幼児の姿をした洗礼者聖ヨハネ、右部分に祝福を与える幼子イエスと、大天使ウリエルを配されているが登場人物に神的人格の象徴である光輪が描かれていない点や、大天使ウリエルが人差し指で首を斬る仕草を示している点、洗礼者聖ヨハネと幼子イエスの明確な区別が為されていない点(通常、洗礼者聖ヨハネにはアトリビュートである獣の衣や十字の杖などが描かれる)などから祭壇画としての役割が果たせないとして、祭壇画の依頼主から受け取りを拒否されている。なお一部では大天使ウリエルが洗礼者聖ヨハネの守護天使であることから、洗礼者聖ヨハネが神の子イエスを祝福していると、洗礼者聖ヨハネと幼子イエスの解釈を逆とした異説が唱えられているも、確証は得ていない。・・・」

モーツァルトの曲は、天国の調べを聞いてきたんじゃないかって言われてるけど、、、レオナルドの絵も、えもいわれぬ(この世の物とはとても思えない)美しさですよね。

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聖アンナと聖母子

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前回、ラファエロの「大公の聖母」に取り入れられたスフマート法で描かれたレオナルド・ダ・ヴィンチの未完の絵。

画像:聖アンナと聖母子(Sant'Anna, la Madonna e il Bambino con l'agnllo)
1508-1510年 168×112cm | Oil on panel | Musee du Louvre, Paris

「完成していればレオナルドの最高傑作のひとつとして数えられていたであろう、晩年期に制作された未完の大作『聖アンナと聖母子』。主題の≪謙譲の聖母子≫にマリアの母アンナがその膝に母子(聖母マリアとキリスト)を抱くというあまり例のない構図で描かれた本作は、画家の生涯で二度目となったミラノ滞在中、当時のフランス国王ルイ12世のために制作された作品だと考えられている。また未完とはいえ、人物の柔らかくも甘美さを併せ持つ表情や、スフマートで描かれる卓越した表現技法などから、多くの画家がこの作品を模写している。キリストに手を差し伸べ抱き上げる聖母マリアは、新約聖書ルカ福音書では、夫となる聖ヨセフとの婚約中、大天使ガブリエルから受胎告知を受けたとされる。五世紀前半からは神(キリスト)の母や無原罪の女性として崇敬の対象となった。この世の終焉に現れるメシア(救世主)とされる羊と戯れる幼子キリストの名称は元来、油を塗られた者の意で、王に与えられる称号であった。夫であるヨアヒムと20年近く連れ添いできた始めての子供で、聖母マリアの母として知られる聖アンナの我が子(マリア)と孫のキリストを見つめる表情は、聖者に相応しく穏やかさと慈しみに満ちている。

【マリアの母、聖アンナ】
夫であるヨアヒムと20年近く連れ添いできた始めての子供で、聖母マリアの母として知られる聖アンナの我が子(マリア)と孫のキリストを見つめる表情は、聖者に相応しく穏やかさと慈しみに満ちている。

【我が子を抱き上げるマリア】
キリストに手を差し伸べ抱き上げる聖母マリア。新約聖書ルカ福音書では、夫となる聖ヨセフとの婚約中、大天使ガブリエルから受胎告知を受けたとされる。五世紀前半からは神(キリスト)の母や無原罪の女性として崇敬の対象となった。

【羊と戯れるキリスト】
羊と戯れる幼子キリスト。この世の終焉に現れるメシア(救世主)とされるキリストの名称は元来、油を塗られた者の意で、王に与えられる称号であった。」

(レオナルド・ダ・ヴィンチ-聖アンナと聖母子-:http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/davinci_anna.html

レオナルドもラファエロも母なるものを求めた。彼らは早くに母がいなくて母からの慈愛に満ちた無限の愛(全てを受け入れてくれる)を知らない。だから、その愛の理想の、純粋な姿を追い求めることになった。普通の、平均的な(?)母の愛を享受してるものには見えないものまでも。
前回、男は永遠に究極母性を女性に求めてる、マザコンだって書かれてました。男はその意味で永遠に子供のままなんですよね。でも、女だって母に抱かれる、包み込まれる心地よい愛を求めるはずだと思うんですけどね?男と女で違いがあるとしたら、多分、女は子供を産むことによって、自ら母になれるからかもしれないと思ってます。男には永遠にこの感覚は分からないんでしょうし、女も自らの意志で母性が訪れるわけじゃないから、自覚しようも無いことかもしれません。

ヴィーナスの変貌(3)

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続きです。

「永遠の母マリア:ウラジミールの聖母子像

聖母マリアは、地母神やヴィーナスと一体化[を統合]する。43

ウラジミールの聖母子像:勝利の聖母から優しき聖母へ

ギリシア型ヴィーナスとキリスト教の聖母も、その底には母のイメージを最期の救いとしている。49」

ウラジミールの聖母像は、見つけられませんでした・・・Orz

画像:上:ラファエロ・サンティ「大公の聖母」(1505年) Raffaello Santi"Madonna del Granduca"
ピッティ宮パラティーナ美術館蔵

「処女性と母性。
この二つは、女性に望まれる美しさの最たるものとして考えられていたのかもしれません。
乙女の持つ無垢な純粋さ、母の暖かな安心感。それを併せ持ったマリアの存在は、言葉で飾り立てなくても人の心をとらえたのでしょう。日本へのキリスト教の布教が「マリア信仰」で始まったことも頷けます。・・・」

(聖母子像 http://www1.megaegg.ne.jp/~summy/gallery/cowper.html )

(ラファエロ「大公の聖母」:http://homepage1.nifty.com/hosizora/art/raffaello/raffaello01h.html

「・・・ラファエロを指す言葉として、「マザコン」ということが言われる。彼が9歳のときに母親をなくしたことを思えば一面ではそうかもしれない。しかしただのマザコンであったならば、当時も、そして現在も彼の聖母子像が人々の心を捉えることはあっただろうか。
・・・旺盛な吸収力と努力の結果という点は聖母子像にも言えるのではないだろうか。つまり、他人の技術を積極的に研究し自分のものとしたように、自分が求めた母性を追求した結果、例えば「優しさ」といったものに結びついた。言い換えれば、単に母親の面影を追ったというより、母親という存在が持っているものを哲学的に定義づけられたからこそ万人に受け入れられる表情が描けたのではないかと思う。
・・・余談だが、「大公の聖母」の名前の由来は、1799年にロレーヌ家のフェルナンド3世大公が購入し、旅行中も手元から離さないほど大切にしたからだそうだ。」

(美の巨人たち:http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/021207.htm )

「世の中に、不可解なもの数知れず。男女の仲も、そのひとつ。男は女に何を求め、女は男に何を求めるのでしょうか?男の場合、究極の女性像は、母親だという説があります。その説が正しいかどうか判りませんが、ほとんどの男は、間違いなくマザコンです。恋まで、芸術の香りに包まれそうな町。ここはイタリア・フィレンツェ。美の天使が舞い降りた町です。・・・
ラファエロ・サンツィオ作『大公の聖母』。全体に暗いトーンのなかに浮き立つのは、赤い服に青いマントを羽織ったやさしい聖母マリアと、彼女に抱かれた、ふっくらした体つきの幼子のキリスト。2人の頭上には光輪。典型的な聖母子像です。聖母子は、キリスト教の重要なモチーフとして、遥か昔から数限りなく、描かれてきました。しかしラファエロの作品は、それまでの聖母子像とは、明らかに違ったのです。ラファエロの描くマリアは、生身の女性のようであり、そして母の姿、そのものなのです。「聖母子の画家」とも呼ばれるラファエロは、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び賞されるルネサンスの巨匠です。・・・
  盗む。そう、ラファエロは模倣の天才でした。今日の一枚『大公の聖母』も、あのレオナルド・ダ・ヴィンチの技法を、見事に自分のものにした、作品でもあるのです。誰もがその爽やかな笑顔に、息を呑んだといわれる美貌の青年、ラファエロ。その彼が、レオナルド・ダ・ヴィンチの前で流した涙のわけとは・・・?美しく崇高な聖母子の姿。この1枚の絵のなかには、多くの謎とドラマが隠されているのです。絵の下絵となったデッサンが物語るものとは?そして、ラファエロが描いた聖母子が、500年の間に、多くの人たちに与えた影響とは?それらの秘密を解くキーワードは・・・、そうマザコン。ラファエロは、極めつけのマザコンだったのです。
キリストへの祈りに、救いを求める人々にとって、キリストを抱きかかえる聖母マリアの姿は、馴染み深いものです。だからこそ、聖母子像は、多くの人々に愛されてきました。「聖母子の画家」とも呼ばれるラファエロ。彼は37歳という若さで亡くなりますが、その生涯に、30点近くの聖母子像を描いています。そしてそのほとんどを、22歳から25歳のわずか4年間。フィレンツェ時代に、集中して描いているのです。・・・『大公の聖母』は、一連の聖母子の中でも、初期に描かれたものです。赤と青の衣は、聖母子の色として、昔から使われて来た色です。ラファエロも伝統に乗っ取っています。しかしこの絵は、明らかに1人の画家を意識して描いたものなのです。
・・・
ラファエロの少年期は、幸せだったのでしょうか?いえ、むしろ幸せ薄い少年でした。何故なら、彼がわずか8歳の時に最愛の母が亡くなります。そして3年後の11歳の時には、頼みの父さえも亡くなるのです。ウルビーノにある、ラファエロの生家。その彼の部屋には、15歳の頃に描いたといわれる、最初の聖母子像が残されています。壁に描かれたフレスコ画。そこに描かれているのは、マリアとキリストではなく、幼くしてなくした母親の面影であり、その腕に抱かれている幼い自分自身でした。ラファエロは、母への思いをこの1枚に残し、生まれ故郷を後にしたのです。
ラファエロが、古くからの都・ペルージャに出て、当時人気だった画家、ペルジーノの工房に入ったのは、15、6歳の頃でした。今も町並みに当時の面影が残ります。ペルジーノは、15世紀末のイタリアを代表する、画家の1人です。華やかな色彩で祭壇画や聖母子像を描いて、名を揚げた画家でした。そのペルジーノの色彩も、ラファエロは見事に自分のものにして行きます。・・・
ラファエロは21歳の頃、フィレンツェにやってきました。それはミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチの名声を聞いたからに他なりません。丁度その頃、2人はフィレンツェ政庁の依頼を受け、この町で作品の制作に取り掛かっていたのです。ラファエロより31歳年上のレオナルドはこの時53歳。8歳年上のミケランジェロは、31歳でした。2人よりずっと若いラファエロは、この偉大な先輩たちから多くのものを吸収しています。特にフィレンツェ時代には、レオナルドの技法に夢中になりました。今日の一枚『大公の聖母』では、ほとんど黒に近いバックのなかに、イエスを抱いた聖母マリアが浮かび上がるよう、描かれています。そのためにマリアとバックの境は、くっきりとした輪郭を持たさず、ぼかされています。またマリアのひざの辺りの深い影は、背景と同化しています。ラファエロはレオナルド・ダ・ヴィンチが、『聖アンナと聖母子』の素描で生み出した、スフマート、ぼかしの技法を取り入れたのです。輪郭線をぼかすことで、柔らかく穏やかな表情を作り出す技法です。・・・
素描や下絵では、レオナルドの精緻な背景までも真似しながら、仕上げではレオナルドのぼかしの技法を、巧みに取り入れたラファエロ。しかし最後には、1度描いた背景を黒く塗りつぶし、独自の世界に仕上げています。それは、最も聖母子が浮き立つ方法でした。ここがラファエロの、天才といわれる所以です。そして、彼の聖母子像は、目の肥えたフィレンツェの人々を、たちどころに魅了してしまいました。それは何故だったのでしょうか?キーワードは、そう、マザコン。
 ラファエロが人気になった理由は、いくつもあります。その爽やかな容姿。子供の頃から身についた高貴な物腰。彼には次々と上質のパトロンがつきました。しかしなんといっても、彼の絵の才能と、そのタッチの上品さ、そしてなんともいえない優しさが、上流貴族だけではなく、庶民にまで人気を呼んだのです。ラファエロが生み出した、独特のマリア像。その特徴が1番現れているのが、聖母のまぶたです。ラファエロの描いた聖母の多くは、こうしてまぶたが半分下ろされ、目を伏せています。それがしとやかでやわらかい雰囲気を、見事に醸し出しているのです。ラファエロの描いた、30点余りの聖母子像。その全てに共通している、自愛に満ちた優しいまなざし。そしてそれは見ようによって、静かな哀しみも漂わせています。
  ラファエロが描こうとしたのは、母の愛だったのかもしれません。フィレンツェのシンボル、花の聖母教会。人々は祈りと安らぎを求めてやってきます。ここではマリアは、母と子の普遍的な愛の象徴です。ラファエロが故郷に残した、最初の聖母子像。それはラファエロが、幼くして失った母のぬくもり・・・。マリアに見立てた母を、心のよりどころにしていたのかもしれません。「聖母子の画家」といわれる、ラファエロの原点。それは母の姿であり、それゆえ多くの人の心を、捉えて放さないのかもしれません。母の温もりにすがる幼子。それは自分自身。優しくも悲しい眼差しで、息子を見つめる瞳。ラファエロ以降、世界中の画家たちは、マリアを描く時には、ラファエロを手本にするようになったのです。
「聖母子の画家」誕生の1枚。しかしこの絵の完成には、ある有名な絵との出会いがあったのです。レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作『モナ・リザ』。そのモデルが誰であったか、諸説ありますが、そのひとつに、母親だったという説もあります。レオナルドも幼い頃に、母親と引き裂かれていたのです。真意はともかく、母への愛は永遠です。男は恋人に母を重ね理想の女性像を求めるのかもしれません。パトロンにも恵まれ、その後ローマに出て、当代随一の人気と名声を手に入れたラファエロ。稀にみる美形で、女性にも大変もてました。しかし彼は、1人の女性に縛られることを嫌い、度を超えた放蕩の末に、37歳にして亡くなります。芸術の館、ピッティ宮殿。その一角にあるパラティーナ絵画館。ここには究極の母の姿があります。ラファエロ・サンツィオ作『大公の聖母』。母への想いが、聖母へ新たな命を吹き込んだ、一枚。」

ほぼ全部引用してしまいました。。。Orz〜

画像:中:小椅子の聖母 1058-1511年 フィレンツェ ウフィッツィ美術館
ラファエッロ作 1483 ミ Roma 1520
  
   わたし好みの絵です・・・(^^

   下:ラファエロの自画像

なんだかさみしそう、、、共感できちゃうな〜(^^;

ヴィーナスの変貌 (2)

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同じく続きです・・・

「エーゲ海の白い女神:ミロのビーナス

BC 2800年─2300年
小女性像

アトランティス大陸→女神と母系の社会32

ギリシア・ローマ時代

・ミロのヴィーナス
 
・カピトリーノのヴィーナス
 
・美しい尻のヴィーナス」

画像:上:ミロのヴィーナス 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AD%E3%81%AE%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B9

「ウェヌス (Venus 『魅力』の意) はローマ神話の女神。本来は囲まれた菜園を司る神。
日本語では英語読みヴィーナス(ビーナス)で親しまれる。
後にギリシア神話におけるアプロディテと同一視され、美と愛の女神と考えられるようになった。一般には半裸或いは全裸の美女の姿で表される。 ウェヌスは固有の神話が残っておらず、ローマ神話でウェヌスに帰せられる神話は本来アプロディテのものである。
ガイウス・ユリウス・カエサルの属するユリア氏族はウェヌスを祖神としている。 そのためカエサルは、彼女を祀る為の壮麗な神殿を奉献したという。 また、カエサルの祖神として軍神ともされた。
ギリシアではアプロディテが金星を司るとされ、それに影響を受けてラテン語でも金星をウェヌスと呼ぶ。ヨーロッパ諸語で金星をウェヌスに相当する名で呼ぶのはこのためである。
ウェヌス(ヴィーナス)は、女性の美しさを表現する際のたとえとして用いられる。また近世以降、女性の名に使われるようにもなった。」

「ミロのヴィーナス(the Venus of Milo)は古代ギリシアの彫刻。・・・
ミロのヴィーナスは、ギリシア神話におけるアフロディテの像とされている。「ミロ」は発見地メロス島の英語風名称で、「ヴィーナス」はアフロディテのラテン語名ウェヌス(Venus)を英語風に読んだものである。
高さは203cm。材質は大理石。紀元前130年頃に、Alexandros of Antioch によって作成されたと考えられている。
ミロのヴィーナスは、1820年4月8日に小作農であったヨルゴス(Yorgos)によって、エーゲ海のメロス島で発見された。彼は最初、官吏に見付からぬようにヴィーナス像を隠していたが、トルコ人の官吏に発見され没収された。
後に、海軍提督ジュール・デュモン・デュルヴィル(Jules Dumont d'Urville)は、この像を見て価値を認め、フランス大使に頼みこんでトルコ政府から買い上げた。これは修復された後に、ルイ18世に献上された。ルイ18世は、これをルーヴル美術館に寄付し、現在でもそこで管理されている。
以後、ルーヴルを出て海外へ渡ったことはただ1度、1964年の日本・京都での特別展示のみである。」

   中:カピトリーノのヴィーナス

(venus in MUSEUM OF RAINBOW http://iris1226.eolia.jp/venus.html

「ヴィーナスは いつからずっと横たわっているのだろうか

VENUS

ヴィーナスは美の女神
アフロディーテ ウェヌスとも言われる
時の神クロノス(サトゥルヌス)が自らの父を殺し
切り取った彼の男根を海に投げ込んだ時に泡がたち
その泡の中から生まれたのがヴィーナスだった
彼女は非常に美しく ヘパイストスという夫がいたが
多くの神との間に子をもうけた
戦いの神マルス(マーキュリー)が恋人だった

マルスの戦いに逸った心を静めるのはヴィーナスの愛であった
恥じらいつつしみをもつヴィーナスとして 多くのヴィーナス像が描かれるが
その原型になったものは上に挙げたカピトリーノのヴィーナスである
マサッチオのエバ ボッティチェルリのヴィーナスなどがその追従である

その後 ジョルジョーネによってヴィーナスは横たわる姿を見せることになる。」

「はじらいのヴィーナスともよばれ、まろやかな女性の優しさを表現しています。
ボッティチルリの「ヴィーナス誕生」やマサッチョの「楽園追放のイブ」に受け継がれるポーズです。
「アリアドネの寝姿」に比べて女性的なやさしさやしとやかさをより表していると思います。」

   下:美しい尻のヴィーナス(前&後)

(トライユニティ"YJ"のブログ【Fight For Your Ri... http://triunity-yj.cocolog-nifty.com/blog/cat3236439/index.html

「どのヴィーナスも症面を向いてはいないが彼女はより後方を意識しているようだ。
どうだろう?
彼女の名前は【美しい尻のヴィーナス】。
いや、まじで!
カノーヴァのヴィーナスと並んでナポリの国立考古学美術館至宝とされているヴィーナスで、水に映った自らの姿に見入っている姿だそうだ。
しかし、もう少し作品名(の翻訳)、なんとかならなかったんだろうか.....。」

わたしは最後のヴィーナスが素敵だな(^^;

追加画像:「アリアドネの寝姿」・・・大きい画像を見つけられなかった。。。(^^;

「「眠れるアリアドネ」です 
眠るということは死にも通じるもので クレオパトラの死とも受け取られることもありました
私は西洋の文学にまったく詳しくなく 昔のこととなればなおのことわからないのですが
その時々に流行った神話や伝説というものがあって 当然その要求として絵や彫刻が作られたと思います
いずれにせよ 美しい女性があられもない姿で横たわっているこの図像は 
取り上げるテーマは違ってもポーズとして後世の画家に影響を与え続けていきます。」

   カノーヴァのヴィーナス「イタリアのヴィーナス」

「ナポレオンにとても愛されたアントニオ・カノーヴァの作品だそうだ。」

     「メディチのヴィーナス」

「ヴィーナスの足下にキューピッドがいるのがわかるだろうか?ミロのヴィーナスが発見されるまで、このメディチのヴィーナスこそがヨーロッパでもっとも名高いヴィーナス像だったそうだ。」

わたしは、ミロのヴィーナスよりこっち好みだなあ。。。(^^; 

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ヴィーナス変貌 (1)

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しばらく、以下のサイトに沿った画像をアップしていきたい。

『ヴィーナス変貌』http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/Matriachy_Myth_Hyuga_Transformation_Venus.htm

「『ヴィーナス変貌』 日向あき子(白水社, 1982年)
ヴィレンドルフのヴィーナス像
BC 15000年前  多産生殖を祈願する呪物
←中央集権国家を正統化するための神話編纂によって、口承がゆがめられ、女性の地位がさがる。

本来は、宇宙の精霊と女性が交わることによって受胎する。17
だから女性の性器が強調されている。

男性土偶は存在しない。19」

関連読み物として、適宜、永井俊哉ドットコム論文編 から、引用を加えていきたい。

(男社会はいかにして成立したのか http://www.nagaitosiya.com/a/bachofen.html
「男社会はいかにして成立したのか

人間の社会においては、有史以来、男が女よりも主導的な働きをしてきたというのが常識である。現代でも、建前はともかく、相変わらず男社会が続いている。女性が要職に就くたびに、「これからは女の時代だ」とマスコミが騒ぐのは、逆に、女性が依然として低く見られている証拠である。しかし、人類の歴史全体を通して、常に男尊女卑であったわけではない。有史以前は、むしろ女尊男卑の時代だった。

1. 前文明社会は母権的である

有史以前が女尊男卑の時代だったことを最初に指摘したのは、スイスの法学者・バッハオーフェンである。バッハオーフェンは、1861年に出版した『母権論』で、ギリシャを中心に、エジプトやインドなどの古代の神話やその他の史料の分析を通して、有史以前に、女性支配(Gynaikokratie)の時代があったという仮説を発表した。

有史以前の人々は、大地に雨を降らせて作物を育くむ天を、女陰に精子を降らせて子供を育くむ父として表象した[e]。だが、彼らが、豊穣を願って崇拝したのは、父なる天空ではなくて母なる大地であった。男根期以前の幼児が、もっぱら母親にしか関心を向けないように、幼年期の人類は、もっぱら母なる大地にしか関心を向けていなかった。
・・・
もちろん、母系社会と母権社会は、概念的に同じではない。しかし、今でも世界の辺境に、生きた化石のように残存している未開民族たちの母系社会は、多くの場合、女尊男卑の母権社会である。そこでは、文明社会でなら、男がする役割を女がしている。最も男性的な職業と思われている兵隊ですら、女性の職業である場合もある。例えば、アフリカのデホミ族においては、戦争は女の役割である。彼女たちは一般にきわめて勇敢で、臆病な女兵士は「おまえは男だ」と罵られ、姉妹によって処罰される。臆病者のことを「女々しい」と形容する男社会とは対照的である。
・・・
古代ギリシャでは、アマゾンの女戦士の伝説が有名である。ディオドロスによると、小アジアのアマゾン女族の女王は、


法律を定め、女たちには従軍させ、男たちには卑しい奴隷の仕事を課した。男児が生まれると、脚と腕を不自由にして、戦えなくし、これに対して女児は右の胸を焼かれて、大きくなったときに戦場で[右の乳房が弓を引く上で]邪魔にならないようにした。それゆえ、この民族はアマゾン[乳房がないもの]と呼ばれるようになった。

[ディオドロス:神代地誌]

このディオドロスの話は到底史実とは思えない。右利きの女性の体験談によると、弓を射る上で邪魔になるのは、むしろ左の乳房の方なのだそうだ。戦う上で、右の乳房をつぶす必要はないし、実際、ギリシャで描かれるアマゾン女戦士の像には、乳房は二つともある。また、言語学者によれば、《アマゾン=ア+マゾン=乳房がないもの》というギリシャ人による通俗的解釈は誤りである。「アマゾン」の語源に関しては、まだ定説はないが、「月の女神の子供」を意味する 古代ペルシアで使われていたサンスクリット語の“uma soona”に由来するのではないかという説がある[s]。

[s]「月に代わってお仕置きよ!」のせりふで有名な美少女戦士セーラームーンも、アマゾン女戦士をモデルにしていると考えることができる。

では、アマゾン女戦士の伝説は、マゾ趣味の男の妄想から生まれた、たんなる虚構なのだろうか。そうではない。考古学的発掘は、当時アマゾン海と呼ばれていた黒海沿岸にアマゾン女戦士がいたことを示している。この地域の女性の墓は武器を副葬品としている。頭蓋骨に鏃が突き刺さったまま、埋葬されている遺体もあった。坐骨の形状から、恒常的に馬に乗っていたと推測されている。

黒海沿岸での女性支配は、その後も長く続いたようで、7世紀になると、この話は中国の文献にも登場する。『唐書』によれば、カスピ海近くに女性支配の国があっただけでなく、チベットにも女尊男卑の国があったとのことである。『唐書』は、両者を区別するために、前者を西女国、後者を東女国と呼んでいる。

中国は有史以来、男尊女卑の国となったが、5000年前の長江文明では、女性墓に副葬品が多く、女性上位の社会であったと考えられている。その後中国文明の中心は、黄河に移るが、祭政未分の殷の時代には、女性の地位はまだ高かった。紀元前14世紀頃、殷王武丁の后である婦好は、一万三千人の軍隊を率いて羌を征伐したことが甲骨文字に記録されているが、この勇ましい女性の存在は、婦好の墓の発掘結果から支持されている。

もう一つの古代文明の中心地であるインドも、アーリア人侵入以前は母系社会で、女性の地位は高かった。『リグベーダ』には、曙の女神ウシャスが重要な存在として頻繁に現れる。古代日本も、卑弥呼や台与が国を治めたことからもわかるように、女性の地位が高い母系社会であった。このように、女性崇拝の傾向は、多くの古代文明の黎明期に見られる。

女性崇拝はいつから始まったのだろうか。その歴史はかなり古いと見られている。教科書などによく写真が掲載されているヴィレンドルフのヴィーナス像(下の写真)を代表とする石の女神像が旧石器時代の遺跡から見つかっているが、男神像を崇拝した形跡は見られない。


画像:ヴィレンドルフのヴィーナス像
[Naturhistorisches Museum: Venus von Willendorf]

また、アルタミラやラスコーの洞窟には、人間よりも動物の絵がたくさん描かれている[b]。この自然崇拝も、後で説明するように、女性崇拝の証拠である。」

いばらくは、眺めるだけにしたい。
いずれ思うところがあれば、追加記載していこうと思います。Orz

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