アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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ヴィーナスの最初の恋人がアドーニスなんですね♪
しかも...死別...しかも...シェークスピアによれば...アドーニスはビーナスにつれない・・・?

画像:ヴィーナスとアドーニス(ティツィアーノ画)
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィーナスとアドーニス より
「『ヴィーナスとアドーニス』(Venus and Adonis)は、ウィリアム・シェイクスピアの3つの長編詩の1つ。

歴史的背景
1593年、ロンドンでペストが大流行し、市当局は全ての劇場を閉鎖した。シェイクスピアはこの頃には既に最初の5、6本の戯曲を書いていて、評価も得ていた。シェイクスピアは「我が創作の最初のheire(原文ママ)」として、つまり、彼の「ミューズ」(詩神)が生んだ子供を出版することを思い立った。・・・しかし、ある時シェイクスピアはどこからか資金を得て、劇団の利益の1/12が手に入る共有者になることができた。それ以来、長編詩を書くよりは劇作の方が金になったことは言うまでもない。

文学的背景
ヴィーナスとアドーニスの話はオウィディウスの『変身物語』第10巻に由来する。オウィディウスはどのようにしてヴィーナスが最初の死すべき人間の恋人である美しいアドーニスを獲得したかを物語っている。二人はずっと一緒で、アドーニスの狩りにもヴィーナスはついて来た。ヴィーナスはアドーニスにアタランテーとヒッポメネース(Hippomenes。メラニオーンとも)の話をして、危険な動物の狩りをやめるよう説得した。しかし、アドーニスはその警告を無視し、猪に殺されてしまった。
シェイクスピアはこの話を元に1194行から成る詩を作り上げた。シェイクスピアの主たる革新はアドーニスにヴィーナスの申し出を拒否させることだった。エルヴィン・パノフスキーは、シェイクスピアはティツィアーノの描いた『ヴィーナスとアドーニス』の複製を見たに違いないと主張した。この絵は確かにアドーニスがヴィーナスの抱擁を拒否しているように見える。反対にシェイクスピアの戯曲では、曖昧な男を求愛し追い回す積極的なヒロインを好んでいるように見える。
もう一つの革新は、三一致の法則の遵守である。出来事は一つの場所で起こり、時間は朝から翌朝まで、二人の登場人物に物語は集中している。

あらすじ
注意:以降の記述で物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされています。
ヴィーナスは恋に病んでいる。馬の鞍からアドニスを持ち上げると、しつこく接吻と話を求めるが、ヴィーナスの行動も言葉もアドーニスに性欲を起こさせない。むしろ拒否する。
アドーニスは翌朝猪狩りに行くと言う。ヴィーナスはアドーニスを思いとどまらせようとし、もっと弱い獲物を狩ってはどうかと提案する。アドーニスはそれを無視し、ヴィーナスの元を去る。ヴィーナスはその夜を哀歌で費やす。夜明けが来て、ヴィーナスは狩りの始まった音を聞く。不安に苛まれながら、ヴィーナスは音のする方に走ってゆく。ヴィーナスの不安は的中し、アドーニスは猪の牙で致命傷を負う。悲しみで愛の女神は愛を呪う。

特徴
シェイクスピアの詩は性愛を扱った小叙事詩「epyllion」と見なされている。トマス・ロッジ(Thomas Lodge)が『Glaucus and Scilla』(1580年)で創始したジャンルである。最大のライバルと言えるのはクリストファー・マーロウの未完の詩『ヒーローとリアンダー(Hero and Leander)』で、この詩とシェイクスピアの詩は17世紀の前半を通して再版が続けられた。
『ヴィーナスとアドーニス』は巧みな表現が絶え間なく続く。
"Fondling," she saith, "since I have hemm'd thee here
Within the circuit of this ivory pale,
I'll be a park, and thou shalt be my deer;
Feed where thou wilt, on mountain or in dale:
Graze on my lips; and if those hills be dry,
Stray lower, where the pleasant fountains lie."
(229-234行) 意訳:「愛撫を」と彼女は言う。「私が汝をここ、象牙の柵に囲まれたその中に囲ってから、私は公園、汝は我が鹿となり、山で谷で生きなさい。私の唇をお食べなさい。もしどの丘も乾いたら、楽しい泉のあるところまで下りなさい」
このように美辞でほのめかしている。読者に淫らな考えを起こさせる一方でほとんど無垢なままなのが、この詩の特徴である。「丘」の意味するものは唇から乳房に変わり、読者は彼女の体を下っていき、最終行はクンニリングスを連想するかもしれない。この詩を通して、シェイクスピアは読者が期待する性的成就を、アドーニスがヴィーナスを否定することによって、拒み続ける。この詩は当時は好色本という評価を受けたが、ポルノグラフィとして読むと欲求不満を起こさせる。
505行では、1593年のペストへの大胆な言及が見られる。ヴィーナスはアドーニスにキスをせがみ、その息の甘美さをこう称える。
"Long may they kiss each other, for this cure!
O, never let their crimson liveries wear!
And as they last, their verdure still endure,
To drive infection from the dangerous year!
That the star-gazers, having writ on death,
May say, the plague is banish'd by thy breath."
意訳:「癒やしのためには唇が長く触れあっていないと! ああ、けっして深紅の衣はすり減りはしない! どんなに長く続いてもそのみずみずしさは危険な年からかぶれるのに耐えるでしょう! 占星家たちは死についてこう書くでしょう、ペストは汝の息で消えてしまうと」
このくだりはアドーニスの甘い息がある種の芳香を放つ薬草の働きをし、その息を吸うことで毒気(ペスト)から守られると読める。この後、アドーニスの美しい体は猪に傷つけられる。詩の最後の股間が引き裂かれた描写は、ペストの犠牲者を連想させる。腺ペストの横痃は首と股間にでき、それが破裂した時、死ぬからである。愛は最も美しい肉体を醜い死から救うことさえできないのである。」

『悲しみで愛の女神は愛を呪う。』・・・彼はこれを言いたかったんだろうか...^^;?
だから...「愛」は呪われてるんだって...「愛」の無力感...愛は裏切られるもの...Orz...

画像:ウィリアム・シェイクスピア
www.yumesaki-tei.com/ displog/98.html より Orz〜
「ウィリアム・シェイクスピア William Shakespeare洗礼日1564年4月26日1616年4月23日グレゴリオ暦5月3日は、イギリスの劇作家、詩人。ストラトフォード・アポン・エイヴォンの生れ。エリザベス朝演劇の代表的な作家で、最も優れた英文学の作家とも言われています。その卓越した人間観察眼と内面の心理描写は、後の哲学や、19〜20世紀の心理学・精神分析学を先取りしたものでした。・・・

Action is eloquence.
行動は雄弁である。

The course of true love never did run smooth.
真実の愛はうまくいかないものだ。

Brevity is the soul of wit.
簡潔は機知の精髄。                       」

彼の嫌愛感はどこからもたらされたんだろう...大きなトラウマがあったに違いないんだ...きっと...
偽物の愛は上手く行くって・・・? 自己撞着だよね...?
「愛」とは裏切られるものなり...そういう運命のものが真実の愛・・・?

レオナール・フジタ

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この母子象は素敵だ♪

画像: imhere8128.seesaa.net/ index-4.html より Orz〜
「・・・
  「今日、ひつようなのは、一日一日の、静かな冒険のためのことば」。

 ── 長田 弘 『世界はうつくしいと』 みすず書房 より引用

フジタ礼拝堂(シャペル・フジタ Chapelle Foujita )は、正式には「ランスの礼拝堂ノートルダム・ドゥ・ラ・ペ(平和の聖母) La chapelle Notre-Dame-de-la-Paix de Reims 」、または、「礼拝堂ノートルダム・ドゥ・ラ・ペ(平和の聖母)・フジタ礼拝堂 Chapelle Notre-Dame-de-la-Paix dite Chapelle Foujita 」、と呼ばれています。これは、ヨハネ23世の回勅「地上に平和を Paix sur la Terre 」に由来します。設計、装画をはじめ金具、ステンド・グラス、彫刻のプランもすべてフジタ自身の手によるものです。

レオナルド・ダ・ヴィンチの手記に、次のような言葉があります。──

  ・・・ 版画が版木に、感覚が知覚できるものに左右されるように、
  愛するものは愛する対象によって左右され、
  対象と結合して同じひとつのものとなる。
  作品こそ その結合から生まれる最初のものである。
  恋される対象が下劣なら、恋するものも下劣になる。
  ── 結合されたものがそれを受け入れるものと調子の合うとき、
  そこには歓びと快楽と満足とが生まれる。
  ── 愛するものが愛される対象のもとに到着したとき、
  そこに憩いが生まれる。
  ── 重荷がおろされるところには休息がある。
  対象は、認識されたのち、はじめてわれわれの知性にとどまる。

タゴール

  赤子の手足に花咲くうつくしき柔らかき新しい生命(いのち)──
  誰れかそんなに長くそれが何処に隠されていたかを知っているか。
  然り。母がまだ若き娘の時分、それは愛のやさしい沈黙の神秘となって母の心を充たしていた。
  ── 赤子の手足に花咲いたうつくしい柔らかい新しき生命。

日本に生まれて祖国に愛されず、フランスに帰化してもフランス人としても待遇を受けず、共産党のように擁護もなく、迷路の中に一生を終わる。

 ── レオナール・フジタ 手記『夢の中に生きる』 1965年4月18日付

「一日をきれいに生きられたらいいのだ。人生は、音楽の時間のようだと思う。」

  ── 長田弘 『世界はうつくしいと』 「グレン・グールドの9分32秒」       」

絵も美しいけど...5人もの奥さんたちもきっと美しかったんだろうなあ...^^;v Orz...
女性は彼の孤独を癒し...かつ想像力をいや増すことはあってもその衰退から彼はきっと守られたはずなんだ...♪

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日曜美術館で観た奴がこれだったのかなあ...?
月並みな表現しか出来ないけど...キャンバスは変われど...自分のすべてを/魂をこれにつぎ込んで創作したんだろうね...隠喩としてのメッセージが伝わって来るようだ...
とんぼ好きなわたしにはいっそうわが身の未来を予言してるように見えたり...^^;

画像:悲しみの花瓶
http://tetsuwanco.exblog.jp/2684733/ より Orz〜
「「悲しみの花瓶」シリーズの一つがこれ、「蜻蛉文鶴頸扁瓶」です。
これは、1889年パリ万博にガレが出品して好評を博した一連の黒いガラス製品の中の代表作です。ガラスを黒く発色させ、陰うつな感じを持った素材を使った同じタイプの製品は、4年後にガレ自身により「悲しみの花瓶」と名づけられました。
この作品は、煙霧が立ちのぼる水面に向けて、羽根を乱して落下してゆく蜻蛉の姿を、グラヴェールで彫刻して表現しています。写真では判りにくいのですが、底部の黒褐色の層には水面に映る蜻蛉のシルエットが浅く彫り出されています。おそらく、「死」と死に直面し、死を自覚する瞬間を表現したかったのでしょう。

画像:高島北海(たかしまほっかい、本名得三(とくぞう)、1850?1931)は、ナンシー滞在わずか3年にして、アール・ヌーヴォー運動に大きな影響を与えたといわれる日本画家です。・・・高島と交流をもつようになってガレは、日本美術をより身近に感じることができました。自然を愛し、自然にそぐう生き方と、その中から美を見いだす。日本美術はガレにとって遠い国の文化ではなかったのでしょう。そして、ガレは、高島が描き出す墨絵の世界に興味を持ちました。黒一色で表される自然の世界、ガレは、この東洋の手法に魅了されたのであります。そして、この黒の世界を自分の作品にも取り入れるのです。確かに黒で表現されたガレのシリーズには、水墨画の影響もあります。しかし、ガレはさらにそこに独自の世界観を加えました。当時のフランスで社会問題となったユダヤ人差別。ドレフェス事件ですね。ガレはそんな風潮に対して、黒を基調にした『悲しみの花瓶』シリーズを発表したのであります。

画像:オルセー美術館所蔵のガラス彫刻「手」(1904年)
友人や父親と次々に死別。精神的疲労の中で白血病になり、自分の死期が近いのを感じながら最晩年に創造された「手」。海底から引き揚げられた古代の難破船に積まれていた彫刻の断片をイメージしたものだろうと言われています。
自分の命が残りわずかと気づき、はじめて自分の作品を作るようになりました。
このオブジェを作るまで、ガレは、花瓶などの実用的作品以外は作ったことはなかったそうです。おそらく、この「手」は、彼の遺言状でしょう。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/エミール・ガレ より
「シャルル・マルタン・エミール・ガレ(Charles Martin ?mile Gall?、1846年5月4日 ? 1904年9月23日)は、アール・ヌーヴォーを代表するフランスのガラス工芸家、陶器・家具のデザイナー、アート・ディレクター、企業経営者。」

j-gn.com/gallelamp/ より Orz〜
「『歌麿』『北斎』を書いたパリの日本美術研究家であり、コレクターとして知られている、エドモンド・ゴンクール。彼は同時代の芸術家に多くの影響を与えいました。
エミールガレもその一人であり、ガレがはじめてゴングールの家に招待された時は、本当に感動したようです。後の彼の手紙からその感動の様子が世間に知らされています。
このとき、ゴングールの家でたくさんの中国ガラスの作品に接しており、同時期ガレはベルリンに旅行し、工芸博物館の300点以上にのぼる中国ガラス器の研究もしていました。これ以降、エミール・ガレは中国ガラスにならって、色調豊かな色ガラスを何層にも被せかけ、表面を彫刻しさらに色調に深みを加える、典型的なガレ様式を完成していったのです。その後のパリ万国博覧会において、ガレの名声は確実なものとなっていきました。

ナンシー派
アールヌーボーの中心地というと、勿論パリであるが、このパリと並ぶもう一つの中心地として、ナンシーがあり、ガレはその地で活躍をしていたのです。ナンシーはパリのリヨン駅からスイス方面行の急行で3時間あまりで行けます。とくにこのナンシーで展開したアールヌーボーは『ナンシー派』と呼ばれ、エミール・ガレとならんで、ドーム兄弟などもこの地で活躍し日本でも彼らの作品は有名です。・・・このナンシーでの作品はその当時、販売商品として大量生産されており一時期は数百人という従業員を抱える企業として発展しガレのそんな企業の責任者でありました。しかし、それでもこの当時の商品が今でも立派な芸術品として取り上げられていることは、このロレーヌ地域の技術の高さを物語っています。1871年ごろからガレは、ガラス器に「ロレーヌ十字」(画像)と呼ばれる装飾をつけ、その後、エミール・ガレのイニシャル「E・G」と組み合わせて「ナンシーのエミール・ガレ」というサインとともに、商標として使用するようになりました。

企業家としてのエミール・ガレ
エミールガレの使用した商標「ロレーヌ十字」、その意味する場所ロレーヌは恵まれた交通上の位置と豊かな地方資源が故に、昔から帰属をめぐって争いがたえませんでした。そんなロレーヌ地方を愛したガレは自分の作品にロレーヌ十字を使用し、外国製でもなくフランスのパリ製でもない、ロレーヌ製であるという意味をこめてロレーヌの芸術の旗頭となっていったのです。万国博のおけるガレは、人目を引くためのオブジェを作成して行き出品作の中央に配置したり、わざわざ窯をその場で再現して、製作現場を来た人に見せるなど今で言うプレゼンをその時代から積極的に行っていたのです。それだけでなく、自身の作品を解説した冊子まで用意してくばったのだそうです。
エミールガレは芸術家でありまた優れた企業家でもあったのです。
こんなことからも分かるのですが、現存しているガレの作品は全てガレが手をかけた作品ではないのです。ガレはこの時代すでに分業を進めており、何百人という職人を使っていましたから、ガレがまったく手を触れていないガレの作品が多く存在していることは認識しておくべきでしょう。・・・
ガレの内面を支配していた「庭園」のイメージと並んで、「森」イメージについても書いておきたいと思います。囲われ、人工的に整理された庭園とともに、ガレは野性的な未開の「森」を魂の原点として、ガレは持ち続けていました。ガレの工場の裏扉には「われわれの根源は森の奥にあり」と記されていたと伝えられています。
その本当の意味は、ガレ自身にしか分からないのですが、晩年、ガレは生物学・地質学・海洋学を精力的に研究をしていました。そんな中から。まだ見たことの無い、新しいデザインの生命の芽を追及して行ったのです。そして、そこから出てきたのが有名な「ひとよ茸」や「ガラスの手」などの作品だと言われています。」

画像:ひとよ茸
http://sonokinoko.com/2008/05/emile-galle-lampe-les-coprins/ より Orz〜
「ガレはこのひとよ茸ランプを合計6個作ったそうなのですが、そのうち3個はすでに壊れてしまっていて、現存するのは世界に3つだけ。ガレがひとよ茸ランプを作ったのは亡くなる2年前。そのとき彼は白血病を病んでいて、自分の余命がそれほど長くはないと感じていたようです。そんなとき、彼が作品のモチーフとして選んだのが、ひとよたけでした。新しく生まれ、その日のうちにぐんぐん成長したかと思うと、次の朝には溶けて無くなってしまうひとよたけ。しかし、その溶けたキノコの横にはまた別の新しいいのちが生まれている。ガレはそんなふうに消滅と再生をくりかえすひとよたけの姿を見て、そこに生命のはかなさと力強さを感じたといいます。ひとよ茸ランプは、ひとよたけの成長を3段階に分けて表現しています。生まれたばかりの姿、成長過程の姿、そして傘が開ききり、溶けかかっている姿です。
なんですって。ひとよたけさんが学芸員さんの話を何度も聞いて耳で覚えてしまったというエピソードも素敵ですね。そして、写真はその3つの現存するランプです。上から順に、諏訪の北澤美術館、東京のサントリー美術館、ガレの故郷であるフランスのナンシーにあるナンシー派美術館(Mus?e de l’Ecole de Nancy)に所蔵されているランプです。それぞれ柄の曲がり方や傘の開き具合は微妙に異なりますが、3つとも3段階の成長過程が表現されていますね。・・・」

自然の中に神は宿る...^^♪
女体も自然の造形なんだけど...^^;...なぜに彼はそれに手を染めなかったんだろ...
それとも...これらの作品にクロスオーバーされた思いが込められてるのかな...Orz...

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サロメを題材にした絵は何枚か見たが...その理由までは知らず...^^;

http://ja.wikipedia.org/wiki/サロメ_(ヘロディアの娘) より

画像:サロメ/シュトゥック「サロメ」
画像:洗礼者ヨハネ/レオナルド・ダ・ヴィンチ「洗礼者ヨハネ」、1513-1516年
画像:Miss Maud Allan as 'Salome'

「サロメ(Salome または Salom?、ヘブライ語: ??????? Shlomit)は、1世紀頃の古代パレスチナに実在したとされる女性。義理の父は古代パレスチナの領主ヘロデ・アンティパス、実母はその妃ヘロディア。古代イスラエルの著述家フラウィウス・ヨセフスが著した『ユダヤ古代誌』や、『新約聖書』の「福音書」などに伝わる。イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネの首を求めた人物として、キリスト教世界では古くから名が知られ、その異常性などから多くの芸術作品のモティーフとなってきた。新約聖書では、「サロメ」の名を伝えていないことから、学問上は単にヘロディアの娘と呼ぶことが多い。

サロメは、新約聖書に登場する女性。サロメの義理の父は、ユダヤのヘロデ大王の息子である古代パレスチナの領主ヘロデ・アンティパス。また、サロメの実父はヘロデ・アンティパスの弟であるため、ヘロデ・アンティパスの姪でもある。サロメの実母は、ヘロデ・アンティパスの弟の妻であり、後にヘロデ・アンティパスの妻となったヘロディア。サロメは、ヘロデ・アンティパスに、祝宴での舞踏の褒美として「好きなものを求めよ」と言われ、母ヘロディアの命により「洗礼者ヨハネの斬首」を求めた。
・・・
ヨセフスによればヨハネの処刑はあくまでヘロデ・アンティパスの政治的決断である。従って、ヘロディアや、その娘は処刑にかかわっていないことになる。・・・」

江戸時代のキリスト教の弾圧みたいな流れでの出来事ってわけ...?
ヨハネって...死者から復活された方なの...?
で...妖艶なお姿なんだろか...?

http://blogs.yahoo.co.jp/kuzira969/15980218.html より Orz〜
『サロメ』 オスカー・ワイルド
「・・・愛しい男が手に入らないと分かるとその首を所望した…サロメというと妖艶な悪女というイメージでしたが、ワイルドのサロメは所有欲が強いけれど一途というような印象を受けました。
預言者ヨカナーンを一目見て心奪われたサロメは、「お前の口に口付けさせておくれ」と繰り返します
が、「不義の子」と拒絶されます。王エロドの「踊ってくれたら、なんなりとほしいものをつかわそう。」という言葉を聴いて、サロメは月の光のもとで七つのヴェイルの踊りを舞います。ヨカナーンの首を手にする為に。ヨカナーンの首を手にしたサロメは、閉じた目蓋、動かぬ唇にむかって捲くし立てます。一目自分を見てくれていたら、きっと愛しく思ってくれただろうに…あたしが恋したのは、お前ひとり…酒も木の実も、あたしの欲情を満たしてはくれぬ…洪水も大海の水も、あたしの情熱を癒してはくれぬだろう…と。この狂おしいほど情熱的な台詞からは、サロメの初恋の激情が伝わってきて、我がままで所有欲が強い反面、一途で不器用なサロメというキャラクターを感じました。・・・」

ますますわからなくなった...
この方がすんなり分かりやすいけどね...^^;v

美の追求

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女性の可憐さ/恥じらい/秘められた誘惑する肉体・・・
それらを画家達は美しいと感じたからこそキャンバスに描いてきたんだよね♪


画像:フランソワ・ジェラール作 「プシュケとアモル」1798/パリ・ルーヴル美術館
http://t-jikkosan.jugem.jp/?eid=63 より Orz〜
「この作品は、新古典主義の大家ジャック・ルイ・ダヴィッドの弟子、フランソワ・ジェラールが、1798年のサロン・ド・パリに出品したものです。発表当時は不評でしたが、一部の若手の画家たちからは高評価を得て、後に新古典主義美術をひとつの方向へと導くことになった作品といわれています。
王女プシュケが、彼女には姿の見えない愛の神アモルに接吻され、戸惑いと驚き、そして恥じらいのようすを見せている情景が描かれています。主題は、ローマの古代神話に出てくる、プシュケ(魂)とアモル(愛)の恋物話ですが、人間の魂が神の愛を求める寓話として考えられ、いわゆるプラトニック・ラヴを示唆し、ネオプラトニズムを象徴するものとされています。・・・」

わたしも天使の翼が欲しい...女性がその欲望を臆すことなく露わにする秘力が備わってるのなら...♪

画像:アレクサンドル・カバネル作 「ヴィーナス誕生」1863/パリ・オルセー美術館
http://t-jikkosan.jugem.jp/?eid=64 より Orz〜
「1863年のサロン・ド・パリ展に、アレクサンドル・カバネルによって出品された作品です。アカデミックの最高峰の絵画として高く評価され、時の皇帝ナポレオン3世に買い上げられるとともに、1867年のパリ万国博覧会にも出品されたそうです。
主題は「ヴィーナスの誕生」。およそ400年前、イタリア・ルネサンス期に、ボッティチェッリの同名の絵があります。ボッティチェッリは、ギリシャ神話の話のとおりに、海で誕生したヴィーナスが貝殻に乗り、西風に吹かれて、キプロス島の浜辺に流れ着く様子を描いています。中央にたたずみ、恥じらうヴィーナスが、印象的です。ボッティチェッリのヴィーナスは、当時のフィレンツェで絶世の美女として評判だった、シモネッタをモデルにしているといわれていますが、身体のバランスや、ポーズは古典的な規範に従って描いています。・・・それに比して、カバネルの「ヴィーナスの誕生」は、海の上で今まさに誕生したばかりのヴィーナスが描かれています。5人のクピドたちが祝福のために、ヴィーナスの上を舞っています。あわ立つ海面から生まれたばかりのヴィーナスは、古典的な羞恥のポーズをとることなく、輝くばかりの女体を観るもの前に露わにしています。・・・」

天上の青は...地上の楽園を象徴してる色だ...真白い肌は...奔放な快楽の解放...
人間の「生」の「性」の賛歌だな♪
かってな解釈あるね・・・^^;
このビーナスが...ピカイチじゃないのかなあ・・・^^v


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