アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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とあるサイトで彼の絵に出会って気に入ったもので・・・♪

auction.jp.msn.com/ pitem/90969715 より Orz〜
「ポール・アイズピリ(1919年〜)パリ生まれ。彼の喜びに満ちた明るい色彩は、好んで何度も訪れた地中海地方の光に由来し、モチーフを見つめる画家としての目は、バスクの血に由来している。リズムカルなタッチで描かれているブーケや南仏の海辺は、世界中の愛好家から支持され、文字通りフランス画壇の第一人者として活躍している。彼の作品はパリ近代美術館をはじめとするフランス各地の美術館、ベルギー、オランダなど、欧米各国の美術館に買い上げを受けている。日本では山形美術館、尾道の中田美術館等に収蔵されている。また、ホテルニューオータニ博多のロビーを飾る大壁画は、多くの人の目を楽しませている。・・・」


画像:http://www.suiha.co.jp/cms/worklist.cgi?ano=1150961687 より Orz〜
「ポール・アイズピリは、花、静物、風景を描く。抽象化された線と鮮やかな色使いが人気のフランス現代人気作家。 油彩、グワッシュ、リトグラフ、銅版画を多数制作。・・・」

花の絵が多いのかな・・・^^
私は昔から原色っていうか...カラフル&シンプルなのが好き♪

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さきほど日曜美術館(4月からわたしの好きな姜尚中(かんさんじゅん)さんが司会役されてんだ♪・・・彼は「自分は視覚的な人間なようで音楽よりも絵を観る方が向いている」ってな挨拶されてた ^^)で観て気に入ったもので・・・^^
ゲストの村上隆(むらかみたかし)氏の話もとっても面白かった♪
芸術家は不安と同居して居続けている・・・暗黒の底なしの闇を垣間見てはそこから触発される何物かを表現していく・・・そのブラックホールに吸い込まれ落ちて逝ったものは数知れない・・・
蕭白は絵を描くことでかろうじて生きられたのではないか・・・誰にも評価・理解されなかった蕭白に比べたら、自分は自分と同じような感性を持つ蕭白がいたことを知っているだけで孤独じゃない、救われている・・・ってな話...
途中で現れた龍の「阿吽」の絵・・・蘊蓄欄にアップしてると思います♪

http://ja.wikipedia.org/wiki/曾我蕭白 より Orz〜
「享保15年(1730年)、京都に生まれる。蕭白の生涯については資料が少なく不明な点が多い。伊勢地方に多くの作品が残ることから、かつては伊勢の出身とされたこともあったが、近年の研究の進展により、「丹波屋」と号する京都に商人の子として生まれ、本姓を三浦と称したことなどが明らかになっている。京都市上京区の興聖寺には、蕭白の代表作『寒山拾得(かんざんじっとく)図』が残るほか、蕭白一族の墓もある。・・・
作品も制作時期のわかるものはきわめて少ないが、29歳ごろと35歳ごろの2回、伊勢地方に滞在したことがわかっている。『群仙図』、『旧永島家襖絵』などの代表作は2回目の伊勢滞在時に描かれたものと考えられている。
蕭白の特徴は、部分の細密で精確な描写能力と対象の動性の的確かつ大胆な把握にある。構図における大胆な空間把握と、顔料の性質を熟知した上になりたつさまざまな独創に支えられた鮮やかな彩色は、相共に強烈な不安定さを生み出し、見るものを魅了しまたおののかせる。江戸時代の画史においてすでに「異端」「狂気」の画家と位置付けられていた蕭白の絵は、仙人、唐獅子、中国の故事など伝統的な画題を扱いながら、その画題を醜悪、剽軽に描き出すなど表現は型破りで破天荒なものであり、見る者の神経を逆撫でするような強い印象を与えずにはおかない。
明治時代以降は評価が低かったが、1970年頃『美術手帖』誌の連載「奇想の系譜」で取り上げらたこと等がきっかけとなり、江戸時代絵画史に異彩を放つ個性的な画家として近年再注目されている。
また、横尾忠則の作品には蕭白の作品を下敷きにして描かれたものもある。『群仙図』から触発されて『消された記憶』、『雪山童子図』からは『二河白道図』などが制作されている。・・・」

蕭白は雅号に「鬼神斎」って書くようになってたって・・・
また、あの円山応挙に「人間(の内面)を書きたいならわたしのところに学べ、ただそのまま絵を描き続けるだけなら、そのままの応挙でいればよい」・・・うろ覚えです ^^;・・・ってなことを宣ったらしい...^^

アップの画像は以下のサイトより Orz〜
www.muian.com/ muian09/muian09.htm より Orz〜
・「達磨図」・・・「自分は絵師である」と言って泊めてくれたお寺さんに一宿の恩として描いたものらしい ^^
・30歳 「寒山拾得図」、「柳下鬼女図屏風」
どっちが寒山か拾得か知らないわたし...^^; また調べてみます...^^・・・しかも容量上アップできず...Orz
・50歳 「石橋」(せっきょう)
晩年に「美人画」を1枚だけ珍しく描いたらしい・・・♪
色気をこよなく愛し(最期に女性という自分が男であるというのと同じ意味においての存在に気付き、女性の身となって、その存在をアピールするために描いたんだと...わたしの想像^^)、この世のしきたりを蔑視し、闘い続け、彼自身の信念を貫いて52歳まで駈け抜けて逝った...
こんな人と知り合いたい...!!

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パブロ・ピカソ

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http://labaq.com/archives/51119609.html より Orz〜
2008年10月31日 12:01
天才画家ピカソのあまり知られていない10の秘密

画像:アビニョンの女達

1. ピカソのフルネームは23語にも渡る長い名前である。
これは結構有名ですね。
彼の洗礼名は「パブロ・ディエーゴ・ホセー・フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・マーター・パトリシオ・クリート・ルイス・イ・ピカソ」

"Pablo Diego Jos? Francisco de Paula Juan Nepomuceno Mar?a de los Remedios Cipriano de la Sant?sima Trinidad Martyr Patricio Clito Ru?z y Picasso"

と言います。各聖人たちや親戚の名を盛り込まれてこんなに長くなったそうですが、知られているピカソというのは母方から来た名前です。

2. 生まれたときは助産婦に死産と思われた
ピカソは大変な難産だったそうで、さらにピカソが弱々しかったために助産婦は死産と思いピカソをテーブルに放置して、ピカソの母親の介護に当たっていたそうです。このとき助けてくれたのが、医師であった叔父のドン・サルバドール氏だそうで、そのエピソードはピカソが子供時代に何度も聞かされたそうです。当時は大きな葉巻を医師が当たり前に吸っており、この叔父がピカソの顔に煙を吹きかけると、ピカソが反応したということだそうです。

3. ピカソが最初に発した言葉は「えんぴつ」であった
画家になるために生まれてきたようなエピソードですが、スペイン語で鉛筆のことを"l?piz"といい、短縮形の"piz"というのが彼の最初に発した言葉だったそうです。
芸術家であり、芸術の先生だった父親のルイスは、ピカソが7歳になったときから芸術の教育を施したと言われています。ピカソが13歳になる頃には追い越されたと父親自身が思い、描くことをあきらめたそうです。

4. ピカソの最初の作品は9歳のときに仕上げた"Le Picador"である
画像:"Le Picador"
この闘牛場で馬に乗る男を描いたのはたった9歳のときです。9歳とはとても思えない馬の捉え方など、天才の片鱗がうかがえます。
画像:" La premi?re communion "
さらに15歳にして父、母、祭壇の前にひざまずく妹" La premi?re communion "を描き終えたのが15歳のときでした。

5. ピカソはひどい生徒だった
5、6年も年上だったクラスメートよりさらに数年進んでいたなど、ピカソが芸術的に優秀だったのは間違いはありませんが、彼は指導されることを好まず、先生から処罰を受けることも度々ありました。
そのときの様子をピカソはこう伝えています。「問題児として真っ白な壁に囲まれたベンチが一つあるだけの処罰室によく送られたが、そこが大好きだった。スケッチブックを持っていって延々と絵を描いた。手を止めることなく、そこにずっといることができた。」

6. ピカソの最初の仕事はパリの画商との契約であった
最初の契約は画商のPere Menach氏と月収150フランク(現在の約75000円)だったと言われています。

7. ピカソはモナリザを盗んでいない
1911年にルーブル美術館からモナリザが盗まれたとき、警察はピカソの友人であり詩人のギョーム・アポリネールを犯人として逮捕しましたが、彼が容疑者としてピカソの名を上げたのがきっかけでピカソまで逮捕されてしまったのです。一週間後に二人は釈放されています。

8. キュビスムは小さなたくさんの立方体から名づけられた

画像:Le Guitariste (The Guitarist) by Pablo Picasso (1910)
1909年にピカソとフランスの画家のジョルジュ・ブラックと創始したキュビスムは同じくフランスの批評家ルイ・ボークセル(Louis Vauxcelles)が名づけたもので、彼が「立方体(キューブ)以外の何でもないと」と批判したところから来ています。

9. ピカソはプレイボーイであった
有名画家であったことでピカソは女性に困りませんでした。知られている妻や愛人だけで数多くいます。
・フェルナンデ・オリヴィエ(Fernande Olivier):ピカソの最初の恋人と言われる。彼女が18歳、ピカソが23歳のとき
・エヴァことマイセル・アンベール(Marcelle Humbert):彼女が27歳、ピカソ31歳のとき
・ギャビー・レスピナッセ(Gaby Lespinasse):エヴァの病中に知り合った
・オルガ・コクローヴァ(Olga Khokhlova):最初の妻で、オルガが26歳、ピカソが36歳のときに出会う。2人の間にはパウロという息子が生まれる
・マリー・テレーズ・ワルテル(Marie-Th?r?se Walter):マリーが17歳、ピカソが46歳のときの愛人関係で二人の間にはマイアという娘が生まれる
・ドラ・マール(Dora Maar):ドラが29歳、ピカソが55歳のときに出会い愛人関係
・フランソワーズ・ジロー(Fran?oise Gilot):フランソワーズが21歳、ピカソが61歳のときに出会う。2人の間にクロードとパロマの2人の子供が生まれる
・ジェネヴィーヴィ・ラポルテ(Genevi?ve Laporte):ジェネヴィーヴが20代半ば、ピカソが70代に愛人関係に
・ジャクリーヌ・ロック(Jacqueline Roque):2人目の妻、ジャクリーヌが27歳、ピカソは79歳のときに出会う

画像:Le R?ve (The Dream)

ピカソの死後、マリーとジャクリーヌは自殺をしている。

10. 最も多作で最も作品総額の高い画家である
画像:「パイプを持つ少年」(Gar?on ? la pipe)
油絵と素描で13500点、版画で100000点、挿絵で34000点にも及び、最も多作な画家としてギネスブックに載っています。2004年のサザビーズの競売で、「パイプを持つ少年」(Gar?on ? la pipe)は史上最高額の1億400万ドル(当時の為替で約118億円)の値がつきました。

画像:ゲルニカ(Guernica, 1937) 」

画像:もっと知りたいピカソ 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション) (単行本)
松田 健児 (著), 大高 保二郎
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4808707942/labaq-22/ref=nosim/ より Orz〜

画像:ピカソのデッサン
http://artart.way-nifty.com/sketch/cat4304545/index.html より Orz〜
「ピカソのアビニョンの女達を描くにあたっての下描きデッサンを収録した本を手に入れた。これは素晴らしい。常識的に見ると落書きのたぐいで絵を描く者が見るとたまらなく線が生きていて、どんどん簡略されていきそうになる。」

ピカソって羨ましいよな〜〜〜^^;v
天分に恵まれ、、、それを奔放に・いかんなく表現し尽くして逝った・・・
まさに本能そのものに生きたような類いまれな自然児!♪
青の時代から・・・何かのきっかけで、、、ピンクの「命を謳歌する世界」が弾けたような・・・
わたしは、、、絶対彼を愛する女性の出現が彼をして想像力を触発せしめたんだと想っちゃうなあ・・・^^♪

サルバドール・ダリ

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http://ja.wikipedia.org/wiki/サルバドール・ダリ より
画像:ダリ(1965年)
「サルバドール・ダリ(Salvador Dal?, 1904年5月11日 - 1989年1月23日)は、スペインの画家。シュルレアリスムの代表的な作家として知られる。フルネームはサルバドール・ドミンゴ・フェリペ・ハシント・ダリ・ドメネク(Salvador Domingo Felipe Jacinto Dal? Domenech)。自ら「天才」と称し、数々の奇行でも知られている。

生涯
ダリは1904年5月11日、スペインのカタルーニャ地方フィゲラスで、裕福な公証人の息子として生まれた。母親も富裕な商家出身だった。ダリには幼くして死んだ兄がいて、同じ「サルバドール」という名が付けられた。このことは少年ダリに大きな心理的影響を与えた。
少年時代から絵画に興味を持ち、画家ラモン・ピショット(ピカソの友人でもあった)から才能を認められた。・・・1927年、パリに赴き、パブロ・ピカソ、トリスタン・ツァラ、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンらの面識を得る。1929年夏、詩人ポール・エリュアールが家族とともにカダケスのダリを訪ねる。その妻が、後にダリ夫人となるガラ・エリュアールであった。ダリとガラは強く惹かれ合い、1932年に結婚した。画学生時代には印象派やキュビスムの影響を受けていたダリは、シュルレアリスムに自分の進む道を見出し、1929年に正式にシュルレアリスト・グループに参加した。・・・ダリは自分の制作方法を「偏執狂的批判的方法」と称し、写実的描法を用いながら、多重イメージなどを駆使して夢のような超現実的世界を描いた。*

エピソード
ダリ(1965年)
ダリは、1936年に制作した『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』がスペイン内戦を予言したと称し、「完全なダリ的予言の例」として文字通り自画自賛している。 ほかにも自己顕示的で奇妙な言動は多く、講演会で潜水服を着て登壇したはいいが、酸素供給が上手くいかずに死にかけたことがある(1936年、ロンドン)。象に乗って凱旋門を訪れたり、また「リーゼントヘア」と称してフランスパンを頭に括りつけて取材陣の前に登場するなど、マスコミに多くのネタを提供した。
今日ではダリのピンとはねた口ひげと目を大きく見開いた顔は、「アート」そのものとして認知されるほどの人気であり、スペインのシンクロナイズドスイミングチームが水着の柄に採用して競技会に出場したことがある。・・・2004年はダリの生誕100年に当たり、世界各地で展覧会が開かれた。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/ガラ・エリュアール より
「ガラ・エリュアール(Gala Eluard Dal?, 1894年8月26日 - 1982年6月10日)ロシア人でサルバドール・ダリの妻。本名はエレナ・ディミトリエヴナ・ディアコノワ(Елена Димитриевна Диаконова)という。タタールスタン共和国カザン生まれ。
結核治療のために行ったスイスのサナトリウムで詩人のポール・エリュアールと出会い、1917年に結婚。二人の間に娘が出来るが、夫婦でダリの元を訪れた際、ガラはダリと恋に落ちてしまった。ガラは1932年にエリュアールと正式に離婚し、後にダリと結婚した。ダリの作品の中にしばしばガラは登場した。ガラは若いアーティストが好きで、性的衝動も強く、晩年でも傾向は治らなかったのでダリの心配の元であった。しかし当時のシュールレアリスト達にとってなくてはならないインスピレーション的存在が彼女であった。」

画像:ガラ・ダリ (Gala Dali 1894 1982)
http://www.geocities.jp/takahashi_mormann/Articles/galadali より Orz〜
「・・・「描くイナゴや糞色のシミは不安の対象です」と、フロイトの精神分析に熱中するダリは答えた。口ひげをはやし、流行のスペインファッションに身を固めたダリは、派手な外見とは裏腹にシャイで口が重い。しかしガラは青年画家の真摯な熱情に心を打たれ、それを感じたダリは10歳年上のエリュアール夫人を思わず抱きしめた。「私たちはもう離れてはいけないのよ」と彼女は息子に語る口調で言い、「これからどうしよう」と聞くダリに「私を殺して」と答えるのである。・・・」

ガラはダリの宿命的な女性だったんだね!♪

onemanconcert5.seesaa.net/ より Orz〜
画像:「茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)」
画像:「燃えるキリン」

www.AllPosters.co.jp より Orz〜
画像:「花の頭の女」 1937
画像:「Soft Watch At Moment of First Explosion」1954
画像:「球体のガラテア」1952
画像:「目覚めの直前、柘榴のまわりを一匹の蜜蜂が飛んで生じた夢」
画像:「自らの純潔の角に犯される若い処女」


いっぱいある〜〜〜^^;
題名の長いものが多いね!?
自らもデコり、表現もデコってる・・・自己顕示欲の突出 ^^v・・・ガラに引き出された・・・自分のすべてを安心してさらけだす陶酔感♪

歌川国政

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画像:「市川団十郎 暫」
http://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/item/kunimasa005.htm より Orz〜
「歌舞伎十八番の中でも有名な「暫(しばらく)」の市川団十郎を描いた役者絵です。団十郎の顔を真横から描いた斬新な構図に迫力があります! 線と色がはっきりとしたデザイン性の強い作品です・・・」

『「暫(しばらく)」の市川団十郎 』って言葉があるんですね ^^
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=しばらく&dtype=0&stype=1&dname=0ss より Orz〜
「歌舞伎十八番の一。1697 年江戸中村座の「参会名護屋」中で初世市川団十郎が初演。悪人が善人方を虐げているところに、荒事役の主人公が「暫く」と声をかけて現れ、悪人をこらしめる趣向が基本。」

画像:「猫に美人」
http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/kunimasa001/ より Orz〜

画像:「三代目市川八百蔵」
http://rakutyuurakugai.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_34bb.html より Orz〜
「役者絵は浮世絵の中でも、美人画と双璧を成す分野で、浮世絵の祖と言われている菱川師宣の頃から始まった。当初は全身を表した舞台姿が主であったが、芝居の発展と共にその当たり芝居の所作を際立せる工夫がなさるようになった。そして写楽にいたって大首絵の似顔絵の形状をとるようになった。
以降、芝居の熟覧期と合わせる様に豊国、国貞、国芳と続く訳だが、そのなかで国政の役者絵は師の豊国らとは少し異なり、そんなに誇張も無く役者本来の姿と良さをさらっと描いている様に思える。
その分、構図とデフォルメのうまさが引き立って来る。」

今のアニメにこの感覚は受け継がれているような気がする・・・けど?^^

http://ja.wikipedia.org/wiki/歌川国政 より
「歌川 国政(うたがわ くにまさ、安永2年(1773年)頃 - 文化7年11月30日(1810年12月26日))は江戸時代後期の浮世絵師である。俗:佐藤甚助、号:一寿斎。会津出身。

略歴
初めは紺屋の染物職人であったが、初代歌川豊国の門下となり師を超えると言われた才能を持ちながら早世。残された作品は極めて数少ない。

作風
「大首絵」に残された役者の面相を美化することのみに終始しない研ぎ澄まされた感性は他の追従を許さない鋭さが見られ、「美人画」の上品な描写に独自の才能を見ることができる。」


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