アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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ヘンリー・ダーガー

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画像:Henry Darger 少女たちの戦いの物語?夢の楽園
koinu2005.seesaa.net/ article/45154626.html より Orz〜

5年くらい前にたまたま彼のことを知る機会があったんだけど、、、以来時々思い出してたくらいで、、、名前も忘れてたものだから、、、アップできないままでした...^^;
彼の作品の一部を見たとき不思議な感覚でしたが、、、彼の生き様を知ったとき、、、これが彼の憩いの世界=本当の世界を表現したものなんだと強烈な脳天唐竹割を喰らった・・・^^;
そのとき見た絵を探しても見つからないけど、、、少女の股間にはペニスが描かれているのです...!
彼の生い立ちから想像するに、、、女性の裸を見たことが無かったかも知れないとも思えますが、、、孤児院って男女席を同じくせずでないなら、、、シンボルの違いにゃ気付いてたはずだけどなあ...?
とまれ、、、自分の妄想の世界に、おもしろくもなくほとんど無意味な現実での仕事から帰宅した彼は嬉々として、彼にとっての真実の世界に戻り、その世界を豊穰にする作業に没頭したんでしょうよね。それが彼のいきるエネルギーの源泉だったんだと思うな・・・快なくして80年も生きれないでしょ?脳は過酷な現実から逃避するために仮想現実を想像するんだ・・・脳が快を求めてる証拠だよね!!^^v

http://ja.wikipedia.org/wiki/ヘンリー・ダーガー より
「ヘンリー・ダーガー(Henry Darger, 1892年4月12日 - 1973年4月13日)は『非現実の王国で』の作者である。英語での発音は「ダージャー」であるとの説もあるが、不明。誰に見せることもなく半世紀以上自分の妄想を書き続けたが、死後にそれが発見され、のちにアウトサイダー・アートの代表的な作家として評価されるようになった。 彼の作品(物語・自伝・絵画)に関しては、秀逸なドキュメンタリー映画「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」で多くを目の当たりにすることができる。映画は、生前のダーガーを知る人物へのインタビューと本人の自伝を組み合わせながら、「非現実の王国」に生きたダーガーの精神世界を見事に描いている。特に、絵画がアニメーションとなって動き出す様は圧巻である。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/非現実の王国で より
「『非現実の王国で』(ひげんじつのおうこくで、In The Realms of the Unreal)、・・・は、ヘンリー・ダーガーによる物語である。アウトサイダー・アートの代表例とされる作品。
概要
ダーガーは19歳の時『非現実の王国で』を書き始めた。執筆は約60年間に渡り、彼が亡くなる半年前に老人ホームに収容されるまで、誰に知られることもなく続けられた。ダーガーが暮らしたアパートの家主であり、芸術家でもあるネイサン・ラーナーがダーガーの持ち物を整理するために部屋を訪れたときに、300枚の挿絵と1万5,000ページ以上のテキストからなるこの物語が発見された。・・・なお、その余りにも遠大なストーリーのためか、これまでこの作品は外国語版を含めてテキスト全文が刊行された事はない。・・・
挿絵
300枚を超える挿絵は全てダーガーの手によって描かれている。その多くはストーリーの一場面を描いた通常の挿絵であるが、中には該当する箇所がみつからない挿画独自のシーンも描かれている。美術教育を受けなかったダーガーは挿絵を付ける際にゴミ捨て場などから拾った雑誌・広告などからの切り抜きを多用した。主人公ら少女たちはしばしば裸で描かれ残虐な拷問や殺戮の対象となっている。また小さなペニスが描かれており、これにはダーガーが女性の裸を見たことがなかったため、という説がある。ただしペニスのない少女も多く、「戦闘に向かう少女の男性的攻撃性を表現したため」、「あくまで空想としての理想を描いたため」など諸説あるが、真相は明らかではない。」

画像:ヘンリー・ダーガー
参照サイトは以下のコメ欄参照願います Orz
「・・・
ダーガーは生涯、友人一人持たず(家族もいません)アパートの一室で絵を描いていたということが言われていますが、そのこととダーガーの絵や死後アパートに残されていた15000ページ以上の一大叙事詩といわれるタイプされた原稿が直接的な関係を持った解釈として自分達に広められている始末です。
・・・
ダーガーが1892年にアメリカ、シカゴに生まれて彼がまだ幼い頃に、妹を出産する際に母は亡り生まれた妹は里子に出されたまま、兄妹の再会することはなく・・・・。やがて、彼は施設に入れられます。・・・誰とも口をきかない日も多く、施設の中でも孤立していくのです。・・・実は、ダーガーの精神の状態は明確だったともいわれています。
その後のダーガーの生きた範囲の中に往来した人々の証言で彼の置かれた状況などが明らかにされていくのですが、少年期から青年期に差し掛かる貴重な時期を日々、悶々と過ごしたと予想するダーガー。
ダーガーは、1973年に誰にも知られずに死んでいます。
・・・
ダーガーの絵に登場する少女たちはしばしば裸体で描かれるんですが、彼女たちに はペニスがついています。世間知に疎い余りダーガーが性差を知らなかったのではないかという説があります。しかし1892年に生まれて1973年に死んだ人間が性差を知らないで生きることが可能でしょうか?
ダーガーの絵の少女の顔は新聞や雑誌の切り抜きをトレースしたものなのです。新聞や雑誌にいくらでも情報はあるでしょう。性差異を知らずに死んでいったというのはあまりに楽観的ではないでしょうか。別に自分はダーガーのファンでもなんでもないのですが、60間年も「非現実の王国で」と名のついた物語を妄想していたということに興味を持たないわけにもいかないのです。孤独に作品を作り続けたことに対する嫉妬からくるものも確かにあるのですが、それよりもその作風がバイオレンスでセクシャルということに興味がいきます。
「非現実の王国で」はダーガーが生きている間、人にみせられることがなかった自己完結していたものです。よってメッセージ性はない(もしくは薄い)ということにも捉えられます。
外に向けられなかった作品は多々存在します。それは表現ではなかったということになりますね。(表現の意味をその漢字から捉えるとしたらですが)
芸術に関して「表現」ほど邪魔なものもないように思います。(それは意識していなくともでてくるものだったりするので、否定するはけではないのですが)
「表現」が安易なような気がしてならないまま「表現」を続けて生きていくとはどうゆことなんでしょうか?」

そうなんだよね、、、脳が妄想し、自らに快をもたらす要素は、、、バイオレンスでありセクシャルなものを必須とすることを明示してくれているのかもしれない ^^;v

ギュスターヴ・ドレ

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たまたま見つけました。。。^^v

バラでアップしますが、、、この中には今まで見た絵もいくつかありますね。^^
もちろん、わたしの目が留まったのは、、、ご想像にお任せしましょう ^^;
眩いくらい真白い肌だよね、、、しかも艶めかしい、、、浮世絵に似てない?構図も波頭の描き方もさ。。。^^

http://art-random.main.jp/samescale/051.html

「ギュスターヴ・ドレ
 Gustave Dore    【幻想性豊かな挿絵画家】
(1832.01.06〜1883.01.23)
多作の過労から心臓発作---山羊座

フランスの画家、版画家。ストラスブール生れ。
13歳でリトグラフを制作し、15歳ですでに、パリの『ジェルナル・プール・リール』紙に挿絵を発表、16歳でサロンに素描で入選。
早熟の挿絵画家である。素描家としてだけではなく、油彩画家としての活動もしていた。当時の社会相を活写した素描や、聖書、タ・フォンテーヌの寓話、『神曲』(「地獄篇」1861年)『ドン・キホーテ』(1862年)をはじめとする幻想性豊かな挿絵を多数残している。
第二帝政期にレジオン・ドヌール賞を受ける。1870年の普仏戦争のに従軍し。フランス敗北によるアルザス地方割譲で、故郷ストラスブールを失う。1870年代からは油絵や彫刻作品も手がけた。
多作の画家でもあり、1856年だけで、700点もの挿絵を制作している。多作の過労から心臓発作のため、51歳で早世。
大胆で華麗な彼の聖書の世界のイメージ。」

全裸彫刻

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http://pitaro.cocolog-nifty.com/blog/
「パリス・ヒルトンの全裸彫刻・ブルックリンの美術館で公開へ

 ソーシャライトのパリス・ヒルトンをモデルにした過激な彫像「Paris Hilton Autopsy」が5月11日からブルックリンのカプラ・ケスティング美術館で公開された。パリス・ヒルトンは、「世界で最も過大評価されている人」としてギネスに認定されている米国のモデル。
・「ヒルトン」でわかる通り、パリス・ヒルトンは、ヒルトンホテル創業者の曾孫にあたる。母親のキャシー・ヒルトンは米芸能界で子役の経験があり、可歌手のマイケル・ジャクソンと幼馴染という。
彼女には妹ニッキー・ヒルトンもおり、叶姉妹のように、「ヒルトン姉妹」として知られている。
この作品を手掛けたのは米彫刻家のダニエル・エドワード。
同氏はこれまでに、歌手のブリトニー・スピアーズが四つん這いで出産している彫像(画像)などのユニークな作品を発表し注目されてきた芸術家。
・今回の作品のテーマは、「飲酒運転の危険性を訴えること」だという。
作品では、ヒルトンが両足を広げて横たわっており、傍ではティアラを付けた愛犬ティンカーベルが心配そうに見守っている。(画像:愛犬ティンカーベルとグラビア撮影するパリス・ヒルトン)
昨年9月に飲酒運転で逮捕されたパリス・ヒルトンは、先週、保護観察期間中に運転をしたとして禁固刑を言い渡された。飲酒運転が引き起こす悲劇を検死官の視点から若者に体感してもらうため、パリスの彫像内部には取り外し可能な小腸、子宮、胎児などが設置されている。
同美術館は、アートワークの一環として、パリス・ヒルトンの死亡記事を制作するよう学生たちを招待しているという。これを芸術として評価する考えかたと、単なる卑猥な造作物とする考えかたと、その捉え方は一様ではない。芸術の分野に表現の自由が存在する限り、卑猥さも芸術のひとつと捉えるべきなのであろうか。」

昔から、裸体の彫刻っていっぱいあったじゃんってわたしなんて思いますけどね、、、^^;
徐々に、上品さ、崇高さだけでは満足できないっていうか、偽善だっていう思いやら、常に新しいものを追い求めないと退屈しちゃうっていう人間(芸術家)の飽くなき姿勢から、あらゆるものがありって創作意欲、衝動から、卑猥なものであろうが何であろうがカンブリア紀のように「芸術は爆発だ!」ってなもんじゃなかろうかしら。。。^^; で、また、行きすぎたら、それに飽いて、懐古、回帰されるっていう循環を繰り返すような気もするな。^^

ヴィーナスの変遷^9

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前回の続きです。v

http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/Matriachy_Myth_Hyuga_Transformation_Venus.htm
「ロココ的楽園:ブランコ
逸楽・優雅・芳香→〈雅の宴〉fete galante
「男がこれほど粋で上品に見えたことはなかった。この時代では真理でさえ裸であるかずに、ちゃんと着物をつけて、いつでも才気をきらめかした」(フックス)180 

ポリフォニー:「うずくまる女と子供」(ピカソ)
スキンシップ(フィジカル・コンタクト)がある作品は、名作だ。197 

形態の発展(アンリ・フォション進化論)からヴィーナスの変貌を説明する。209 」

http://art.pro.tok2.com/R/Rococo/Rococo.htm
「ロココ 18世紀

マリー・アントワネットの時代である。フランス革命まで続く。17世紀末のベルサイユ宮殿に代表されるような豪華さはないが、貴族的な優美さがある。ロココスタイルはフランスを中心に、18世紀のヨーロッパへ広がって行った。 以前のように、真面目な美術ではなく、ちょっと薄っぺらで軽いのが特徴である。ロココという言葉はフランス語で、貝殻装飾(ロカイユ)からきている。政治的には安定期である。しかし、美術の世界では、少しだが、変化はある。
フランスはアカデミーの理論が力があったが、1704年のサロンでは、はじめて、風俗画が大量に登場している。歴史画が中心だったアカデミーに対する挑戦である。
18世紀は、歴史上の英雄や理想的な風景よりも、現実に目を向けるようになった。加えて、アカデミーの合理主義的な理論とともに、「感情」が重視されるようになる。19世紀のように価値の多様化はまだ、そう多くは見られないが、その礎は築かれつつあったのである。そうした、流れは、現実生活の変化にも由来する。ロココ装飾に表れた中国趣味、1738年に始まったヘルクラネウムの発掘、続くポンペイの発掘は、18世紀に生きる人々に、ヨーロッパ以外の世界、あるいは古代世界を、身近なものとしてとらえていく機会となった。社会の中心も貴族だけではなく、市民階級が台頭し、美術のパトロンとしても参加するようになる。
シャルダン、フラゴナールなどは、経済力をつけてきた市民の支持なしには活躍できなかった。
ルイ14世の長い治世の後、ルイ15世(在位1715-1774)の、再び長い治世が始まっていた。
ルイ15世は、王権に対して、さほどの絶対性はなかった。ルイ14世は王権を造り上げなくてはならなかったが、ルイ15世にとって、王権は、与えられたものだったからである。美術の分野ではアカデミーは、その権威を振るっていた。
画家は名誉が欲しければ、アカデミーに「歴史画家」として、入会することが、一番であった。上流市民が増え、歴史画家でなくても、注文が取れ、生活できた画家たちも、名誉が欲しくて、歴史画に挑戦した。シャルダン、グルーズ、フラゴナールがそうであった。風俗画、肖像画家として、人気があったのにもかかわらず、歴史画家になることを痛烈に望んだ。肖像画は、18世紀、「人間」に興味が向いていくのと同時に、そのレパートリーを広げていく。人間の性格や心理を表現するようになり、より自然で、親しみやすさが強調された。特に、17世紀にはほとんど見られなかった、子供の肖像画が増えたのは特徴的である。それまでは、子供は単に、身体の小さい「大人」だった。しかし、18世紀になると、ルソーに代表されるように、子供は「純粋無垢」の存在である、という考えが広がった。これは、今日まで継承されている思想である。」

http://www.artcyclopedia.com/artists/detail/Detail_fragonard_jean-honore.html
画像:上:The Swing
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-roc/h-fra/IPA-inb640.htm
画像:中:【ブランコ】 ジャン・オノレ・フラゴナール[フランス 1732-1806]

二枚の絵は微妙に違いますよね?
子犬は見当たらないし、、、左側の天使は下にはいないし、、、
どちらかが版画で少しアバウトになってるんでしょうか、、、^^;

http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/051008.htm
「ジャン=オノレ・フラゴナール作『ぶらんこ』は、18世紀中頃のフランスで絶賛された絵画。

緑濃い森の奥深く、太い枝に吊られたブランコで遊ぶ妙齢の貴婦人と、その足元でスカートを覗き込む若い男。木陰にはブランコを揺する老人が描かれます。 周りのキューピッドたちは戸惑いを見せたり、指を立てて合図を送ったりします。まるで見てはいけない、大人の恋の物語を覗いたかのような絵画です。
35歳のフラゴナールが描いた『ぶらんこ』は1767年、版画に刷られて出回るほどの評判でした。当時は後に「ロココ時代」と呼ばれる、愛と恋、エロスに彩られた時代。そして『ぶらんこ』の端々には、エロスのモチーフが溢れています。
フラゴナールは南仏出身ですが、幼少時からパリで暮らしていました。
絵の才能を発揮した彼は、人気画家・ブーシェのもとで修業を積みます。そして弱冠20歳で画家の登竜門であるローマ賞を受賞し、イタリアへ留学しました。帰国後フラゴナールは、堅固な構図と際立つ明暗法で古代ギリシャの物語を描き、美術アカデミーの準会員になりました。

18世紀のロココ時代、ファッションは華麗で繊細、贅沢な貴族趣味を反映していました。そして家に縛られてきた貴族の女性たちは、結婚と出産の後に、自由な恋愛を謳歌していたといいます。

『ぶらんこ』に描かれた若い2人は、注文主の男爵とその愛人。男爵からは揺らめくスカートの中が窺えます。
そして女性の足先から飛んでいるのは、踵のないミュール。履きやすくて脱ぎやすい靴に、恋愛を楽しむ女性の思惑が表れています。右隅の子犬は男性自身、男爵がひそむバラの花は女性自身の象徴。男女の仲を取り持つ天使、ブランコの空を舞う感覚など、モチーフには性的な意味がありました。画家の目の前にいるのは、それまでの道徳や常識の枠から遠く離れた貴族たち。その屈託のない自由な恋愛に接して、フラゴナールは性的なシンボルを明るく描き込みました。
さらにフラゴナールは『ぶらんこ』で、注文主の依頼とは異なる演出をしていました。それは貴婦人のブランコを揺する老人。この人物を司教として描くように男爵は依頼したといいますが、フラゴナールは貴婦人の夫に変えて描きました。奇妙な三角関係、貴族たちが繰り広げる滑稽な現実を、画家は皮肉を込めて描いたのかもしれません。

『ぶらんこ』により、フラゴナールは時代の寵児となりました。ポンパドール夫人らを中心に、ヴェルサイユ宮殿はロココ芸術で華やいでいました。しかし1776年、フラゴナールに予期せぬことが起こります。 ポンパドール夫人の亡き後、ルイ15世の愛人となったデュバリー夫人の依頼で、彼は連作『恋のなりゆき』を描きました。華やかさで繊細な曲線に飾られた、素晴らしい作品であります。
ところがこの作品は、デュバリー夫人に突き返されてしまったのです。恋の駆け引きにうつつを抜かす貴族たちを、フラゴナールはユーモラスに活写しました。デュバリー夫人は、彼の心の中に気付いてしまったのでしょうか。

『ぶらんこ』は1865年、ロンドンのウォレス・コレクションに収められます。ハートフォード侯爵家が5代に渡って集め、後に国家に寄付された、豪華絢爛なコレクションです。18世紀という貴族社会末期の文化、ロココ美術の棹尾を締めくくる名画『ぶらんこ』は軽やかで優雅、少しエロティックです。

そして軽薄な貴族社会を皮肉る、冷静な市民の目も隠されています。ジャン=オノレ・フラゴナール作『ぶらんこ』は、有り余る才能を繊細な絵筆に託し、ロココという時代を浮き彫りにした画家の洒脱なエロスである。 」

画像:下:閂<かんぬき>(1780年、ナショナルギャラリー (ロンドン)収蔵)
画像:最下:ヴィーナスの目覚め

わたしは軽薄と呼ばれかねない絵ってのも好きですね。^^
自分が軽薄なだけに(?)親しみやすい。。。フラゴナールさんには失礼ですか。。。Orz〜
描きたいものを描きたいから描いたのなら、如何様に解釈されようとも、フラゴナールさん自身は微動だにされないはずだとは思いますけどね、、、^^;

「うずくまる女と子供」(ピカソ) は、探せませんでした。。。^^; Orz〜

ポリフォニーに関して・・・以下のサイト(書評)を ^^
http://www.bk1.co.jp/product/22913/review/2445

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ヴィーナスの変遷^8

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前項の続きです。Orz〜

http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/Matriachy_Myth_Hyuga_Transformation_Venus.htm

「躍動とパッション:「聖テレサの法悦」カラヴァッジョ:167 
――聖母の絵も花の絵も同じ価値がある――ミケランジェル・メリジ・ダ・カラヴァッジョ(一五七三−一六一〇)は、マニエリスムの知的な気取りに対し意識的に反抗する態度をとったイタリアの画家だ。彼は果物、ジプシー女、聖母の中に同じものをみて描いた。
日向あき子『ヴィーナス変貌』(白水社、1982年)167

汚わいと禁忌のなかに聖なるものをみる→女性的な混交原理」

画像:聖テレジアの法悦 (The Ecstasy of Saint Therese)1645-1652年 | 383×225cm | 大理石 | 高さ:350cm

http://www.salvastyle.com/menu_baroque/bernini_l_therese.html

「サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア聖堂 コルナーロ礼拝堂
巨匠ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの、そしてバロック彫刻の最高傑作『聖テレジアの法悦』。16世紀スペインの神秘的思想家であり、シエナの聖カタリナ同様、最初の女性教会博士として聖列された聖女テレジアの奇蹟的な法悦(脱魂)体験を題材に制作された本作は、聖女が神に魂を触れられることによって浮かべる恍惚(エクスタシー)の刺激的な表情と、甘美かつ大胆な運動性を取り入れながら決して聖性を失わない彫刻の表現は、まさにバロック様式の美の到達点を示している。また本作の主題≪聖テレジアの法悦≫とは、聖女が幻の中に見た天使によって自身の心臓を火の矢を突き刺されるも、激しい痛みと共に神の愛撫による絶対的な恍惚を感じた脱魂体験を指すもので、17世紀に起こった対抗宗教改革期によく表現された主題である。」

よく理解できていないので余りコメントできませんが、、、Orz〜
ようは、神として崇め奉っていたヴィーナスが、より人間的な聖俗合わせ持った女性として表されるようになってきたってことですよね。だって、天上から、地上へと舞い降り、しかも、禁断のリンゴまで食べちゃったんだもんね。^^


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