アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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ヴィーナスの変遷^7

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久方ぶりに。。。「ヴィーナスの変貌」の続きです。Oez〜

http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~ssuzuki/ClassLecture/Matriachy_Myth_Hyuga_Transformation_Venus.htm

「エロスの迷宮化(前):「愛の寓意画」
マニエリスムス:
シェイクスピア「愛する女が誓っていう、「私は誠実そのものよ」と/私は彼女の裏切りをしっている/だがその言葉を信じるのだ」131 
→鋭い刃で傷を受けながら、なお微笑をたもとうとする者の顔

エロスの迷宮化(後):「ユディット」(クラナハ)+「狩をするディアナ」
ユディット、バテシバ、サロメ

ギャルソンヌ(1920-30年代に流行した「男の子っぽい女の子」)156 
両性具有
例 フォンテブロー派「狩をするディアナ」1550-60年」

図像:上:ハンス・メムリンク Hans Memling c1440-1494 <真実の愛の寓意の祭壇画>、1490年頃、左側はニューヨークのメトロポリタン・ミュージアムに、右側はロッテルダムのボイマンス美術館にそれぞれ分散保存されています。

http://blog.livedoor.jp/ikedesu/archives/50061835.html
「「愛の馬」とハンス・メムリンク<真実の愛の寓意>
・・・
凱旋の動物の中でも愛と結びついたのには、馬のイメージの中でも忠実さや生命力といった側面の存在が大きかったのでしょうが、「貞節」=「一角獣」のセットもあるので、愛にも二種類あることになります。「貞節」とはここでは、卑近な言い方をすれば「肉体的な愛」である「愛」に対する「精神的な愛」を意味し、つまりは「俗なる」愛に対する「聖なる」愛をうけもっています。プラトニックな聖愛に、処女(=貞節)にしかなつかない一角獣が自然な流れで対応したので、もっぱら馬が俗愛をうけもつようになったのでしょう。

おもしろい作例があります。ハンス・メムリンクの小型祭壇画で、左翼には穏やかで幸せそうな表情をした、うら若き女性が描かれています。彼女はカーネーションを持っているので、おそらく婚約したばかりの処女であろうと想像できます。右翼には茶と白の二頭の馬がいます。茶色の馬がまっすぐ女性の方を見ている一方で、白い馬は女性に見向きもせず小川の水を飲んでいます。
寓意に満ちたメムリンクによる作品ですから、ただ二頭の馬だけ意味もなく描くはずもなく、白い馬の方は目の前にある直接的な欲求(水)に屈していて、茶色の馬の方はそれに惑わされずに精神的な愛をささげる対象(女性)の方を見ていることで、前者を「一般的な愛」として、そして後者を「プラトニックな愛」として描いているのだろうと考えられます。白馬の背に乗っているのが動物的な欲求をしばしば代表する猿であることからも裏付けられます。もちろん、これ以外の面白い見方もあるかもしれません。
凱旋図像で一角獣と馬が分担する役割とほぼ同じものをここでは白と茶色の馬が分担していることがわかります。普通は白の方がプラトニックに相応しいような気がしますが、茶色がその役割を果たしているのは興味深いですね。」

画像:中:Vanity

http://blog.livedoor.jp/rsketch/archives/cat_400129.html

「メムリンクの馬が気になって、Web Gallery of Artをみていたら、こんな作品を発見しました。
<Vanity>という作品です。ここでは、馬ではなくてグレーハウンドという猟犬が右側にいるのですが、やはり2頭がペアになっているところ、しかも白と茶の2頭というところに共通点がみられて興味深いです。(もしかしたら、この2頭は夫婦という解釈もありかも・・・?)
この作品は、このように3連祭壇画の中央パネルになっているとのことで、<真実の愛の寓意>とはサイズも微妙に違うのですが、こうやって3連祭壇画として見ていなかったら、この作品が<真実の愛の寓意>の中央パネルなのでは?と思ったかもしれません・・・。
というのは、照応関係が多く見られると思うのです。

<真実の愛の寓意> 白と茶のペアの馬 : <Vanity>  白と茶のペアの犬
<真実の愛の寓意> 着衣の乙女 : <Vanity>  裸婦の乙女
<真実の愛の寓意> 赤いカーネーションをもつ乙女 : <Vanity>  鏡を持つ乙女

<Vanity>・・・虚栄とされる作品だけど、鏡をもった裸婦を<真実>と解釈することもできるのでは・・・?
もっといってしまうと、<真実の愛の寓意>は地上の愛、<Vanity>は天上の愛と考えることもできるのでは・・・?うーん、制作年代も近そうだし、気になって仕方がありません。」

画像:下:ホロフェルネスの首を斬るユディト 1595-1596年頃(Santa Caterina d'Alessamdria)
145×195cm | 油彩・画布 | ローマ国立美術館

http://www.salvastyle.com/menu_baroque/caravaggio.html
「人間の暴力性と残虐性がよく示される傑作『ホロフェルネスの首を斬るユディト』。カラヴァッジョ自身の持つ暴力性と残虐性によって表現される本作は、軍を率いてベツリアの街を侵攻する将軍ホロフェルネスを殺害するため、美しい未亡人であったユディットが将軍ホロフェルネスに近づき、泥酔したところを剣で斬首する架空の物語≪ホロフェルネスの首を斬るユディト≫を典拠として描かれており、その類稀な暴力性と残虐性によって、17世紀に活躍した女流画家アルテミジア・ジェンティレスキなど、幾多の画家に多大な影響とインスピレーションを与えた。
・・・
【斬首され、絶命する将軍ホロフェルネス】
斬首され、絶命する将軍ホロフェルネス。斬首される将軍ホロフェルネスの断末魔を思わせる表情は、非常に緻密かつ写実的に描かれており、この暴力的な写実性から、後にカラヴァッジョは実際に人を殺害したと噂が立った。」

画像:最下:ディアナの水浴(狩りをするディアナ)(Il bagno Diana (Caccia di Diana)) 1616-1617年 225×320cm | 油彩・画布 | ボルケーゼ美術館(ローマ)

http://www.salvastyle.com/menu_baroque/domenichino_diana.html

「17世紀ボローニャ派を代表する画家ドメニキーノの神話画『ディアナの水浴(狩りをするディアナ)』。本来アルドブランディーニ枢機卿がティツィアーノが手がけたバッカナーレの続編として画家に注文するも、シピオーネ・ボルケーゼ枢機卿が強引に自分のものにしたという逸話も残されている本作に描かれるのは、ローマ神話からユピテルと巨人族の娘レトとの間に生まれた双子のひとり(もう一方は太陽神アポロ)で、多産や狩猟を象徴する地母神であり、純潔の象徴でもある女神≪ディアナ(ギリシア神話ではアルテミスと同一視される)≫の狩りの場面で、ドメニキーノ特有な温和で古典的な雰囲気の中に描かれる、輝くような肌の質感や官能性を含んだ女神やニンフらの表現が秀逸で、特に画面下部で水浴するニンフの甘美な眼差しや肢体などに代表される各箇所の濃密な表現や、風景画を思わせる森林や遠景の穏やかな表現は盛期ルネサンスの名画にも引けを取らない白眉の出来栄えである。本作に描かれる女神≪ディアナ≫は兄アポロと同じく狩りの名手として知られており、その手には弓と矢筒が、そしてディアナは月の女神でもあることから頭上には三日月が描かれている。
・・・
【弓を射るディアナの従者ニンフたち】
弓を射るディアナの従者ニンフたち。本作に描かれるのは、ローマ神話からユピテルと巨人族の娘レトとの間に生まれた双子のひとり(もう一方は太陽神アポロ)で、多産や狩猟を象徴する地母神であり、純潔の象徴でもある女神≪ディアナ(ギリシア神話ではアルテミスと同一視される)≫の狩りの場面である。
【水浴するニンフの官能的な視線】
水浴するニンフの官能的な視線。ドメニキーノ特有な温和で古典的な雰囲気の中に描かれる、輝くような肌の質感や官能性を含んだ女神やニンフらの表現が秀逸で、特に画面下部で水浴するニンフの甘美な眼差しや肢体などに代表される各箇所の濃密な表現は白眉の出来栄えである。」

画像:風景の中のヴィーナス(Venus in einer Landschaft)1529年 38×29cm | Oil on panel | Musee du Louvre, Paris

http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/cranach.html

「ルーヴル美術館が所蔵するクラナハ作品の中でも特に有名な作品のひとつ『風景の中のヴィーナス』。このイタリア・ルネサンスから学んだエロティックに表現される裸婦像を描く口実としてクラナハは、神話に基づく題材、とりわけヴィーナス、ヴィーナスとキューピッド、バリスの審判、クルレティアなどの主題で描いており、本作のその典型作と呼べる。・・・
【透ける布服と美しい肌の質感】
より官能的な印象を与えるヴィーナスが纏う透ける布服と美しい肌の質感。クラナハはイタリア・ルネサンスから学んだ官能性の影響が如実に表れる裸婦像を神々の姿を用いて描いた。」

To be continued...

エル・グレコ

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彼の絵も一度観たら忘れられないクセのあるものですよね。わたしは倉敷の大原美術館で観た「受胎告知」を覚えてます。宗教画が多いのはその当時はそうなんでしょうね。

http://www.salvastyle.com/menu_mannierism/elgreco.html
画像:上:聖母被昇天(Asuncion) 1577-1579年 401×229cm | Oil on canvas | シカゴ美術研究所

「エル・グレコ作『聖母被昇天』。現在、シカゴ美術研究所の下で調査・研究がおこなわれている本作の主題は、聖母の死後、一度は魂が天に召された後、地上に復活を遂げた聖母マリアの肉体と魂が再び天上へと還る場面を描く≪聖母被昇天≫で、エル・グレコ作品の代表的な主題でもある。聖母マリアの姿は伝統的な朱色と紺色の衣服であるが、エル・グレコ独特の輝くような青色が、画面上方の天上の光に包まれた背景や天使たちとと重なり、より一層の存在感を示している。画面下部では聖ヨハネや聖ペテロなどイエスの弟子(使徒)達が、聖母の棺を囲む中、昇天してゆく聖母を目撃する場面が描かれた。またスペインは聖母信仰が盛んである為、エル・グレコを始めとするスペインで活躍した多くの画家は、聖母を主題とした作品を残している。

【昇天してゆく聖母マリアの姿】
昇天してゆく聖母マリアの姿。誇大表現とも捉えられかねない劇的な人体表現を駆使し、手がけられたこの≪聖母被昇天≫は、エル・グレコの最も得意とする主題のひとつでもあった。また聖母マリアが上弦の月に乗っていることにも注目したい。

【昇天する聖母を見上げる聖ペテロ】
天に昇ってゆく聖母を見上げる聖ペテロ。本作は≪聖三位一体≫と同様、トレドのサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂のために制作された作品で、この連作はスペインへ渡ったエル・グレコにとって、最も大きな仕事であったと研究されている。」

彼の絵のブルーって、、、これは「輝く様」なブルーなんでしょうが、、、どっちかって言うと暗澹たるブルー、不安なくすんだブルーが多いような気が。。。^^;

画像:中:聖霊降臨 (Pentecostes) 1605-1610年頃
275×127cm | 油彩・画布 | プラド美術館(マドリッド)
エル・グレコが1600年代当初に手がけた宗教画作品の代表的作例のひとつ『聖霊降臨』。確証はないものの、ドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院礼拝堂の大祭壇画衝立の一部であったとも推測されている本作に描かれるのは、神の子イエスの昇天から10日の後(イエスの復活から50日目)、五句節の日に聖母マリアや使徒らが集まる家へ嵐のような大きな音が鳴り響き、各々の頭上へ舌の如き炎が灯り、一同を聖霊で満たし、永久に神の子イエスの弟子であることを示すと共に、布教のために異国の言語を話す能力を授かった奇跡的な逸話≪聖霊降臨≫で、エル・グレコの最も大きな特徴である引き伸ばされた人体構造や、強烈な色彩描写による眩い光の表現が顕著に表れている。教会の誕生を意味する本作の主題でエル・グレコは、書く人物に劇的な驚きを感じさせつつ、非常に神秘的な場面表現を用いることで、品格性を欠いた俗作に陥ることなく、≪聖霊降臨≫の感動の一瞬と深い聖性が見事に捉えられている。なお同サイズで半円形アーチの額縁処理がなされている点などから同美術館が所蔵する『キリストの復活』の対画であったと考えられている。

関連:対画『キリストの復活』

「【天上より降臨し一同を満たす聖霊】
天上より降臨し一同を満たす聖霊。確証はないものの、ドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院礼拝堂の大祭壇画衝立の一部であったとも推測されている本作は、エル・グレコの最も大きな特徴である引き伸ばされた人体構造や、強烈な色彩描写による眩い光の表現が顕著に表れている。

【異国の言語を話す能力を授かる聖母ら】
永久に神の子イエスの弟子であることを示すと共に、布教のために異国の言語を話す能力を授かる聖母マリアと諸聖人。教会の誕生を意味する本作の主題でエル・グレコは、書く人物に劇的な驚きを感じさせつつ、非常に神秘的な場面表現を用いることで、品格性を欠いた俗作に陥ることなく、≪聖霊降臨≫の感動の一瞬と深い聖性が見事に捉えられている。」

マリアの着衣は赤と青らしいね。青は光で輝いている。青は聖なる色?

画像:下:悔悛する聖ペテロ (San Pedro penitente) 1585-1590年 
106×88cm | 油彩・画布 | ボウズ美術館

「エル・グレコの代表的な聖人画のひとつで、キリスト十二使徒の一人、聖ペテロ(聖ペトロとも呼ばれる)を描く『悔悛する聖ペテロ』。本作の登場人物である聖ペテロは、本名をシモンするガラリヤの漁夫であったが、イエスの召命により、実弟アンデレと共に最初の弟子となった人物。≪ペテロ≫とは岩を意味し、キリスト教の礎を築く存在としてイエスより十二使徒の長(筆頭)に使命された。またイエス昇天後は、カトリック教会初代教皇に就き、福音の布教に尽力をしたが、ローマでネロ帝により迫害を受け殉教した。新約聖書には≪ペテロとアンデレの召命≫、≪鍵を与えられる聖ペテロ≫、≪足洗≫、≪聖ペテロの否定≫など彼が登場する逸話も多く、キリスト十二使徒の中でも、特に重要視される人物であった。

【天上を見上げ、祈りを捧げる聖ペテロ】
天上を見上げ、祈りを捧げる聖ペテロ。エル・グレコはスペインでの活動で6点ほど≪聖ペテロ≫を題材に作品を描いたとされるが、本作はその最も初期のバージョン。当時の画家制作による聖人画の大きな特徴である、潤む上目が良く表現されている。

【幻影として描かれるマグダラのマリア】
幻影として描かれた天使とマグダラのマリア。祈る聖ペテロの背後には、天使によってキリストの復活を告げられたマグダラのマリアが、イエスの墓を後にする場面が描かれている。」

この絵を観て救われた人がいるって、、、

http://form.allabout.co.jp/1/202187/1/product/202187_3.htm
「サム・フランシスの絵には、どこか東洋の美意識が息づいているといわれる。見る人に『自分が絵のなかに入っていけそうな感覚』を与えるのだ。それは美しい色彩と余白をいかした作風に理由があるのかもしれない。
1923年カリフォルニア州にうまれた彼は、カリフォルニア大学バークレー校で植物学を専攻する。後期課程では医学、心理学、東洋哲学、禅仏教を専攻し、ここで得た知識が作品に色濃く反映されるきっかけとなった。1943年には兵役のため休学。空軍パイロットを志願し、700時間もの飛行時間を経験する。

これまでの彼の経歴は颯爽たるもので、将来も明るいものだったに違いない。だが翌年、サム・フランシスはテスト飛行中の緊急着陸時に脊髄を負傷する。その傷が原因となり脊髄カリエス(結核)という病に蝕まれることになった。病院では1年間、ギプスで体を固定されたまま過ごさなくてはならず、大の読書好きの彼も退屈な日々を送っていた。
その退屈を紛らわせるために与えられたのが、水彩絵具。こうして彼は21歳にしてはじめて、絵を描くという経験をすることになる。そして、3年後には抽象画を描くまでに腕を磨いた。

彼が本格的に絵の世界にのめり込んだのは、カリフォルニア美術学校の教師、デイヴィット・パークが画商から本物の絵画を借りてきて病室で見せたことが大きい。クレーやミロ、ピカソなど巨匠たちの絵画は本物だけが持つ、圧倒的な存在感で彼を魅了した。パークはその後、サムを車椅子に乗せて美術館へと連れて行く。その先で出会った絵が彼の人生を変えることになる。

それはエル・グレコの『聖ペテロ』。
サム自身「もし絵がなかったら、たぶん自分は死んでいたことだろう。エル・グレコの絵が自分の人生を変えてくれた」と語るほどに、絵画の魅力に目覚めた彼は、1947年には退院できるまでに病状も回復し、幼なじみと結婚。当時もっとも芸術が盛んだったパリへの留学を決意する。・・・
その後は新しい表現手法を模索しつつ、ニューヨーク、東京、メキシコを旅しながら作品を発表。中堅作家としての地位を築いていった。

1959年、ニューヨークで彼は自分の作品のコレクターとなる石油事業で知られる実業家、出光氏と出会う。出光氏はサム独特の白の質感や筆の勢い、飛沫に東洋の美を感じ取り、生涯のスポンサーとなる。現在、出光美術館に300点ものサム・フランシスのコレクションがあるのは、この出会いが契機になっている。

この年、彼は2度目の結婚をする。相手は日本人女性。日本とパリ、ベルリンを行き来する生活は過労となり、腎臓結核を患ってしまう。この入院期間を含む4年間に彼が描いたのは『ブルーボール』と呼ばれるシリーズ。『ブルーボール』とは男性の欲求不満を意味するスラングでもあり、サム自身もこのネーミングを納得したのには理由がある。体調の不振、ニューヨークでの評価の低さ、作家として思うようにならないことへのジレンマが絵となって表現されていたのだ。」

そうだよね、「ブルー」って沈欝な気分をも表す色ですよね。。。多分同じブルーでもブロードスペクトラムで、天上の突き抜けるようなブルーから、地に這いつくばって蠢きもがいてるような、、、深い海のような底なしの不安、孤独を感じさせるダークブルーまで・・・

画像:最下「無題」1983年〜2001年  シルクスクリーン
102×102cm  ed. HC 10 / 15

「ドローイングと見間違えそうなインクの溜まり、飛沫。ポロックを髣髴とさせるドリッピングの技法の冴えは、アメリカ抽象表現主義独自のものだ。だが日本の書の筆勢にも通じ、画面からはみ出しそうな躍動感が空間を一変する。」

オディロン・ルドン

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孫引きで辿り着きました。^^v

画像:「The Birth of Venus」 La naissance de Venus(c. 1912) ヴィーナスの誕生 MOMA美術館

大きい画像が探せませんでした。。。Orz〜

http://maki-style.arekao.jp/entry-9b4e6bcffff0e4592450465a268555a5.html
「印象派の画家たちと、同じ世代のルドンは、フランスで活躍したんだけどね。なかなか認められないっていう一人じゃない?

おなじく象徴主義のギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826-1898)のほうが先だけど、同じ時代に作品を描いている。

ルドンもモローもそうだけど、聖書や神話を題材にしているよね。

なんか、一歩間違えれば「野暮」な作品っていうのが二人の共通点だよ。ルドンのこのヴィーナスの誕生は、結構イカシタ作品だけど、ルドンの他のヴィーナスときたら、スポーツ選手の肉体かと思えてしまう。

モローも、美しいじゃんという作品もあるけれど、サロメやエボーシュなんかの特徴ある作品も多いし。

二人の共通する題材は、このヴィーナスの誕生のほかに、ガラテアやオルフェウス、レダと白鳥(たしか・・・)なんぞもある。」


http://www2.plala.or.jp/Donna/redon.htm
「ルドンは母に捨てられた子供だった。兄を偏愛していた彼の母親は生まれてすぐにルドンをペイルルバード・・・彼の心の故郷・・・へと里子に出し、彼は幼少期をそこで独りぼっちで過ごしたのである。荒涼とした風景の広がるその場所で、母に捨てられたという現実から目をそらし、自らの内部へとその視線を向けたルドンは、心の中に潜む闇・醜悪・幻想に小さな頃から気付いていた。

 15の時から生地ボルドーの画家・ゴランに自由に描くことを教えられたルドンは、そののち高名なジェロームのアトリエに入っても、そのアカデミズムになじむことができず、すぐに飛び出してしまう。彼はほとんど自分の世界の中だけで絵を描き続けた。

はじめルドンは自らが「最も本質的な色だ」と述べている黒・・・木炭やリトグラフといったモノクロームの世界に生きていた。それが一転パステルの艶やかな世界に変わったのは、結婚の年(1880年)、初めてパステルの作品を描いてからのことである。それまで自分の、自分だけの世界に生きていたルドンにとって、「帰る場所がある」ということが、心の転機になったのかもしれない。翌年に開かれた個展で、まず若い画家や文学者からの注目を受けるようになる。

 初期のモノクロの世界でも、フロベール「アントワーヌの誘惑」の挿絵など、数多くの文学によせる作品を描いているが、恐ろしいほどに彼の翼は自由にはばたく。エヌキャンは「ボードレールと同様、ルドン氏は、 新たなる戦慄を創造したというすばらしい賞賛に値する」との賞賛を贈っている。
 彼やユイスマンス、マラルメといった文学者が、彼の才能に早くから注目していたのは、お互いに刺激しあう、同じ世界に住む異なった表現手段を持つ理解者だったからであろう。

 周りとの関係をなかなか確立できなかったルドンは、学校でも家でも、自分の中に閉じこもることでかろうじて生きていた。自分自身の想像で、孤独な心を培わなければ生きていけなかった。枯渇した心は、想像という自ら作り出した養分なしには、その存在さえ保つことが出来ないのである。
 この想像の翼は絵という表現の場を得て、ようやく外へ飛び出すことが出来た。彼の手を通して現れる有形無形の色の奔流は、彼の心の世界に見える紛れもない現実の風景なのだ。

 彼の絵はパステルが多用される(もちろん油絵も多く残されているが)。鮮やかで繊細な色の粒子、画面につつましく煌く上質なビロードのような効果、重なり合う色の饗宴、そして衝撃的な隣り合う色と色の生み出す魔力。線と色のつぶやきがかさねられて創り上げられた不意の一撃は、いとも簡単に楯を破り、見るものの心に一瞬で優しいダメージを与える。そしてその傷口から甘美な色彩の奔流が流れ込んでくる。それは、避けようとして避けられるものではないのだ。それはまるで水滴に輝く白い蜘蛛の巣に引き寄せられるかのように、私たちを誘惑し痺れさせる。イソップの「北風と太陽」のように、私たちの心の扉を開くのは「力」ばかりではない。

 彼が49の時に授かった次男のアリは(長男は幼い頃に亡くなっている)、初めて手に抱いて感じ得る自分の「血」でもあった。晩年の彼の支えであり、息子を何枚もの絵に残している。過去の自分が重なるのか、多くのアリの肖像では、その目は焦点を合わすことなくぼんやりと描かれている。

 晩年、画家として大きな成功をおさめたルドンは、世界大戦の前線にいるこの最愛の息子の消息を訪ね歩くうちに身体をこわし、カミーユ夫人にみとられて76歳の人生を閉じた。


 ルドンの作品に現れる目は、いつも宙をうつろっている。彼の描く目が閉じていることさえ多いのは、その目が外界ではなく、自分の内部に、心に、向けられているからなのであろう。
 そう、ルドンの絵は、いつも謎かけである。
 そしていつも答えは出ずに、私は自分の中に迷い込むのである。両目を閉じ、心を解き放って・・・。」

画像:中:「イエスのみこころ」1895

「目を閉じたイエスは、人間の悲しい部分を知っている。見ていられなくなり、目を伏せている。
人の痛みのわかるものには、人の残酷さもわかるのだろう。痛みのわからないものは、自分の残酷さに気付くこともない。ルドンは傷ついた心に自分が侵されないように、その目を内面へ向けた。
閉じた目は心の内面へと向かう。」

画像:「青い花瓶のアネモネとリラ」1912以降

「ルドンの目から入った花の姿は、彼の手から再生されるとき、既にただの静物ではなくなっている。
まるで媚態をつく生物のように、花は自ら意識を持って香り立つ。妖艶な花の魔力に、思わず心奪われる。」

なんだか素敵だ。。。☆☆☆

ギュスターヴ・モロー

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%BC
「ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826年4月6日 - 1898年4月18日)は19世紀に活動した、フランスの象徴主義の画家である。パリに生まれパリで亡くなった。聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られる。

印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描いた画家であった。彼の作品は19世紀末のいわゆる「世紀末」の画家や文学者に多大な影響を与え、象徴主義の先駆者とされている。

1826年、パリに生まれた。1846年、エコール・デ・ボザール(官立美術学校)に入学。かたわら、ロマン派の画家テオドール・シャセリオに指導を受けていた。ロマン派の旗手ウジェーヌ・ドラクロワのアトリエにも出入りし、影響を受けている。ローマ賞を逃すものの1857年9月、私費でローマに留学。留学中の書簡集はフランスで発行されている。(Louisa Capodieci, Gustave Moreau Correspondance d’Italie, Somogy ヅitions d’Art, 2002)

1864年、サロン(官展)に出品した『オイディプスとスフィンクス』は、スフィンクスを若い女の姿で描き、伝統的な物語を「男」と「女」の葛藤として描き出した作品で、当時の保守的なサロンでは物議をかもした。その後、モローは次第にサロンから遠ざかり、パリのラ・ロシュフーコー街の屋敷に閉じこもって黙々と制作を続けた。彼が1852年から終生過ごしたこの館は、遺言により「ギュスターヴ・モロー美術館」として公開されている。

1892年、モローはエコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授となった。モローの指導方針は、弟子たちの才能を自由に伸ばすことであった。エコール・デ・ボザールのモローの元からはマティスとルオーという2人の巨匠が生まれている。」

http://art.pro.tok2.com/M/Moreau/Moreau.htm

「Gustave Moreau ( 1826-98) フランス 象徴主義

モローは両親に恵まれている。父親は建築家であった。当時の建築家は芸術家に近く、実際、父親は芸術に深い理解があった。母親も、モローが、新作の内容を相談できるほど聡明であった。
1864年、パリのサロンにオイディプスとスフィンクスを出品し、有名になる。1892年、美術学校の教授となる。自己の独創的美学を押し付けることなく、過去の巨匠に学び、個性を伸ばしていくよう指導した。
のちにフォービズムを打ち立て、絵画の世界に革命を起こす、マティス、ルオー、マルケなどを育てた。
美術史では、世紀末の象徴主義の先駆けとして位置付けられる。遺言によってパリの邸宅とそこに残された数多くの作品が国家に寄贈され、ギュスターヴ・モロー美術館となっている。

http://remove.jugem.jp/?eid=98
「ボッティチェリ(Sandro Botticelli 1444/1445年 - 1510年)が19世紀末に再評価されるまで、「秘蔵の画家」だったというところがあるが、ダ・ヴィンチ、あるいはマネのように、礼賛され、模写されるような画家ではない。

ボッティチェリに傾倒したとか、模写したとかという話がないからだ。また、対抗して同じ題材で描いたという話も聞かない。

だが、ギュスターヴ・モロー(1826-1898年)は、ボッティチェリが再評価された時代の寵児である。それで、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を 模写したのだろうか。

モローが彼に傾倒したという話も聞かない。画家テオドール・シャセリオに指導を受け、ウジェーヌ・ドラクロワに影響を受けたという。モローはボッティチェリに限らず、カルパッチオをはじめ、随分と「模写」もある。そのモローの模写のなかでは、一番「不味い」模写が「ヴィーナスの誕生」だ。

モローは、模写の年に、ローマに滞在していたわけである。

ボッティチェリの「春」、「ヴィーナスの誕生」には、想像と幻想の世界がある。モローと共通しているはずだ。1870年のギュスターヴ・モロー 「アフロディテ」は、モローという独特の作風から距離をおいた作品。」

http://remove.jugem.jp/?eid=91
「古代の詩人ヘシオドスが、「仕事と日(日々)」で、『人間はかつて黄金時代を楽しんだが、やがては銀の時代(神ゼウス背き、ほろぼされる)、青銅の時代(青銅器を使って互いに殺し合う時代)と退化し、今の人間は忌まわしい鉄の時代(どの時代よりも劣悪)を生きている』と説いたよね。それが、モローの作品タイトルになっているのではないか?

ほら、このヘシオドスの教訓叙事詩「仕事と日」に「パンドラの箱」があったじゃないか。神ゼウスの正義を心棒することが正しく生きることで、背いた罰として人間に与えられた災厄が、パンドラという女性。

ヘシオドスは、このパンドラが箱を開いてから、「五時代説」を説いている。モローの描いた作品に、ヘシオドス自身が「銀の時代」として登場しているが、ヘシオドスは、青銅と鉄の間に英雄の時代をはめ込んで五つの時代区分にしている。また、ヘシオドス自身が生きた時代を「鉄の時代」として、教訓叙事詩「仕事と日」を書いている。


このヘシオドスは、モローの「ヘシオドスとムーサ(詩神)」というタイトルの作品で、詩人の誉れを象徴する月桂冠をかぶり、竪琴を手にした姿の後ろに、ムーサが描かれている。「銀の時代・朝・インスピレーション」は、「ヘシオドスとミューズ」にも描かれているように、神々や精霊の宿りと恵みを表現しているのではないか。


ギュスターブ・モロー ガラテア 記事から引用
ギュスターブ・モロー は、「目に見えるものや触れられるものは信じない。心に感じるものだけを信じます。」と言っています。
そのとおりで、モローの描く女性は、神話や物語の女性ばかりである。つまり、神話や物語の女性の裸婦を描くが、実際の女性を描いた作品は、裸婦はない。耽美としないのは、そこが所以であろう。ホイッスラー/(ちなみにホイッスラー 版画、印象派的作品)なんかと、そのへんが違うね。

このモローの、「目に見えるものや触れられるものは信じない。」をひっくり返せば、「見えないもの、本当かどうかわからないものをえがく」ということでもあり、ヘシオドスも、口承でのみ伝わっていた神話や神々を叙事詩にしているわけだ。

さて、オルフェウス(オルフェ)は、ギリシャ神話に登場する詩人で、密儀オルペウス教の始祖ともされている。ホメロス著の古代ギリシア叙事詩「オデュッセイア」、古典ギリシャのアポローニオス・ロディオスの叙事詩、「アルゴナウティカ」に登場し、イアソン率いるアルゴ船探検隊(アルゴナウタイ)で、魔物セイレーンや、死んだ妻を蘇らせるために冥界の番犬ケルベロスなどに、「竪琴」を弾き、魅了させて突破していく。

妻を蘇らせるための、「冥界から抜け出すまでの間、決して後ろを振り返ってはならない」という約束を破り、最後の別れとなったが、このことで、女性との愛を絶ち、オルペウス教をひろめる。これが、トラキアの女たちの怒りをよび、八つ裂きにして殺されるのだ。この殺されたオルフェウス(オルフェ)を、モローは「オルフェウス(の首を運ぶトラキアの娘)」という作品にしている。

ここでは、「ヘシオドスとムーサ」ではなく、詩神ムーサの一人であるカリオペの息子で、竪琴の名手の吟遊詩人オルフェウス(オルフェ)とヘシオドスを描いている。

鉄の時代
鉄の時代では、アダムとイヴの子供達であるカインがタイトルになっている。ヤハウェにより、追放されたアダムは、ヤハウェから、勤労することで食べ物を得られるという義務をいい渡され、その子カインも、畑仕事が日課となる。カインは、ヤハウェの捧げものに、額に汗をかきながらつくった「地の作物」をささげ、弟のアベルは「子羊」をささげた。ヤハウェは、「正しい」か「正しくない」かを、その捧げものから判断したのだ。つまり罪を覆うために血を流さなけえればならない「子羊」を献上した弟アベルを「正しい」と見抜き、人間の力と知恵をもちいた作物を「正しくない」としたわけだ。そうして、史上初の殺人が起こる。カインは弟アベルを殺すのだった。

そして、最上部の半円形に描かれているキリストは、血を流しているんだ。

これは、罪を解決する「血を流す」という神の教えらしい。イエス・キリストの十字架はまさしくそのためで、人々の罪はイエスの血によって覆われたということなのだ。」

画像:ギュスターヴ・モロー『アフロディテ』 1870年頃 
「モローは神話を題材に沢山の作品を描いているが、ヴィーナスをテーマにしたことはほとんどなかった。モローの人物には中性的イメージが強いが、このヴィーナスは彼の作品にしては女性的な感じがするような気がする。そういった意味でもモロー作品としては、異色作と言えよう。」

たぶん「サロメ」は見たことがあると思います。
目に見えないものしか描かないといったモローも「愛」、「エロス」で想像したのはこういうことなんだ。男なら健全、普遍的。^^v

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孫引きみたいに見つけました。^^v

画像:ウィリアム・ブーグロー『ヴィーナスの誕生』(1879年)。油絵。オルセー美術館所蔵

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%8C%E3%82%B9

「ウェヌス (Venus 『魅力』の意) はローマ神話の女神。本来は囲まれた菜園を司る神。

日本語では英語読みヴィーナス(ビーナス)で親しまれる。

後にギリシア神話におけるアプロディテと同一視され、美と愛の女神と考えられるようになった。一般には半裸或いは全裸の美女の姿で表される。 ウェヌスは固有の神話が残っておらず、ローマ神話でウェヌスに帰せられる神話は本来アプロディテのものである。

ガイウス・ユリウス・カエサルの属するユリア氏族はウェヌスを祖神としている。 そのためカエサルは、彼女を祀る為の壮麗な神殿を奉献したという。 また、カエサルの祖神として軍神ともされた。

ギリシアではアプロディテが金星を司るとされ、それに影響を受けてラテン語でも金星をウェヌスと呼ぶ。ヨーロッパ諸語で金星をウェヌスに相当する名で呼ぶのはこのためである。

ウェヌス(ヴィーナス)は、女性の美しさを表現する際のたとえとして用いられる。また近世以降、女性の名に使われるようにもなった。」

この方はおもしろそうな人ですね。。。v

http://www.abaxjp.com/bouguereau/bouguereau.html
「≪ アドルフ-ウィリアム ブグロー の甘美な絵画 ≫

『 見るのがチョット恥ずかしい芸術絵画 (1) 』

Adolphe-William Bouguereau 1825〜1905

■  ウィリアム・ブーグロー(ブグロー)は、1884年フランス美術アカデミー会長になり印象派の画家達(セザンヌ、ルノワール等)を、サロン出品から落選させていた人物である。印象派愛好家を基準にすれば、独善的な非情の極悪人なのであるが、、、、

古典を尊重し理想を求めて、熟練した高度なテクニックを有し、かつ19世紀後半のフランス美術界で強烈な権力を握っていた、”エライ人”なのだが、、、、、、、、、、

古代神話の主題から風俗画に至るまで美の極致と言えるほど、甘美で精緻な技術を駆使し、親近感を覚えてしまう現世的な美しい顔立ちで表現、長年古典鑑賞で見慣れている為、安心できる構図、、と

芸術に触れて生活している者には、突然の出会いにハッと驚く作品群どれをとっても手抜きの無い精緻さ、制作姿勢の真摯さが感じとれる。

なのに、、少し恥ずかしくなる。
あまりの甘美さゆえに、通俗的なのではと、自戒の思いが恥ずかしさを刺激する。」

画像:<ニンフ達> 1872年 (California, Haggin Museum) 144.8 x 209.5 cm

「正に絵の中の世界でのみ可能、、
こういう絵を描いている時の画家の心境はどうなんだろうか?
裸体ばかりこれだけも、リアリティに描き続けて、、ずっと真剣に冷静にいられるのだろうか、、」

  :<エロスの誘惑に抗する娘> 1880年 (North Carolina Museum of Art) 160.8 x 114 cm

「この程度なら芸術的!愛に対して恥じらいを感じる若き乙女の魅力が健康的に伝わってくる。
矢を持つキューピッドの陽気ないたづらっぽさ、、魅力的な絵である。」

彼の絵は誰かの絵に似てるし、、、でも、、、描きたいものを描いたはずなんだ。
通俗的なものと芸術的なものと区別できるというか、する必要ってあるのだろうかしら。。。^^;
余りに形而下的な、扇情的すぎる(劣情を催す)ものは鑑賞に耐えないのかもしれないけれど、、、でもその線引きって誰がするんだろ?みる人の自由な権利だよね?表現の自由といわゆる公序良俗に反することとのせめぎあい。。。公私の区別(禁煙と喫煙にも似た)、、、なかなか難しいことがらかもしれない・・・^^;


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