アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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硫黄島からの手紙

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やっと観てきました。お腹の調子が悪かったけど、途中でトイレに行くのも惜しんで最後まで観ました。「父親たちの星条旗」と対の映画です。双方国体の違いはあっても、必死、最善を尽くして戦ったことはよく分かりました。渡辺謙扮する栗林忠道陸軍中将いればこそ、踏ん張れたことも分かったし、伊原剛志扮するバロン西(西竹一陸軍中佐)のようなフューマニティ溢れる軍人もいたことも分かったし、双方とも非人間的な行為が行われたことも想像できたし、素晴らしい戦争映画だと思いました。人間同士が戦う(相手の命を奪う、自分の命が奪われるという意味では相互の自己防衛としての戦いだから正当化されるのか?)という、戦争の不条理さ、それが分かっていても上の命令には従わざるを得ない悲しさ、空しさ。自分は戦いたくなくても、強制的に駒のように送り込まれ、逃亡すれば銃殺されても仕方ないという恐怖。北の国境守備兵は集団で逃亡したけれど、、、今からみると、それが正義だと信じ込んでしまっている(洗脳されてしまっている)人間の危うさ、脆さ。それら全てが目の前で繰り広げられる戦場という現実。その中でも、正常さ、精神のバランスを失わない人間の強さ。自分がその時そこにいたらどう振る舞えるか、自問自答したとき、人間として普遍的な人間的行為が果たしてできうるかまったく自信ない。死ねと言われて死ねるか、友のために一緒につき合って死ねるか?猛火の中の我が子を助けに飛び込んでいった母親は自ら決意して特攻したに違いないが、それと似た気持ちになれたなら特攻できるんだろうか?
栗林中将も残した妻・子がいればこそ特攻に迷った。最後は、日本の国民のためというよりも、彼の生まれた長野の子供たちの軍人さんを励ます歌声という具体的なものによって、軍人としての職業意識が目覚めさせられ、心が固まった。愛するものを守るためなら死ねるか。何も無いものは死ねない!?抽象的なものに対して、本当に死ねる?義のため、忠誠を誓ったもののために死ねた武士道は崇高な生き方?人間の素晴らしさでもあり、ひょっとしたらそれを素晴らしいと思い込める人間の愚かさかもしれない。残った者の、仲間への申し訳なさ、心苦しさ、自分の卑怯さから逃れることは決してできないまま生き続けることって、、、それも辛いよなあって。信じるものに(疑いもなく)殉じる方が多分ずっと楽かもしれないとも。
いろんなことを考えさせられたし感じさせられました。
この映画は、戦争を知らない(わたしもそうですが)、わたしの子供らにもぜひ観せたい、観て欲しいと思っています。千万言の言葉なんかより、こういう映画の方が伝わるんじゃないかなあ。まさに百聞は一見にしかずかな。

<硫黄島からの手紙 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>

「アメリカ人監督とスタッフにより製作された映画の中では、日本人に対する偏見や誤解による描写や表現が見られず、当時の日本の状況を表現する事に成功した映画と云える。日本人兵士の視点から観た「硫黄島の戦い」をテーマとしているので、キャストは日本人俳優を起用しており、ハリウッドの監督と映画スタッフによる映画でありながら、ほぼ全編日本人俳優と日本語による撮影が行われた(それ以前のハリウッド映画では、日本を描いた映画や日本人の設定でありながら、日本語に妙な訛りがあり、逆に英語を流暢に話すと云う不自然な手法が取られていた事が多い)。
・・・
アメリカでの評判も極めて高く、前述の通り第79回アカデミー賞の作品賞・監督賞・脚本賞・音響効果賞にノミネートされた。日本語の映画が外国語映画賞ではなく作品賞にノミネートされるのは初で、外国語映画としては7本目となる。他にもナショナル・ボード・オブ・レビュー (2006年)最優秀作品賞など多くの賞を受賞(#賞歴参照)。その他CNN.comで「今年のアメリカ映画で唯一『名作』と呼ぶことをためらわない映画」と評価され[3]、ニューヨークタイムズではA.O.スコットが「殆んど完璧」と述べる[4]など、話題作となっている。」

画像:上:栗林忠道

「太平洋戦争(大東亜戦争)末期の激戦硫黄島の戦いがあった硫黄島の守備隊総司令官を務めた。

合理主義者で、用意周到な大規模地下陣地を構築し、将兵を爆撃・艦砲射撃に耐えさせ、万歳突撃による玉砕を禁じ、徹底的な持久戦を行って出血を強いる作戦に出た。その結果、物資も豊富で兵力も三倍近いアメリカ軍に対して敵・味方も予想し得ぬ善戦をし、大戦時、異例の大打撃を与えた。

栗林自身は、三月二十六日にアメリカ軍に対して突撃を敢行し戦死を遂げた。突撃前に中将(実際には17日付で大将に昇進していたが)の階級章を外し、一兵士と同じく戦い戦死したため、戦闘終結後のアメリカ軍による調査でも栗林の遺体を発見出来なかった。 この最後の突撃は、所謂万歳突撃の形を取らず、隠密に敵陣に近づき敵側の油断を突いたゲリラ戦に近い戦法を取ったため、予期していなかったアメリカ軍に対して最後の打撃を与えることに成功した。なお、師団長自らが突撃したのは日本軍の戦史として初めてのことである。・・・
戦後、軍事史研究家やアメリカ軍軍人に対し、「太平洋戦争に於ける日本軍人で優秀な指揮官は誰であるか。」と質問した際、「ジェネラル・クリバヤシ」と栗林の名前を挙げる人物が多いと云われている[要出典]。わずか22平方kmに過ぎない硫黄島を、指揮下の兵員よりも遥かに上回る三倍の兵力、しかも物量・装備全てに於いて圧倒的に有利であったアメリカ海兵隊の攻撃に対し、最後まで兵の士気を低下させずに互角以上に渡り合い、アメリカ側の予想を上回る一ヶ月半も防衛した事、また当時の陸軍では数少ない親米派であり日米開戦に最後まで反対していた事が理由であると思われる。今日に於いても日米両方から名将として高く評価されている。・・・
軍人であると同時に良き家庭人でもあり、アメリカ駐在時代や硫黄島守備隊長当時には、まめに家族に手紙を書き送っている。アメリカから書かれたものは、最初の子どもである長男(太郎)が幼かったため、イラストを入れた絵手紙になっている。一方、硫黄島から次女(たか子。栗林は「たこちゃん」と呼んでいた)に送った手紙では、軍人らしさが薄く一人の父親としての面が強く出た内容になっている。硫黄島着任直後に送った手紙には次のような文章がある。

「お父さんは、お家に帰って、お母さんとたこちゃんを連れて町を歩いている夢などを時々見ますが、それはなかなか出来ない事です。たこちゃん。お父さんはたこちゃんが大きくなって、お母さんの力になれる人になることばかりを思っています。からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言いつけをよく守り、お父さんに安心させるようにして下さい。戦地のお父さんより」

また、妻(義井)宛てには、留守宅の心配や生活の注意などが事細かに記され、几帳面で情愛深い人柄が偲ばれる。これらの手紙は戦後にまとめられて「『玉砕総指揮官』の絵手紙」(小学館文庫、2002年)として刊行された。」

訣別の電文の辞世の歌。

国ノ為重キツトメヲ果シ得デ 矢弾(やだま)尽キ果テ散ルゾ悲シキ
仇(あだ)討タデ野辺ニハ朽チジ
吾ハ又 七度生マレテ矛(ほこ)ヲ執(と)ラムゾ
醜草(しこぐさ)ノ島ニ蔓(はびこ)ルソノ時ノ 皇国(みくに)ノ行手一途(いちづ)ニ思フ

画像:下:バロン西(西竹市とウラヌス)

「陸軍騎兵中尉時代の1932年に参加したロサンゼルスオリンピックでは、ウラヌス号を駆って馬術大障害飛越競技に優勝して金メダルを受ける。これは日本が馬術競技でメダルを獲得した唯一の記録である。この時のインタビューに「我々(自分とウラヌス号)は勝った」と応じ、当時の日本人への敵愾心を越えて世界の人々を感動させた。西はバロン西(Baron=男爵)と呼ばれ欧米、とりわけ社交界で、また当時排斥されていた在米日系人の人気を集めた。
・・・
1944年に硫黄島へ赴任するが、その行路、父島沖にて米潜水艦の雷撃を受け戦車共々輸送船は沈没。8月、戦車補充のため一旦東京に戻り、川崎財閥の御曹司で親友であった川島大次郎(のち第百生命会長)の車を借用して駆け回っていた。その折、馬事公苑で余生を過していたウラヌスに会いに行き、ウラヌスは西の足音を聞いて狂喜して、馬が最大の愛情を示す態度である、首を摺り寄せ、愛咬をしてきたという。
・・・
映画「硫黄島からの手紙」では、同じ騎兵出身の栗林忠道中将と意気投合したことになっているが、実際には確執もあったという。貴重な水で戦車を洗っていたことを栗林が咎め、厳罰を要求したが西がこれを撥ね付けたためという。 ただそれは生い立ちの違いからくる諍いであり、両人とも硫黄島兵士の人気は高かった。戦争末期でもはぐれた兵士を洞窟内に入れることを拒絶する隊長が多かった中、西は「一緒に戦おう」と受け入れた逸話も残っている(参照・梯久美子 「文芸春秋」2006年2月号)。また左記の映画でも描かれた一人の負傷米兵を尋問ののち乏しい医薬品で出来る手当てをした出来事も証言として大野芳などの著作でも触れられている。」

二人とも、欧米の文化に触れたことのある方々であったことが何かを暗示してるような気がします。異文化との接触で人間の視野は開かれる。異文化に対し寛容になれる。合理的精神の持ち主がいたから彼らも理解、了解が可能になったのかもしれませんね。

双方の軍人、soldier のご冥福をお祈りいたします。

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ドリーマーズ

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エバ・グリーンが気に入って、これを観ちゃいました。はい、わたしって、ミーハー&スケベ心満載なんですよね。(^^;
で、、、「007」の彼女の方がわたしは好きだなあ。やっぱり出演する映画の印象にもよるよね。というか、それだけ役柄をこなしてるってことなのか。。。

欧米では、子供は小さい頃は躾が厳しく、大きくなるとともに干渉しなくなるっていう育て方なんでしょ?だから、あれなのかな〜、、、親は放任っていうか、親は親の人生をエンジョイしてる。
自分の妹がすごい美貌の持ち主でも愛するようなことにはならないと思うんだけど。。。浅はか?
実際にその立場になったら同じようなことが起こる可能性は、たしかに0とは明言できないかなあ・・・(^^;
アメリカ人のマシューは、愛に溺れることもなく、普通(?)の恋愛の世界に誘ったんだけど、、、自分を選ばれない可能性もあったのに、、、やっぱり、彼女を愛してたからこそ、勇気を持って諌言したんでしょうね。ある意味冷めてたともいえる? めくるめく愛の嵐の中にいる限り、「永遠」に続くことを信じたいもんねえ。。。(^^)
それで、自分が捨てられたとしても仕方ないと思える言葉を発する勇気は、相手のことを思う愛がその源泉なんでしょうか?「愛」って、自分のことはどうなってもいい、相手さえよければって思える、生存本能からはほど遠い高貴な、非動物的=人間的なもの、上品なものなんですよね?自分を御してることになるから、快感原則からいうと、おそらく、自己陶酔、ナルシズムがかってると思うんですが。。。(^^; マゾがかってるってとも言えるかな?自分は苦悩するわけでしょ?それが、快感に通じてるとしたら、そうなりますよね?

でも、、、考えてるとこんがらがってくるんだなあ・・・
相手も苦しめることになるかもしれないのに、、、自分の信じる所に従って意見するんだから、、、自分の信じる「愛」の方に重きを置いてることになるよね?「愛」もしょせん相対的なもので、相手の「愛」に関わらず自己完結しちゃうようなものなのかな?「愛」って本質が相手のことだけを考えることを至高とするものなら、自分の信念なんてちっこいものに囚われず、いっしょに愛の泥沼に沈む勇気、覚悟があってしかるべきだとも思っちゃうから。。。

「もうこんな関係は清算しよう!」なんて殊勝な言葉は、案外、自己愛、自己中からの言葉にすぎないのかもしれませんよ!!??

いずれにせよ、、、今のわたしには、この映画はピンと来なかったな (^^;
エバ・グリーンの姿態が眩いくらい美しかったのはたしかですけどね・・・(^^)

007 Casino Royale

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007 Casino Royale 観ました。
これって、楽しめたな〜〜〜!!!(☆☆☆☆☆)
ボンド(ダニエル・クレイグ)は、かっこよすぎます。まあ、映画的にはそうでなくっちゃね。頭の回転が超速い。ポーカーなんてゲームは純算数的な計算力を要するわけだし、相手のブラフを見抜く技術にも長けてないといけないし、相手の動揺を誘うためにはどんな嫌らしい手を使おうがお互い様ってなゲーム。ポーカーフェイス無くして勝利の女神は微笑んでくれない。スパイにはもってこいのゲームだよね。カジノなんてとこで遊ぶ人なんて、資金潤沢じゃあないととてもじゃないけど冷静ではいられないよ。わたしなんていずれの条件もクリアー無理。ミッションインポッシブル!(^^)
この映画の強力な引き立て役が、ボンド・ガールのエヴァ・グリーン。気品漂う美しさ。ここまで綺麗だと誰だってくらっとしちゃいます。相手役が彼女だったらみんな映画づくりに熱が入るでしょうねえ?こんな考えって不純この上ない??映画俳優っていいな〜なんてことを思いながら観てましたが。。。(^^;
ポーカーフェイスって、喜怒哀楽に関わらず無表情な、能面みたいなことを言うんですよね?飲んだ時なんかに、思ってもないことを口が勝手に動いてしまうようなのってのは、また別かなあ〜?多分別なんでしょうね。でも、うそ発見器にかけられた時は、ポーカーフェイスはバレルかもしれないけど、嘘八百の口説の輩の方はばれないかもよ?
最後の決断をした彼女の愛は純愛?裏切った相手に償うため?それとも、裏切り行為をした自分が許せなかったから?両方?前者なら、彼の前から去ればいいだけだと思うから、本当にこの世から姿を消さなくったってさあ。だから、おそらく、自分を許せない自分状態だったんだろうね。自分から去るためにはそうするしかないから・・・自己愛の極致?

自己嫌悪激しい時は、みんなどうしてる?わたしはむかついてきます。自分に。実際、嘔気(吐き気)しますもん。体から悪いもんを出そうってしてるんだと思います。時が経ち、記憶が風化していくのを待つしかないなあ。何かをして忘れる?わたしは何にもできないなあ、、、集中しては。とにかく、「つわり」が終わるまで自然に任せるしかないんです。
いま、「つわり」状態が続いてます。。。(^^;;

父親たちの星条旗

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観ました。。。
戦争って凄惨だよね。兵士は捨て駒だし。素人のわたしには、203高地に突撃した日本軍と変わらない戦い方のように見えたけど。。。史実に基づいた(ノンフィクション)映画なら、一種の反戦映画っぽいんじゃない?いろいろ関連サイトを読んでみると、当初艦隊からの砲爆は10日間の予定だったらしいけど、それが3日になったのは、海軍がここを囮にして、本土を奇襲(?)するつもりだったとか?お互い必死の戦いで、地下要塞は守備的にはベストの戦略だっただろうなあ。しかし、何せ、物量に勝るアメリカ側には通用しないわけで、ことごとく、攻撃基地は粉砕されていき、火器は沈黙させられていくんだよ。ま、勝っても負けても、人、物、金の消耗は激しく、お互いに甚大な損失を被り、あらゆるものが蕩尽され、灰燼に帰していく。それが分かっていてもケンカはしなけりゃならない時があるってことだろうね。負けるかもしれない時でもケンカせずにはいられなくなることってあるよね。でも、負けたら、降伏して、相手の言いなりになる覚悟で。そもそもの開戦の必要性を国民に説明する義務があるわけだけど。(アカンタビリティ)国民が納得して始まったなら、アメリカみたいに、志願兵がもっといてもよかったはずなんですがね。日本は、志願兵がめちゃ少なかったらしいですね。国を守るとか言っても、漠然としすぎてて、アメリカみたいに、自由と民主主義を守るため(それが志願兵の平和な暮らしのもとであるんだと身にしみてたら、実際に享楽的生活が享受できてたんだろうし、そういう教育が行われていたなら)に、日本の若者の志願兵が同じくらい増えたんでしょうかねえ?日本は貧しすぎてただけなんでしょうか?それとも、名より実が採れればいいという、元来が、いわばふ抜けな国民なんでしょうか?
あと、銃弾が飛び交う戦場で、進めという号令に体が動いちゃうような訓練がされてないと、ああはきっと動けないだろうから、、、パブロフの犬状態になるような軍事訓練は絶対必要でしょうね!担架を運ぶ衛生兵も、身をかがめるわけにいかないから、訓練の賜物なんでしょうね。

自分の愛するものは守るでしょ?今の国は私たちを守ってくれてるのかなあ?ちと、疑問。。。
わたしたちを守ってくれてないような国を守るために私たちは戦えないですよね?今の国が私たちから見て守るに値すると思えれば、きっと、多くの志願兵が出てくるはず!かな??


「硫黄島 (東京都) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

硫黄島(いおうじま、いおうとう)は、硫黄列島中最大の、東京都小笠原村に属する東西8km、南北4kmの島。数千年前の海底火山の活動で島ができ、現在も急速な隆起が続いている。火山島であり、島の至る所に地熱、温泉がある。硫黄島の南北には、それぞれ北硫黄島と南硫黄島があり、どちらも島のつくりは硫黄島と同じである。成分の硫黄が島名の由来。島名の呼び方は、戦前は(いおうとう)と呼ばれることが多かったが、現在は(いおうじま)の呼び方が定着している。本州、グアム島、南鳥島、沖縄本島から、それぞれ1,200km〜1,300km程度の等距離にある。

一番標高の高い地点は摺鉢山(169m)。太平洋戦争時、硫黄島攻防戦(硫黄島の戦い)の擂鉢山激戦直後の1945年2月23日午前10時15分に掲揚した星条旗を12時15分に、再掲のためアメリカ海軍海兵隊所属の兵士たちが山頂に星条旗を掲揚した瞬間をAP通信のジョー・ローゼンタールが撮影した『硫黄島の星条旗』(1945年度ピューリッツァー賞 写真部門受賞)でも知られる。」


なぞなぞ・・・

∬∬∬∬∬・・・
∬∬∬∬∬・・・
∬∬∬∬∬・・・

こんな意匠の旬の呼び方は?

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アンジェラ

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観ました。「アンジェラ」=エンジェル。舞台はパリ。自分を偽り、どん底の生活(その日暮らし)をしてるアンドレの前に、現れたのがアンジェラ。彼にとっては、天使というより女神だね。彼は少しずつ自分を取り戻して、自信を持って生きれるようになる。自分を偽らなくて。天上の神様からは彼の本質が見えてた。やさしさが。臆することなく、その場凌ぎで自分を騙さず生きろって、アンドレが悟った時、天使アンジェラの役割は終わり天上に帰還しなけりゃならないんだけど、、、
余り書けないよね〜
過去がなくたって、未来があれば、今が過去になるんだね。人は愛された時に愛を知る。「愛」なんて抽象的で分からないものだけど、でも「愛」は人に生き方を変える力を持ってるんだから、存在してるんだ。ほんの少しの勇気さえあれば、自分に嘘をつかなくてすむ。人間って一人じゃ生きて行くのに弱すぎる?天使でも完全無欠じゃない。お互いの足らないところを補い合うように求め、引かれあう?ソクラテスの弟子、プラトン(プラトニックラブの元祖?)だったっけ?、不完全なもの同士がいっしょになって初めて完全になるんだ(凸は凹を、凹は凸を)、だからその相手を人は求めるようになってるんだ、ってなことを言ってたような??まず自分を知らなけりゃ、気付かないことには、何が足りないのかってことなんて分からない。「無知の知」ありきでないと。無知蒙昧じゃあそのまんま。でも、人間って、失って初めて気付くものなんだし。。。だから、わたしはいつも感じてる、思ってる。不幸せな者は幸いなるかなって。不幸であることにまず気付かないと何が幸せかってことにも気付かないんだよ。アンドレは、アンジェラの介入によって、初めて気付くことができた。アンジェラも、アンドレに関わることによって、自分にも足らないことがあることに気付いた。相手がいないと、鏡がないと、自分の姿って見えないんだよ。

教祖様って、みんなの不幸せを全部背負って生きてるような人じゃない?究極の底辺まで落ちて初めて、物事の本質に気付くんじゃあないのかなあ?そこに、新たな世界が現出する。今まで見えなかった、隠されてた新世界が、、、
むかし、友人が書いてた詩があって、自ら輝いてるものは昼間には誰にも気付かれない、夜の帳(とばり)が開いて(降りて/下りて?)初めて、人はその輝きに気付くんだ、って。

ところで、天使って最初は男性の姿で羽も無かったようですね。。。(^^;

「初期のキリスト教では、天使は男子青年の姿で、翼を持たなかった。天使が有翼の姿で考えられるようになるのは、オリエント・ペルシアの天使・精霊のイメージなどが混合されて来たためである。

中世ヨーロッパにおいては、絵画から窺える限りでは、天使は有翼で、当時の西欧人の衣装をまとい、「天の聖歌隊」を構成する天使たちは美少年の姿に、大天使ガブリエルは優美な男性の姿に、また、悪と戦う使命を持ったミカエルなどは、鎧をまとい剣を帯びた、雄々しい戦士の姿で描かれていた。

近世以降、無垢な子供の姿や、女性的な姿、やさしい男性の姿を取って表現されるようになった。これはルネサンス期にローマ神話のクピド(女神ウェヌスの使い)からイメージを借りたとされる。」

そうです〜・・・クピド=キューピッド
画像はその「クピド」です。(クピド、ウィリアム・アドルフ・ブグロー、1875)

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