アットランダム≒ブリコラージュ

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フェルミ推定

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http://ja.wikipedia.org/wiki/フェルミ推定 より
「フェルミ推定(Fermi estimate)とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算すること。
その際の問いかけのほうをフェルミ問題(Fermi problem/Fermi question)と呼ぶことがある。名前は物理学者のエンリコ・フェルミに由来する。フェルミはこの手の概算を得意としていた。
フェルミ推定はコンサルティング会社や外資系企業などの面接試験で用いられることがあるほか、欧米では学校教育で科学的な思考力を養成するために用いられることもある。Google社やマイクロソフト社でも、入社試験問題として出題されたことがある。
フェルミ推定という語句が日本に入ってきたのは、『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由?フェルミのパラドックス』(スティーヴン・ウェッブ著、松浦俊輔訳、青土社、2004年、ISBN 978-4791761265)が最初だろうと細谷功は述べている。ただしこのような考え方自体は、大学の授業などで教えられていた。

具体例
例えば「東京都内にあるマンホールの総数はいくらか?」「地球上に蟻は何匹いるか?」など、見当もつかないような量を推定する。
フェルミ推定で特に知られているものは、「アメリカのシカゴには何人(なんにん)のピアノの調律師がいるか?」を推定するものである。これはフェルミ自身がシカゴ大学の学生に対して出題したとされている[3]。
この問題に対して、例えば次のように概算することができる。
まず以下のデータを仮定する。
シカゴの人口は300万人とする
シカゴでは、1世帯あたりの人数が平均3人程度とする
10世帯に1台の割合でピアノの保有している世帯があるとする
ピアノの調律は平均して1年に1回行うとする
調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする
週休二日とし、調律師は年間に約250日働くとする
そして、これらの仮定を元に次のように推論する。
シカゴの世帯数は、(300万/3)=100万世帯程度
シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度
ピアノの調律は、年間に10万件程度行われる
それに対し、(1人の)ピアノの調律師は年間に250×3=750台程度を調律する
よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される
フェルミ推定では、前提や推論の方法の違いによって結論にかなりの誤差を生じることもある。

関連項目
ドレイクの方程式 - 銀河系内に存在している文明が発達している星の総数を推定するための方程式。フェルミ推定の一種と考えられる。

参考文献
細谷功 『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』 東洋経済新報社、2007年、ISBN 978-4492555989。
村上綾一 『絶妙な「数字で考える」技術』 明日香出版社、2008年、12-32頁、ISBN 978-4756911582。
ローレンス・ワインシュタイン・ジョン・A・アダム著、山下優子・生田りえ子訳 『サイエンス脳のためのフェルミ推定力養成ドリル』 日経BP社、2008年、ISBN 978-4822283698。」

http://sankei.jp.msn.com/science/science/090711/scn0907110802002-n1.htm より Orz〜
【秋山仁のこんなところにも数学が】(74) フェルミ先生の概算術 2009.7.11
「「シカゴにピアノの調律師は何人いるか」
 「砂漠に砂粒は何粒あるか」
これらの問題を出されたら、あなたはどう答えますか。これらは1938年にノーベル物理学賞を受賞したイタリアの物理学者、エリンコ・フェルミが、第二次世界大戦中に亡命した米国のコロンビア大学やシカゴ大学で学生や友人に知的遊戯として問いかけた有名な問題です。フェルミ先生は何も、これらの正確な数を知りたかったわけでも、また、百科事典のような知識を期待して、こんなことを聞いたわけでもありません。「考察対象が巨大すぎて、一見とらえどころのないものを既知のものに分解して正解(近似値)を求める」という論理的な思考法や、推定を積み上げていくプロセスを学生たちと楽しむため出題していたのです。・・・

この問題のように、仮定をいくつも組み合わせ、およそどのくらいの数になるかを見積もる問題は、「フェルミ推定問題」とか「マーケット・サイジング問題」と呼ばれています。そして、近年これらの問題は論理的思考力をチェックするのに最適だという理由で、米国の企業や日本の外資系企業の入社試験でたびたび出題されています。例えばマイクロソフト社では、「世界中にピアノの調律師は何人いるのか」という問題が、また、グーグル社では、「あなたの会社がシアトルのすべての窓ガラスを磨くという仕事を引き受けたとき、この仕事の報酬はいくらになると考えられるか」という問題が出題されました。また、日本の外資系コンサルタント会社では、「日本全国に温泉旅館は何軒あるか」、「日本全国で犬はおよそ何匹いるか」「そば屋は日本に何軒あるか」といった問題が出題されているそうです。」

官僚にはこういった計算が得意であって欲しいですよね ^^
朝令暮改式・泥縄式・マッチポンプ式は...もう卒業してもらいたい...Orz...

画像:ameblo.jp/nippau/ entry-10086845520.html より Orz〜
「「原寸大の東京タワーの模型を作るのにマッチ棒は何本必要か?」」
フェルミ推定は、結論から考えて解決に必要なデータを洗い出し、手元にないものは類推することによって概算に迫ろうというテクニックです。ですので、「もっとこういう推測のしかたがあったはずだ」という振り返りはするものの、「正解にどれくらい近似値だったか?」というのは考慮しません。
それこそ、Google で調べればすぐにわかるわけですから。あくまで目的は、「全体から」「結論から」「シンプルに」「ロジカルに」「ざっくり大体を」考える力をつけることです。・・・」

わたしはあと死ぬまで何人と遊べるか...?なんてのをフェルミ推定してみるかいな...^^;v
そのまえに...わたしは後何年生きられそうか...元気で...って推定が先だな...^^

画像:エンリコ・フェルミ
sci-tech.jugem.jp/ ?month=200707 より Orz〜
「「宇宙人はいない」と言った科学者
科学者にとっても「宇宙人がいるかどうか」という疑問については興味が尽きないところなのかもしれません。
エンリコ・フェルミという20世紀前半に活躍したイタリア出身の物理学者がいました。
フェルミは放射性の元素を新たに見つけた業績などにより、ノーベル物理学賞を受賞します。このとき1938年。おりしも母国イタリアはムッソリーニ率いるファシストが台頭していたころ。妻がユダヤ人だったフェルミは、ノーベル賞の授賞式を終えるとイタリアには戻らずに米国に亡命しました。その後“亡命科学者”の一人としてフェルミはマンハッタン計画にも参加するなどしています。
さて、そんなフェルミによれば、宇宙人はいないのだそう。
まず私たちが住んでいる星のことを考えましょう。いま温暖化が懸念されている地球も、あと10億年すれば太陽がふくらんでくるために、とても住めるようなところではなくなってしまいます。
もし、そのころまで人またはそれに代わる知的生物がいつづけるとしたら、たぶん彼らは生きのびるために宇宙船に乗って別の星に移り住んでいるか、移り住もうという企てをしていることでしょう。
おなじように、地球のような星に住んでいた宇宙人の中には、すでになんらかの事情により自分の星から離れて、定住地さがしをしている存在があってもいいはず。科学的計算によれば、定住地さがしの中で、宇宙人は地球を訪れて地球を新たな物件として検討していたとしてもおかしくないことになるのだそう。そこでフェルミは、同僚の科学者たちに言いました。「みんな、どこにいるというんだい」。
地球には宇宙人がきたあとが見つからない。つまりフェルミの出した結論は「宇宙人はいない」というものでした。さて、宇宙人の存在を信じて疑わない人は、きっとフェルミの説明だけでは、宇宙人さがしをあきらめたりはしないでしょう。ある人はフェルミの前でこう反論したといいます。
「知的生命体である宇宙人は、きっと倫理観が高いんだよ。地球にやってきているとしても、私たち地球人のじゃまにならないように、陰に隠れてこそこそとやっているにちがいないさ」
対してフェルミはこんな答えを言ったとか言わないとか。
「宇宙人の倫理観が高いだって? そんなことはありっこないね。現に地球人がそれを否定しているじゃないか」      」

当たらずとも遠からずってのが...フェルミ推定だとすれば...まんざら嘘じゃないってことなのさね?♪

朝顔 / アサガオ

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夏の顔といえば・・・朝顔ですよね ^^;v
ちょっと調べてみると...意外に知らないことがいっぱい...

画像:http://umahana.cocolog-nifty.com/84_image/cat5062657/index.html より Orz〜

http://ja.wikipedia.org/wiki/アサガオ より
「アサガオ(朝顔、牽牛花、蕣、英語: morning glory、学名:Ipomoea nil)は、ヒルガオ科サツマイモ属の一年性植物。つる性。日本で最も発達した園芸植物。古典園芸植物のひとつでもある。
・・・日本への到来は、奈良時代末期に遣唐使がその種を薬として持ち帰ったものが初めとされる。朝顔の種の芽になる部分には下剤の作用がある成分がたくさん含まれており、漢名では「牽牛子(けんごし)」と呼ばれ、奈良時代、平安時代には薬用植物として扱われていた。・・・朝顔は別名「牽牛」といい、これは中華文化圏での名称でもあるが、朝顔の種が薬として非常に高価で珍重された事から、贈答された者は牛を引いて御礼をしたという謂れである。平安時代に日本にも伝わり、百薬の長として珍重された。
その後、江戸時代には七夕の頃に咲く事と、牽牛にちなみ朝顔の花を「牽牛花」と以前から呼んでいたことから、織姫を指し、転じて朝顔の花を「朝顔姫」と呼ぶようになり、花が咲いた朝顔は「彦星」と「織姫星」が年に一度出会えた事の具現化として縁起の良いものとされた。これらの事により、夏の風物詩としてそのさわやかな花色が広く好まれ、鉢植えの朝顔が牛が牽く荷車に積載されて売り歩かれるようになった。・・・こういった一般販売用の朝顔は、江戸では御家人などが内職として栽培していた。これが発展して、明治時代初期から入谷朝顔市が始まった。・・・アサガオの種子に、幻覚剤であるリゼルグ酸ジエチルアミド(LSD)に似た麦角アルカロイドであるリゼルグ酸アミド(LSA)を含む種が世界中に自生しており、粉末にして飲料に溶かして飲むことでLSDと同様の効果があるのだが、伝統的に幻覚剤として使用してきたのはメキシコや中米だけである。・・・
・・・熊本藩では武士たちによる園芸が盛んで、朝顔も花菖蒲や菊、芍薬、椿、山茶花などと共に愛好されており、盛んに育種されて独自の系統が生まれた。この花は変化朝顔とは違い、本来の朝顔の花型を保ち、大輪であり、「肥後朝顔」と呼ばれる。これが後世の大輪朝顔の祖先の一つになった。これら熊本の六種類の園芸植物は現在「肥後六花」と総称され、熊本に伝えられている。・・・
やがて花型の変化ではなく、花径の大きさを追求する「大輪朝顔」が発展し始める。・・・戦後は大輪朝顔が主流を占めるようになり、直径20センチメートル以上にもなる花を咲かせることのできる品種も現れた。・・・現在は、江戸時代に作られたとされる「黄色の朝顔」と「黒色の朝顔」の再現が度々試みられているが、完璧な再現に至っていない。このため「黄色の朝顔」は「黒色の朝顔」と並び、「幻の朝顔」と呼ばれる(・・・ただし、黒や黄色に近い品種は存在する。黒色に最も近いといわれるものとして「黒王」という品種があり、黄色を求める試行の後に出来上がった品種の代表として最も有名なものに「右近」がある。)おおよそは、江戸時代に突然変異により作られて品種をベースに近代では交配を重ねて新しい品種がつくられている。それを育種と呼ぶ。最近のその大きい成果の一つの中に曜白朝顔がある。作出は静岡大学名誉教授の米田芳秋氏による。・・・マルバアサガオは、独自の斬新な色合いがありそれを日本の朝顔に導入しようとした思考の末に出来た。・・・高温を好む植物で短日性のためイギリス等の高緯度地域での栽培は難しく、欧米ではあまり品種もないが、庭園用の多花性品種として、鮮紅色中輪の「スカーレット・オハラ」などが作出されている。・・・
さらに「ヘヴンリー・ブルー」などのソライロアサガオは近縁の別種である。ソライロアサガオやマルバアサガオはまとめて「西洋朝顔」と呼ばれることもある。・・・
俳句
「朝顔」は夏ではなく秋の季語である。
朝顔に つるべ取られて もらひ水(加賀千代女)
*(「朝顔や つるべ取られて もらひ水」・・・
一般的に、この俳句の意味は…
朝、水を汲もうとすると朝顔のつるが井戸の「つるべ」に巻きつきかかっている
その朝顔のつるを切ってしまうのも可哀想なので、近所に水を貰いにいった・・・http://wordinarmy.exblog.jp/8287498/より Orz〜知らなかった...^^;)
・・・
慣用句
朝顔の花一時(あさがおのはないっとき)→ *(デジタル大辞泉の用語解説 - 物事の衰えやすいことのたとえ。槿花(きんか)一日(いちじつ)の栄(えい)。)
・・・朝顔の茶会…千利休は満開のアサガオを一輪を残して全て摘み取り、見物に来た豊臣秀吉を迎えた。秀吉はいぶかしんだが、茶席に生けられた一輪の朝顔に感動したと伝えられる。利休が茶の心を示した故事である。
花言葉は「明日もさわやかに」「はかない恋」「貴方に私は絡みつく」「愛情」「平静」。」

『貴方はわたしに絡みつく』って花言葉いいな ^^v♪

画像:歌川広重「朝顔」
item.rakuten.co.jp/ adachi-hanga/hiroshige249/ より Orz〜
「「団扇絵(うちわえ)」と言って、実際に団扇として使用された浮世絵。英語で「fan-type」と呼ぶと、驚きをもって理解されます。」

これ見ると...こうろぎといっしょの図だし...季語が秋というのもわかりますが...^^;

画像:曜白朝顔
http://blog.livedoor.jp/houston1960/archives/51376933.html より Orz〜
画像:マルバアサガオとヘブンリーブルー
aiaicamera.seesaa.net/ article/60531507.html より Orz〜

ヘンリーブルーの色って...どこかこの世のものじゃない気配...♪

画像:スカーレットオハラ
shokubutu-100.ohiwafg.com/ scarlet-ohara.shtml より Orz〜
「・・・スカーレットオハラは風と共に去りぬのヒロインの名前です。。・・・」

画像:スカーレット
http://ja.wikipedia.org/wiki/スカーレット より
「スカーレット(英語 scarlet)は、色名の1つ。やや黄味の赤を表す。エカルラート(フランス語 ?carlate)、スカーレットレッドとも。鮮やかな純色とされることが多いが、JIS Z 8102:2001では、ややくすんだ色とされている。ペルシャ語のs?qirl?tが語源で、本来は茜染めの高級織物の意味である。・・・伝統的に、炎の色とされる。また、ストロンチウムの輝線スペクトルはスカーレットとされる・・・スカーレットと緋色(ひいろ)はしばしば同一視される。『緋色の研究』 A Study in Scarlet など、scarletが緋色と訳されることも多い。緋色は茜の赤色色素プルプリンを高純度に精製した染料の色である。それに対し茜色は、茜を精製せずに使った染料の色で、緋色よりくすんだ赤である。
和訓では「あか」「あけ」とも読み、茜の根の灰汁を原料として作られた。これに対して紫草を重ねて染めた紫褐色を深緋(黒緋)と呼ぶ。また、平安時代には茜に替わって支子の黄色と蘇芳の赤を混ぜて明礬を触媒として作った紅緋色を生み出すことも行われ、後にはこれを緋色と呼ぶようになった。日本では大和朝廷時代より緋が官人の服装の色として用いられ、紫に次ぐ高貴な色と位置づけられた。・・・以後、緋色は中級官人の色として知られるようになり多くの文学作品にも登場するようになった。また、武士にも用いられて『平家物語』などの軍記物語には緋の腹巻や緋威(ひおどし)の鎧が登場する。江戸時代には庶民の衣装にも広く用いられた。scarletは猩紅(しょうこう)・猩紅色と訳されることもある。猩は猩々に同じで、中国の想像上の動物である。猩々は禺(オナガザル)に似た人面の獣で、顔と毛が赤く、その血はさらに鮮やかな赤色だとされた。猩紅はその血の色である。
猩血(しょうけつ)、猩々緋(しょうじょうひ)もほぼ同じ意味である。・・・」

http://ja.wikipedia.org/wiki/加賀千代女 より
「加賀千代女(かが の ちよじょ、1703年(元禄16年) - 1775年10月2日(安永4年9月8日))は、俳人。号は草風、法名は素園。千代、千代尼などとも呼ばれる。朝顔を多く歌っていることから、出身地の松任市(現白山市)では、市民への推奨花の一つに朝顔を選んでいる。 白山市中町の聖興寺に、遺品などを納めた遺芳館がある。加賀国松任(今の白山市)で、表具師福増屋六兵衛の娘として生まれた。幼い頃から一般の庶民にもかかわらず、この頃から俳諧をたしなんでいたという。
12歳の頃岸弥左衛門の弟子となる。17歳の頃、諸国行脚をしていた人に各務支考(かがみしこう)が諸国行脚してちょうどここに来ているというのを聞き、各務支考がいる宿で弟子にさせてくださいと頼むと、「さらば一句せよ」と、ホトトギスを題にした俳句を詠む様求められる。千代女は俳句を夜通し言い続け、「ほととぎす郭公(ほととぎす)とて明にけり」という句で遂に各務支考に才能を認められる。その事から名を一気に全国に広めることになった。・・・52歳には剃髪し、素園と号した。72歳の時蕪村の玉藻集の序文を書く。1775年(安永4年)73歳で没。辞世の句は、「月も見て我はこの世をかしく哉」。1,700余の句を残したといわれている。「起きてみつ寝てみつ蚊帳の広さかな」が千代女の句として広く流布しているが、実は千代女の作ではなく、彼女以前に元禄時代の浮橋という遊女が詠んだ句である。
代表的な句
朝顔に つるべ取られて もらい水(35歳の時に、朝顔や? と詠み直される)
月も見て 我はこの世を かしく哉
蜻蛉釣り 今日は何処まで 行ったやら                  」

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プラトンが創立したという学校の名前って・・・アカメディー=アカメディアだと思ってたけど...「アカデメイア」だったんだ...^^; 記憶の風化って...デフォルメされちゃうことから免れないもののようね...^^;

画像:古代ギリシアの哲学者プラトン
http://ja.wikipedia.org/wiki/プラトン より
「プラトン(より正しくは「プラトーン」、Plato, -on 紀元前427年 - 紀元前347年)は古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子でアリストテレスの師。・・・
アカデメイアという名で学校を開いたため、プラトンの後継者はアカデメイア派と呼ばれる。プラトンとアリストテレスの思想は西洋の哲学の大きな源流となった。また、その理想とした社会像は共産主義におけるプロレタリアート独裁にも深い影響を与えたとされる。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作はそのほとんどが対話篇という方式を採っており、一部の例外を除けば師のソクラテスを主要な語り手とする。初期のプラトンは『敬虔』や『勇気』といった古代ギリシアの伝統的な徳とは何か、それは教えられるものかどうかを探求したが著書の中では直接答えは与えられない。中期には世界を、目に見える現実の世界『現実界』と、そのもとになる完全にして真実の世界『イデア界』に分けるイデア論を展開した。輪廻転生説を含むピュタゴラス学派の思想、特に幾何学を重んじる思想を学び、中期以降その影響が見られる。・・・プラトンは初めて理論的に人間の心を考えようとした人物であり、魂の三区分説を以って人間の心の動きを説明しようとした。人間を霊魂(心)と身体(肉体)に分けて考えている。・・・
プラトンは紀元前427年、アテナイ最後の王コドロス(Codrus)の血を引く貴族の息子として、アテナイに生まれた。・・・祖父の名前にちなみ「アリストクレス」と名付けられたが、体格が立派で肩幅が広かったためレスリングの師匠であるアルゴスのアリストンにプラトンと呼ばれ、以降そのあだ名が定着した。若い頃は政治家を志していたが、やがて政治に幻滅を覚え、ソクラテスの門人として哲学と対話術を学んだ。紀元前399年、アテナイの民主派によってソクラテスは、「神々に対する不敬と、青年たちに害毒を与えた罪」を理由に裁判にかけられ、死刑を宣告され、毒杯を仰いで刑死する(この裁判の情景を描いたのが『ソクラテスの弁明』)。・・・紀元前387年、アテナイ郊外に学園アカデメイアを設立した。アカデメイアでは天文学、生物学、数学、政治学、哲学などが教えられた。そこでは対話が重んじられ、教師と生徒の問答によって教育が行われた。弟子にあたるアリストテレスは17歳のときにアカデメイアに入門し、そこで20年間学生として、その後は教師として在籍した。・・・晩年のプラトンは著作とアカデメイアでの教育に力を注ぎ、紀元前347年(紀元前348年ともいわれる)、80歳で死亡した。
哲学
・・・生成変化する物質界の背後には、永遠不変のイデアという理想的な雛型があり、イデアこそが真の実在であるとした。不完全である人間の感覚ではイデアをとらえることができず、理性によってのみとらえることができるとした。また、イデアの認識は、いわば忘却されていたものの想起 anamn?sis であって、その想起からはかつて属していたイデアの世界を憧れ求めるところのエロス er?s が生じるとした。このためプラトンは、経験主義のように人間の感覚や経験を基盤に据えた思想を否定した。感覚は不完全であるため、正しい認識に至ることができないためである。・・・
倫理学
プラトンの倫理学の特色は「徳は知である」というソクラテスから受け継いだ主知主義的な記述に集約されよう。ただしこれは徳が伝達可能な技術知であるという意味ではない。 徳は生まれる前に走っていたが生まれた後忘れてしまった想起(anamnesis)されるべき知であり(同81)、イデアに思索的に至る形而上学的知である。すなわち、プラトンは形而上学とひとつになった倫理学を初めて確立した。しかるに、かかる技術的に教え得ない知識を自分も深め、人に勧告するには「魂の気づかい (epimeleia tes psyches)」が必要であるが、この意味は理念的な徳の内的理解にむけての精神の教育ということであり、その目的は、眼に見えぬ理念の理解をつうじて善のイデアという最高存在にまで精神の射程が及ぶことである。その倫理学は国家学、政治学という社会的レベルをその帰結とする。ひとの霊魂が理性、意志および情欲にわかれるように国家構成階層も支配階層、防衛階層および職能階層にわかれ、それぞれに該当する徳は知恵、勇気および節制である。ここには古代ギリシアのマクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙すなわち個々の人間)との類比の見方が見える。 これら三つの徳の調和こそが正義がである。国家の最重大事業は教育であり、すなわちプラトンの倫理学は、個人倫理、同時代に対する社会倫理としての政治学、未来に対する倫理学としての教育学、に三分されるのである。
後世への影響
プラトンの西洋哲学に対する影響は弟子のアリストテレスと並んで絶大である。それはホワイトヘッドをして『過程と実在』において西洋の哲学はプラトンへの注釈に過ぎないと言わしめるほどであった。・・・アトランティスの伝説は『ティマイオス』および『クリティアス』に由来する。・・・」

画像:ジーン・デルヴィル「プラトンの学校」(1898)
www.ne.jp/asahi/ village/good/platon.html より Orz〜
http://ja.wikipedia.org/wiki/アカデメイア より
「アカデメイアの名は、学校の場所であるアテナイ郊外のアカデモスの聖林にちなむ。アカデメイアとは「快楽」の意味である。算術、幾何学、天文学等を学び一定の予備的訓練を経てから理想的な統治者がうけるべき哲学を教授した。特に、幾何学は、感覚ではなく、思惟によって知ることを訓練するために必須不可欠のものであるとの位置づけで、学校の入り口の門には「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」との額が掲げられていたという。・・・アカデメイアが学校として有名だったことから、ヨーロッパではネオプラトニズムの隆盛と相まり、高度な研究ないし教育機関をこれにちなんでアカデミー(academy)、アカデミカ(Accademica)などと名付けることが行われた。・・・」

これ読んだ記憶があったんですよ...^^...たしかそれと青年の顔で選んだってな記憶の残滓あり...^^;

http://ja.wikipedia.org/wiki/プラトニック より
「プラトニック・ラブ (Platonic love) とは、肉体的な欲求を離れた、精神的な愛のことである。かつては、好き合った男女同士でも結婚までは純潔を保つべきである、として結婚までは精神的な愛を理想と考える向きが強かった。・・・プラトニックとは「プラトン的な」という意味で、古代ギリシアの哲学者プラトンの名が冠されているが、プラトン自身が純潔を説いた訳ではなく、自身も男色者として終生「純潔」というわけではなかった。初発には、後述のように、イデアへ向かうプラトン的な愛、の意味だった。が、イデアへの愛は彼にとっての理想で、実態は男色の現実愛にあった。プラトンの時代にはパイデラスティアー(paiderastia, 少年愛)が一般的に見られた。プラトンは『饗宴』の中で、男色者として肉体(外見)に惹かれる愛よりも精神に惹かれる愛の方が優れており、更に優れているのは、特定の1人を愛すること(囚われた愛)よりも、美のイデアを愛することであると説いた。
ルネサンスの時代にフィレンツェの人文主義者、マルシリオ・フィチーノによってプラトンの著作がラテン語に翻訳され、プラトンの思想(実際には独自に解釈されたもの)が大きな影響を持つようになった。・・・人間を含む万物は一者(神)から流出したものであるが、人間はその万物のうちにある美のイデアを愛することによって結果的に一者を愛し、一者の領域に(エクスタシーを経て)近づいてゆくことができると考えられた。そして、この言葉が転用され、男女間の禁欲的・精神的な愛を指すようになっていった。
・・・
日本のプラトニックラブ
北村透谷は「悲しくも我が文学の祖先は、処女の純潔を尊とむことを知らず」と遊里を賛美するような江戸文芸の低俗さを嘆いた(『処女の純潔を論ず』1892年)。しかし、古来農村部には夜這いの風習があり、特に処女が尊重されることはなかった。近代日本の処女崇拝は、武士階級固有の武士道的な倫理(貞女二夫にまみえず)に、キリスト教的倫理が結合したところに成立した観念的な思想であったといえる。現代では性愛と恋愛感情を不可分のものとするロマンチック・ラブ及び婚前交渉が一般化している。」

『肉体(外見)に惹かれる愛よりも精神に惹かれる愛の方が優れており、更に優れているのは、特定の1人を愛すること(囚われた愛)よりも、美のイデアを愛することである』
これって...まさに...現実世界の欲望がイリュージョンの世界への投影されたものが「愛」と呼ばれてるだけじゃないのかなあ...^^v...それが知らぬ間に主客逆転しちゃった...人間は崇高なるものを本物だと思い入れやすい性向があるからなんだろかね...^^;

http://ja.wikipedia.org/wiki/ロマンチック・ラブ より
「ロマンチック・ラブ(Romantic love)とは一対一の男女の間で結ばれる純愛を指す社会学上の概念である。近代における恋愛の一種の理想としてしばしば扱われ、以下のような特徴を持つ。
一時の衝動による相手への執着ではなく、人格的な結びつきによる愛情であるが、プラトニック・ラブとは異なり性行為により相手と一体になることを求める。
経済的、政治的な打算などではなく、純粋に二者間の間にある愛着だけで結びついた関係である。
常に男と女の一対一ではぐくまれる愛情であり、相手以外の者に恋愛感情を向けることなく、二者間の他に性的接触をもたない(モノガミー(一夫一婦制)の精神と通底する)。
恋愛対象を「運命の相手」とし、一生の恋愛関係にあることが理想とされる。そのため結婚は恋愛感情と結びついたものとして一生維持される。
家族社会学や女性学においては、近代以降、結婚はロマンチック・ラブをへた結びつきであるべきだという感覚が普及し、恋愛結婚や近代家族のあり方を規定していると指摘される(ロマンチック・ラブ・イデオロギー)。その結果、日本ではお見合い婚が減り、恋愛結婚が増加したといわれている。」

言葉はロマンチックでも...えらい現実のルールを維持するためのような内容ね...^^;
痩我慢しないプラトニックラブ派と呼んでもいいような気も...^^?
でも...これがドライで現実的な(自分のこころに忠実な)生き方かもね♪
以下のサイト参照 Orz〜
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/031009roman.html

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囲碁の面白さの魅力の一つはこの「劫」っていうルールがあるからだと思う...^^v

http://ja.wikipedia.org/wiki/コウ より
「コウは囲碁のルールの一つで、お互いが交互に相手の石を取り、無限に続きうる形。実際には下記のようなルールで、無限反復は禁止されている。漢字では「劫」で、本来仏教における非常に長い時間を指す語であり、そのように永遠に対局が続くことを防止するルールである。

画像:http://www1.kiy.jp/~yoka/essay_seeds/essay_seeds_05_01-06.html より Orz〜

黒が白1子をアタリにしており、次に黒がaの地点に打てば白石を取れる。
しかしその直後、今度は黒1子がアタリとなっており、白がbの地点に打てば黒石を取り返せる。
                           このように、アタリとなっている石を取ると逆にアタリが発生し、またすぐに相手に石を取られてしまうような状況では、両者がこの手を繰り返している限り永久に対局が終わらない。そのため以下のような特別ルールを設けている。
対局者の一方がコウの一子を取った場合、もう一方は他の部分に一手打ち、相手がそれに受けたときに限り、コウの一子を取り返すことができる。すなわち、(盤面全体として)同じ形を繰り返してはならない。
・・・
コウをめぐる事件・エピソード
・織田信長が寂光寺にて日海と鹿塩利玄の勝負を観戦した折、三コウが現れ無勝負となった。ところがその夜本能寺の変が起き、信長は明智光秀に討ち取られた。このことから、以後三コウは不吉の前兆とされるようになった。ただし残された棋譜には三コウになりそうな場所はなく、後世の作り話である可能性が高い。なお三コウはルール上の珍形の中では最もよく出現し、プロの対局でも数十例が記録されている。趙治勲は三コウ・四コウ無勝負を4回経験している。
・1928年秋の大手合で、瀬越憲作七段対高橋重行三段(二子)の対戦で万年コウが発生した。形勢は大差で瀬越が優勢であったが、高橋はコウをツイでセキにしようとせず終局まで頑張ったために問題が発生した。あれこれと論争が起こり、大手合が中断するほどの騒動となったが、結局本因坊秀哉が「両勝ち」の判定をして収まった。この事件が契機となってルールの成文化が叫ばれるようになり、1949年に「日本棋院囲碁規約」が制定されることとなった。
・1960年の第15期本因坊戦七番勝負第6局では、本因坊の高川秀格が無コウを打ち、挑戦者藤沢秀行がこれに気づかず受けてしまうというハプニングが起きた。これに気づいた藤沢は、まだ形勢は悪くなかったのに腐って悪手を連発して敗れ、高川に本因坊9連覇を許すこととなった。
・1980年の名人戦七番勝負第4局では、挑戦者の趙治勲がコウを立てる番であったかわからなくなり、記録係に「僕の取り番だっけ?」と確認。記録係は思わず「はい」と誤答してしまったため、趙はコウダテせずにコウを取り返してしまい事件となった。結局立会人裁定で無勝負となったが、これ以後記録係は質問に答えなくてよいとルールに定められた。
・プロの対局の反則では、コウダテをせずにコウを取り返すケースが最も多い。タイトルマッチでは、1971年のプロ十傑戦で石田芳夫が梶原武雄との決勝五番勝負第3局で、また1997年の天元戦五番勝負第3局では、挑戦者の工藤紀夫がコウダテをせずにコウを取り返すという反則があった。」

これでも...将棋でいう千日手みたいな3劫ができて無勝負になることが生じるんですよね ^^;

画像:三コウの例 黒番ならばaかbのコウを取るしかない。白も次にcと取るしかなく、両者、際限なくコウ取りが続く (www.asahi.com/igo/ topics/TKY200806170292.html より Orz〜)

http://allabout.co.jp/game/cardgame/closeup/CU20030825A/ より Orz〜
「ゲームの中には不吉とされる盤面や手があります。
将棋では駒柱(駒が縦に9個並ぶこと)は不吉の前兆とされています。麻雀には槓(カン=4枚の同種の牌)が同一人でなく1ゲーム中に4つできると「四槓算了」と言ってそのゲームが流れます。「四槓」が「死棺」に通ずるということからです。
また花札の八八というゲームでは最初に配られた手札7枚が四三(フォーカードとスリーカードの組み合わせ)だった場合は「しそう」といって「死相」を連想するということで、そのゲームは中止するどころか、その札を焼き捨てることまでされていました。
ただの迷信・語路合せといってしまえばそれまです。しかしプレイヤーの命運まで左右する不気味なエピソードがあるとしたらそれでも笑い飛ばすことができるでしょうか?それはアメリカの伝説のガンマンや、わが国で最も有名な戦国武将でさえ巻き込んでいたとしたら…
●伝説のガンマンが命を落としたポーカー「死者の手」:画像
ポーカーの手役の中には「Dead man’s hand(死者の手)」と名前からして不気味な手があります。
ジェームズ・バトラー・ヒコックは南北戦争中陸軍のスパイとして、また戦争後は保安官として、その早撃ちで「ワイルド・ビル」と恐れられたアメリカ西部開拓史に名を残す伝説のガンマンです。
が、光が強ければその影も濃いもの。多くの無法者、お尋ね者を葬ったが故、逆恨みする犯罪者達も多く常に命を狙われる日々でした。
そして運命の1876年8月2日。ナンバー10サルーンでポーカーに興じていたワイルド・ビルは観客を装った背後から近づいたその男の隠し持っていた銃に気がつくことはありませんでした。響き渡る銃声。絶命。
このときワイルド・ビルは僅か39歳という若さ。銃弾と共に作られたその伝説は凶弾によって幕が閉じられました。この時彼が手にしていたポーカーの役こそ「黒のエースと8のツーペア」
これ以後この手役は「Dead man’s hand(死者の手)」としてポーカープレイヤーたちの間では忌避されています。
●戦国最強の武将の死を予言していた? 囲碁の「三劫(さんこう)」
囲碁の起源は古くすぎて詳しいことはわかっていませんが、中国で発生し、戦争のシミュレーションとしてあの三国志の武将たちも嗜んでいたといわれています。そしてそれは日本の戦国武将たちも例外ではありません。その代表各が織田信長。
現在、囲碁・将棋の最強の称号として、また一芸に秀でた人間のこととして「名人」という言葉を使いますが、元は当時囲碁の名手として名を馳せていた日蓮宗僧侶の日海(後の本因坊算砂)の碁を観戦した信長が「名人であると」褒め称えたことからだといわれています
さてある日、その日海と日蓮宗僧侶の利玄が信長の御前にて手合いをすることになりました。
囲碁ではコウと呼ばれる状態があり、これが三つできるのが「三劫(さんこう)」。非常に珍しい形であり、何千、何万局に一回といわれています。これが出現した場合勝敗は無勝負となります。この御前試合にてそれが出来てしまいます。
三劫は昔からは凶事の前触れといわれ、これを恐れた二人の棋士は早々に退城します。奇しくもその数時間後、信長は業火の中で自害して果てます。日海と利弦らが招かれたその場所こそ本能寺だったのです。
囲碁は呪術・易学と深く結びついていたという説もあります。未来を占うための道具…… それが織田信長の命運まで占っていたのでしょうか?」

画像:三人の天下人に使えた算砂
honinbo.shusaku.in/ shougai3.html より Orz〜
「本因坊算砂(1559?1623)  本因坊家の開祖である本因坊算砂は、もともと京都の僧侶で、囲碁の名手としても名高い人物でした。織田信長は上洛の際、算砂の対局を観戦し「名人の所作」と褒め称えました。また豊臣秀吉が囲碁の御前試合を二度開催しますが、二度とも優勝したのは算砂でした。さらに徳川家康とは囲碁の手合わせをするとともに「名人碁所」として重用されました。このように三人の天下人に仕え、三人から称えられた算砂は、まさに名人中の名人といえるでしょう。本因坊の名は、修行していた寂光寺本因坊から得たといわれています。」

画像:黒:鹿塩利玄 白:日海(本因坊算砂)三コウ無勝負 終局図 
http://haradai.hp.infoseek.co.jp/katteyomi/hikago/hikago_51-2.htm より Orz〜

http://plaza.rakuten.co.jp/nipparat/diary/200502210000/ より Orz〜
「3劫無勝負と言えば本能寺の変前夜の算砂と利玄の対局が有名ですね。以前何かで読んだのですが、当時招待されれば泊まっていくのが普通なのに、なぜかその日だけは対局後に帰ったので夜襲に巻き込まれなくて助かったそうです。算砂は、すでに変の事を知っていたのでしょうか?当時、戦国武将達は囲碁を使って戦略の研究をしたそうですが、3代の天下人に仕えた算砂は、実は影で彼らを操っていたのではないかと考えてみたくもなります。いずれにしても、日本で囲碁が発展したのには、初代碁所の算砂の貢献が極めて大きいと思いますので、第一回の囲碁殿堂の一人に選ばれたのは当然でしょうね。」

http://homepage3.nifty.com/junichi-uchida/sansa.htm より Orz〜
「「碁なりせば劫を打っても活くべくに死ぬる道には手もなかりけり」の辞世で知られる第1世本因坊算砂(1559?永禄二年〜1623年?元和九年)は、我が国の囲碁の近世の祖で専門家のはしりといえる。京都長者町に舞楽一流の宗家の加納家の三男として生まれる。幼名興三郎、法名日海、仏道の傍ら碁を学び、織田信長に召し出され名人と称えられる。
1582年?天正10年、信長の午前で鹿塩利賢との対局し偶然にも三劫が生じたため無勝負にしたが不吉な感じで退出したところ、その夜日本の歴史を変える「本能寺の変」が発生した。
しかし現在に途中まで伝わる「本能寺における三劫の局」の棋譜には三劫のできる余地は見られないので、当日打たれた他の局であったと推測されている。・・・
将棋も大橋宗桂と平手であったが将棋所はその後宗桂に譲っている。
算砂は当時の碁の専門家を統括し中国流の互先置碁布石から自由布石に改良した。
また織田信長、豊臣秀吉、徳川家康3人に仕えて、碁の組織化と普及に貢献した。
なお、仕えた3人の実力は5目位だったといわれている。

詰碁コーナ:黒先白死 野猿過水勢(やえんみずをすぎるのせい):(画像のアップができません...^^;)
猿川を渡るという玄々碁経でも有名な問題です。実戦にも応用できる手筋です。
中央の曲4目の形の黒石が左側に繋がれば右の白石は自動的に死にます。

正解図1:画像
黒1、黒3と続けてコスムのが巧手です。

正解図2:画像
白4と遮っても黒4、7と出切れば以下中央がセキになり右側の白石は死なのでセキ崩れになります。

正解図3:画像
黒1に白2とツケても黒3,5で繋がっています。
白4で黒5のところに押さえても黒5で白2の上に打てば繋がっています。

失敗図:画像
第1図の黒3で直接黒3、5と切るのは白6で取られてしまいます。」

ここのサイト面白そう〜〜〜♪

異常/異状

イメージ 1

どうも今一この使い分けがわからなくなってきたもので・・・^^;v

http://www.biwa.ne.jp/~take-c/nihongo/thema%201/ijonashi.html より Orz〜
「「異常なし」というのは、基本的には数値だとか量だとかをもとにして使う語である。したがってその対象物そのものを見るわけではない。逆に「異状なし」の方は実際にモノを見てみてとくに変わったところがない場合に使う。
 これを分かりやすくたとえてみると、電圧計を凝視していた係員が
1.「異常なし」と報告したときは、「電圧が平常値の範囲内だった」ということになり、
2.「異状なし」と報告したときは、「電圧計が正常に作動してました」ということになる。
 この辺のビミョーな違いを把握しておけば、つまらないカン違いをすることはないであろう。 」

http://www015.upp.so-net.ne.jp/haku/ijyou-ijyou.html より Orz〜
「毎日新聞のコラム「校閲インサイド」の「読めば読むほど」を引用させてもらいます。
「イジョウ」の見た目
96年6月13日に福岡空港でガルーダ・インドネシア航空機の離陸失敗事故が起きた時のこと。14日付朝刊記事のエンジントラブルを説明する部分で、「エンジンにイジョウがあった」の「イジョウ」を「異状」「異常」のどちらにすべきかをめぐり、東京本社の編集局で議論があった。
毎日新聞用語集は「イジョウ」の使い分けをこう記している。異状=(平常でない状態)例・就職戦線異状なし、特に異状はない。異常=(正常でない、アブノーマル)例・異常気象、異常な状態。
結局、エンジンが故障し、平常の働きができなかったと考えれぼ「異状」でよいという意見に傾き、朝刊はー面大見出しを「エンジン異状離陸断念」とするなど、「異状」で統一した。ところが翌朝、タ刊作業のための編集会議で異論が出た。用語集の基準とは別に、世間では「異常」が一般的で、特に大見出しの「エンジン異状」は見た目の違和感が大きい──。議論を踏まえ、この場合は「異常」を便う方針に転換し、同日付タ刊から「(エンジンの)第2、第3両方に異常?」などと表記することにした。
「異状」は「異状なし」など限定的に使うべきで、「異常」とすべき例の方が多い。最初からそのように判断できれぼよかったのだが、使い分けの奥深さを語るうえで、今でも忘れられない経験の一つである。【岡本隆一】毎日新聞 2006年6月5日(月) 朝刊
・・・
 辞典に当たってみた。
●「広辞苑」(岩波書店)
異状 普通とはちがった状態。別状。「体の異状を訴える」
異常 通常とはちがっていること。並外れたところのあるさま。好ましくない意を込めて使うことが多い。
●「類語大辞典」(講談社)
異状 ふつうと違うよくない状態。
安全装置には異状ありません。超音波検査で胃に異状が認められた。
異常 ふつう・正常、あるいは、いつもどおりでない様子。
「彼らを異常な行動に走らせたものはなんだったろう」「彼は異常に興奮してまくしたてた」
異常事態、異常気象、異常発生
●「日本国語大辞典」(小学館)
「異常」と「異状」は、現代語において、意味・用法に類似したところがあるが、 「異常」は普通の状態との異なりのほうに重点があり、「異状」は普通とは異なった状態そのものに重点がある。したがって、「…が」「…を」「…に気づく」のような名詞的用法の場合には「異状」が用いられ、「…な」「…に興奮する」のような形容動詞的用法の場合は「異常」が用いられるのが原則である。ただし「精神の異常をきたす」のように、名詞的用法の場合でも「異常」が用いられることもある。・・・」

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?queId=6835962 より Orz〜
「まず使い方(品詞)
「異常な行動」とは言えますが、「異状な行動」とは言えません。

名詞の場合の意味ですが、
「異常」は「正常」に対する言葉ですから、裏返して言えば、「正常でない」ことです。
「異状」は「普段とは違った様子」です。
?に異常をきたす。
?戦線異状なし。

ですから、
「見たところ異状は無かったが、精密検査の結果異常が発見された。」ということがあり得ます。」

http://www.nhk.or.jp/bunken/research/kotoba/qq/kotoba_qq_07060101.html より Orz〜
「 「(健康診断で)イジョウがない」という場合、「異常」と「異状」のうち、どちらの漢字を使えばよいでしょうか。

「診断結果は異常なし」など、「異常」を用います。

【解説】
「異常」は「正常」の対をなすことば・対語です。「〜な発達、〜な執念、信号機の〜」など「正常でない、普通でない」という意味で一般的に使います。 ・・・
NHKも加盟している日本新聞協会の『新聞用語集 2007年版』は「表記の原則」の中で、「異常」と「異状」について次のように示しています。
=異常[一般用語。正常の対語、アブノーマル。名詞・形容動詞]異常乾燥、異常気象、異常事態、異常な行動、異常に緊張、異常発生、エンジンに異常、診断結果は異常なし
=異状[限定用語。普通と違った状態。名詞]異状死(体)<医師法>、西部戦線異状なし(レマルクの作品名) (『NHKことばのハンドブック 第2版』p.16参照)
(回答者 メディア研究部 用語班 豊島秀雄)」

以上です ^^
「異状」って方を使いすぎるのはどうも「異常」みたいですね...^^;
でも...英語だったら...どっちも「abnormal」になるのかな・・・?

Yahoo辞書より Orz〜
「異状:【ふだんと違うこと】something unusual;【故障】something wrong.
異常:◇異常な|〔普通でない〕unusual, extraordinary; 〔正常でない〕abnormal; 〔特異な〕peculiar; ((文)) singular; 〔非凡な〕uncommon; 〔著しい〕remarkable 」

みたいね・・・^^;

画像:「西部戦線異状なし」
blogs.yahoo.co.jp/ bazitoufuu1970/40074054.html より Orz〜
「【あらすじ】
映画の舞台は第一次世界大戦の西部戦線(ドイツとフランスの北部国境付近)。
教壇から生徒達に愛国心を説き、「すぐれた指揮官を求めている」と志願を煽動する老教師。主人公のポールとともに二十人の学友が入隊を志願し意気揚々と出征する。しかし、待っていたのは「名誉の戦場」でも「すぐれた指揮官でも」なかった、 餓えに耐えながらの行軍、塹壕の中で失われる理性、砲弾の雨、そしてクラスメート達が続々と戦地に散る。ポールは 負傷休暇の為、数年ぶりに郷里に帰った、相も変わらず老教師は生徒たちを愛国心を説く、ポールは後輩達に「死ぬことは恐ろしいことだ、国のために何百万もが死んいる、無意味にね」と語る。後輩たちはポールを卑怯者とののしる。 帰る故郷を失なったポールは再び戦場に戻る。遠くに聞こえる砲弾の音、誰かが奏でるハーモニカの音色、ポールは微笑みながら塹壕から手を延ばし、可憐な蝶を捕まえようとする。そのときフランス兵の放った静寂を破る一発の銃弾がポールを捉える、呆気無いポールの死。この日前線からドイツ軍司令部への報告は「西部戦線異状なし」であった。

【西部戦線異状なし/ALL QUIET ON THE WESTERN FRONT】
・1930年 アメリカ
・監督:ルイス・マイルストン
・出演:リュー・エアーズ/ウィリアム・ベイクウェル/ラッセル・グリーソン 
・第三回アカデミー賞 作品賞、監督賞
・日本公開 1930年10月公開された。「フランス人の遺体と一晩過ごす」場面や後輩に「戦争は無意味」と説くシーン等は、当時日本の軍部によりカットされ上映された。」


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