アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

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バーボン

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バーボンが好きだって前にも書いたけど、、、その語源は知らなかったもので...^^

http://ja.wikipedia.org/wiki/バーボン・ウイスキー より Orz〜
「バーボン・ウイスキー (Bourbon Whiskey) とは、アメリカ合衆国ケンタッキー州を中心に生産されているウイスキー(蒸留酒)の1つ。略して「バーボン」とも呼ばれる。
1789年(合衆国発足の年)、エライジャ・クレイグ牧師によって作られ始めたのが最初といわれている。尚「バーボン」という名前は、アメリカ独立戦争の際にアメリカ側に味方した、フランスの「ブルボン朝」に由来する。後に合衆国大統領となるトーマス・ジェファーソンがケンタッキー州の郡の1つを「バーボン郡」と名づけ、それがそのまま同地方で生産されるウイスキーの名前となり、定着した。

製法・種類
主原料は51%以上80%未満のトウモロコシ(80%以上のトウモロコシを含むものは「コーンウイスキー」と呼ばれ、区別される)・ライ麦・小麦・大麦など。これらを麦芽で糖化、さらに酵母を加えてアルコール発酵させる。その後、連続式蒸留機でアルコール度数を160プルーフ (80%) 以下に調整し蒸留。その後125プルーフ (62.5%) 以下で内側を焼き焦がしたホワイトオークの新樽に詰めて2年以上貯蔵・熟成させる。熟成の際に焦げた樽の色と匂いが移り、完成したバーボンは独特の芳香を持つようになる。なお、熟成の際に樽の内側を焦がす理由については、クレイグ牧師が樽を置いていた鶏小屋が火事に遭ってしまい偶然にできたという説、最初から内側が焦げていた樽を偶然使用したのではという説、あるいは魚が詰めてあった樽の生臭さを消すために仕方なく内側を焦がしたのではという説などさまざまあるが、詳細については定かではない。完成品として市場に出荷される際には、アルコール度数は80プルーフ (40%) 以上であることが義務付けられている。
バーボンの中で、特に2年以上熟成させたものは「ストレート・バーボン」、樽同士のブレンドを行わずに少量を瓶詰めしたものは「シングル・バレル・バーボン」、さらに5〜10種類の樽をブレンドしたものは「スモール・バッチ・バーボン」と呼ばれ、区別されている。

主なブランド
アーリータイムズ (EARLY TIMES)
I・W・ハーパー (I.W. HARPER)
ジム・ビーム (JIM BEAM)
フォア・ローゼズ (FOUR ROSES)
メーカーズ・マーク (Maker's Mark)
ワイルドターキー (WILD TURKEY)
エライジャ・クレイグ (ELIJAH CRAIG)                       」

あの独特な臭みは、、、焦げた樽の移り香だったんだ...♪

画像(下):フォアローゼズ プラチナ
http://www.kirin.co.jp/brands/sw/fourroses/products/index.html より Orz〜
わたしがいつもキープするやつ・・・オンザロックで・・・これは美味い♪
フォアローゼズ シングルバレルにはまだお目にかかったことないなあ...^^;

画像:ブッカーノーズ
http://blogs.yahoo.co.jp/ozzyrosezakk/12331664.html#12331664 より Orz〜
「※ブッカーノーズ
通称、ブッカーズと呼ばれるこのバーボンは、ジムビーム社創業者の5代目ブッカー氏が厳選した樽出し原酒をブレンドして世に送り出した。度数は高いが、その香りと味のバランスは抜群で、ぜひバーボン嫌いの人やウィスキー嫌いの人に一度試して欲しいお酒。実はロックやストレートで飲むより、お水で1:1ぐらいに割って飲むのが一番美味しいと思われる。」

これもいかにもおいしそうだなあ♪ 涎が出てきちゃいます...^^;

画像:メーカーズマークのブラックトップ
www.emono1.jp/ detail-37969.html より Orz〜

これも旨そうで困っちゃうなあ...
でも、「2004年にメーカー終売となった貴重品」ということで,,, 幻のバーボンかもね...
そんなことならよけい飲みたくなっちゃうのが人間の心理だよね...^^;v

画像:ピュア・アンティーク
http://item.rakuten.co.jp/shinanoya/2700000718377/ より Orz〜
「PURE AUTIQUE 25yo
その名の通りピュアなバーボンを目指してつくられたバーボン。数ある樽の中から最高の状態のものを選び、最高の状態にあるときそれを水も加えず濾過もせず瓶詰めするこだわりのスタイル。樽から直接瓶詰めする最高に贅沢なつくり。もちろん過剰な生産は一切行わないのもこだわり。
滑らかさはバーボンの中でも最高クラスに属し、スパイシーな香りと豊かなコク、複雑で高級感が伝わってきます。量産型バーボンとは一線を画す非常に上品な味わいで、ゆっくり時間をかけて味わって飲んで頂きたいバーボンのひとつです。 」

うぅ...だめじゃ...こりゃきりがないわい...いくらでも食指を伸ばしたくなる・生唾ゴックンなものがあるわあるわ...^^;;
私自身がもっとシンプルに生きなきゃならないのかも知れないなんて思えてきた...^^;
人間も年代物の方が豊潤な味を醸し出せるような生き方をしなきゃ嘘だよな・・・!!

天使ガブリエルの角笛

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体積は有限でも、その面積は無限だという3次元の図形に「天使ガブリエルの角笛」っていう名前が付けられたって本で読んだものだから、、、早速調べてみたけど、、、肝腎の画像見つからず...Orz...
おそらく、、、フラクタル図形のメンガーのスポンジの円錐バージョンなんだろうと推測してるけど...^^ でも以下のようなことを知りましたよ♪

http://blogs.dion.ne.jp/ikkaku/archives/cat_242961-1.html より Orz〜
「「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉があるように、ユリは大和美人にもたとえられる花です。
西洋でも白百合は純潔の象徴で、聖母マリアに受胎告知をした天使ガブリエルが手に携えてますね。
最近は「エンジェルス・トランペット」という大型の園芸植物が人気ですが、「天使の角笛」とは元々この白百合の事を指すんですね。両方とも花の形がトランペットに似ているからでしょう。
クロムハーツのシルバーアクセサリーや、ブランド品のモノグラムで使われる「フレア」という紋章も、元々はおフランスのブルボン王家の紋章で、百合の花をデザイン化したものだとか。 」

画像:ヤン・ファン・エイク画・ガブリエル
http://ja.wikipedia.org/wiki/ガブリエル より
「ガブリエル(ヘブライ語名 ガヴリーエール ?????????、アラビア語名 ジブリール ???????)は旧約聖書『ダニエル書』にその名があらわれる天使。ユダヤ教からキリスト教、イスラム教へと引き継がれ、キリスト教ではラファエル、ミカエル、ウリエルと共に四大天使の一人であると考えられている。西方キリスト教美術の主題の一つ「受胎告知」などの西洋美術において、彼は優美な青年で描かれる。時には威厳のある表情で描かれることもある。
聖書においてガブリエルは「神のことばを伝える天使」であった。ガヴリーエールという名前は「神の人」あるいは「神は力強い」という意味である。ガヴリーエールは、しばしば剣と盾を持ってエデンの園の入り口を守るミカエルと混同されることがある。
ガブリエルはキリスト教の伝統の中で「神のメッセンジャー」という役割を担うことが多い。たとえば『ルカによる福音書』では祭司ザカリアスのもとにあらわれて洗礼者ヨハネの誕生をつげ、マリアのもとに現れてイエス・キリストの誕生を告げる。聖書本文に名前は出ないが、伝統的に『ヨハネの黙示録』にあらわれて、ヨハネに神のことばを告げる天使もガブリエルであると考えられてきた。
カトリック教会ではガブリエルは通信事業の守護者であり、その聖名祝日はラファエル・ミカエルと共に9月29日である。ガブリエルがマリアを訪れてイエスの誕生を告げた出来事は「お告げ」あるいは「受胎告知」といわれ、カトリック教会では3月25日に記念されている。聖母マリアの純潔を示す、白百合を携えて描かれていることが多い。また、ロザリオの祈りの喜びの元儀の第一元儀はこの「お告げ」の出来事になっている。

正教会でも生神女(聖母マリア)のもとを訪れてイイスス(イエスの中世ギリシャ語・教会スラヴ語読み)の誕生を告げたのはガウリイルであると伝承されており、生神女福音祭のイコンにその情景が描かれる(正教では通例「受胎告知」の用語を用いず、「生神女福音」の語彙が用いられる)。正教会の聖堂に設置されるイコノスタシスではしばしば天軍首ミハイルとともに南門・北門にガブリエルのイコンが描かれる。杖または百合をもっていることもある。・・・」

http://iriseangel.exblog.jp/i4/ より Orz〜
「大天使ガブリエル(Archangel Gabriel)
名前の意味:神の使者
特性:妊娠、出産を癒す。創造的な事業にかかわる心配や不安を癒す
オーラカラー:赤銅色
クリスタル:シトリン

癒しの存在として〜
ガブリエルの名前には「神はわたしのよりどころ」という意味があります。ルネッサンス初期の絵画には、ガブリエルが羽を生やした女性の姿で描かれています。しかしこれ以降の時代の絵画においては、力強い男性として描かれるようになりました。ガブリエルは神の使者となって、肉体をもった地上のメッセンジャー(作家や教師、ジャーナリスト)たちを守護し、助けます。ガブリエルの名を呼べばてきぱきと物事を片づけることができ、いかなる状況においてもスムーズなコミュニケーションが取れるようになります。
女性の大天使で、聖母マリアにイエス・キリスト、そしてエリザベトに洗礼者ヨハネの誕生を伝えました。ガブリエルは今も、妊娠している女性と赤ちゃんすべてを守護しています。養子縁組や妊娠、そして出産に関することは、何でも助けてくれます。

宗教的背景〜
大天使ガブリエルの主な仕事は神の意志を伝えるメッセンジャー、そして天国の町の広報係という役割である。ガブリエルが伝えた最も有名なメッセージは、聖書に書いてあるように、パレスチナの農夫の娘だった処女マリアに彼女がキリストの母親になるのを伝えたものだった。イスラム教徒は、神から受けたメッセージを口述で預言者ムハンマドに伝えたのがガブリエルであると信じている。
ものを伝えるという仕事の他に、ガブリエルは天国の管財人としの職務も持っている。ある伝説によると、ガブリエルは天国から離れていって生まれ変わる魂を導き、魂が母親の子宮のなかに入っている9ヶ月間の間見守る。夢と幻の解説者であるとも伝えられている。」

画像:うずまき
http://www.okosama.org/okusama/blog/2007/08/post_107.html より Orz〜
「白い方がカリフラワーで、緑の方がブロッコリーって…最近は緑のカリフラワーがあるから…う?ん。だったら一緒にしてしまえというわけで、カリフラワーとブロッコリーを掛け合わせたのが「うずまき」。オランダ生まれのカリフラワーの一種なのだけど、見た目が素晴らしい!
真上からみるとフラクタル図形そのもの。・・・」

玄孫(やしゃご)までいるようなセンテナリアン(百寿者)の家族が揃った姿を想像してみると、、、
DNA による連綿たる生命の営みはまさに、、、フラクタルなダイナミクスそのものだと思えますね ^^v 無限な図形に妊娠を告げる天使ガブリエルって命名したのは偶然じゃないような気がします...^^

「偶有性」

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ときどき遭遇する「偶有性」って言葉の意味を調べてみた ^^v

http://ja.wikipedia.org/wiki/本質 より
「本質(ほんしつ)(希 ουσια (ousia), 羅 substantia / essentia)とは、あるものがそのものであると云いうるために最低限持たなければいけない性質をいう。もしくはそうした性質からなる理念的な実体をいう場合もある。或る存在を必然的にその存在として規定する内実がその本質である。伝統的には、「それは何であるか」という問いに対する答え(「何性」)として与えられるもの。
それに対して、ものに付け加わったり失われたりして、そのものが、そのものであることには関わらない(必然性のない)付帯的な性質を、偶有(性)という。
一般的には広義の使われ方として、「見せかけ」や「表面上の事柄」に対する概念としての「正体」や「真髄」など「ものの奥底にある表面的でない、中心的な、本当の性質」の意味で使われる。
対義語は現象。」

難しい・・・本質とそうでない偶有性との仕分けは恣意的になるような気がするけど...^^;?

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50261584.html より Orz〜
「偶有」整理法
「実にあざといタイトルである。「脳」整理法 茂木健一郎
本書は、「脳を整理するにはどうしたらよいか」を示すハウツー本ではない。それを期待すると肩すかしを食うことになる。ただし、「脳が世界をどう整理している」かにヒントを与えてくれる本ではある。そのキーワードは「偶有性」(contingency)。・・・これではちょっとわかりづらい。英語のcontingencyの方がよく見かける言葉で。
・・・
筆者は、「偶有性」を「半場必然、半場偶然に起ること」と定義している。そして、脳の仕事はこの偶有的事象を整理することなのだと説いている。筆者はさまざまな事例を挙げ、偶有性がいかに脳にとって大事かを説いている。脳にとって必然は退屈過ぎ、偶然は辛すぎる。カオス(混沌)とコスモス(秩序)の狭間こそ、脳が最も力を発揮する領域というわけだ。
確かに思い当たるふしはいくつもある。明日太陽が上るかどうかを、我々は気にする事はない。それはあまりに必然的で、そしてどうして必然的かは物理学という「世界知」が担保してくれる。また、自分が参加しているならとにかく人の賭け事の結果を気にすることもない。イカサマでもない限り、賽の目が偶然であることを我々は知っているからだ。
・・・経済学者は厳密には、「株価はファンダメンタルに対してランダムウォークしながら収斂する」と言っているのだが、我々は現在の株価のどこまでがランダムウォークの関与で、どこまでがファンダメンタルの反映なのかを知らない。経済が「エキサイティング」なのは、それが大いに偶有的なことの証左かも知れない。・・・まるで勝てないゲームなど始めからやる気が起らないし、逆に簡単に勝ってしまったりするゲームは退屈だ。・・・それでは脳がどう偶有を整理しているかというと、そこから何らかの必然、すなわち法則を見いだすことにあるようだ。1,2,4,8,16....という数字の列を見て、f(n) = 2^n (ちなみにf(0) = 1)を「見い出し」、「次はなに?」と言われた時に「32」と答えるのが脳の整理法と言える。しかし脳にとって楽しいのは、f(n) = 2^n を見いだすところまでで、「f(10)はいくつか」と聞かれて「1024」と答える頃にはあくびをしている。・・・しかし、この「偶有性を整理する」という脳の機能は落とし穴にもなりうるという点を本書は指摘しわすれているように思う。ランダムに配置された星々に星座を見いだすまではロマンティックでも、占星術ともなればもう脳の勇み足もいいところだ。実際こうして生まれた「秩序もどき」の弊害は、「無秩序」の弊害に匹敵するのだ。偏見を生み出すのも、また「脳」の整理法ゆえなのだ。・・・」

偶有性に何らかの法則を見出そうとするのが脳?
それは科学的にもなり、アドホックな似非科学にもなる...?

http://genxx.com/blog/archives/000187.html より Orz〜
偶有性??他者を想う可能性
「・・・
偶有性(contingency)とは、「AではなくBでもありえた/BでもありえたのにAである」こと、つまり「可能だが必然でもない/必然ではないが不可能でもない」ことだった。なにも難しい言葉を使わなくても、たとえば「運が悪い」ってのも偶有性の問題だ。論理的必然性、および明確な因果関係は無い、けれどもなぜか自分が被害者に選ばれてしまった、ということ。たとえば、運転士の速度超過など、脱線事故に必然性があったとしても、わたしの恋人が犠牲者になる必然性は存在しなかった。わたしの恋人が命を落としたのは、偶有性の問題だ。・・・偶有性は必然性(因果関係)ではないので、それに責任を求めることは出来ない。「たまたまわたしの恋人が地震で亡くなった」という偶有性の責任を取ってくれる者などどこにもいない。「運が悪かった」としかいいようがない。やるせない。やるせない状態は、耐え難い。だから、たとえば「耐震性の弱い木造建築を放置していた行政の責任だ!人災だ!」などと思いたくもなる。人は、因果関係の無い出来事にひどく怯える。偶有性の問題を、あたかも因果関係のある必然性の問題であるかのように偽装する。そのために、仏教で言うところの「因果応報」や「業」という概念が開発されたのだろう。「バチ」が当たる、とか。「運」という言葉も、偶有性の問題を必然性の装いでカモフラージュする。宗教とは、偶有性を巧みに扱う技法である。そんな感想を、最近抱いている。けれども、逆にいえば、宗教は偶有性をポジティブな意味で扱っているともいえるだろう。たとえば貧しくて苦しんでいる人が目の前にいる。この貧しさが偶有性の問題だとすれば、「わたしが彼の立場でもありえた」ことになる。ここに平等愛が芽生える。合理性・因果関係の世界に生きている私たちからすれば、「おまえが仕事を怠けただけだろ」となってしまうのだが。つまり、必然性を導入しない限り、ある他者を断罪する(=自分から切り離す)ことはできない。必然性ないし理由を見い出す営みは、自分から対象を切り離すことでもある。マザー・テレサは、生涯、身を切るような偶有性に取り憑かれていたのだろう。霊や呪術や民間療法といったものも、ある意味では、偶有性を必然性に偽装するためにおそらく開発された。科学の一部は、偶有性を必然性に(偽装ではなく)「変換」するが、そうであるがゆえに、わたしたちは科学が大好きだ。私たちが不幸な境遇に陥っている他者と接する際に、偶有性の意識に貫かれてコミュニケーションをとるならば、それは「共感(=sympathy ; 共にある感情)」となるだろう。でも、他者が(理由があって)必然性から不幸な境遇に陥ったと考えるならば、それは「憐れみ(=pity ; 自分から他者を切り離した状態)」となるだろう。・・・偶有性は共感を生む。共感が、人の根源的な愛を生む。「自業自得」という言葉がある。たとえ必然性からある人が不幸な境遇に陥ったのではなくても、わたしたちは「業」という偶有性を必然性に偽装する言葉を用いて、彼をわたしたちから切り離す。逆にいえば、悲惨な状況に陥った人々を目の前にし動揺するとき、わたしたちは何らかの偶有性を感じている。自分の心が痛むとは、偶有性を感じることである。「彼ではなく私でもありえた/私でもありえたのに彼である」と感じる可能性。「愛」という空疎な言葉をひとまず措いておくとすれば、倫理の可能性はここにしかないのではないか。
ある事故が生じる。もちろん原因追及は必要だ。原因追及の営みが、人類に進歩をもたらした。昨日のリスク論に書いたとおり、原因追及は、私情を挟まずシビアに/科学的に行うべきである。だが、原因追及がもたらす必然性の感覚は、わたしを他者から切断してしまう。「彼ではなく私でもありえた/私でもありえたのに彼である」ことを覆い隠してしまう。「共感」が「憐れみ」になってしまう。現代が「心貧しい時代である」といわれるならば、このことが一因でもあるだろう。
たとえば世界中で戦争に苦しむ人々を想うとき、「戦争反対!」のスローガンはあまり役立たない。冷静に、アメリカや中国を中心として繰り広げられるパワーポリティクスを見極める必要がある。因果関係(必然性)の推定は、科学的、冷徹に行わねばなるまい。だが、「必然性」の感覚に支配されて、苦しむ人々から自らを切断してしまうのは違う。この科学の時代にあって、どこまで自分の中に「偶有性」の感覚??他者を想う可能性??を保てるのか。一人の人間として、常に問われている。」

自分がその立場であったかも知れないという想像力の欠如(脳本来がもっていたはずの偶有性へ思いを馳せる働きの衰え?)が官僚らの瑕疵だらけ齟齬だらけその場しのぎの弥縫策を生んでる原因なんじゃないのかなあ...
私自身も,,,そりゃ身につまされる...惻隠の情は曲がりなりにも残っていてもそれ以上でもなくそれ以下でもないままの日常しか送れてない...代替不能であることの確信...=他者への無関心=自己を全うするしかないことの諦めと覚悟...幸せも不幸せも自分自身のものでしかない...
他者を思うこころが例え失われてないとしても,,,それが政治に活かされない社会なら他者にたいする無関心なままといくらも変わらない...
大多数の偶有的に負け組に属する者はみずからの力で変革を勝ち取るしか道はないのかも知れない...
生きることが快楽を追求することであるなら,,,負け組も勝ち組も平等にその権利はあるわけで...たまさか(偶有的に)負け組であるからと諦めていては,,,偶有性は必然性を帯びてしまうことになりそう...^^;?
わたしが、男に生まれ女でなかったことも、この体形でこの顔で生まれたことも偶有的なことであり、プロスポーツ選手に生まれたかも、絶世の美女に生まれたかも知れないわけで...そんなことは必然ではなく偶然なんだけど、そうであること自体は偶有性の事柄である...ってな具合に使えばいいタームだと認識してればいいのかな・・・^^?

画像:茂木健一郎
http://www.sony.co.jp/Fun/design/activity/interview/mogi_01.html より Orz〜

彼はたしか、、、大恋愛後(片思いだったっけ?)に失恋したと言ってたと記憶してる...
彼女が自分じゃなく自分以外の他者を選んだことを偶有性でもって自分自身に納得させたんじゃないのかな...なんて...^^...だって、、、その逆の可能性(彼女に選ばれる側の男でもありえた)ことに気付いたならば...少しはこころの痛手は和らぎそうだもの...^^ Orz...

アドホックな仮説

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「アドホック」ってな言葉に遭遇したものだから...調べてみた ^^
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A5%C9%A5%DB%A5%C3%A5%AF より Orz〜
「【ad hoc】取ってつけたようであるさま。
この意味より,「恒久的でない」とか「反復的でない」ような形容に使われる.」

http://ja.wikipedia.org/wiki/アドホックな仮説 より
「アドホックな仮説(Ad hoc hypothesis)とは、ある理論が反証されたときに、その反証を否定するためにその理論に後から付け加えられる補助仮説のことである。
日本語では「その場しのぎの仮説」などと表現する人もいる。「取ってつけたような仮説」といった表現にまですると俗称にあたる。
反証主義の立場においては、反証可能性を減少させるようなアドホックな仮説は認められない、ともされている。すなわち、アドホックな仮説は、しばしば当の仮説(本体)の反証可能性が失われ、結果的に仮説そのものの科学的な地位を消し去ってしまう、とも見なされている。
ただし、理論分析などにおいて特定の結論を導くために用いられる仮定については、アドホックな仮定(Ad hoc assumption)と呼ばれており、これに関しては科学的に有益である限り問題ない、ともされている。

事例
科学哲学の解説書などでは、この種の仮説として、燃焼に関する「フロギストン仮説」についてのもの(フロギストン説本体にさらにつけ加えられた仮説)が挙げられることが多い。
一般に、ものを燃焼させれば煙が立ち上ることから、なにものかが燃焼中に放出されているのではないか、と見なしたのがフロギストン仮説である。この仮説に従えば、燃焼後の物体は質量が減少しているはずである。フロギストン仮説そのものは、立派に科学的な法則になりうる。
しかし、後にラボアジエによって精密な燃焼実験が行われ、燃焼すれば質量はむしろ増加することが分かった。現代科学の仮説では、燃焼とは酸化のことであり、酸素が加われば質量も大きくなる、ということになるが、それは後の時代になってからの解説である。
この実験結果によりフロギストン仮説は否定されようとしたが、一部の科学者はすぐには仮説を偽であるとは認めず、新たな補足を加えた。それは、「フロギストンはマイナスの質量を持つから、フロギストンが燃焼中に出て行けば逆に質量は増加する」というものだった。 このケースでは、マイナスの質量を検出することが不可能であるため(燃焼の前後の質量を比較する、という方法が提案されたが、それはマイナスの質量を持つことを必ずしも裏付けない)、反証主義の立場では こういった仮説まで認めると説全体が反証可能性を持たなくなってしまう、とし、このような補足的な仮説をアドホックな仮説と呼んでいる。同主義では、このようなアドホックな仮説まで認めて行くと、科学的に有意義なはずのフロギストン仮説を巡ってただ空疎な議論が展開されることになりかねず、反証可能性を持たなければ一連の仮説の全体が崩れてくるのだ、と説明することが多い。

判定の難しさ
上記のフロギストン仮説のような、議論された時代が古くて比較的単純な事例だけが提示されると、さも、付け加えられる仮説というものは最初に提示された段階から、これはアドホックな仮説、これは理論の再構築のための妥当な仮説の追加、とはっきりと峻別できるかのような印象を生むが、実際はそれほど簡単なものでもない。あくまで後の時代になって、無数の検証や検討が行われて理論がほぼ確立した後で論じているからこそ、そのように説明することができる。このような論じ方は「合理的な再構成」や「事後解釈」などと呼ばれている。複数の大仮説や理論が並行的に構築の途上で、それぞれの妥当性が議論されている段階では、どの仮説までは妥当でどこからが妥当でないかははっきりしないことも多い。例えば現代の先端の素粒子論などでも同様の難しさが見られることがある。」

なかなか難解な話だけども...要はれいの「オッカムの剃刀」と同じ概念なんだろか...^^;?
またいずれアップ予定 ^^

http://ja.wikipedia.org/wiki/反証可能性 より
「・・・
アドホックな仮説
反証可能性のないアドホックな仮説を補助仮説として追加すると、その理論全体の反証可能性が低下する。これは、A ∧ B ⇒ C という推論が(論理的にではなく科学的に)妥当であるかどうかを判断するためには少なくとも A と B が反証可能でなければならないからである(注*論理学の要請からすれば C も反証可能でなければならないはずだが、しかし、自然科学においては主要命題 C が必ずしも直接的に反証可能であるとは限らない。これは、自然科学においては反証不可能なプログラム仮説を主要命題に組み込むことが認められることに由来する。例えば、進化論の主要命題はこれに属すると考えられる)。

反証可能性の判定の困難さ
ある仮説が反証可能性を持つかどうかを判定することは難しい。次のような実験を考えてみよう。降霊会を開いて霊を呼び出す実験が失敗した。心霊現象に否定的な学者は、少なくとも今回用いた方法(条件)によって霊を呼び出せるという仮説が反証されたと考える。これに対して、心霊現象に肯定的な学者が「霊の実在を疑う者がいたための失敗」と反論する。ここで、もし心霊現象に肯定的な学者が「霊の存在を疑う者が降霊会場に立ち入らず、遠隔のビデオカメラによって撮影するならば、降霊は成功する」と付け加えるならば、この降霊理論は全体として反証可能性を持つものになる。つまり、メインの実験が失敗した後で主張者がそれに補助仮説を付け加えたとしても、その補助仮説が反証可能である限り科学的検証の場に立つことができる。反証可能性が否定されるのは、例えば、「心霊現象は科学的に分析できない」と主張するような場合である。したがって、安易に「この仮説には反証可能性がない」「これはアドホックな補助仮説である」と断定するのは危険である。・・・

反証可能性と疑似科学
反証可能性を持つ仮説のみを科学的な仮説とみなす科学哲学上の立場を反証主義と呼ぶ。哲学史的に見れば、反証可能性の概念は科学と擬似科学の判定基準として提案された。反証主義によれば、科学理論は反証可能性を持ちつつ未だ反証されていない仮説の総体であると定義される。そして、厳しい反証テストに耐え抜いた仮説ほどより信頼性が高いものとみなされる。反証主義の代表的人物はカール・ポパーである。ポパーはフロイトの精神分析やアドラーやマルクスの理論を反証可能性がないため、科学的ではないと批判した。現在では、疑似科学を反証可能性だけでなく別の要素も含めて特徴付けようとする傾向が強い。テレンス・ハインズは、疑似科学の特徴として、反証不可能性の他に証明責任の転嫁や検証への消極的態度を挙げている。」

光の伝播体としてのエーテルってのもアドホックな代物だったって言えるんだろうかしら・・・ ^^;
科学の革命的なコペルニクス的展開は・・・いわばアドホックな発想だったって物言いはおかしいわけなんだろか...^^;?

文字

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人間は記録するために文字を発明した・・・
何を記録したかったんだろね・・・?
売買が始まってからかなあ・・・?

http://www.nacos.com/moji/index_c.htm より Orz〜
画像(上):
「これは神代文字といわれているものです。日本に漢字が伝わる以前に使われていたとされる文字で、神社などで、仏教色の強い漢字を嫌って、わざわざ使われる場合があります。神代文字には、いくつか種類がありますが、本当に漢字が伝わる以前から使われていたという可能性は低く、江戸時代頃の偽作とされています。・・・」

このサイトには天使文字と言われてるものもアップされてます...^^

一番最近発明された文字って、、、やっぱりハングル文字なんだろか・・・?

http://ja.wikipedia.org/wiki/文字#.E5.AD.97.E5.BD.A2.E3.81.AE.E8.A6.8F.E5.89.87.E6.80.A7 より
「文字(もじ)とは、言葉(言語)を伝達し記録するために線や点を使って形作られた記号のこと。文字の起源は、多くの場合ものごとを簡略化して描いた絵文字(ピクトグラム)であり、それが転用されたり変形、簡略化されたりして文字となったと見られる。・・・
表音文字の起源は、多くの場合表語文字や象形文字からいくつかの文字を借りて音節や音素だけを表すことに用いたものである。実際、たいていの表音文字体系では、ひとつひとつの文字や字母の字形と、それらが表す発音との間には関連がない。つまり、表す音素や音節ごとに別の字形の文字がある。しかし、文字や字母の字形と、発音との関係に規則的な関連が見られる表音文字体系もある。こういった文字体系の多くは計画的につくり出されたもので、フィーチュラルスクリプト(英: featural script。featural system とも)とも呼ばれる。
ハングルは、15世紀に李氏朝鮮の世宗が作らせたとされる文字体系である。字形は一見漢字を連想させもするが、ひとつひとつの文字は子音と母音の字母(?? チャモ)を規則的に組み合わせて音節を表す、純粋な表音文字である。子音の字母は発声器官の形を模したものとされ、同じ調音位置の子音字母は似た形をしており、朝鮮語に特有の平音、濃音、激音の対立を字母を変形することによって表している。母音の字母の形は陰陽五行思想に基づいているとされ、これらも朝鮮語特有の陽母音と陰母音の対立や母音調和法則に即した規則性を持つ・・・」

日本も漢字から今のひらがなを作ったんだけど、、、漢字を崩したり、その一部から作ったりでいわば借り物といえなくもないかな...^^;
文字ができるまではかなりの試行錯誤を要したことは想像に難くないですね・・・
それだけに、、、文字には歴史やら文化やらが濃縮ジュースのように詰まってるはずなんだ...♪
文明同士のぶつかり合いがあって初めて対応する辞書ができるので、、、日本も明治維新の時、先人があちらの言葉を訳するのに苦労した歴史がありますよね...^^
だから、、、ヒエログラフが読解できたのもエジプト文字やらが一緒に載ってたロゼッタストーンの発見の賜物で、、、そうでない孤立した分明の文字はいまだ読解を免れてるわけだよね...

画像:ロゼッタストーン
members.jcom.home.ne.jp/ daytona/UK/UK4th.html より Orz〜
「大英博物館の目玉の一つ、ロゼッタ・ストーン。ナポレオン軍がエジプトへ 遠征した時に発見した石。 発見場所がロゼッタ村であったことから、この名が付いた。 大きさは高さ114cm、幅72cm、重さ762kg。プトレマイオス5世の戴冠式の様子が、最上部に象形文字で、2段目に民衆文字で、 3段目にギリシャ文字で書かれている。 フランスの数学者ジャン・フランソワ・シャンポリオンが、この石を手掛りに、 1922年に初めて象形文字の解読に成功した。・・・」

結構でかいんだ!
大英博物館とルーブル美術館には行ってみたい〜〜〜♪
やっぱり、、、世界一周の船旅を実現させなくちゃならないな !! ^^v

http://ja.wikipedia.org/wiki/文字#.E5.AD.97.E5.BD.A2.E3.81.AE.E8.A6.8F.E5.89.87.E6.80.A7 より
「ヨーロッパ世界では、伝統的に、文字は音声言語の補助にすぎないという考えかたが根強くあった。ソクラテスは、文字に頼ると記憶力が減退するし、文字で書かれたものは弁舌よりも説得力が劣ると考えた。後に地中海沿岸世界ではエジプトヒエログリフが忘れられ、ヨーロッパとその周辺ではアルファベットなどの音素文字だけが使われるようになったため、音声言語を忠実に再現することこそ文字の本質だという考えはいっそう強まった。下ってルソーは、「事物の描写は未開の民族に、語や文章の記号は野蛮な民族に、アルファベットは政府に統治された民族に一致している」と述べ、使用される文字体系の種類が社会の進歩の度合いを反映しているという考えを示した。この3つはピクトグラムや象形文字、表語文字、表音文字に対応している。
18世紀には近代的な言語学が起こり、さまざまな言語を客観的に比較する姿勢が強まったが、文字の研究は音声学の一分野として行われるにとどまった。このような思潮から、文字は象形文字から音節文字へ、さらには音素を完全に表記できるアルファベットへと発達していくものだと広く信じられるようになり、学説の主流ともなった。今日ではこのような学説は、完全にとはいえないまでも、かならずしも正しくないことがわかっている。もちろん、使用する文字体系の種類が社会の進歩の度合いを表すというような見かたは否定されている。
中華世界では事情が異なっていた。上古にすでに甲骨文が見られるが、これは卜占による神意を伝えるものであった。封建制が成立した後も、文字使用の独占は権力の源泉となった。周王朝の滅亡によって文字の技術は独占を脱し、文字の使用はひろまったが、表語文字(後述)としての漢字の能力は、多くの方言や言語を横断する共通の意志疎通手段として、中華世界の一体性を維持することにつながった。さらに、華夷秩序の拡大にともない、周縁社会にとっては、漢字は文明の中心地から先進文化を受け入れ、その権威に与るための手段となった。その間、中原にはさまざまな民族が侵入し、多くの王朝が交代したが、漢字は使われ続けた。・・・
20世紀に入ると文化人類学や構造主義言語学が起こり、人間の諸活動のうち文字の使用についても通時的側面とともに共時的側面からも検討する方法論が主流となった。また考古学の発展もあって、文字の発達や分化の理論も修正された。」

そうか、、、占いから生まれた漢字ってのがあった...
でも、、、なんのために誰が占ったのか想像すると、、、やはりその時の権力者だろうって想像できますね...今の マイクロソフトやグーグルの戦略にも通じるように思わない・・・^^; ?


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