アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

蘊蓄

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神局 ☆

将棋のことは詳しくないのだけれど...^^;
少し前に、現在世界最長の詰将棋「ミクロコスモス」(橋本孝治 氏の作品)ってのを知って、調べてたとき、江戸時代の将棋指し 伊藤看寿(いとうかんじゅ)のことを知った ^^

雑誌「将棋世界」200612月号の付録は、青島たつひこ氏による「将棋ライバル物語1 将棋史を彩る天才対決 伊藤宗看 VS 伊藤看寿」で、江戸時代 のスター棋士だった伊藤兄弟の物語です。最初がいきなり、例の611手詰めの詰将棋の紹介。これ、伊藤看寿がなんと13歳のときの作品なんですってね。伊藤兄弟には、嘘かほんとか伝説がいくつもあるけど、この611手詰めの詰将棋にもあって、こんな伝説があるそうです。
 
囲碁の6世名人本因坊道知は将棋も強かった。彼は、師匠の本因坊道策が作った大長編詰碁を見せて、看寿少年に「いくら、お前が天才でも将棋でこんな 大作は作れないだろう」と挑発したら、看寿は数日後にこの611手詰めを作っ てきたというんです。・・・
 
ちなみに、これ、昭和になるまで破られなかった長手数だったそうです。
 
数学者岡潔氏が「江戸時代は、芭蕉と宗看・看寿の詰将棋を生んだだけでも意味がある」と書いたそうですね。・・・」

http://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤看寿 より Orz〜
伊藤看寿(いとうかんじゅ、初代享保4年(1719年) - 宝暦10年8月23日1760年10月1日))は、江戸時代将棋指し将棋家元三家の一家である伊藤家出身。八段。死後に名人位を追贈。別名は政富。二代伊藤宗印(五世名人)の五男。兄に伊藤印達(五段)、三代伊藤宗看(七世名人)、八代大橋宗桂(八段・八世名人九代大橋宗桂の父)、伊藤看恕(七段)。子に二代伊藤看寿(後に伊藤寿三と改名)(五段)。孫に七代伊藤宗寿。・・・

看寿は指し将棋の実力もあったが、上述の『将棋図巧』により今日では詰将棋作家としての方が有名であり、一年間で最高の詰将棋に与えられる賞である「看寿賞」にもその名が冠せられている。

享保10年(1725年)、7・8歳の時に詰将棋の批評をして兄の宗看を感嘆させたといわれ、享保16年(1731年)、13歳の時には601手の長編を作成したという。『将棋営中日記』には、江戸時代末期の十一代大橋宗桂は「作物の最上は伊藤看寿なり」と評していたことが記録されている。
看寿の献上本『将棋図式』は別称「象棋百番奇巧図式」と呼ばれ、現在では『将棋図巧』の名称で知られている。この作品集は、三代伊藤宗看の作品集『将棋無双』と共に江戸時代の作品集の最高傑作とされ、「神局」とも呼ばれる。
・・・
第一番 「角送り詰」
打飛合」という手順を繰り返して玉方のを動かし、打歩詰を回避する作品。
内藤國雄はこの作品に出会い詰将棋創作を始めたという逸話がある。
第九十八番 「裸玉
最初の状態で盤面に1枚のみが配置された問題。同条件の作品は1942年まで発表されなかった(あるいは、発表されたが不完全)。
第九十九番 「煙詰
裸玉とは対照的に盤面に39枚の駒を配し、詰めあがり時に3枚になる作品。同条件の作品は1953年まで発表されなかったが、現在は多くの作品が発表されている。
第百番 「寿
巻末を飾る大作。611手という長手数の作品であり、1955年に873手詰の作品が発表されるまでの200年間、最長手数の詰将棋であった。2005年末時点でもベスト10に入っていた長手数作である。・・・」

http://tamagodon.livedoor.biz/archives/51204978.html より 引用 Orz〜
彼の名を不朽にしたのは、将軍に献上した100題の詰将棋集「将棋図巧」の見事さによる。ある歴史学者は、「松尾芭蕉と伊藤看寿を生んだ江戸時代は、それだけで意味がある」と発言していた。彼の兄である三代伊藤宗看が献上した詰将棋集「将棋無双」は、その難解さから、別名「詰むや詰まざるや」と呼ばれている傑作だ。看寿はこの兄を超える作品を作るために心血を注いだ。こうして出来たのが将棋図巧である。将棋連盟会長の米長邦雄の持論は、「プロになるためには『無双』と『図巧』を全て解けばよい」そうだ。そのくらいの難解さということだ。
将棋図巧の中で有名な作品は、98番「裸玉(盤上に玉のみ)」、99番「煙」、100番「寿(なんと611手詰!)」である。・・・
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「煙」の図・・・玉以外の全ての駒(39枚)が配置されている。・・・伊藤看寿から昭和23年の煙詰二号局まで、腕に覚えのある詰将棋作家が、「煙詰は創作不可能、まさに神局だ」とサジを投げた・・・

*わたしにゃ...残念ながらわかりかねます...^^;...Orz〜

http://ja.wikipedia.org/wiki/御城将棋#.E5.BE.A1.E5.9F.8E.E5.B0.86.E6.A3.8B より Orz〜
「・・・徳川家康囲碁と将棋を愛好し、囲碁・将棋の上手に俸禄を支給した。はじめは碁将棋所として本因坊算砂がつとめていたとされるが、慶長17年(1612年)に将棋所が碁所から独立し、初代大橋宗桂が最初の将棋所となった。日本将棋連盟ではこの年を宗桂の名人襲位の年としている。将棋所は江戸幕府の崩壊まで続き、将棋所には幕府から俸禄が支給された。そのかわりに、将棋所は門下のものから将棋の上手を出し、将軍の御前で将棋を指すようになった(御城将棋)。・・・
長らく「将棋所」は江戸幕府から公式に認められた役職であると考えられてきたが、近年再発見され、1981年に日本将棋連盟に寄贈された「大橋家文書」によると、将棋所は名人家が独自に名乗っていた称号であったことが明らかになっている。
明和元年(1764年)に寺社奉行が大橋家当主の九代大橋宗桂に将棋所が正式な官職であるかどうか問うたところ、九代目宗桂は自分たちで名乗っている称号であると答えたという(同席した碁家の井上因碩も、「碁所」について、同様の回答をした)。また、寛政9年(1797年)には将棋所が俸禄の支給の際に「将棋所」を名乗って扶持米を受け取ろうとしたものの、将棋所は正式な役職ではないとされ、寺社奉行から「将棋の者」と改めるように指示されている。・・・御城将棋(おしろしょうぎ)とは、江戸時代の将棋所が毎年1度、江戸城内で公務として行っていた対局のこと。開始当初は時期が不定であったが、後に制度化され、徳川吉宗の代に旧暦11月17日 (旧暦)に行われるようになった。現在では新暦の11月17日が「将棋の日」とされている。将棋所の唯一の公務であったため、従来は将軍の面前での御前試合のような位置づけであり、御城将棋に参加した将棋指しはいかなる理由があろうと退席はできない(「親の死に目に会えない」)ものと考えられてきたが、近年発見された大橋家文書などの資料に基づく研究により、これらの考えが必ずしも正しくないことがわかってきた。・・・

君が代...☆

たまたま知ることができましたぁ☆
全然誤解してた...^^;...わたしゃ...納得できたなぁ ^^v
ぜひ皆さん方にも知ってほしくて...転載させていただきました♪

日本人ならみんなが知っておくべき「君が代の本当の意味」

 国歌君が代は古事記神道に通じる 

お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。「君」は君主をあらわすと ­いう人がいますが、それは間違いです。漢字の「君」は、「口」ヘンと「尹(イン)」を ­組み合わせた文字ですが、「尹(イン)は、「手」に「|」(つえ)を持っている姿です ­。これは「聖職者」をあらわします。「口」は、その聖職者が口を開けて、何かを説いて ­いる姿です。つまり「君」という字は、会意形成文字で、高貴な人をあらわす文字です。 ­読みは「クン」です。

「君主(クンシュ)」となると「高貴な人=君(きみ)の主人」なので、それだけ偉い人 ­です。つまり「君」という字は、高貴な人であり、だからこそ、源氏物語は朝顔の君や、 ­藤袴の君など、美しい女性たちに「君」の尊称をつけています。「君」が天皇をあらわす ­というのなら、源氏物語の女性たちは全員、天皇ということになってしまう。実は、古代 ­日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉なのです。
日本神話に登場する最初の男女神は、イザナ「キ」、イザナ「ミ」であり、「おきな=翁 ­」「おみな=嫗」という言葉もあります。イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、 ­日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。その ­最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場 ­します。「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。
つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。

二人は天つ御柱で出会い、
キ「我、成り成りて、成り余るところあり」
ミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」
と声をかけあい、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みま ­す。

ここで大切なことが、男女が互いに「成り成りて」というところです。「成り」というの ­は、完全に、完璧に、という意味です。知性も肉体も、まさに完璧に成長し、成熟したの ­です。ところが、完璧に成長したら、互いに「余っているところ」と「足りないところ」 ­があった。これは矛盾です。

そこで二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて、より完璧になろ ­うとしました。すると「子」が生まれたのです。「完全に完璧な成長」は、尊敬の対象で ­もあります。ですから「きみ」は、「完全に完璧に成長した男女の喜びであり、尊敬し敬 ­愛する人の喜びであり、「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味とな ­ります。その「愛し尊敬する人の代」が、「千代に八千代に」と続くのです。歌はさらに ­「さざれ石の巌となりて」と続きます。さざれ石は、小さな小石が結束して大きな岩石と なっているという点です。ひとつひとつは小さな小石でも、大きな力でみんなで団結した ­ら、それは大きな「巌」となる。つまりさざれ石は、「きみ=男女」の結束、そして生ま ­れて来る子供達や新たに親戚となる者たちなど、そのすべての人々が、大きな力のもとで ­固く固く団結しあい、協力しあうことの象徴でもあります。そして最後に「君が代」は、 ­「苔のむすまで」と締めています。

苔は、冷えきったり乾燥しているところには生えません。濡れていて、水はけの良いとこ ­ろに生育します。カビとは違うのです。つまり、濡れたものと、固いものがしっかりと結 ­びついたところに苔は生えます。すなわち「苔」は、「きみ=男女」が、互いにしっかり ­と結びつき、一緒になって汗を流し、涙を流し、互いにしっかりと協力しあい、長い年月 ­をかけて生育する。それは、男女のいつくしみと協力を意味します。
 
作成/小坂達也


*なるほどぉ〜!! でっしょ ^^...目から鱗でんな♪

画像:http://ja.wikipedia.org/wiki/君が代 より Orz〜

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さざれ石、京都の賀茂御祖神社
君が代(きみがよ)とは、日本国歌である。
明治維新後の1880年(明治13年)に曲がつけられ、以後は国歌として扱われるようになった。1999年(平成11年)に国旗及び国歌に関する法律で正式に国歌に制定された。元は平安時代に詠まれた和歌である。」

「物」の偏 (へん)...

「物」っていう漢字を書こうとしたら...偏の字が急に不鮮明になってしまったことがあり...^^;
わたしゃ...きっとボケが始まったのかも知んない...^^;;
で...周りの人に聞くと...さらさらって書いてくれる...わたしも、考えず手を動かすとそれらしい字になってる...^^
これって、偏は「牛偏」って言うんだろうなぁ?って...独り言言いながら調べてみた...

牛 うし・うしへん
意味;
《解字》象形。牛の頭部を描いたもの。ンゴウという鳴き声をまねた擬声語であろう。
例;牝(牛+匕<女性性器>=メスの牛)、牡(牛+土 ※元は『士』であった=男性性器)、牢、牧、牲(イケニエ) 等。」

*なんだか物知りになれたようで知と嬉しかったり♪
 意味がわかれば...考えても書けそう...^^;v

ついでに面白かったのは...同サイトより...Orz〜☆

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歹 いちた
意味;死体やほねを意味する。
《解字》象形。骨の字の上部は、はまりこんだ関節骨を描いた象形文字。骨はそれと肉づきよりなる。歹は、その関節骨の下半部を描いたもので、切りとったほねのこと。漢字を構成するとき、死体やほねを意味する。
例;死、殀(ワカジニ)、殃(ワザワイ)、殘(歹<ほね>+音符戔=切りとって小さくなったのこりの骨片)。


氏 うじ
意味;偏の意としては『民』(支配される人々)を表す。
《解字》象形。氏はもと、先の鋭いさじを描いたもので、匙(シ) (さじ)と同系。ただし古くより伝逓の逓(テイ) (つぎつぎと伝わる)に当て、代々と伝わっていく血統を表す。
例;民 = ひとみのない目を針で刺すさまを描いたもので、目を針で突いて目を見えなくした奴隷を表す。のち、目の見えない人のように物のわからない多くの人々、支配下におかれる人々、の意となる。氓(ボウ) (太古は、目をつぶされた奴隷のこと。のち、無知な人々のこと)

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王 おうへん・たまへん・たま
意味;偏のしては『玉』の意。
《解字》会意。「大+―印(天)+―印(地)」で、手足を広げた人が、天と地の間にたつさまを示す。あるいは、下が大きく広がった、おのの形を描いた象形文字ともいう。もと偉大な人の意。
例;玉=細長い大理石の彫刻を描いたもので、かたくて質の充実した宝石のこと。三つの玉石をつないだ姿とみてもよい。
玩、珂(午の飾り)、珊、珈(髪飾り) 等。

*漢字の隠喩/ダヴィンチコードっておもろい ^^

http://ja.wikipedia.org/wiki/漢字 より Orz〜
漢字は、現代も使われ続けている文字の中で最も古く成立した。人類史上、最も文字数が多い文字体系であり、その数は10万文字をはるかに超え他の文字体系を圧倒している。ただし万単位の種類のほとんどは歴史的な文書の中でしか見られない頻度の低いものである。・・・ラテン文字に代表されるアルファベットが一つの音価を表記する音素文字であるのに対し、漢字は一般に、それぞれが個別の意味を持ち音節に対応している形態素である。しかし現代中国語の単語は、大部分が2つ以上の漢字を組み合わせたものになっている。本来、一字が一義を表すことだけを重視して表意文字としてきたのであるが、これは古代中国語の一音節が一つの意味を表す孤立語的な言語構造に由来するのであって、正確には音と意味両者を表記する表語文字である。つまり、1字が1語を表しているのである。このような漢字の特徴から伝統的な文字学では漢字を形・音・義の三要素によって分析してきた。しかし、一つの音の持つ語が派生義を産んで、1字が複数の(まったく正反対の、あるいは無関係で一方の字義からは想像することはできないような)字義をもっていたり、読みが変わって、複数の字音をもっていたりする場合もある。また、外来語を表記する場合など、単純に音を表すために作られた漢字もあり、字義を持たない場合もある。字義の有無を問わず、1音節を表す文字という点において音節文字である日本語の仮名とは近い関係にある。
中国朝貢をしていた朝鮮琉球王国ベトナム、日本では、古代中国から漢字を輸入して使用した。また、シンガポールマレーシアのように、中国から移住した人たちが多く住み、漢字を使用している地域がある。これらの漢字を使用する周辺諸国を包括して漢字文化圏と呼ぶ。現在、漢字は、中国・台湾・日本・韓国シンガポールなどで、文字表記のための手段として用いられている。しかし近年の各国政府の政策で、漢字を簡略化したり使用の制限などを行なったりしたため、現在では、これらの国で完全に文字体系を共有しているわけではない。日本では仮名、韓国ではハングルなど漢字以外の文字との併用も見られる。ただし韓国では、現在は漢字はほとんど用いられなくなっている。また、北朝鮮ベトナムのように、漢字使用を公式にやめた国もある。しかし、漢字は使わなくなっても漢字とともに流入した語彙が各言語の語種として大きな割合を占めている。また漢字音は地域・時代によって変化し、地域により発音が違う。しかしながら、淵源となる中古音から各地域の音韻変化に従って規則的に変化しているため、類推可能な共通性をもっている。また地域により発音が違う場合でも同じ字で表すことができるため、国境を越えて漢字を使った筆談でコミュニケーションをとることもある。字形の複雑さから、手書きする場合には、書き間違いや省略などによって字体は場所と時代によって少なからず変化してきた。そうして変化した字体のうち、ある程度の範囲に定着した俗字が各国において正字に選ばれ、字形に微妙な差異が見られる場合がある。また地域音や地域特有の字義を表すための国字方言字異体字も多く作られてきた。日本の「国字」(和製漢字)もその一種である。」

微細構造定数...^^;

なんのこっちゃわからねど...^^;
ほとんど整数に近い物理常数の絡みで載ってたもので...☆

http://ja.wikipedia.org/wiki/ほとんど整数 より Orz〜
http://upload.wikimedia.org/math/f/6/3/f638c0ac8fd792bbdb6ce1fbc4bc5951.png .
で与えられるが、その逆数は137に近い。 ヴォルフガング・パウリは、この数がなぜ整数に近いのかを生涯にわたって考え続けていたと言われる。

画像:http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴォルフガング・パウリ より Orz〜
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「ヴォルフガング・エルンスト・パウリWolfgang Ernst Pauli1900年4月25日 - 1958年12月15日)はオーストリア生まれのスイスの物理学者。スピンの理論や現代化学の基礎となっているパウリの排他律の発見などの業績で知られる。
アインシュタインの推薦により、1945年に「1925年に行われた排他律またはパウリの原理と呼ばれる新たな自然法則の発見を通じた重要な貢献」に対してノーベル物理学賞を受賞した。・・・パウリは物理学者として、特に量子力学の分野で数多くの重要な業績を残した。彼はほとんど論文を執筆せず、同僚(特に親しかったニールス・ボーアヴェルナー・ハイゼンベルクなど)との間で長い手紙をやり取りするのを好んだ。彼のアイデアや成果の多くは論文としては発表されず書簡にのみ残され、手紙を受け取った人物によってコピーされたり回覧されたりすることが多かった。それゆえパウリは自分の研究成果が彼の名前で紹介されないことになっても気にしなかったようである。・・・
1924年、パウリは分子線スペクトルの観測結果と当時発展しつつあった量子力学との間にあった矛盾を解決するために、新たな量子自由度のモデルを提案した。おそらく彼の仕事の中で最も重要なパウリの排他原理である。この原理は同じ量子状態には2個以上の電子が存在できないというものであった。・・・
1926年、ハイゼンベルクが現代的な量子力学の理論である行列力学を発表した後でパウリはこの理論を用いて水素原子のスペクトルを理論的に導いた。この成果はハイゼンベルクの理論の信頼性を保証した点で重要な結果だった。
1927年、パウリはスピン演算子基底としてパウリ行列を導入し、これによってスピンの非相対論的理論に解を与えた。この成果はポール・ディラックに影響を与え、後にディラックは相対論的電子を記述するディラック方程式を発見した。
1930年、パウリは放射性同位元素原子核崩壊の観測を行った。"Liebe radioaktive Damen und Herren"(親愛なる放射性紳士淑女の皆様)と題してリーゼ・マイトナー他宛に送られた12月4日の書簡で彼は、ベータ崩壊で放出される粒子のエネルギースペクトルの連続性を説明するために、それまで知られていない中性で質量の小さな(陽子質量の1%未満の)粒子の存在を提唱した。1934年エンリコ・フェルミが、パウリの提唱した中性粒子にニュートリノと命名して自分の放射性壊変の理論に組み込んだ。ニュートリノは1959年になって初めて実験的に観測された。
1940年、パウリは量子場の理論にとって重要な成果となるスピン統計定理の証明を行ない、半整数のスピンを持つ粒子はフェルミオンであり、整数スピンを持つ粒子はボソンであることを示した。・・・1929年5月、パウリはローマ・カトリック教会を脱退し、12月にケーテ・マルガレーテ・デプナーと結婚した。この結婚は長く続かず、1930年に離婚している。
離婚後間もない1931年初め、ニュートリノの仮説を提唱する直前にパウリは深刻な精神的不調に悩まされた。彼は精神科医・心理学者でパウリと同じくチューリッヒ近郊に住んでいたカール・グスタフ・ユングの診察を受けた。パウリはすぐに自分の「元型夢」の解釈を始めるようになり、難解な心理学者ユングの最高の生徒となった。間もなく彼はユング理論の認識論について科学的な批評を行なうようになり、ユングの思想、特にシンクロニシティの概念についての説明を与えた。これらについて二人が行なった議論はパウリ=ユング書簡として記録されており、Atom and Archetype(『原子と元型』)というタイトルで出版されている。・・・
1934年に彼はフランカ・バートラムと再婚した。この結婚生活は生涯続いたが彼らの間には子供は生まれなかった。
1938年のドイツによるオーストリア併合によってパウリはドイツ市民となったが、このことは翌1939年第二次世界大戦勃発とともにユダヤ系であった彼の身を危うくすることとなった。パウリは1940年にアメリカへ移住し、プリンストン大学の理論物理学の教授となった。戦争が終わった1946年に彼はアメリカ合衆国に帰化したが、その後チューリッヒに戻り、その後の生涯の大半をここで過ごした。
1958年膵臓癌を発病した。パウリの最後の助手を務めたチャールズ・エンツがチューリッヒのロートクロイツ病院に入院していたパウリを見舞った時、パウリは彼に「部屋の番号を見たかね?」と尋ねた。彼の病室の番号は 137 だった。彼は生涯を通じて、微細構造定数が 1/137 に近い値を持つのは何故か、という疑問を考え続けていた。1958年12月15日、パウリはこの病室で没した。・・・」

*彼が死ぬまでこだわってた「137」って数字が彼の病室だったなんて!!...
これこそ...シンクロニシティじゃん !!  ^^

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「図2 量子電気力学でのファインマン図 
上:電磁相互作用の素過程。緑の波線は光子を、青の直線は電子を表す。
下:量子ゆらぎの効果を生み出す仮想光子の放出・吸収過程。シュウィンガーが計算したαの項に寄与するファインマン図。QEDでは、1つの仮想光子を交換する効果は、微細構造定数αに比例することが知られている。仮想光子の交換が、電磁気力の伝播を表しており、電子が光子を放出するときに電子の電荷eが1つ、さらに電子が光子を吸収するときにもう1つのeがかかる。αはe²に比例する無次元の数として定義され、αは電磁気力そのものの強さを表す。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/微細構造定数 より Orz〜
「微細構造定数(びさいこうぞうていすう、Fine structure constant)は、物理学素粒子基本相互作用の内、電磁相互作用において結合定数を表す次元物理定数であり、量子電磁力学において重要な定数である。通常 α で表される。
2010年のCODATAの推奨値は次のとおりである。
http://upload.wikimedia.org/math/b/e/1/be1a9cbfeb3447b5e18201804532650d.png
http://upload.wikimedia.org/math/e/7/8/e78db8639f72c165cc05732c059cbd2e.png
と定義される。
このことは、理論物理に適していると言われているcgsガウス単位系では
http://upload.wikimedia.org/math/c/6/b/c6bed8b2979a74c3f7cf85d7cfbcdecf.png
のようにすっきりと表されており、より明確に理解できよう。
なお、微細構造定数の逆数
http://upload.wikimedia.org/math/b/8/5/b8565363c53cefb8b30501dd26512286.png
(測定値)もよく目にするである。」

「実体はないのに、意味があると思えば意味を帯びてくる何か。不気味だとか、無意味だと思えば、簡単に捨ててしまうこともできる。たとえば13階という素数に意味を見いだす人もいるだろう。しかし137はもっと深遠な数である。微細構造定数αという、この物質世界を記述するもっとも基本的な無次元数の逆数の近似値だからである。もちろん、しょせんは近似値で、たんなる無理数にすぎない、ということもできる。それでも、これを数式で表せば、
画像:http://yeblog.cocolog-nifty.com/nouse/2009/05/index.html より 引用 Orz〜   
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ディラックは電子のスピン角運動量については http://yeblog.cocolog-nifty.com/images/TermsAndEqs/g_equal_2_42by18.pngであると結論したのである。そして、これは実験と一致するように見えた。・・・しかし、詳しい実験の結果、電子の http://yeblog.cocolog-nifty.com/images/chrs/g_11by19.png 因子は 2 から僅かにズレいてることが判明した・・・このズレが、電子が光子を放出した後、それを吸収することよる効果だと見抜いたシュインガーは、ハミルトニアンに付加項を加えて、その補正値 http://yeblog.cocolog-nifty.com/images/TermsAndEqs/g_minus_2_over_2_55by39.png を、cgs 単位系で表わすと http://yeblog.cocolog-nifty.com/images/FeynmanWeinberg/e-2_over_2pihbarc_40by41.png となると導き、その値 0.001162 と算出して、実験結果を説明することに成功する (計算の際に現れる発散は「繰り込まれた」)。ディラックが産んだ量子電磁力学の卵を、シュインガーが孵した、と謂ったところか (量子電磁力学の成立には、ファインマンや朝永振一郎の功績があったことも忘れてはならないのは勿論だが...)。なお、この補正値 http://yeblog.cocolog-nifty.com/images/FeynmanWeinberg/e-2_over_2pihbarc_40by41.png は、cgs単位系で表わした微細構造定数 (fine-structure constant) http://yeblog.cocolog-nifty.com/images/FeynmanWeinberg/alpha_equal_e-2_over_hbarc_55by41.png (SI ではhttp://yeblog.cocolog-nifty.com/images/FeynmanWeinberg/alpha_equal_e-2_over_4piepsilon0hbarc_88by43.png) を使って書き直すと http://yeblog.cocolog-nifty.com/images/FeynmanWeinberg/alpha_over_2pi_23by35.png となる訣だが、シュインガーの墓碑 (マサチューセッツ州マウント・オーバーン墓地/Mount Auburn Cemetery) には、この記号が刻まれいてると云う。・・・」

となる。こんなに短い、四則演算と、せいぜい二乗までしか使っていない式に、この世界の、もっとも基礎的な物理定数が三つも含まれており、しかもそれ以外が含まれていないのだから、それだけでも充分に驚くに値する。
もちろん、この式は、SI単位系を使って表現すると、もっとややこしくなってしまうのだが、それは、電気磁気の間の対称性が破れているからである。磁気単極子は未だ見いだされておらず、どうやら「この」宇宙には電気単極子しか存在しないらしい。しかも、電気には、一個、二個と数えることができる、それ以上分割できない「素量」が存在する。
おそらくこの対称性の破れが自然に説明され、そしてもっとも扱いの厄介な最後の基礎物理定数、Gが同じ式の中に組み込まれて、ある無次元数が見いだされたとき、ようやく我々はこの世界の本当の姿を目にすることになるのかもしれない。もしその数が、有理数、それも整数であったりしたなら、我々はピュタゴラス的神秘主義者にならざるをえないだろう。」

「原子番号がZの原子においては、原子核の最も内殻を運動する電子の速度は光速のZ/137倍になる(1/137は微細構造定数)という要請から、原子番号が最大の元素は137を超えないようである。」
*よくわからないけど面白そうね♪
いわずと知れた正岡子規の歌だけど...
この糸瓜(へちま)が出てくる意味知ってた...?

たまたま知る機会があったもので...♪

画像:http://www.hechimaya.co.jp より 拝借 Orz〜
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へちま水
に実が完熟したころ、地上30cmほどのところで蔓を切り、切り口を容器に差し込んでおくとたまる液体を「へちま水」(へちますい)という。化粧水として用いるほか、民間薬としては飲み薬や塗り薬として用いられる。飲み薬としては咳止め、むくみ、利尿に効くとされ、塗るとあせも、ひび、あかぎれ、日焼け後の手当てにも効くとされる。含有成分は、ヘチマサポニン硝酸カリウムペクチンタンパク質分等である。正岡子規の句「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」はこの咳止めの効能に関わるものである。そのままでは防腐剤が入っていないため腐りやすいので煮沸濾過をして冷蔵庫にしまい、使う時だけ取りだすと長持ちする。」

で...ついでに...
糸瓜と書いて「ヘチマ」って呼ぶようになった由来ってご存知でした?
わたしゃ初めて知りましたぁ...☆
やはり...wikiの上のサイトで...^^
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ヘチマ糸瓜天糸瓜、学名:Luffa cylindrica (L.) Roem.、シノニムLuffa aegyptica Mill.)はインド原産のウリ科一年草。また、その果実のこと。日本には江戸時代に渡来したといわれる。
本来の名前は果実から繊維が得られることからついた糸瓜(いとうり)で、これが後に「とうり」と訛った。「と」は『いろは歌』で「へ」と「ち」の間にあることから「へち間」の意で「へちま」と呼ばれるようになった。今でも「糸瓜」と書いて「へちま」と訓じる。沖縄ではナーベーラーと呼ばれるが、これは果実の繊維を鍋洗い(なべあらい)に用いたことに由来するという。」

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