アットランダム≒ブリコラージュ

「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」(長寿の心得...岸信介) /「食う、寝る、出す、風呂」(在宅生活4つの柱)

素敵な言葉

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画像:youtube より Orz〜
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谷山 豊 氏

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一部の数学者には、数学の基礎演算は加法・減法・乗法・除法の4つではなく、これにモジュラー形式を加えた5つでできていると断ずる者がいる。モジュラー形式はおそろしく対称性が高い性質をもった"操作性"のことで、ロジャー・ペンローズやM・C・エッシャーの図形移動で有名になったように、すぐれて数図形的な性質ももっている。

このモジュラー形式を関数として解くことと楕円方程式をとくこととのあいだに密接な関係があること、さらにはそれはフェルマーの最終定理の謎を解くことにつながるのではないかということを予想したのが、「谷山=志村予想」である。
ところが、このニュースが世界を駆け回って数学者たちを驚かせていたまさにその渦中、谷山豊が自殺をしてしまう。女性問題の悩みだったらしいが、真相はわからない。相手の女性も後追いをしているので"天才数学者の心中事件"とさえ言われた。
けれども「谷山=志村予想」は強大な威力を発揮する。とりわけゲハルト・フライはフェルマー方程式を楕円方程式に変換することで谷山=志村予想の正当性を証明し、さらにはフェルマーの最終定理の真偽は谷山=志村予想が証明できるかどうかにかかっていることを告げた。
このことをやってのけたのがアンドリュー・ワイルズである。・・・」

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*フライはx^n+y^n=z^n を満たす解の集合としての楕円曲線がモジュラー形式を満たさないらしいことをほのめかし、それがどなたかに証明されたので...けっきょくは...谷山ー志村予想を証明することがフェルマーの予想を証明することと同値になったんですね♪
「谷山=志村予想」...「楕円曲線はすべてモジュラー形式の別の姿である」
これを、証明したのがワイルズで、彼は最終的には岩澤理論で解決/降臨したと(ほんとうに閃いた...なぜ3年前には気づかなかったのに...すべてはシンプルでエレガントであった...となかば恍惚と語ってる!!)できたみたいだ♡...だから、そのフェルマーの予想が解決されたときからどちらも定理に当確したわけですね ^^v
そのモジュラー形式ってのはどうして学校で教わらないんだろ...^^;...?
某サイトで遭遇...^^

フランスの思想家のアランが次のようなことを言っている。
「悲観は感情から生まれるものだが、楽観は意思で生み出すものである」・・・」

わたしは違うと思う...^^;...
「悲しく感じるのも楽しく感じるのも感情...
悲観的になったり楽観的になったりするのはその人の性向/気質...」だと...
だから、どうするかと考える人は悲観的になる人!!
困らない人は未来を変えようとは思わない=現状維持で何ら困らないんだもの...

つまり...
コップの中に水が半分残ってるときの話に似てる...^^

画像:トークるズ http://www.talkles.com/kotsubo/20090361841.php より 引用 Orz〜

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「半分も入っている」
「半分しか入っていない」

          二つのとらえ方です。あなたはどちらですか? 」


気まぐれエッセイ http://bottega-sado.jugem.jp/?eid=682 より 引用 Orz〜
「・・・半分だけ水の入ったコップを指して、「いっぱいだった水が半分に減ってしまったと嘆くのは悲観主義である。『まだ、半分もある』と思えば楽観的になれるではないか」という話である。かつて小渕首相も、安倍首相もこの話をしたという。今日も、どこかの社長や政治家や、たくさんのエライたちも、しているに違いない。それも、悲観/楽観の単純な転換を説くだけではないらしい。“根性”崇拝的な人は、「いや、楽観主義では、『これでいいや』ということになる。半分しかないことで、『やばい! くそぉ』という発奮や怒りにならなければ状況は変えられない」という。また、“悟り”好きは、「悲観も楽観もない。『半分である』ことを静かに受け入れるしかない。その認識が生き方を変えてくれる」ともいう。どれにしたって、「コップを満たします」という話ではなく、現状を認めよと説教するだけのことである。「なぜ、こうなったか。どうすれば増やせるか」の思考を止めてしまう。エライ人がする「コップ半分の水」話は要注意なのだ。また「水」にたとえられるのは、お金や財産だけではない。高齢化や過疎といった現象もついても、いく通りもの話が引き出される。・・・でも、寿命という「水」も、体力という「水」も、減りこそすれ増えることはないのだから、今度もなんとかなるかどうかは、はなはだ心もとない。老いた野良犬が、残された才覚と体力で、なんとか“しのぎ”のエサや水やねぐらを見つけ出す姿が浮かぶ。「どうにかなるさ」……それしかない。放鳥されたトキだって、この寒空の下で、そう考えているのかも。」

*けだし...名文 ^^
諦めが肝腎...=...ケセラセラ...倒れるまで前を向いて歩こう♡...龍馬みたい ^^v


朝道聞、夕死可矣。(里仁(りじん)) 
【読み】 子曰く、朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可(か)なり。 
人としての道(修養の道)が如何(いか)に大切であるか。その道を朝に知ることが出来れば、その日の夕べに死んでも心残りはない。 」

論語とは、孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物である。『孟子』『大学』『中庸』と併せて儒教における「四書」の1つに数えられる。
四書のひとつである『孟子』はその言行の主の名が書名であるが、『論語』の書名が(たとえば「孔子」でなく)『論語』であるその由来は明らかでない。(『漢書』巻30芸文志に「門人相與輯而論纂 故謂之 論語」と門人たちが書き付けていた孔子の言葉や問答を、孔子死後に取り集めて論纂し、そこで『論語』と題したとある。)
別名、「倫語(りんご)」、「輪語」、「円珠経」とも言う。これは、六朝時代の学者、皇侃(おうがん)の著作『論語義疏』によると、漢代の鄭玄(じょうげん)という学者が論語を以て世務を経綸することが出来る書物だと言った所から、「倫語」という語が出現し、又その説く所は円転極まりないこと車輪の如しというので、「輪語」というと注釈し、「円珠経」については鏡を引用して、鏡はいくら大きくても一面しか照らし出さないが、珠(玉)は一寸四方の小さいものでも上下四方を照らすものであり、諸家の学説は鏡の如きもので一面しか照らさないが、論語は正に円通極まりないものである、という所から「円珠経」と言うと説かれている。
・・・
『論語』は宋学が特に四書をテクストとして重視したことから、科挙の出題科目にもなり、約2000年間学問の主要科目になった。16世紀には、中国大陸で布教活動を行っていたイエズス会宣教師によって「孟子」や「大学」など他の典籍と共にフランス語で翻訳され、フランスに伝えられていった。その結果、フランスでは貴族の間で、シノワズリと呼ばれる空前の中国ブームが巻き起こった(中国学も参照)。また当時の思想界において、儒教易姓革命ヴォルテールモンテスキューケネーといった当時の思想家に大影響を与え、啓蒙思想の発展に寄与した。日本には、応神天皇の代に百済王仁と言う人物によって伝えられたとされ、律令時代の官吏必読の書となった。・・・512の短文が全20編で構成されている。

*養老氏の本から仕入れた知識ですが...論語ってのは脳化社会=都市での人の道=「都市社会での人間関係の原理」を説いたものであり、自然に近い子ども、女性はそこでは「女子と小人は養いがたし」と書かれてあるように割を食うと言ってる。「怪力乱心を語らず」も「未知生、焉知死。(未だ生を知らず、焉んぞ死を知らんと。)」も徹底してますね!! この原理は、世界の都市に共通してるからこそ普遍的に受け入れられるわけなんですよね!!...その原理って...たかが512個ってわけなのかぁ...?...されど...512個...それにつけても金の欲しさよと思ってしまう下品な我には品性の欲しさよ!!...人は無い物ねだりをするものなのよ...^^;...
養老氏は、こういう都市化の究極が本来生きてる自然なることである「生老病死」(四苦)を都市から隔離/遮蔽/隠蔽してるいびつ性の危うさとそんなバーチャルな世界だけからの解放、現実味の獲得という、皮肉にも人の目指してきたことの逆の必要性を説いておられるのよね ^^
わたしもそう思ってるからこそ...子どもとも大げんかしたわけで...目の前にあるものはすべてじゃない!! これが当たり前だなんて思うでない!! と言い続けてきたのよね...^^;...
だから...上の言葉は、脳は喜ぶであろう究極のエクスタシーなんだけど...それだけ真理なんてものにゃ遭遇できゃしない=解なし?かも知れないことの裏返しでもあるわけで...but...ジハードなんてことにも結びつきそうな気がするけど...それはかなり間違ってるんじゃないのかな?ってことを彼はおっしゃられてるわけだとわたしゃ理解してる...^^;...?
わたし自身は...上の言葉にゃ痺れちゃう方だけど...でも...三島由紀夫のように、自刃なんてできゃしないこともよくわかってる...死が恐いとかどうとかって自然なる動物は思やしないわけで...中途半端に脳化汚染されてるだけで...そこを突き抜けられれば...自然の動物と変わらなくなるってことよね!!?...猪突猛進...車にだって関係なしで...^^;...

画像:http://dic.nicovideo.jp/a/チーター より Orz〜
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画像:Amazon より

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内容(「BOOK」データベースより)

解剖学の第一人者の目から見ると、とんでもなくいびつに生きている人間の姿があぶりだされる。あらゆることが脳の中で行われ、「ああすればこうなる」で突っ走ってきたものの、ああすればこうなる以外のことが起こったとき、うろたえる人間がそこにいる。人の「生老病死」は計算できない…。はたして自分が何かわかっているのか…。ものの見方・考え方がウソのように変わる本。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

養老 孟司
1937年、神奈川県に生まれる。1962年、東京大学医学部を卒業。その後、同大解剖学教室に入り、解剖学を専攻。1995年、東京大学医学部教授を退官。東京大学名誉教授。大ベストセラー『バカの壁』(新潮新書)をはじめとする著作をとおし、ものの見方・考え方、社会のあり方などに一石を投じつづけている・・・」

養老孟司氏の著書「まともバカ(目は脳の出店)」(だいわ文庫)で出会った言葉♪
ソシュールの言葉が帯びてる性質として見いだした、シニフィエ/シニフィアンにも似てる...?
でも...人は言葉だけが伝わらないのも事実...視覚>>聴覚の話はケネディとニクソンのテレビ討論をラジオで聞いてた人と反対の結果であったことで有名ですが...ようは...本にも載ってたけど...ヘレンケラーのように視力も聴力も失ってもコミュニケーションするためのツールが言語...

(2歳(生後19か月)のときに高熱にかかり、医師と家族の懸命な治療によりかろうじて一命はとりとめたものの、聴力、視力、言葉を失い話すことさえできなくなった。この事から、両親からしつけを受ける事の出来ない状態となり、非常にわがままに育つ事となってしまった。...wiki より)

ふつうは...ある時期までに言葉というか文化に接することがなければ...人は人に育たないと理解してるけど...狼少女の話から一般にはそう考えられてるはず...ヘレンケラー女史も人の世界に育てられ続けたから、人としてのコミュニケーションが取れるようになれたんだと思えますね...

ヘレンは、自身の考える20世紀の三大重要人物を問われて、エジソンチャップリンレーニンと答えている。
ヘレンとアン・サリヴァンの半生は The Miracle Worker として舞台化および映画化されており、日本では『奇跡の人』という日本語題をもって何度も上演されている。英語の "The Miracle Worker" には「(何かに対して働きかけて)奇跡を起こす人」といった意味があり、アン・サリヴァンのことを指すが、日本ではヘレンのことと誤解され、「奇跡の人」がヘレンの代名詞として用いられることも多い。
Life is either a daring adventure or nothing.
「人生は恐れを知らぬ冒険か、無か」
の言葉がある。...wiki より

*奇跡の人って...サリバン先生の方だったのね♡
それはともかくとして...養老氏のオリジナリティの発想かと思ったけど...どうもそうではないようです...^^;

小 松 正 史 五感環境学の提唱 
「五感は単独で存在しない。それぞれの感覚器官から発生した刺激によって,一つの印象が統 合される。ある刺激を受けたとき,本来の感覚とは違う別の感覚が生まれることもある。その 現象は共感覚と呼ばれる10)
ふだんの生活でも,複数の感覚が連動する場面が数多くある。視聴覚の相互作用がその典型 だ。例えば,情報の予示なく葉擦れ音を聞かせると,被験者は提示された音に不快な印象をも ち,樹木が風でたなびく内容の動画を音に付加すると,快いイメージに変わる11)。この現象は 通様相(インターモダリティ)と定義される。
哲学者の大森荘蔵は,言語の生成過程の中で視覚と聴覚を取り上げ,「目と耳では情報処理 の規則が共通し,視覚と聴覚の折り合いには言語が関係し,言語の進化過程で言語の視覚(図 的なもの)と聴覚(音韻的なもの)の要素性の強いものが欠落し,現在の言語体系になった」12) と述べている。
また,解剖学者の三木は「目で見るものも耳で聞くものも,すべて大脳皮質の段階では交流 し合い,視覚領と聴覚領の間でも両者の橋わたしは豊富である」13)と言うように,五感が連合 する事実を述べている。但し,こうした感覚統合は心理実験等で明らかにすることは困難を窮 める。条件統制が難しく,個人差を伴うからだ。」
患者さんから教えてもらった言葉♪ Orz〜
巡礼者の間で使われる三幸(さんこう)らしい♪
なるほどね!!
健康に不安を感じるようになってくると、そのありがたさを、神様/ご先祖様に感謝しつつ、動ける間に何するかというと...観光になるんだぁ ^^
観光=旅といってもいいけど...感動/サプライズ/未体験ゾーンに誘われちゃうんだねきっと...
そこには...過去から連綿とした旅人方の足跡が、新たななぜ?を産み出してるのよね?
行列のできる店/ブランドには、人はわからないまま魅かれちゃうように...
人は弱いとも言えるけど...好奇心の赴くままに衝き動かされてるだけなのかもしれない...
案外...人はそんなところは、動物と変わらない行動/習性ってところなのかもしれません...^^...?


より Orz〜
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「・・・阿修羅像は芸術的価値はあるのかもしれませんが、もともとはインドの悪神で、人間と動物の中間に位置する霊位なのに・・・。悪神を拝んでどうするんでしょうか?・・・
阿閦如来(あしゅくにょらい)と聞いてもなじみの薄い人が多いでしょう。阿修羅じゃないですよ。似たような名前ですが、正反対。煩悩に打ち勝つという、信仰本来の目指す姿を象徴しています。
梵名アクショービヤは、仏教における信仰対象である如来の一尊で、阿閦仏ともいう。また漢訳仏典では阿閦婆などとも音写し不動、無動などとも訳される。梵名のアクショービヤとは「揺るぎない」という意味で、この如来の悟りの境地が金剛(ダイヤモンド)のように堅固であることを示す。
印相は、右手を手の甲を外側に向けて下げ、指先で地に触れる「触地印」(しょくちいん)を結ぶ。これは、釈迦が悟りを求めて修行中に悪魔の誘惑を受けたが、これを退けたという伝説に由来するもので、煩悩に屈しない堅固な決意を示す。
百八つの煩悩というが、お釈迦様でなくとも、われわれ凡人の人生にも誘惑や落とし穴が多く有る。不思議と肝心なときに来るもの。物欲、金欲、色欲、浮気心、名誉心、怒りなどの破壊的感情などなど。下手をすると人生、狂ってしまうのです。・・・」

ひとは...結果責任を持って生きる覚悟さえあれば...狂ったっていいではないか!! 
と思うんですがねぇ...^^;...v
狂うのが人なら...狂わずして生きたって、何の生ぞ!! 人の生にあらず!! 
と...わたしは思ってる...Orz...

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