この言葉は誰が残したかは...想像できますよね ? ^^
そう...進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンの言葉 !!
これって...外部環境の篩にかけられたものだけが生き残るってことだろうけど...
いまや...尊大な考えかもしれないけど...自然の影響/バイアスという淘汰から...かなり遠く離れた位置に生きてる生物である人類には...もはや当て嵌まらないような気もしたり...^^;...
だから...やっぱり...強いものが生き残り、賢いものが生き残るんじゃないのかなぁ...?
変化できるものも...外圧じゃなくって自らの自覚でもってチェンジできるものなら...!!
そのとき考えちゃうのは...どうしても...いまの環境に適応するべく自分を変えるべきなのか...?
それとも...その外部環境を自ら生きやすいように変えるべく働きかけるようにするのか...?
どちらをも取り入れるべきなんだろうけど...わたしは...どうも...男性ホルモン旺盛みたいで...^^;...
外部環境を変えちゃいたい方の気持ちが優ってる...だから...軋轢ばっかし...^^;;
上の理屈で思うに...生き残りにくいもの達の一人なんだわ...
「2009年2月12日は英国の自然学者であり「進化論」の基礎を提唱したチャールズ・ダーウィンの生誕200周年にあたる。米メディアがこのほど、ダーウィンの生涯に関する20の事実について報道を行った。・・・
1.ダーウィンとエイブラハム・リンカーンは同じ日に誕生した。 2.ダーウィンは学生時代の成績は普通で、とりたてて傑出したところはなかった。父親はダーウィンが非常に怠け者だと焦っていた。 3.ダーウィンは若き頃、両親の支えの下、医師になることを志したことがあったが、「血を見るのが怖かった」ため、辞職した。 4.「進化論」の提唱者としてダーウィンは後にケンブリッジ大学から「神学」学位を取得した。 5.ダーウィンは昆虫を収集するのが好きだった。大学在籍時、ダーウィンはガールフレンドよりも昆虫集めに時間を費やしたあまり、ガールフレンドにふられてしまった。 ・・・ 7.1839年、ダーウィンは29歳の時、従姉妹であるエマ・ウェッジウッドと結婚した。ダーウィンは結婚の決断について、「1匹の犬を飼うよりはいい」と嫁を娶ることを決めた。 8.妻エマによると、ダーウィン生涯最後の言葉は、「自分は死ぬことは少しも恐れていない」。 ・・・「人民網日本語版」2009年2月16日 」
画像:自然選択説を発表する頃のダーウィン。50歳前後。
「結婚
姉キャロラインとエマの兄ジョサイア3世が1838年に結婚するとダーウィンも結婚を意識し始めた。1838年7月に、動物の繁殖を書き留めたノートに将来の見通しについて二つの走り書きをした。“結婚”と“結婚しない”。利点には次のように書いた。「永遠の伴侶、年をとってからの友人……いずれにせよ犬よりまし」。欠点については次のように書いた。「本のためのお金が減る、おそろしい時間の無駄」。
結局ダーウィンは11月にプロポーズし、1839年1月に結婚した。父から戒められていたにもかかわらずダーウィンは自分の非宗教的な考えを話した。エマは受け入れたが、愛情を伝えあう手紙のやりとりで、二人の差異を共有しあう率直さをほめると同時に自分のユニテリアンの強い信仰と夫の率直な疑念が来世で二人を離ればなれにするかも知れないと懸念を打ち明けた。エマは信仰心が厚く「いくら追求しても答えが得られないこと、人が知る必要のないことにまで必要以上に科学的探求をもちこまないでほしい」とも書いている。ダーウィンがロンドンで家を探している間にも病気は続いた。エマは「もうこれ以上悪くならないで愛しのチャーリー、私がいっしょにいてあなたを看病できるようになるまで」と手紙を書き、休みを取るよう訴えた。結局ガウアー通りに家を見つけ、クリスマスにはその「博物館」へ引っ越した。1839年1月24日にダーウィンはロンドン王立協会の会員に選出され、5日後の29日にメアの英国国教会でユニテリアン式にアレンジされた結婚式が行われた。式が終わると二人はすぐに鉄道でロンドンへ向かった。12月には長男ウィリアムが誕生した。1839年にはビーグル号航海の記録がフィッツロイ艦長の著作と合わせた三巻本の一冊として出版され好評を博した。・・・」
*エマって賢明で優しいね ♪
ビーグル号
Orz〜
「ダーウィンは1831年に英国軍艦であるビーグル号に乗船し、5年にわたる世界一周航海を始めました。ダーウィンが進化論の着想を得たとされており、独自の進化を遂げた植物や生物が生息する南米のガラパゴス諸島・・・」
*羨ましいなぁ!! こんな世界一周の船旅してみたい♪
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