|
■8月4日(木) 仙台編 亘理町に行く
全国出張の旅の最後は、仙台への日帰りであった。 前日に新幹線の予約をしようとしたら、
東北のまつりが始まっていて、9時頃の新幹線の空きがない。しかたなしに、早朝発に予約をした。
9時前には仙台に着いてしまう。午前中、3時間も空き時間があり、どうしょうかと考えたら
職場のニュースで、震災ボランティアに参加した方の亘理町でのボランティアレポートを思いだし、
「津波の被災地をこの目で見ておこう」と思いついた。
計画は、仙台駅のトイレで、着替え、ロッカーに荷物を置き、常磐線で、亘理駅まで行く(約30分)。
駅から海岸線までは、5kmほどあるのでジョギングで往復する。12時頃に仙台に戻り着替える。
仙台駅 たなばたの飾り
予定どおり、9時前に仙台駅に着き、着替えて常磐線に乗る。同席した地元の老夫婦に
私から話かけ、世間話や震災地の亘理に行く予定など話した。老夫婦は、名取で下車した。
前席に座っていた中年の男性が、後ろを振り返り、「話が聞こえたので、聞いていました。
岩沼駅に車を置いてあるので、私が車で案内してあげますよ。」と話しかけてきた。
亘理駅の2つ前の岩沼駅で下車し、夜勤明けの帰りの途中という男性(渡辺さん)の好意に甘え、
車に乗せていただいた。
渡辺さんは、「今回、日本中の多くの皆さんから援助していただいて感謝しています。今日は恩返しの
気持ちです。ぜひ、現場を見ていただいて、皆さんに報告してください。」と申し出の理由を説明してくれた。
テレビでよくみた「自分のことより相手を気遣う東北の皆さんのやさしい心情」に触れた思いがした。
渡辺さんは、仙台空港付近(名取市)から亘理町までの約20kの海岸線の道路を車で回った。亘理町の
荒浜地区は、行政関係者以外、立ち入り禁止区域になっていたが、地元の顔で入っていくことが
できた。渡辺さんの家は、海岸から遠いところにあったので、津波は免れたが、地震で家は損傷した
そう。姉夫婦の家が流され、今避難所の仮設住居に入っているそうだ。
亘理町では250名の方が亡くなった。この地域は平坦なため、津波の高さは、2m位であったが、
時速30kの早さで2mの海水の壁が押し寄せたという。海岸線から1k位までの住居は、跡かた
もなく破壊され、流された。水田やいちごのビニールハウスも泥に埋まり、埋立地のようになって
いる。
すでに瓦礫はほとんど撤去され、一部まとめられて置かれている。震災直後の状態とは大違いである。
7月末でボランティアセンターも終了したという。震災直後は、一面が瓦礫と泥の状態で、おそらく亡くなった
方の死体も散乱し、爆撃を受けたあとのように廃墟と化していただろうと想像する。テレビでは、この場面は
報道されなかったが。・・・
今回、実際にこの目で見て感じたことは、震災の規模の大きさだ。今回、20kmほどの海岸線を見たが
すべてを津波は飲みこんでしまった。青森から茨城(千葉)まで、600kmにおよぶ海岸線の住居と生活
と人生を一瞬のうちに飲みこんでしまったのだ。
広島が原爆投下による廃墟から、復興したように、東北が10年後、魅力的な地域として復興することを
願わずにはいられない。
l;
|
全体表示
[ リスト ]





