偏愛極私的感傷遺話

お気に入りの音楽が纏う極私的来歴に暫しお付き合い下さい

ROCK

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夢幻

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On The Threshold Of A Dream
 Moody Blues
 
プログレバンドとしてのムーディーブルース3枚目のアルバム。
宇宙を思わせる効果音のような、延々と続くシンセの音。それが夢の入り口。
(レコード盤では、最後までこの音が刻まれていて、針を上げない限り延々と続くのだった。)
アルバムタイトル“On The Threshold Of A Dream”の Threshold”は彼らが起こしたレーベルの名前。入り口、戸口、扉口の意。自分たちのレーベル、それ自身が夢の入り口ということか。
 
♪Are You Sitting Comfortablyから
♪The Dream
♪Have You Heard
♪The Voyage・・・♪Have You Heard(Part2)
CD終盤のメドレーは、いつに変わらぬやさしい曲想、やさしい歌声。
 
さて、「夢」・・・
十代のころは不眠に夜を明かすことも間々あったが(昼間惰眠を貪っていたから不眠とは言わないのかもしれないな^^)、仕事をするようになり、いつでもどこでも眠れるようになってからというもの、どんなに短い眠りであっても夢を見る。地下鉄のシートで、会議中の机上で、昼休みの車の中で、現実をふわりと離れた一瞬に垣間見る異界。
入眠の瞬間は、異界への位相転換。脳が見せる一瞬の歪曲は、夢幻世界へのゲートをくぐった合図。たとえば、故人が現れ、犬がしゃべり、懐かしい風景の中に身を置いて。
 
夢は脳の働きだから誰しも見るのだけれど、私がそれを覚醒のときにいちいち覚えているのは、惰眠を貪っていた時の名残り・・・というのも、そのころ、目覚めてから予定のない身はついさっきまで見ていた夢を寝床の中で反芻することを習いとしており、覚醒とともに瞬く間に闇の中に消えていこうとする、夢の尻尾を捕まえることに長けていったのだった。
いい夢であれば、もう一度その続きを。悪い夢であったとしても顛末を知りたい・・・
 
そして、「夢」・・・
手触りまで記憶に残るかのリアルな夢を見ることがある。現実の記憶との違いは、それを共有するものがいるかどうか。
翻って、現実に起こったことであったとしても、記憶を共有するものがいなくなれば夢と何ら変わりなく・・・自身の肉体も含めて記憶を共有できなければ、それは夢、ということだ。
たとえば絶景の記憶。たとえば一夜の契りもまた。
 
ともに語らう者がなければ、みな一睡の夢に等しく朝靄とともに消え去るばかり。
してみると、夢の終わり、朝はかりそめの死であるかのよう。
 
 
 
前項つづき
 
ミドルティーンのそれまで、死を近しく感じたことが全くなかったわけではない。
 
3歳の頃のこと、台風で被災した際、近隣の多くのひとが死に、その骸が中学校の校庭に野積みされていたという。黒々と丸太を並べたような水死体が校庭を埋める、その光景は現実に見たものなのか、それとも後に補強された記憶であるのか定かではない。しかし、風に乗って漂ってきた死臭はいまも確かに鼻腔に残っている。それが、死に纏わる初めての記憶だ。
 
小学校の低学年だったころのこと、同級生の家で一緒に習字を習っていたひとつ下の男の子が、200メートルも離れていない家への帰り道、トラックの荷台から崩れ落ちた鉄板の下敷きになって死んだ。小学校校門前の文房具屋の子だった。話した記憶もなく、顔も覚えていないから、一緒に習っていたわけではなかったのかもしれない。だから、そんなに「近く」の死でも痛みが残らなかったのか・・・或いは、そもそも「死」そのものが理解できなかったのか・・・。
 
自然とは縁遠い工場地帯にも、田んぼや雑草の生い茂る空き地があり、土にまみれることを厭わず這い回るガキンチョたちは、カエル、ザリガニ、フナ、バッタにトンボ・・・日常的に、それら「名前」のない小さきものたちの死に積極的に関与してきた。カエルの皮を剥ぎそれで釣ったザリガニの身を剥く、さらに釣上げたザリガニを飼うでもなく、灼けたつアスファルトの上で干からびるにまかせる・・・捕まえたトンボに糸をつけ、アリの行列を踏む・・・
 
死を弄んで邪気もなく・・・つまりは、戦争ごっこで「やられた」と倒れこむほどにも痛みがない、ということ。それは、干からびた生を庭に埋めるようになっても、本質的に変わりはなかった。
 
そんなガキンチョのころ、初めて「死」を恐ろしく思ったのは物語の中での地震だった。TVドラマでの震災のくだり、それは今のようにCGを駆使したリアルなものではなかったが、子供心に恐れを強く抱かせた。ちょうどそのころ地盤軟弱な下町に住んでいたために、500メートルも離れたところを通る貨物線の揺れが、しもた屋を小さく震わせていたが、昼間は感じない揺れも、ちょうど眠りに就こうとする夜半、畳に敷いた布団の中では実に不気味に響き、地震への恐怖を呼び起こすのだった。
 
その恐怖の元は、しかし、自身にふりかかる死に慄くということではなく、親を亡くすことを想ってのことだった。さらには親を含めて、他者の死に思いを寄せるのは、庇護を外れることへの恐怖でしかなかった。
 
とどのつまりが、生の意味に思いを馳せることができないものに、死が理解できるはずもない・・・ということだろう。逆も、また。
 
「ものは壊れる ひとは死ぬ」
こわれものとしてのひと
こわれものとしての生
こわれものゆえの生
 
今に至るも、当然のことながら他者の死より知るものはない。
いくら現象としての死を見つめても、「いなくなる」ということ以上の意味を知りえない。ただ、生の意味を思うとき、残されたものの悲しみ、残していくものの無念はあろうけれど、純粋に自身の死は恐ろしいものでも悲しいものでもないということ、そして、自らの死に何ものをも背負わせてはいけない・・・というのが、分かりえたすべて。
 
 
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All This Time  Sting
 
スティングのいたグループ“POLICE”は、「なんちゅうゲンの悪いグループ名をつけたんやろう」という程度の認識しかなかった。スティングにしても、“DUNE 砂の惑星”でかっこ悪い王子役で画面の中をぷかぷか浮いていたのを覚えていたぐらい。当然聞いたことがなかったが、所用で出かけた街のHMVでたまたま耳にした“イングリッシュマン・イン・ニューヨーク”を聞いて、その場でベストアルバムを購入、お気に入りとなった。
以後、スティングの新譜は購入するも、御大となり畑違いのモノもあり、「偏愛」にはほど遠いものもあるけれど・・・
 
このアルバムは、9.11当夜に催されたスティングのプライベートライブ。オーディエンスよりもプレイヤーの方が多かったとか・・・大ぶりなコンサートと違って、バックもJazzyで、まるでジャズクラブでのライブのよう。
その頭に持ってきた曲がFragile”・・・こわれもの。
イエスの“こわれもの”はジャケットイメージもあり“宇宙船地球号”といった趣に対して、こちらは等身大の・・・だから9.11当夜のオープニングに選んだのだろう。
しっとりとした佳曲が、さらに情感豊かに歌われて心に響く。
 
 “こわれもの”としての“ひと”
 
「ものは壊れる ひとは死ぬ」
と口癖のように呟いていたのは誰だったのだろう・・・
 
“こわれもの”としての“ひと”
その認識が、私の中に萌芽した瞬間の情景が刻まれている。
*
13歳だったか、それとも14歳になっていたのだろうか。
中学での写生会だったのか。学校近くの堤防の両側、わらわらと制服姿の中坊が散らばっている。絵を描いた覚えもないので写生会ではなかったのかもしれない。だいたいから、そんな場所には気のきいた公園があるでなし、小高い堤の北に見渡せるのは、貧しい家並。そして南にふり返れば異形の工場群。工場のあちこちから吐き出される白い煙を混ぜたように、晴れていても薄ぼやけた水色をした空の下、灰色と錆色で拙速に描かれた世界が突っ伏している。斯様、子どもらが「写生会」と称して描くほどのものは何もなかった。
それでも、そんな場所にクラスも違う生徒らが、わらわらと居る理由は他に思いつかない。
 
ヘドロに淀んだ運河の堤、北と南。
6〜70メートル離れた向こう側に、小学校で同級だった「彼女」の姿を見とめたとき、私はイメージの中で一発の銃弾を放った。いや、イメージの中で銃弾は放たれず、彼女に命中もしていない。もちろんのことそれは願望でなどではなく、ただ唐突に、そして戯れにイメージしたものだったのだけれど、此岸から彼岸へ戯れに放つイメージの銃弾、それが現実の世界で命中すれば彼女はこわれるのだということ。当たり前といえば当たり前のお話でも、ローティーンにとっては、手を触れ得ない神聖なものが、戯れの銃弾にいともたやすくこわれてしまうやもしれないという事実にふれたとき、慄然と降りかかってきたのは「こわれものとしてのひと」という、他者の生を共感的に理解する端緒であり、また、幼い憧れからの脱却でもあった・・・と思う。
 
この項つづく
 
 
 
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Astral Weeks  Van Morrison
 
ず〜っとヴァン・モリソンのことを、前項ジム・モリソンと混同していた。
 
このCDを初めて聞いたときは、ジム・モリソンが早世だったことも忘れて
あれま、あの小生意気なにぃちゃんがいつの間にこんな渋くなって・・・と^^
美声とは言えないカエル声も似ているような気がするし、似たような歳だし(ジム・モリソンは1943生まれで、ヴァン・モリソンは1945生まれ)。ただ、ノー天気なアメリカはフロリダ生まれと、重苦しいアイルランドはベルファスト生まれの違いというのは、同じように詩人と称されるふたりの創る楽曲に、決定的な違いをもたらしているのか・・・。
 
そして“Astral Weeks”・・・不思議なアルバム。
ロックともブルースとも違う。
夏の一夜、セッションのような一発録りでできたアルバムだという。
控えめなバックバンド。アコースティックギター、フルート、ベースにヴィブラフォン。語りかけるようなヴァン・モリソンのヴォーカルが、悠々閑々その高みをすべり行く。
 
You turn around  turn around
I’m beside you  beside you
 
Beside You”
・・・このせつない曲にふと思い浮かぶのは、若かりしころの京の街、賑う人波の中に見た一組の外国人老夫婦の佇まい。河原町通りを三条から下る。当時すでに京都では、夕べの大通りをそぞろ歩く外国人夫妻の姿なんざ、珍しくもなかったのだけど。
 
当方は旅館でのアルバイトがひと段落して、手にした何日分かの日当で買い求めた本とパンとレコードを手に、「王将」のカウンターで腹をくちくして、あとは下宿に帰るばかり。
アメリカ人だろうか、ラフな格好。白人にしては上背の無い、あまり頼りになるとも思えない老夫に寄り添うように佇む、やはり小柄な老婦人の姿。
リタイアした後に夫婦で遠く異国の観光地を訪れるというのは、それだけで幸せな道程を想像できるゆえ、ただただセンチメンタリズムのもたらす感興にすぎないとわかってはいても、そんな
“寄る辺なき異郷の地にあって、頼るべきはあなたひとり”
といった風情に打たれるものがあった。
 
胸に宿った形容しがたい幽かな感動は、ひとり身の誰も待つ者とてない方形の部屋に帰るわが身と比してのことであるのは明らかだけれど・・・それでも、くちくなった腹と、労働の対価として今手にしているささやかなささやかな贅沢で、しあわせな頭は考えた。
 
抱えた本は何のためだろう、と。
 
中野重治、安部公房、柴田翔、堀田善衛・・・そして高橋和己
今はもう世俗では語られない物語ばかり。時間つぶしの娯楽とは言い難く、私自身決して良い読者とも言えず、また、所謂「文章読本」でもなかった。
それは、しかし“今ではなく明日のため”という、漠とした想いが浮かんだ。
 
さらには、志津屋のパンにレコードも・・・
食むごとに形をなくしてゆく糧、流行とは無縁の今を奏でて消えてゆくかの音楽も、「今」を消費しているかでありながら、内包する「明日」の素としている、ような感覚。・・・若い今、なべて「今日」は「明日」のために。そして「今」が連なって、遠く「未来」・・・ “金持ちになってやる”だの、“有名になってやる”だのではない、その未来の、ありうべき姿が、そこにあるように思ったのだった。
 
歳月を経て、俗垢にまみれた頭は考える。
これは今、当然の如く、小金持ちにすらも、これぽっちも名を立てていないからと言われれば反論の術はないけれど・・・そんな、成功とは無縁でも、京のあの夕べから、ほんの少しでも賢く強く、さらには優しくなっているのならば
You turn around
I’m beside you
これ以上の、「個人」としては全てに優先する望むべき未来の姿があるだろうか、と強く思う次第。
 
*
 
さて
どれほど先のこととなるのだろうか
京の街をひとり歩く君が見える。
       
       (この項つづく)
 
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Light My Fire  Jim Morrison
 
詩人と言われ、早世の惜才とされる。
ジャケットではまだまだあどけなさを感じさせるジム・モリソン・・・やがて見事に小生意気な肖像へと変貌するが、27歳で急死。
ジャニスにジミヘン、そしてブライアンジョーンズに連なる27歳伝説。
み〜んなドラッグ&ドランク。。。
 
で、「火をつける」・・・となればマッチのお話。
今は目にすることも少なくなったが、以前は宣伝を兼ねて、それぞれの店が意匠を凝らしたマッチを作っていた。飲食、お水系はもちろんのこと、酒屋に銀行、お寺さんのマッチも(朝に合掌、夕べに感謝なんて書いてあったような)・・・。
 
そんな色々な店のマッチを集めていた時期があった。十代の終わりだったか。ま、訪れた店の記念スタンプ帖のようなもの。主にはロック喫茶やジャズ喫茶の、そしてお洒落なお店のマッチ。屋号とTEL、もしかしたら背中に所番地が入って、小さいながら大きさも色々、素材に凝ったり、デザインに趣向を凝らしたりして・・・でも、これは!といった秀逸なデザイン、というものは思い当たらない。
 
思い出に残っているものというと、やはりよく通ったジャズ喫茶やロック喫茶のものばかり。それ以外では、下宿の近くにあった「白い家」という何の変哲も無いティールームのマッチがキレイで気に入っていた。白いシルク糸で覆われた小ぶりな箱に店名が箔押しされ、中のマッチ棒の軸が黒かった・・・だからどうだというようなものでもないのだけれどね。
 
使い捨ての100円ライターが主流となって、色気がなくなった、と思うのは懐古趣味に過ぎるのか。ジッポーは熱烈なファンが生き残っているけれど、ダンヒルだのデュポンだのエレガント系はわれらが市井ではとみに生息を確認できないまま。火のつけ方、消し方のカッコのつけ方や作法など、100円ライターとなればカチャ、でおしまい。
まぁ、嫌煙で火をつけるという行為自体に色気もへったくれもなくなったからなぁ。
 
そう言えば、マッチの燐の部分、頭のところがくっついているものが、たまにあった。
それを当時つき合っていた彼女が集めていた。その双子マッチに火をつけて、炎を吹き消したときに、頭がくっついていたままだとゲンがいいのだという。
彼女の父親がどこぞのオネーチャンに吹き込まれたのだろう、彼女が見つけてそれを父親に渡すと、結構な値段で買い取ってくれるというので、デート代の足しにと新しいマッチを開くたびに、それを探したものだった。
彼女と別れてからも、“双子のマッチ棒”を見つけると、しばらくは未練たらしく擦ることなく除けていたっけ。
 
さて
人生は一箱のマッチに似ている。
ぞんざいに扱うには危なく、大切に扱うにはバカげている
・・・というようなことを言ったのは芥川龍之介。
 
今ならさしずめ
人の生は100円ライターのようなもの
どんなに飾り立てたところで、ガスが切れればそれまでの
・・・といったところか^^
 
 

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