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Blowing Session Johnny Griffin
河原町の中古レコードの店で買ったレコード。
若きコルトレーンの名前をクレジットに見つけて買ったが、まぁ安さに釣られてといったところ。
もう長いこと聴いていない。
メンバーはそうそうたるもので・・・Johnny Griffin(ts) Hank Mobley(ts) John Coltrane(ts) Lee Morgan(tp) Wynton Kelly(p) Paul Chambers(b) Art Blakey(ds)・・・
印象的なジャケットは、暗色の空を飛び交う鳥たち。渡り鳥のように隊列を組むでもなく、小鳥のような直線的な飛び方でもない・・・そのイメージは、ブローイングセッションってぐらいだから、ざわめかしさを想起させるためなのかと思ったが、バード(チャーリーパーカー)へのオマージュらしい。
これを買った当時、中古レコードは主に古本屋で買ったように思う。あとは、デパートでのイベントか。今のように何でもネットで検索して手に入れる方途がなかったころ、モノとの“出会い”は、縁のものでもありまた労苦の賜物でもあったように・・・さらに“中古”の品にはリサイクルが当たり前の時代とは違って、それぞれに“物語”が染み付いていた様に思う・・・これはセンチメントに過ぎるのか^^・・・仕事を始めてからは、リサイクルショップを含め古本屋の類には足を踏み入れたことがないけれど。まぁ、ネットでCDを手間ヒマ掛けず手に入れているような輩には、言う資格はないか^^
名古屋、京都、神田・・・古本屋はよく覘いた。そんな古本屋の中で一番記憶に残っているのが、アルバイト先の旅館の裏手、銭湯の前にあった小さな古本屋。店の実効面積は3〜4坪ほどだったろうか・・・民家の玄関先の土間を書棚で埋めた、というような店構え。老境の店主は日がなTVの前で座っているばかりで、代金を手渡すときぐらいしかこちらを見ない。夏の盛りには、シャツ一枚で扇風機にあたりながら、やっぱり小さなTVの画面と対峙している。厳めしい表情で手元の本に目を落としているといった、その頃の古書店主のイメージとはずいぶんと違う、商売っ気なんて微塵もない・・・まぁ、立地といい規模といい、さらに昔はともかくも、端から商売っ気など出しようもないのだろうけど・・・。
それでも・・・旅館の風呂に入るのが面倒で出かけた銭湯の帰りに、よく覘いた覚えがあるから夜の11時ごろまで店を開けていたのだろうか。風呂上りに軒先の戸板の上に並べられた、マンガ雑誌やら黄ばんでボロボロの文庫やらを50円か100円で買って、くそ暑いタコ部屋での暇つぶしにする。たまに店内に足を踏み入れ(まさに足を踏み入れるというのがぴったり、2歩も歩けばもう店の奥にぶち当たる^^)、すっかり枯れきったように自己主張することのない書棚から買い求めたのは、やっぱり二束三文の古い「別冊太陽」だったり、ボッシュ、ブリューゲルなどの画集だったり・・・。そうそう、図版だけしか見ないようなアントニオガウディの建築物を解説した洋書も買ったなぁ。まぁ、何れもミーハーの域を出ない買い物。
そんな中で、きっとその枯れた書棚でしか出会わなかったろうものがある。何点かその棚から買い求めた「シェストフ選集」・・・。
京都の出版社「雄渾社」のものになる「レフ・シェストフ選集」は、場所柄、京大の哲学科か同志社の神学科学生が手放したものなのか、などと想像してしまうけれど・・・。
素っ気無い白い表紙にビニールのかかった、それはそれは質素なつくり。棚に並んだ表題を眺めていると、いかがわしい新興宗教の本のようだ・・・曰く「死の哲学」「善の哲学」「悪の哲学」「魂をたずねて」、そして「ソラ・フィデの哲学」。
「ソラ・フィデ」とは「信仰のみ」といった意味か。
ドストエフスキーに傾倒していたその頃ゆえ、手に取ることとなった「シェストフ選集」の一節に忘れられない記述があった。それはシェストフの言葉ではなく、訳者の植野修司の言になる前書きの類だったが・・・肝心の「シェストフ」の方の中味は、あんまり覚えていない。
「無意味さと暗黒さと偶然性の集積とが輪舞する、得体の知れない霧の海を愛しよう。
・・・<Amor Fati>・・・」 植野修司「シェストフと運命への愛」
“Amor Fati”・・・「運命愛」とはニーチェの言になる、その哲学の根幹。
その言葉に惹かれるままに、こころに刻むこととなった“物語”は・・・また、いつか
“Blowing Session”とは、全然関わりのないお話でした・・・^^;
http://www.hmv.co.jp/product/detail/843735
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